天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
――惨劇から、数日後。
王都郊外の静かな森。その中にひっそりと建つ、大きな石造りの屋敷がある。かつては名家の別荘だったが、立地の悪さゆえに破格で売られていた物件だった。それを〈暁の剣〉が一括購入し、今では彼らの拠点となっている。貴族趣味の残る柱やシャンデリアがそのまま残されており、冒険者の本拠とは到底思えない立派すぎる屋敷――だが、いまその豪奢な居間には、重苦しい空気が淀んでいた。
その空間の中心に――芋虫がいた。
「……あああああああああああああああああああああああ……!!!」
白いソファに顔を埋め、クッションと一体化して転げ回る少女、ミリア・セレスティア。髪は乱れ、涙は止まらず、叫びは魂を震わせるほどだ。
「なんでぇぇぇええええ……なんであのタイミングで“ごめんなさい”なんて言っちゃったのぉぉぉぉぉ……!!!」
足をばたつかせながら、理性という名の最後の防壁が彼方に吹き飛んでいる。
「私、あれ絶対……最低だったよね!? 読者アンケで『不快』って言われてるよね!? ヒロイン失格どころか、悪役令嬢かよってレベルだよねぇぇ!?」
誰かの読者アンケートを受信している。そんな次元の違う妄想を垂れ流しながら、ミリアはさらに転がった。高級クッションに涙と鼻水が吸い込まれ、ソファはすでにミリア汁でしっとりしている。
「……小説だったら、絶対『くたばれミリア』ってアンチスレ立ってるぅぅ……ぐすっ……」
そんな情緒不安定で謎の電波を受けてる彼女を、誰も止められなかった。
斜向かいのソファでは、ゼイン・クロウが腕を組んだまま黙って座っていた。パーティーの剣士。ミリアの恋人。そして、謁見の間の当事者その2。
「………………」
沈黙。だがその瞳には、深く、拭えない後悔の色がにじんでいる。
ソファ向かいの肘掛け椅子では、ガルド・バロックが冷めた紅茶を手に、黙って窓の外を見ていた。
「……あの瞬間、凍ってたな……何もかもが……」
「う゛ぎゃああああ!?」
ミリアが内臓を撃ち抜かれたような声で吹き上がる。
そう――思い出すのは、あの日の玉座の間。王の前で響き渡った、リオの悲鳴。
『嘘だああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?』
地響きのようなその声は、あの日の空気ごと焼き付いていた。
王が泣き、大臣が泣き、兵士たちまで涙を流した、謁見の間の惨劇。すべての元凶は――
「……ごめんなさい」
「ぴぎぃっ!!」
ミリアが仰向けになったまま硬直。呼吸が止まりかける。
暖炉の前では、レイナ・ブライトフォードが静かに本を閉じて、溜息をついた。
「……あれはすごかったわね。本当に。あらゆる攻撃魔法よりも破壊力があったわ」
「ごぶぅぅっっっっ!!?」
心臓を一突きされたミリアが痙攣する。だが怒りはなく、レイナの言葉には、むしろ一種の敬意すらあった。
「わざとじゃ出せない。無意識だったからこその、一撃必殺よ。天の采配ね。悪い意味で」
「そんなのいらないぃぃぃぃぃ!! ぐすっ……うぇっ……」
ミリアはぐしゃぐしゃのままソファからずり落ち、絨毯の上を芋虫のように這い回る。
レイナが呆れたように眉を寄せる。
「わざとじゃないから、ってのが、また救いがないのよね」
「いやああああああああああ!!」
自己嫌悪がミリアの上に降り注ぐ。全身から煙が上がるほどのダメージ。
「はあ……はあ……はあ……」
息も絶え絶えにうつ伏せになるミリア。その呟きは虚無に満ちていた。
「私……ほんと、なにしてるんだろう……」
重い沈黙。そのとき、ゼインがようやく口を開いた。
「……ミリア」
「……なに……?」
「……俺も、本当は……言うべきだったんだ、あのとき……リオに」
その声には、深い悔いがにじんでいた。拳がわずかに震えている。
「だけど……怖かった。お前を選んで、それを……リオに告げることで、全部が壊れるのが……」
ミリアが目を見開いた。涙に濡れた瞳が、ゼインをまっすぐに見つめる。
「ゼイン……」
「お前を……守りたかった。でも……それ以上に、リオに向き合う覚悟がなかった。俺は……ずるい男だ」
沈黙。火の音だけが空間を満たす。
「……でも、“ごめんなさい”は反則だったよな」
「やっぱりぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
ミリアが再び転がる。
「ゼインのバカ! うあああああん!! ごめんなさいって、言っちゃったのおぉぉ……!」
涙と鼻水が絨毯に吸い込まれていく。ガルドが静かに立ち上がり、無言でクッションを差し出した。
「……ミリア、これ使え。絨毯が……泣いてる」
「ありがとうぅ……でも私、絨毯よりも罪深い……」
一同の脳裏に――再び、あの瞬間がよみがえる。
謁見の間で、王の問いに対し、リオが絞り出したあの一言。
『……はい……童貞です……』
そこからの一連の流れ。
ミリアの「ごめんなさい」からの――
『嘘だああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?』
あの絶叫。それが今も、耳にこびりついて離れない。
一人の青年の青春が、声とともに崩れ落ちたあの日。誰も止められなかった。いや、誰一人、向き合えなかった。
その罪が、今も静かに彼らを蝕んでいる。
パーティーの〈暁の剣〉。
その名に恥じぬ実力を持つ精鋭たち――だが今は、誰一人として“剣”を振るうことができない。
皆、それぞれの胸に、リオへの言葉を持て余したまま、沈黙が、重く、居間を包んでいた。
重厚な絨毯に染みた涙の跡は、まるで消えない罪の痕跡のように、広がっていた。暖炉の火だけが静かに揺れて、あたたかさだけは残っているのに、心は凍えたままだ。
レイナ・ブライトフォードが、読んでいた本を閉じ、静かに立ち上がった。燃えるようなオレンジ色の髪がふわりと揺れる。そのまま、ミリアのそばに歩み寄ると、腰に手を当てて、少しだけ首をかしげた。
「……で、いつまで地面と一体化してるつもり?」
芋虫と化していたミリアは、ビクリと縮こまった。
「ひぃぃ!? ごめんなさいごめんなさい生まれてきてごめんなさ――!」
「謝罪はいい。……今は、“吐き出す”番よ」
その声音は、冷たくも、優しかった。
突き放すようでいて、拒絶ではない。まるで――自分の足で立てるよう、手を貸す人のように。
「……え?」
ミリアが小動物のように震えながら顔を上げると、レイナは、まっすぐに彼女を見下ろしていた。
「限界なの、もうバレバレだから」
「……っ」
「自分を責めて、泣いて、転がって、ソファにダイブして。それで許されるなら、世界はとっくに平和になってるわ」
ミリアの肩がぴくりと揺れる。
「そうじゃないなら――言葉で、向き合いなさい」
そう言って、レイナはしゃがみ込むと、ソファと絨毯の境目に沈んでいたミリアの背を、そっと撫でた。
「大丈夫。ここには、逃げない人間しかいない」
その一言に、ガルドが静かに頷き、ゼインも顔を上げる。
長い沈黙のあと――ミリアが、息を震わせながら口を開いた。
「……気づいてたよ。リオの気持ち……ずっと前から」
居間の空気がぴたりと凍りつく。誰も言葉を挟まなかった。ただ、耳を傾ける。
「たぶん……ううん、絶対。リオは、子どものころからずっと、私を見ててくれた。私が転んだら、手を伸ばして。泣いたら隣で泣いて。笑ったら、一緒に笑ってくれて……」
その声は、どこか懐かしさを帯びていた。
「でもね、気づいたときから、ずっと苦しかった」
ミリアは、手の甲で涙をぬぐいながら続けた。
「リオは優しすぎた。強くて、明るくて、真っすぐで、誠実で……それでいて器用で、なんでもできて……」
言いながら、口の端を少しだけ持ち上げる。
「そんなリオを、“異性”として見ることが……できなかった」
「……ミリア」
ゼインが苦しげに口を開くが、ミリアはそれを遮るように、少しだけ笑ってみせた。
「だって考えてみてよ? リオって、私より料理上手いのよ!? 孤児院の頃なんて、私が寝坊しても朝食作っててくれて……掃除も洗濯も、裁縫まで完璧……」
そう言って、彼女は突然、両手をぶんぶん振り回しながら叫んだ。
「私より“お嫁さん力”高くない!? ねえ、どういうこと!?」
沈黙。
ガルドはそっとカップを置き、ゼインは目を逸らし、レイナに至っては静かに「まあ、事実よね」と頷いた。
「家計簿もつけられて、子どもたちにも懐かれてて、情緒も安定してて、器もでかくて……もう、リオがいれば生活に困ることなんて何一つないの!」
ミリアはソファに座り直して、必死に両手を振った。
「そんな彼に、私が何を与えられるっていうの!? 女なのに、回復係なのに、なぜかリオの方が“母性”強いのよ!? なんで!? なんなのこの敗北感!!」
「……存在意義とは……」と、レイナがボソッと呟き、ガルドが「まさに、家政夫勇者……」と続ける。
ゼインまで小さく肩をすくめて、
「……人類最強の一般人って、あいつのことかもな」
「ほらあああああああああああああああ!!!!」
ミリアがソファに再度ダイブして跳ね返る。もはや様式美だ。
「そんな人を、どうして支えられるって思えるの!? 私には無理だったのよ! ずっと“支えられる未来”しか見えなかった!」
絶叫。誰も反論しなかった。反論できなかった。
「……だから、怖かった。リオの目が、私をそういうふうに見てるって気づいてから……どんどん、目が合わせられなくなって……」
ミリアは、抱えていたクッションを胸に押し当て、ぽつりと続ける。
「それでも……そばにいたかった。ずっと味方でいたかった。リオのために、戦える“仲間”でいたかった」
その声には、痛みと後悔が混じっていた。
「だけど……私はゼインを選んだ。選ぶって決めたとき、本当は……リオに、ちゃんと話すつもりだった。でも……怖くて……“あの笑顔”が壊れるのが、どうしても、怖くて……」
長い、長い沈黙。
ミリアは、クッションに顔を押しつけたまま、絞り出すように言った。
「……裏切ったの。自分で、そう思ってる」
その言葉に、ゼインがぐっと拳を握る。ガルドが静かに呟いた。
「……それでも、お前は、“優しさ”を選んだんだな」
ミリアは、こくりと頷いた。
「リオを傷つけたくなかった。でも、傷つけた。それが……一番、許せない」
その横顔には、泣き腫らした目と、ほんの少しの覚悟が宿っていた。
「……ごめんなさい、リオ」
誰にも届かないその言葉は、まるで罪の墓標のように、部屋に落ちた。
“嘘だああああああ”と返す声は、もうここにはない。
ただ、暖炉の火が、またひとつ、小さく弾けた。
――沈黙の中、火の揺らぎが、再び居間を優しく包んでいた。
誰も口を開かない。けれど、その沈黙は、もうさっきまでのものとは違っていた。
ミリアの涙も、嗚咽も、少しだけ落ち着いている。絨毯にしみ込んだ感情の残骸が、暖炉の温もりでじわじわと乾いていくように。
その中で――ゼイン・クロウが、背もたれに体を預けて、重たい口を開いた。
「……ミリア」
その名を呼ぶだけで、ミリアが反射的に顔を上げる。
ゼインは、目を伏せたまま、視線をどこにも落とさないまま言った。
「……お前だけに、恥をかかせるわけにはいかない。……だから、俺も話すよ」
その声には、ためらいと覚悟が入り混じっていた。
「正直、俺は……ずっとリオに、コンプレックスを抱いてた」
絨毯に座り込んでいたミリアが、小さく目を見開く。
「小さい頃から、あいつは何でもできた。喧嘩も強いし、頭も切れるし、人の輪の中心に自然と立てる……そんなやつだった」
ゼインの声は、どこか懐かしさと悔しさが入り混じっていた。
「孤児院でも、街でも、俺が怒鳴っても誰もついてこなかったのに……あいつが笑えば、自然と皆が集まった。なんでだよって、何度も思った」
その言葉に、レイナが静かに目を細める。ガルドは、腕を組んだまま、何も言わず耳を傾けていた。
「でも、そんな俺の気持ちに、リオは気づいてたんだよ。何も言わなかったのに。ある日、こう言った」
ゼインの目が、ようやく火の揺らぎを映す。
「『ゼイン、お前には魔力がある。俺には無い“力”があるんだ』って」
ミリアがハッと息をのむ。レイナがゆっくりと頷いた。
「リオは、俺に“魔剣士になれ”って勧めてきた。あいつ、図書室に通って、魔力適性と武器選びの関係を全部調べてたんだぜ……自分のじゃなく、俺のために、だ」
静かに語るゼインの目が、わずかに熱を帯びる。
「魔剣ってのはな……高い。バカみたいに高い。俺の持ってるやつもそうだった。孤児のガキが買えるようなもんじゃない」
「……それでも、買ったんだよな」
と、ガルドがぽつりと呟く。
「リオが黙って金を出してくれた。……いや、正確には、貸してくれた。『将来、バカ儲けしたら返してくれ』ってさ」
ゼインは苦笑し、額を押さえた。
「あのときは、二人ともすっからかんだった。財布の中、小銭数枚。あんなに清々しい無一文は、今でもなかなか無い」
「……あったわね、そんなこと」
レイナが呆れたようにため息をついた。
「あなたたち、本当に食費すら出せなくなって。私とミリアで、毎日料理して食べさせてたわよ」
「食材、全部私が買ってた……。あの時期、チラシとにらめっこしてたもん……」
ミリアが遠い目で呟き、やや脱力気味にクッションを抱え直す。
「俺は奢ったな!」と、ガルドが豪快に笑った。「酒場でな、ゼインが一杯だけ頼んで、リオが水だったとき……見かねて三人前くらい注文してやった!」
「その時のリオの顔……完全に“申し訳なさそう”だったわよね」
「そうそう!」ガルドがうんうんと頷く。「あいつ、財布が軽いと、酸欠になるんだよ! 呼吸が荒くなって、目が泳いでたからな!」
一同、ふっと笑う。
ミリアも鼻をすすりながら、少しだけ肩を震わせた。
「……あの頃のリオは、たぶん今よりもずっと、無理してたと思う。みんなのために、できること全部やろうとして、自分のことなんか後回しだった」
ゼインの声が、また静かになる。
「でも……だからこそ、俺は“戦えるようになった”。自分の力で、仲間を守れるようになった」
少し目を伏せて、彼は言う。
「もし、あいつがいなかったら、俺は剣すら握れてなかったかもしれない。俺に“戦う道”を示してくれたのは……あの、万能で――でも不器用な、バカ正直な男だった」
「万能で不器用……」
レイナが、少しだけ微笑む。その表情には、呆れと親しみ、そしてわずかな寂しさがあった。
ミリアが、ゼインを見上げる。その目に、また涙が浮かんでいた。
「……ゼイン」
「……ああ。だからこそ、あいつに背を向けたままじゃ、終われない」
ゼインの拳が、ゆっくりと力をこめる。
「俺たちは、あいつに“恩”をもらった。それを裏切ったままじゃ、何も終わらない」
「……そうだな」
ガルドが頷いた。
「リオは、ああ見えて意地っ張りだ。たぶん今も、“笑ってる”だろうよ」
「……きっと、誰にも頼らず、何も言わず、全部一人で抱えてるわね」
レイナの言葉に、一同が押し黙る。
そして、ミリアが――再び、そっと口を開いた。
「……私も……ちゃんと、向き合って……伝えたい」
その声は、さっきまでと違っていた。震えはある。でも、その奥には、確かに“意志”があった。
――リオ・ハートフィールド。
万能で、誰より優しくて、でも――誰よりも孤独な男。
あの日、誰にも何も言わず、白き扉の向こうへと消えていった背中が、また皆の記憶に浮かび上がる。
それは、決して消えない後悔。
けれど、その後悔が、今の自分たちを繋いでいる。
だからこそ、前を向ける。
だからこそ――。
暖炉の火が、またひとつ、小さく、静かに弾けた。
リオ君はテンプレ完璧主人公みたいな存在です、恋愛以外は。
コンセプトは、頼りになって良いやつだけど恋人にするのは・・・です!