天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
「最後に君にお願いがあるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は身構えた。反射的に、というかもう職業病に近い。冒険者ってのは、こういう“静かに頼みごとしてくる”やつが一番ヤバいって知ってる。あまりにも静かに始まると、大体とんでもないことを要求されるんだ。だから、つい口調も警戒気味になる。
「……何をして欲しいんだ?」
無意識に少し警戒した声が出る。まあ当然だ。今までだって、突然声だけで精神崩壊しかけたり、童貞のまま国家戦略の柱にされそうになったり、トラウマを見せられたり、もう散々だった。
だから、ここで出てくる「お願い」って言葉に、俺の警戒レベルはMAX。
管理者は頷き、穏やかに言った。
「君がここで聞いた情報を外に流してほしい。誰に伝えるかは君に任せるよ」
「……それだけか?」
思わず聞き返していた。え?本当にそれだけ?って感じで、目も口もぽかーんと開いたまま。
だってさ、これまでの流れからすれば絶対こう来ると思ってたんだよ。
――「リオ君、君にはこのダンジョンの攻略を頼みたい」
――「業魔をすべて駆逐してほしい」
――「世界の命運は君にかかっているんだ!」
……って、こういう“重い使命”がズドンと降ってくるのがセオリーじゃないのか?むしろ心の準備できてたよ!?「お前しかいないんだ!」って泣きつかれて「くっ、仕方ねぇな……」って渋く受ける展開を一応考えてたのに!
でも管理者は、俺の予想とはまったく違う方向に首を横に振った。
「うん。それだけでも十分ありがたい」
その言葉には一切の偽りがなかった。嘘をつくような存在じゃないって、今までのやりとりで理解している。
……うーん、妙に拍子抜けしてしまったけど、同時に安心もしてしまった。重荷を押しつけてこない管理者の態度に、どこか救われる気がする。
だが、それでも一つだけ、気になってしまう。
「……他に何か無いのか? 業魔を排除して欲しいんだろ?」
そう尋ねると、管理者はまた、ゆっくりと首を横に振った。
「確かに、君は今のところダンジョンで戦うことができる、唯一の冒険者だ」
……やっぱりな。まあ、それはそうだろう。俺が唯一“童貞ブロック”を突破した勇者なんだから。童貞・処女限定っていうバカみたいな条件をクリアできたレア種族――俺。それが現状。
「本音を言うなら、ダンジョンで業魔と戦って欲しい。でもね……」
そこで管理者は一呼吸置いた。
「これは、人が積み重ねてきた“業”の清算なんだ。君一人にだけ押し付けるのは、違うと思う」
静かに、そしてはっきりと、そう言った。
俺は、その言葉に言葉を失った。
「君は十分すぎるほど、貢献してくれた。業魔を倒し、遺骸を外に持ち出し、そしてここで得た情報も、併せて伝えてくれるつもりなんだろう? なら、人はきっと早急に動くはずだよ」
確かに、あの遺骸を見れば、どんな間抜けな役人でも動かざるを得ないはずだ。王様だって、あの人のことだ、何かしら“まとも”な決断をしてくれると信じている。
静かに、でも確信を持って語る管理者。その声に、変な装飾も悲壮感もない。ただ、まっすぐだった。
「今は君しか攻略できないかもしれない。でも、徐々に増えていくと思う。君が動いたことで、世界が変わる。だから……」
……その“徐々に増える”方法が「童貞・処女育成国家計画」だったりするのは、突っ込まないでおこう。多分、また精神にダメージを受ける。
ここで、わずかに光が揺れた。
「だから、君だけに重荷を背負わせたくないんだ」
その一言が、妙に胸に響いた。
……ああ、なんだろうな。
ああ、この人――いや、この存在、最初から最後までずっと、俺に気を遣ってくれていたんだな。
俺の魂の安全も、精神的限界も、そしてなにより気持ちも――すべてを配慮してくれてた。
普通、こんな存在が相手なら「人類を救え!」とか「使命を背負え!」って押しつけてもおかしくない。それをしなかった。しようとすらしなかった。
「ただ伝えてくれればいい」
その一言に、どれだけの優しさと信頼が込められていたか。
――なんだよ、泣けるじゃねぇか、バカ。
俺は心の中でそう悪態をつきながら、そっと目を伏せた。
こいつ、やっぱりすげぇよ。
圧倒的な存在で、世界を管理して、魂レベルで俺の精神に干渉できるのに、そうしないでいてくれる。
……それが、どれだけ怖くて、どれだけありがたいことか。
少なくとも俺は、一生忘れられないだろう。
だから俺は――
「……わかった。伝えるよ、俺なりに、ちゃんと」
それだけを静かに口にした。
これから先、やるべきことはわかってる。
伝える。それが、俺に託された唯一の“お願い”だから。
「あと、お願いというか……提案なんだけど」
そんな軽い口調で言い出すもんだから、俺はてっきり「帰る時は気を付けてね」とか「水分はこまめに摂ってね」的な、ほんわかしたお話かと思った。
「提案」って、やってもやらなくてもいいことでしょ? だったら気楽なもんじゃん。
そう油断していた俺に、管理者は笑顔で――いや、光だけど、明らかにテンション低めの笑顔で言った。
「君が倒した業魔の素材で、重要な部分があるんだ」
その瞬間、俺の中の冒険者魂が目を覚ました。
きた。これは、きたぞ!!
魔物の素材。これは冒険者にとって最大のご褒美の一つだ。皮、骨、牙、鱗、毒袋、核――それらが武器や防具、スカウト用の罠や特殊アイテムに生まれ変わる。夢と欲望の詰まった世界の“お宝”だ。
武器か? 防具か? それとも新しいスカウト装備か!?
業魔っていうくらいだ、何かとんでもない特性を秘めた超レア素材に違いない!
俺の頭の中では、すでに解体台の上で素材になった業魔が“ほどよくバラされて”いた。骨はブーメラン、皮は高級レザーのマント、血は毒矢の材料に。ああ、スカウト冥利に尽きるぜ……!!
と、そんな俺の妄想フィーバーの最中――管理者は、妙に言いづらそうに、でもしっかりと発した。
「それは……お肉!!」
俺は叫んだ。
「肉って……にくぅ!!!!!???」
いやいやいやいやいやいやいやいや!?!?!?
肉って、肉ってあの肉のこと!?!?!?
なんでこの展開で肉が出てくる!? 一体どこに肉を使うってんだ!?!?
もう叫ばずにはいられなかった。今の今まで、俺の頭の中は素材装備のロマンで満たされていた。にもかかわらず、飛び出した単語は“肉”。俺の精神は急ブレーキからのスピン状態だ。
「どうして俺にとって重要なのが肉なんだよぉおおおお!!???」
思わず地面に膝をついた。地面無いけど。魂だけだけど!
なんならスカウト装備の新型フックとか、忍者的アイテムとか、見たこともない秘薬の原料とか、いくらでも想像したんだよ? なんで肉なんだよ!!!
管理者は、まるで死刑宣告でも下すかのような雰囲気で、静かに、ゆっくりと続けた。
「君は……業魔と戦った時に、限界をはるかに超えた動きをしたでしょ?」
その言葉に、俺の背筋がゾクッとした。
……思い出す。
確かに、あの時の俺は“何か”に突き動かされていた。いつも以上の動き、身体が勝手に反応して、感覚が研ぎ澄まされて、いわゆる“ゾーン”に入ってたってやつだ。
でも、その代償は凄まじかった。
解除された瞬間に全身を襲った灼熱感、激痛、息ができないほどの倦怠感。戦いの後、俺は「もう動かないでいいなら死んでもいい」と本気で思ったくらいだ。
「……あー……うん、まぁ……そんな感じだった……」
管理者は言いづらそうに、それでも真剣な声で続ける。
「私見だけど……治療には長い時間がかかると思う。下手すると、後遺症も……」
……ですよねー。
俺は思わず頭を抱えた。
あのままじゃ、普通に戦闘不能だ。むしろ運良く魂だけでここにいる今が奇跡みたいなもんだ。しかも、あの時飲んだ気付け薬、あれ劇薬に近かったから、身体の内側まで相当ダメージ食らってるはず。
もう、これは確定だ。後で絶対、地獄を見るやつだ。
すると管理者は、まるで名医のように手を差し伸べる。
「そこで、業魔の肉なのさ」
……ほう。
……その一言で、俺は心のどこかが止まった。
いや、待て待て。そこから先の展開、わかるぞ?
どうせこうだ。「その肉を使った薬を作ろう」とか、「その肉から抽出した成分が特効薬になる」だとか。間違っても、間違っても――
「肉を……どうするんだ?」
わかってる。言われなくても分かってる。だが、祈りを込めて尋ねる俺。頼む、外れてくれ、お願いだから希望を捨てたくない……!
その祈りは、秒で砕かれる。
「食べて欲しい。浄化した、業魔の肉を」
あああああああああああああああああああああ!!!!!
言ったぁああああああああああああああ!!!!!!言いやがったああああああああああ!!!
誤解のしようのない明確な言葉が俺の鼓膜を殴り抜いていった。何という正確無比なストレートパンチ。
絶望。この世にこんなにも明確に「無理だ」と思わせる提案があるだろうか。
「肉を食べると、自然治癒が早まる上に、後遺症も無くなるんだ」
管理者がサラッと言ったその一言に、俺の思考は完全にフリーズした。
自然治癒が……早まる?
後遺症が……無くなる?
あの“肉”を食べるだけで?
は?
「…………」
しばらく沈黙。何も言えなかった。
信じたい、でも、信じられない。
最初は冗談かと思った。だってさ、治療薬や回復術ってのは確かに存在するよ。俺も何度もお世話になった。でも、それってあくまで“傷口を塞ぐ”とか“痛みを緩和する”ためのものであって、身体そのものを根本から治すわけじゃない。
自然治癒ってのは、自分の肉体が少しずつ回復することであって、それを「肉食ったら早くなる」なんて聞いたことない。そんなもんが本当にあるなら、冒険者の間で瞬く間に広がって、全員が肉を主食にしてるだろう。
なのに今、俺の目の前の存在は、光りながら大真面目に言ってる。
「肉食えば治るよ」と。
――やっぱり、常識で考えちゃダメなんだろうな。
俺は深く息を吸って、思い直した。
ここは“あの”ダンジョンだ。童貞・処女しか入れない、文字通り“純潔限定”というイカれた条件で運営されているダンジョンだ。
思い返せば、俺がこのダンジョンで体験してきたことは、どれもこれも常識を遥かにぶっ飛んでいた。
だったら……肉で治るってのも、本当に“そういうもの”なんだろう。
ましてや、目の前の管理者はずっと誠実に接してくれてたし、俺を騙して何か得るようなやつじゃない。嫌がらせ目的で肉を食わせるようなヤツでは――ない、はず。たぶん。
「……そうか。うん、わかったよ……業魔の、アレの……肉を……」
その言葉を言いながら、自分の中で何かが崩れていくのを感じた。
……いや、別にさ、魔物の肉を食うこと自体は、珍しいことじゃないんだよ。
ゲテモノ? 大歓迎だ。
基本、毒がなければ調理して食える。味が悪ければ味付けで誤魔化すし、匂いが酷ければ香辛料をぶち込む。最終的には“慣れ”が全て。
実際、俺たち《暁の剣》も旅の途中でいろんな魔物を食べてきた。
最初は女組――特にミリアやレイナなんて、すごい抵抗感を見せてた。
「こんなの食べ物じゃない……!」
「何でナメクジみたいな粘液出てるの……!?」
最初は拒否反応全開だったけど、しばらくすると、慣れってすごいよね。今じゃ「この子は焼きより煮込みが合う」とか言いながら、包丁片手に解体してる姿が脳裏に浮かぶ。
ガルドなんて「うむ、これはアブラが良い」とか言いながら脂身を炭火で焼いてたっけな。
ゼインは……だいたい無言で食ってた。あいつ、美味いときだけちょっと眉が動くんだよな。
……ああ、そういう“普通の思い出”が……懐かしい。
目の前の現実――業魔の肉を食う、という超級イベントから目を背けるために、俺は必死で過去に逃げ込んだ。
でも、現実は非情だ。
業魔。
あの、見るだけで吐き気を催す存在。
見た目というより、感じた“嫌悪感”。まるで世界そのものから「これは食べ物ではありません」と宣言されたような、吐き気が止まらない存在感。
その肉を食べる?
マジで? いや、本当にマジで?
浄化したら食べられるようになるって、言ってたけどさ。俺、まだ“浄化後の遺骸”見てないんだよ。どれだけ見た目が改善されるのかも不明。もしかして、ちょっと色が薄くなるだけとかだったらどうすんだよ!
胃が! 心が! 魂が!!
食ったら絶対こうなる。
――悶え苦しむ。のたうち回る。嘔吐する。最終的に中身を全て出し切って、ガリガリの干物になる。そして、死ぬ。
そんな自分の未来像が今、ありありと脳内で再生されている。
「これは罠じゃないか……?」
そう思いたくなるほどの難易度。
でも――それでも。
俺は、あの戦いで、本当に限界まで行った。このままじゃ、動けなくなる未来も見えてる。
だからこそ、選択肢があるだけマシかもしれない。
問題は、それを“口に運ぶ勇気”があるかどうか――
「浄化したら生でもいけるよ!」
……は?
一瞬、時間が止まった気がした。
「そういう問題じゃねぇだろおおおおおおお!!!!」
魂の全力ツッコミが爆発した。
なんだその“爽やかに言えば全てが許されるとでも思ってるのか”みたいなノリは!? 生でいける? それって褒め言葉!? 料理として推奨!? 逆に言うけど、あの業魔の肉、火を通したっていける気しないわ!!
生なんて、もっといけねぇぇぇぇぇ!!!
その瞬間、俺の脳裏に“刺身になった業魔の肉”が浮かんだ。うねうね動く切り身、赤黒い肉に輝くスライム質の艶、プルプルする表面に――想像しただけで内臓が全力で悲鳴を上げた。
「ウップ……」
実際に吐き気がこみ上げてくる。ここ魂空間なのに、胃だけはしっかり反応してくるあたり、俺の体ってマジ忠実。
そんな俺に、管理者は申し訳なさそうに頭(光)を下げた。
「ぜひ、食べてほしいんだ」
管理者の声が、いつになく静かで、どこか申し訳なさそうだった。
「……あれだけ頑張ったのに、今後の人生に支障をきたすなんて、後味が悪すぎる……」
その一言に、俺は何も言えなくなった。
……ズルいよ、そうやって俺のこと思ってくれるなんて。
今までの話を思い返せば、確かに管理者は俺にずっと気を遣ってくれていた。あの恐ろしい正体も、トラウマ再起動ボイスも、すべては俺のためだった。優しさなんだよな、ほんと。
……だからこそ、逆に言葉が出ない。
ここまでされて、無下に断るのは無理だ。
だから俺は、あくまで“とりあえず”という保険をかけながら、ようやく口を開いた。
「……とりあえず、月の光に晒して浄化してみるよ……」
我ながら見事なまでの“後回し表現”。この手の返答は時間を稼ぎたい時の定番だ。とにかく今は精神的にしんどい。現実を直視する前に、ワンクッション挟ませてくれ。
それでも、管理者は何も言わなかった。
「うん、わかった」
ただ、それだけ。
あっさりと、受け入れてくれた。
……だからこそ、こっちが申し訳なくなる。
あれだけ想ってくれて、命を気遣ってくれて、それでもなお強要はしない。信頼してくれてる。俺に。
そんなリオに向かって、管理者はふっと光を緩めながら苦笑したような声で言った。
「そんな顔しないで。君は偉業を成して帰るんだ。それなのに体が不自由になるなんて、あんまりだろ?」
その言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
「……そうだな。シャキッとしないとな」
どれだけ嫌でも、どれだけ気が進まなくても――それでも、俺はここで何かを得た。守るべきものの大きさも、戦うことの意味も、そして……何より、自分が“生きて帰る”ための方法を。
せっかく命をかけて戦ったのに、後遺症で寝たきりとか笑えない。食うのは嫌だけど、食わなきゃダメなら――まあ、死なない範囲で頑張るしかない。
ほんの少し、体が軽くなった気がした。
そして――それに呼応するように、俺の身体が薄れていく。
「……これ、何か始まってる?」
「これから君は目を覚ます。一旦お別れだ」
管理者の声が、どこか名残惜しそうに響く。
「ここは、人間が長居してもいいところじゃないからね」
そう言いながら、あたりを見回す管理者。その様子を見て、俺は思い出す。
そうだ、この空間そのものが“管理者”だった。
そうだ。長居すれば、意志とは関係なく“取り込まれて”しまう。本人が望まずとも、ここに染まり、溶けていく。
「……そうか。色々とありがとう、管理者」
俺がそう言うと、管理者は一瞬、光をふわりと揺らして答えた。
「こちらこそ、ありがとう、リオ君」
その声が、どこか微笑んでいた。
――姿がないはずなのに、なぜだろう。管理者の“笑顔”が見えた気がした。
柔らかくて、暖かくて、そして少し寂しそうで。
その瞬間、世界が――音もなく、光と共に、静かに溶けていった。
目の前の湖、星空、満月、すべてが薄れていく。
魂としての存在が、徐々に現実へと引き戻されていく。
俺は最後に、もう一度だけ管理者の方を見た。
そこにはやっぱり、笑ってる“気配”があった。
そして――目が覚める。
魔物肉を食べるのもテンプレ