霧の街のヒナタ   作:下駄ロボ

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教授、驚くのはまだ早いですよ。

 港の防波堤。○○○は、今日も今日とて麦わら帽子を被り、釣り竿を手に海を見つめていた。

 

 先日のような殺気立ったワシントン州警察の姿はない。地方警察と州警察の間で、前回の「空振り」を巡る責任の押し付け合いが発生した結果、今日の港は驚くほど手薄だった。

 

「……お、帰ってきたな」

 

 水平線の向こうから、見慣れた海洋調査船のシルエットが現れる。

 ○○○は手元のカバンから「白いタオル」を取り出し、軽く肩に掛けた。予定通り、「シロ(安全)」の合図だ。

 

 船がゆっくりと桟橋に近づくにつれ、○○○の眉が不審げに寄った。

 船尾から伸びる曳航索の先に、前回よりも明らかに「多い」樽の列が見えたからだ。それだけではない。甲板の上に、ヒナタと並んでもう一人、見たことのない少女が立っている。

 

「……なんだ? 」

 接岸した船から、まずヒナタがひょいと桟橋に飛び降りてきた。続いて、1920年代のフラッパー・ドレスを少し崩したような、独特の着こなしをした少女――カイが、猫のような軽やかさで後に続く。

 

「ただいま、○○○。釣りはどうだった?」

「さっぱりだよ。……それより、その子は? 随分と賑やかな荷物と一緒に帰ってきたみたいだけど」

 

 ○○○の問いに、ヒナタは隣の少女を指して、ごく当たり前のことのように紹介した。

 

「日本にいた頃の友達のカイだよ。海を渡って、僕を訪ねてきてくれたんだ。

 ……あ、あっちに浮いてる樽は全部彼女の『手土産』だから、イレギュラーズのトラックに積むように言ってくれる?」

「……日本から、海を渡って?」

 

 ○○○が絶句している間に、カイは興味深そうに港の景色を眺め、○○○を値踏みするように見つめた。

 

「君がヒナタの新しい相棒?

 噂より……普通だね。もっと筋肉モリモリのマッチョマンなのかと思ってた」

「……生憎だが、普通の大学生さ。

 これでもこの街じゃ『まとも』な方なんだ。よろしく、カイ」

 

 挨拶を交わす間にも、コーエン教授の指示で学生たちが手際よく樽を引き揚げ始めた。

 樽には「中国産・高級薬膳」という札が貼られているが、その隙間から漏れ出る香りは、明らかにただの漢方薬の域を超えていた。

 

 港の事務作業を終えた一同の前に、待機していたイレギュラーズのトラックが到着する。男たちは、ヒナタの横に並ぶ「もう一人の日本人」に戸惑いを見せつつも、ヒナタの連れであることを察して、恭しく樽を積み込み始めた。

 

「さあ、行こうか。カニンガム教授が大学の研究室で首を長くして待っている。

 ……新しい『ビジネス』の匂いを嗅ぎつけたら、あの人はきっと喜ぶよ」

 

 ○○○は釣り竿を畳み、二人の「人外」を連れてコーエン教授が運転するピックアップトラックへと歩き出した。

 

---

 

 ミスカトニック大学、文化人類学研究室。夜の闇に沈んだ研究室には、場違いな磯の香りと、刺激的な薬草の匂いが充満していた。

 カニンガム教授は、運び込まれた木樽の山と、その前に立つ見慣れない少女――カイを交互に見やり、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。

 

「……なるほど。ヒナタ君、君が以前話していた『友人』とは、これほどまでにアグレッシブな人物だったのか。日本から太平洋を渡り、ビールの樽を牽引してくるとはね」

「教授、驚くのはまだ早いですよ。カイはただ来ただけじゃないんです」

 

 ヒナタが促すと、カイは手近な樽の蓋をナイフでこじ開け、中から蛇入りの瓶を取り出した。

 

「ハーバード・カニンガム教授だよね? コーエン教授達から聞いてるよ。『いつも悪巧みをしているが、義理堅い奴』だって」

「……悪巧みは余計だが、悪い気はしないね」

 

 教授は苦笑いを浮かべ、差し出された瓶を受け取った。封を切った瞬間に広がる、喉を焼くような酒精と、深みのあるスパイスの香り。

 

「これは中国で飲まれてる毒蛇酒。蛇毒ってアルコール漬けにして口から飲む分には薬になるんだって、何より――」

 

 カイは声を潜め、教授の耳元で囁いた。

 

「これを一杯飲めば、一晩中〝元気〟になれるんだって」

「……ふむ。女の子の姿でやる物ではない宣伝だと思うが素晴らしい。

 男らしさに自信が無い上流階級や、刺激に飢えた学生たちには、聖書よりも価値のある一滴になるだろう……しかし」

 

 教授は残念そうに言うと、棚から新聞を取り出した。

 

「去年、警察がチャイナタウンの抗争を鎮圧して更地にしたからね。

 連中の中にシャレにならないやつが混じっていた事もあって、それを売ると私達とグルになってる警官達にソイツらと繋がってると見られかねないんだ。

 つまり、今のアーカムでは中国の品は売れない。」

「そんなぁ……」

 

 カイは頭を抱えた。

 

「だが、君の腕前は認めてるよ。カナダからの密輸品の量を増やす為に協力してくれないかな?

 ヒナタ君とも一緒にいられるし、太平洋を越える必要も無い。悪い話ではないと思うよ。

 勿論、私のツテで君の密入国を誤魔化して帰化した事にしておくから安心してここにいてくれたまえ」

「よ、よろしくお願いします……」

「さて、ビジネスの話はここまでだ。○○○君、ヒナタ君。打ち上げに行こう。

 せっかくの再会だ、今夜はいつものスピークイージーでカイ君をもてなそうじゃないか。」

 

 教授の言葉に、学生たちが歓声を上げた。

 

---

 

 賑やかなスピークイージーでの一次会を終え、一行が解散した後。○○○とヒナタ、そしてカイの三人は、寮のヒナタの部屋へと戻っていた。

 

「……ふぅ。あのカニンガムって人、なんか怖かった。でも、住む場所とか身分を保証してくれるなら、悪い人じゃないんだろうね」

 

 カイはヒナタから借りたゆったりとした寝巻きに着替え、ベッドの上に大の字になった。

 

「教授は、得になる相手にはどこまでも親切だよ。……さて、カイ。約束通り、手土産の樽を開けてもいい?」

 

 ヒナタがキッチンで手際よく動く。持ち帰った樽の中から出てきたのは、丁寧に梱包された味噌、醤油、乾燥昆布、玄米、そして厳重に封じられた清酒の小瓶と毒蛇酒だった。

 

「わあ、本物の味噌だ……。○○○、今夜は少し遅いけど、本当の夜食をご馳走するよ」

 

 ヒナタは鍋に湯を沸かし、昆布で出汁を取り始め、並行して触手で包丁を握り、タマネギをカットして放り込む。

 アーカムの寮の一室に、アメリカのそれとは全く異なる、○○○には馴染みが無い香りが漂い出した。

 

「……いい匂いだ。ところでカイが持って来た物って俺が食べても平気なのか?」

 

 ○○○が感心したように鼻をくすぐられつつ、疑問を口に出すと、カイが身を起こして言った。

 

「大丈夫だよ。外交官の件で問題になったのはフグだけだし。

 ……ねえヒナタ。さっきは言わなかったけど、太平洋の海底都市の話なんだけどね。

 行き場の無い日本人が集まって作った場所だけど、最近は海底都市の中だけで完結するのはまずいと思ってるみたいでね。

 社会復帰したいって事で海底で何か商品になる資源が無いかの調査と買い叩かれない取引先を探してたよ。」

 

 ヒナタの手が、一瞬止まる。

 

「世知辛い話だね。」

「うん。私がここまで来た理由の一つに取引先探しも入ってたんだ。」

 

 出汁の香りが立ち込める中、会話の内容だけが世間の風で冷えていく。

 カイは、ヒナタの背中をじっと見つめながら続けた。

 

「二人には悪いけど、取引先探しの事はしばらく黙ってて欲しいんだ。

 信用できると分かってから相談したいし」

 

 ヒナタは何も答えず、鍋に味噌を溶き入れ、湯気の立つ汁物をマグカップに注ぎ入れて二人の前に差し出す。

 

「わかった。今は、このお味噌汁を飲もう。温かいうちにね」

 

 ○○○は、差し出されたマグカップを手に取った。

 一口啜ると、五臓六腑に染み渡るような滋味深い味わいが広がった。先ほどまでの不穏な話が、一瞬だけ遠のくような感覚。

 

「美味しい……。」

「そうだね。今夜は、カイの旅の話を最後まで聞きたいな」

 

 六月の雨が、窓を叩き始めた。




Q.チャイナタウンのシャレにならないやつって何?

A.ラブクラフトと共にクトゥルフ神話作品を書いたダーレスの作品に登場するチョーチョー人です。中華系移民の中に紛れてました。
作中では「あれは……やはりやめよう。現実を直視したくない」にも登場してたりします。

作中の西アーカムのチャイナタウンが更地になった件は、抗争鎮圧の際、たまたま最初に踏み込んだ店がチョーチョー人の店だったせいで警官が人の死体や内臓を見てしまい、チャイナタウンは「半魚人みたいな人に擬態する人喰いの化け物」の巣窟だと思われたのが原因です。
その時チャイナタウンにいた中国人ごと女子供含めて皆殺しにされてます。

あまりにもヤバすぎる情報にアメリカ中のチャイナタウンを調査する必要が出た為、これを知ってる者は口をつぐんでしまいました。当然、カニンガム教授も知ってます。
新聞やラジオなどの記者やマスコミ関係者にも事情を説明した結果、皆協力して証拠隠滅を防ぐ為に口をつぐんでくれてます。

なお、作中世界のアメリカ人の大半は1884年の中華系移民排斥法(史実)から来る差別感情もありチョーチョー人と中国人の違いがわからない為、作中世界の中国人は物凄く酷いとばっちりを受けてますし、これからも受けます。
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