霧の街のヒナタ   作:下駄ロボ

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……おい、ヒナタ。これ、冗談だろ?

 二人は休戦記念日の静まり返った街を抜け、再び理髪店の地下へと足を踏み入れた。

 つい数日前に「勝利の美酒」を酌み交わしたばかりのカニンガム教授は、差し出されたコーエン教授の手紙を一読すると、気まずそうな顔で深い溜息をついた。

 

「……インスマス以外にも『半魚人』がいたとはね……元人間だった事を伝えておく位はしておけば良かったか?」

 

 教授は眼鏡を外して目元を押さえる。

 金の為に『半魚人』を標本にして売り飛ばす事を考えたのは自分である。標本作りを頼む形で巻き込んだ事もあり、全ての元凶である自覚もあって思わず頭を抱えてしまった。

 

「ヒナタ君、そして○○○君。君たちには悪いが、至急、東アーカムの本校へ向かってやってほしい。講義関係は私がどうにかする。

 それと、交通費はこちらで出そう。コーエン教授に標本作りを頼んで巻き込んだのは私だからね」

「分かりました。こちらからも日本や大西洋側の日本人に〝大西洋に手付かずのギョジンの群れがいる。しかもアメリカでは漁業権が無いから取り放題〟と伝えたいので電報代もお願いできますか?」

 

 ヒナタの台詞にカニンガム教授は顔を更に引き攣らせた。

 

「いいとも……それにしてもエグい事を考えたね」

「海から突付けば、こっちのインスマスみたいに浄化作戦のきっかけを作れると思いまして」

 

 教授は○○○に向き直った。

 

「……○○○君は東アーカムの私立探偵にコーエン教授の護衛を依頼してくれ。代金は私が出すから」

「良いんですか?結構な額になると思いますよ?」

「コーエン教授を巻き込んだ挙句、真実を黙っていたのは私だ。これくらいやるのが筋という物だろう?

 それと、西アーカムに戻ったら謝罪と埋め合わせをさせて欲しいとコーエン教授に伝えてくれ」

 

 二人はずっしりと重い、いくつかの札束を受け取った。

 

 外に出ると、鉛色の空からはついに霙(みぞれ)が混じり始めていた。

 

「……いよいよ、本格的な冬だな。東に行きゃあ、もっと冷えるぜ」

 

 ○○○がコートの襟を立てる。二人はオレゴン州にある大陸横断鉄道の駅に向かう為、ひとまず寮に戻った。

 

---

 

 二人は寮に戻り、手早く荷造りを済ませた。

 ハロウィンの報酬で買ったばかりの石炭は寮母に預け、代わりに新調した厚手のウールコートをしっかりと着込む。

 

「……それにしてもヒナタ、お前のあの提案。コミュニティの連中は乗ってくれると思うか?」

 

 ○○○がトランクを閉じながら苦笑する。

 

「あの『半魚人』がお前らにとっての高級食材であるギョジンだからってそんなホイホイ狩りに来てくれる程、暇でも無いだろ?」

「大丈夫だよ。日本でもそうそう食べる機会が無いから、ここぞとばかりに食べに来るはず。

 それに、あの映画の件で日本人が人間じゃないとバレて仕事をクビになった人もいるだろうから、少なくともそういう人は来るはずだよ。」

 

 ヒナタは無邪気に笑いながら、カニンガム教授から預かった電報代の札束をポケットに仕舞った。

 二人は西アーカムを出発し、オレゴン州の主要駅へと向かう乗合バスに揺られた。

 大陸横断鉄道の駅は、霙(みぞれ)が降り頻る中でも活気に満ちていた。

 蒸気機関車が吐き出す真っ黒な煙と白い蒸気が混ざり合い、視界を遮る。ヒナタと○○○は、まず電報局へと足を運んだ。

 

「日本宛と、大西洋沿岸の日本人コミュニティ宛。文面はこれでお願いします」

 

 ヒナタが差し出した電報原稿を見た通信士が、二度、三度と目を丸くした。

 

『タイセイヨウガワ ボストンチカク ギョジンアリ。リョウバ サキドリ。ギョギョウケン フヨウ』

 

 事情を知らなければ、珍妙で理由のわからない文章である。

 

「……よし。早ければ僕達が到着する頃にはダゴン秘密教団の本拠地も大騒ぎだよ」

 

 ○○○がヒナタの言葉に満足げに頷き、二人は東アーカム行きの豪華な一等車に乗り込んだ。

 カニンガム教授が「筋を通す」と言って出した旅費のおかげで、長旅の疲れは最小限に抑えられそうだ。

 列車がゆっくりと動き出す。

 窓の外、遠ざかっていく西アーカムの鉛色の山々を眺めながら、ヒナタは髪に擬態したまま静かに蠢く触手をなだめた。

 

 ガタン、ゴトンと規則正しいリズムを刻む列車の振動が、二人を深い眠りへと誘っていった。

 

---

 

 大陸横断鉄道を下車し、さらに複数の交通機関を乗り継いで数日。

 

 二人はついに、マサチューセッツ州ボストン、その近郊にある東アーカム――ミスカトニック大学本校へと辿り着いた。

 

「……おい、ヒナタ。これ、冗談だろ?」

 

 キャンパスの入り口に立った○○○が、呆然と立ち尽くした。

 アイビーに覆われた重厚な校舎、時計塔の配置、並木道の角度……。そこにある全てが、自分たちが先ほどまでいた西アーカムと気味が悪いほど「鏡映し」だったのだ。まるで鏡の向こう側の世界に迷い込んだかのような、あるいは非常に精巧な模型の中に放り込まれたかのような違和感。

 

「……うわぁ。建物も道も、全部綺麗に反対だね。なんだか、ずっと同じ場所をぐるぐる回ってるみたい」

 

 ヒナタも目を丸くして周囲を見渡す。だが、決定的な違いもあった。西アーカムを覆っていた荒々しい開拓地の空気はなく、ここにはアメリカ入植からの歴史が積み上げた、傲慢なまでの知性と権威が冷たく居座っている。

 

 二人は困惑を抱えたまま、海洋生物学研究室へと向かった。西アーカムで慣れ親しんだ校舎とこれまた鏡映しな場所にある、その扉を開ける。

 

「おおお! 来てくれたか! 待っていたよ!」

 

 研究室の奥から飛び出してきたコーエン教授は、手紙の悲壮感とは裏腹に、眼光だけは異様なまでに鋭かった。

 

「教授、大丈夫ですか? 教団の襲撃があったとか……」

「ああ、昨夜も来たよ! 大学の警備員と番犬が、侵入しようとした男を一人返り討ちにしてね。

 死体はすぐに警察に持っていかれたが、私が強引に理由を付けてついて行って司法解剖に立ち会ったんだ!」

 

 教授は興奮で震える手で、近くの解剖記録を指し示した。

 

「素晴らしいんだ、ヒナタ君! 耳が退化し始め、首に鰓(えら)が形成されかけている! 脊椎の変形も、我々が展示した標本と酷似している。

 ……驚いたかね?『半魚人』は深海生物だったが、元々は人間だったんだ!

 人間が、生きたままあの『半魚人』へと変質していく過程が、この目で見られたんだ!

 恐怖? ああ、確かに怖いさ、窓の外にはまだ仲間がいるからね。だが、この知的好奇心には勝てんよ!」

 

 恐怖でやつれながらも、学者としての狂気的な興奮が勝っているコーエン教授の姿に、○○○は思わず一歩引いた。

 

「……教授、まずは落ち着いてください。カニンガム教授からの伝言と、護衛の件で相談があります」

「ああ、そうだった。……頼むよ、彼らは執拗だ。標本だけでなく、私の記録(データ)も狙っているらしい。

 襲撃の時に、『アンドリュー・コーエンを捕まえろ、産まれた事を後悔させてやれ』とか『同胞の遺体を回収しろ、記録は焼くか回収しろ』とかのたまってたからね。」

 

 コーエン教授は二人に半魚人の正体を話していくらか落ち着いたらしい。話を聞く準備が整ったようだ。

 

「コーエン教授。まず、護衛の件につきましてはカニンガム教授から護衛代を頂いたので、私立探偵にこれから護衛を頼むつもりです。

 それと、日本人コミュニティにもヒナタに声かけして貰いましたので、しばらくしたら海の方で『半魚人』の密漁が始まって注意がそちらに向くはずです。」

「ありがとう、助かるよ○○○君、ヒナタ君。

 しかし……何故、カニンガム教授はここまでしてくれるのかい?」

「それなんですが、カニンガム教授とと僕達は〝半魚人を売った数日後〟に半魚人の正体を知ってしまったんです。

 これまで黙っていて申し訳ありません。カニンガム教授からもこの事について西アーカムにコーエン教授が戻り次第、謝罪と埋め合わせをするとの事です」

 

 ○○○とヒナタが申し訳ない表情で謝罪すると、コーエン教授は笑って「話しづらい内容だから仕方ないさ」と謝罪を受け入れた。

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