天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ!   作:ナオ3

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説明会みたいなものです


オリジン

王宮の廊下は、静けさの中に、かすかな緊張感が漂っていた。

 

エドワールはリオとの対談を終え、重く閉ざされた扉を静かに後ろ手に閉める。王としての顔に戻ったその表情には、先ほどまでの穏やかさは跡形もなく、強い覚悟と冷静な威圧感が宿っていた。

 

部屋の前には数人の騎士たちが控えていた。彼らは王の登場に直立し、息を呑む。

エドワールはためらいなく命じる。

 

 

「リオ・ハートフィールドの警護を、更に引き上げろ」

 

 

騎士たちは一瞬、目を見開いた。王命といえど、そこに隠された真意と事の重大さに気づき始めている。しかし、誰一人として問うことなく、敬礼で応じた。

 

 

「畏まりました」

 

 

王はさらに言葉を重ねた。

 

 

「今は何も言えん。ただ、王国にとってリオ・ハートフィールドは極めて重要な人間だと心得よ――…私以上にな」

 

 

騎士たちは今度こそ、あからさまに動揺を隠せなかった。その王の言葉は、冗談でも気安さでもない。“王”自らが「自分よりも重要」と口にした瞬間、そこに込められた現実の重みを否応なしに痛感させられる。

 

 

「……後は頼んだ」

 

 

それだけ告げて、エドワールは騎士たちを残し、廊下を進んだ。

王は供すら連れず、王宮の奥深く、秘密の小部屋へと向かう。

 

そこは、誰の目にも触れぬ特別な場所だった。

扉を開けると、静まり返った室内には二人の男が待っていた。

 

一人は、白銀の髪と氷のように澄んだ瞳――王国筆頭魔法使い、ヴァリウス=エル=グランツ。

その表情は、いつもの冷徹なまでの理知的な面影を保ちながらも、目の奥に焦燥と不安の色が浮かんでいた。

“氷の叡智”と呼ばれるほどの男が、これほど表情を乱すのは極めて稀だ。

 

もう一人は、鋼のごとき体躯を持つ騎士団長、レオネル=ジークフリード。

彼は“竜殺し”の英雄であり、どんな戦場でも笑みを絶やさずに部下を鼓舞してきた。しかし今はその笑顔も消え、緊迫した無表情で壁際に立っていた。

 

エドワールは二人をぐるりと見渡し、内心で短く息をついた。

 

――この二人とどれほど長い付き合いだろう。

 

共に幼い頃から励まし合い、絶対の信頼を置く親友たち。

だが、その親友たちがいまだかつて見せたことのないほどに険しい顔をしていることが、改めて事態の深刻さを物語っていた。

 

やがて、エドワールは椅子に腰を下ろし、しばし沈黙した。

その間、ヴァリウスは無意識に細い指でペンを弄り、レオネルはただ不動のまま、王の言葉を待っていた。

 

――この二人にさえ、今日話す内容は初めてのはずだ。

エドワールはそれを理解しながらも、言葉を探す。自分がこれから口にする一言一言が、王国全体の運命を大きく左右すると知っていた。

 

部屋に張り詰める空気は、王国の外に吹く嵐よりもはるかに重い。

 

やがて、エドワールは口を開いた。

 

 

「……今から、聞いたことを話す」

 

 

その声は、普段の王としてのものよりも低く、そしてどこか私的だった。

これから語られるのは、決して王命でもなく、友人たちへの“信頼”によってのみ開かれる、王国の最奥の真実だ。

 

三人の空気は、重く、深く、夜の闇の中へと沈んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

淡く灯るランプの下、エドワールはリオから聞いた全てを、余すところなく二人の親友に語った。

 

ヴァリウスもレオネルも、言葉を一切挟まずに聞き続けていた。

説明が終わると、三人の間には濃密な沈黙が流れた。王の語る“真実”の重みは、部屋の空気そのものを変えてしまったようだった。

 

やがて、静寂を破ったのはヴァリウスだった。

彼は眉間に深い皺を寄せながら、王に問いかける。

 

 

「エドワール、リオ・ハートフィールドの言葉に嘘や誇大解釈はあったか?」

 

 

その声音には、どこか願いにも似た“希望”がにじんでいた。――“せめて、虚構であってほしい”、そんな感情を隠そうともしない。

 

エドワールはゆっくりと首を横に振る。

 

 

「嘘は一切ない。むしろ控えめに言おうとしていたくらいだ。……リオは、己を飾る気も、恐怖を煽る気もなかった。ただ、事実を伝えたいだけの誠実な目をしていた」

 

 

ヴァリウスは、ため息混じりに頭を抱えそうになる。

王が持つ“真偽を見抜く力”――それを熟知しているからこそ、ヴァリウスはもう否定の余地がないと悟った。

 

レオネルも、静かに口を開く。

 

 

「リオ殿の証言は信じてもいいでしょう。……むしろ、それくらい出鱈目な方が納得できます」

 

 

その声に滲むのは、苦々しい本音だった。

 

 

「業魔、アレは余りにも異質すぎる……」

 

 

レオネルの脳裏には、自身が叩き込んだ渾身の一撃――それすらも“無”に帰した、あの業魔の遺骸が焼き付いていた。

 

エドワールも、あの場面を思い返し、背筋に冷たいものが走る。

 

ヴァリウスは短く息をつき、肩を落としながら続ける。

 

 

「そうだな。レオネルと違った意味で、賛成だ。……俺はリオ・ハートフィールドの言葉を否定することができない。研究どころか、観ることすらできなかったのだからな……」

 

 

ヴァリウスは記憶の底から、あの“瞬間”を引き上げる。

魔法使いとして、叡智の限りを尽くし観察しようとした刹那、自分の“内側”が汚染されるような、圧倒的な悪意に触れた。

“氷の叡智”とまで呼ばれる自分が、初めて“自我”を危うくした感覚――思い出すだけで、ぞっとする。

 

王もまた、あの業魔の遺骸の前に立った瞬間、感じた得体の知れぬ寒気を思い出していた。

 

一瞬、再び沈黙が落ちる。

だがヴァリウスは、気を取り直して口調を切り替える。

 

 

「……エドワール。まずは遺骸の浄化を試すことが最優先だ」

 

 

“事実”は信じるしかない。しかし、奇跡を自らの目で確かめることが何よりも重要だ。

その一点に、彼の“学者”としての本能が集約されていた。

 

レオネルも、うなずきながら言葉を添える。

 

 

「そうですね。……あれほどの呪いが、月の光に晒すだけで浄化できる――この目で見ないと、どうしても信じ切れません」

 

 

レオネルは英雄として、いかなる奇跡も最終的には“自らの体験”で受け入れてきた男だ。

王もまた、その考えに深く賛同する。

 

エドワールはゆっくりと立ち上がり、二人に宣言する。

 

 

「……今宵にでも、月の光による浄化を試みる。幸い、今日は満月になりそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王国の研究所の奥深く、厳重に結界が張られた特別室。その中心に、今夜は異様な空気が渦巻いていた。

 

部屋の中央には、重い鉄製の台座。その上に置かれているのは、リオ・ハートフィールドが討ち取った業魔の四肢――右腕だった。

漆黒の表皮に禍々しい痕跡、断面にはまだ微かに瘴気が揺れている。

レオネル=クラウスは、これを抱えて運ぶ間、幾度となく背筋に悪寒を走らせていた。

 

 

(戦場でもここまでキツイと感じた事は稀ですね……)

 

 

台座にそっと置き、改めて断面を眺める。

 

 

(見事……)

 

 

見事な切り口だ。加護という特別な力があったとはいえ、ここまで正確に、かつ一撃で断ち切れるのは剣士としての資質があってこそ。

 

 

(騎士になってくれてたら、後継者に悩まずに済んだものを……)

 

 

思わず苦笑する。

だが、その笑みもすぐ消えた。これから始まる“実験”に、緊張感が部屋を満たしていく。

 

部屋の隅では、エドワールとヴァリウスがそれぞれ準備を整えていた。

 

エドワールはレオネルに声をかける。

 

 

「すまんな、レオネル」

 

 

レオネルは首を振って返す。

 

 

「いいですよ、エドワール」

 

 

そして、さらに遠くに立つヴァリウスに目を向けて問う。

 

 

「ヴァリウス、大丈夫か?」

 

 

ヴァリウスは、淡々と答えた。

 

 

「ああ、観ようとしなければ問題はない」

 

 

その返答にレオネルは苦い顔をして言う。

 

 

「だったらもっと離れてなよ」

 

 

ヴァリウスは肩をすくめながら、少年のような表情で返す。

 

 

「冗談だろ? 前代未聞の現象を見れるかもしれないのに、出ていけなんて残酷すぎるぞレオネル!」

 

 

レオネルは溜息をつく。

 

 

「これだから、魔法使いってのは……」

 

 

エドワールも思わず笑った。

 

 

「はははは、それでこそヴァリウスだ」

 

 

あれほど精神を犯されかけてもなお、未知の“真理”への飽くなき好奇心を失わない。

それが、この国の“氷の叡智”と呼ばれる所以だった。

 

三人は互いに目配せし、深く頷き合う。

 

 

「さあ、始めるぞ」

 

 

エドワールが宣言する。

二人もそれぞれの持ち場に立ち、息を呑んだ。

 

エドワールは壁際に設けられた特殊なボタンに手を伸ばす。

天井に視線を移し、ゆっくりとボタンを押し込む。

 

ギギギギ、と重厚な音を響かせて天井がゆっくりと開いていく。

冷たい夜風とともに、銀色の光が部屋へと注ぎ込まれる。

 

天井の隙間から、雲一つない夜空に満月が姿を現す。

 

青白く光るその光は、まるで天界から降りてきた精霊のように純粋で――

異様な呪いにまみれた業魔の右腕に、まっすぐに降り注ぐ。

 

三人は一言も発さず、その奇跡の瞬間を固唾を呑んで見守っていた。

 

部屋の空気がぴんと張り詰める。

 

右腕は、黒く、禍々しい瘴気をまとっていた。

だが、月光がその表皮に触れた瞬間――

 

 

「……!」

 

 

黒い靄が腕の表面から、ふつふつと浮かび上がってきた。

それはまるで生きているかのように、ゆらりと立ちのぼり、淡く光る月明かりに照らされて消えていく。

 

ただ“見る”だけで、胸の奥を握りつぶされるような、吐き気すら催す強烈な不快感――

業魔の瘴気が、まるでこの世の「悪意」の具現であるかのようだった。

 

その一方で、腕の色はみるみるうちに薄くなっていく。

あれほど重く、どす黒い禍々しさをまとっていた右腕は、次第に色を抜かれ、灰色、そして――

 

やがて、黒い靄が消えた瞬間。

 

 

「……!」

 

 

三人は思わず息を呑む。

 

業魔の右腕は、完全な“純白”に変貌していた。

最初の“業”の名残は影も形もない。まるで最初から何の穢れもない神聖な物質であるかのようだった。

 

そして、浄化前には感じていたあの激しい嫌悪感――

それが、今は不思議なくらい消え失せていた。

 

 

「……信じられない……」

 

 

誰からともなく、そんな声が漏れた。

 

興奮を隠しきれないのは、ヴァリウスだった。

普段の“氷の叡智”という仮面を剥ぎ捨て、少年のような瞳で台座に歩み寄ろうとする。

 

だが、レオネルが咄嗟に腕を伸ばして止めに入る。

 

 

「ヴァリウス、やめるんだ!」

 

「放してくれ、レオネル……俺はもう我慢できない!」

 

 

ヴァリウスは、まるで飢えた学者のように、瞳をぎらぎらと輝かせて叫ぶ。

 

エドワールは、そんな二人のやりとりを見て、苦笑交じりに命じた。

 

 

「放してやれ、レオネル」

 

「……はい」

 

 

レオネルは渋々と手を離す。

こうなったヴァリウスを止められないことを、エドワールもレオネルもよく知っていた。

 

ヴァリウスは台座へ近づき、自身の目に魔力を通して観察を始める。

指先がわずかに震え、呼吸が浅くなっていく。

 

一瞬、その表情がこわばった。

 

エドワールとレオネルは、不安げに声をかける。

 

 

「……どうした、ヴァリウス?」

 

「ヴァリウス、大丈夫か?」

 

 

しかし、返事がない。

 

ヴァリウスは、目の前の“それ”をただ凝視し続けていた。

 

そして、ようやく、まるで何かに打ちのめされたような顔で、ぽつりと口を開く。

 

 

「………………オリジン」

 

 

エドワールとレオネルは、「オリジン」というヴァリウスの呟きを耳にしたとき、互いに困惑の色を浮かべた。

知恵と武を極めた二人でさえ、その意味はまるでわからなかった。

 

ヴァリウスは、魂を抜かれたような、茫然自失の表情で腕を見つめていた。

そして、ぽつりぽつりと、語り始める。

 

 

「……魔力というのは、基本的に“色”を持っている。色ごとに魔力の性質が異なり、得意分野も違う。

火を灯し、凍てつかせ、風を巻き起こし――それぞれ“色”によって術が決まる」

 

 

レオネルが無意識に頷く。王国最強の騎士である彼も、武人として基本的な魔法理論は理解している。

 

ヴァリウスは続ける。

 

 

「だがな……昔から“色に染まらぬ魔力”というものが存在するのではないか、というお伽噺のような伝承があるんだ。

色のつかない魔力――“始原の魔力”。

もしもそれを使いこなせるのなら、この世界にあるあらゆる問題を、根源から打破できると言われてきた」

 

 

彼の声は微かに震えていた。

それが、ただの理論でも、夢物語でもないという確信が、その震えに込められていた。

 

エドワールとレオネルは、その瞬間に悟る。

今、自分たちの目の前で起きている現象――浄化された業魔の遺骸に、伝説の“オリジン”が関わっているのだと。

 

エドワールは静かに問うた。

 

 

「……ヴァリウス、なぜこの遺骸に“オリジン”があると分かる?

お伽噺の存在なのに、どうしてそれが“オリジン”だと言える?」

 

 

その疑問には、合理と誠実があった。

伝説や空想を“現実”と断じるには、それ相応の根拠が必要だ。

 

ヴァリウスは、どこか遠い目をした。

瞳の奥に宿る、冷たくも熱い“氷の叡智”が、いつもよりも遥かに人間らしい熱を帯びていた。

 

 

「……俺の家――グランツ家の悲願は、“オリジン”の存在を証明することだった。

父は、“始原の魔力”を追い求めて、人生の全てを捧げてきた」

 

 

思い出すのは幼い日々。

ヴァリウスの父が、どれほどの執念で“色のない魔力”の理論と実験に没頭していたか――

王国一の大魔導師の名を欲しいままにしながらも、晩年は狂気すれすれの研究に心を砕いていた。

 

 

「……俺は、最後の実験で“オリジン”を観た。

ほんの一瞬、極僅かだったがな――

“色のない”魔力が現実に存在する、その証拠をこの目で見た」

 

 

ヴァリウスの声は、静かな自信に満ちていた。

 

 

「……あの時に見た“オリジン”が、今、この遺骸で明確に“観る”ことができる。

しかも、違うんだ……あのときは本当に微かな痕跡だった。

だが、この右腕には――」

 

 

彼は台座の上の純白の腕を、驚愕と憧憬を込めて見つめた。

 

 

「大量の“オリジン”が、安定して存在しているんだ!!!」

 

 

エドワールもレオネルも、思わず息を呑む。

 

“世界の浄化機構”が作り出した奇跡――

呪いを極限まで濃縮した業魔が、月の光によって浄化されたことで、“始原”の魔力へと還元された。

 

それは、世界そのものを変えるほどの発見かもしれない。

 

ヴァリウスは、台座の前でしばし膝を折り、静かに目を閉じた。

その姿は、伝説の真実に触れた“学者”の誇りと、長き家系の悲願を成し遂げた“息子”の安堵が混じっていた。

 

エドワールとレオネルは、まだ動けなかった。

王としても、英雄としても、いま目の前で起きている“現実”を、簡単には受け止めきれなかった。

 

エドワールは、浄化された業魔の右腕を前に、重く深く悩んでいた。

オリジン――始原の魔力。その未知の力をどう扱うべきか、王としてだけでなく、一人の人間としても、安易な判断はできないと痛感していた。

 

そんなエドワールの様子に、ヴァリウスとレオネルが眉をひそめる。

 

 

「……エドワール、どうした?」

 

「なにか問題でも?」

 

 

王はしばし躊躇い、それでも腹を括るように口を開いた。

 

 

「リオから聞いた話なんだが……浄化した業魔の肉を食べると、傷が治るらしい」

 

 

部屋に静寂が満ちた。

 

ヴァリウスは無言で考察に沈み、

レオネルはぐっと眉間に皺を寄せて考え込む。

 

王は思う――

オリジンというまったく未知の代物を、人に食わせていいものか?

だが一方で、“実験”は必要だ。情報の重要性が跳ね上がったことで、なおさら軽々しく扱えないものとなっていた。

 

 

「……私が、食べてみます」

 

 

沈黙を破ったのは、レオネルだった。

低く、穏やかな声。その中に決意と、焦燥がないまぜになっている。

 

ヴァリウスがすぐさま声を上げる。

 

 

「待てレオネル!お前は騎士団長だぞ!?こんな未知の実験に身を投じてどうする!」

 

 

エドワールも必死に友を止める言葉を重ねた。

 

 

「レオネル、流石にお前を実験台にするのは……立場が重すぎる」

 

 

だが、レオネルは揺るがなかった。

 

 

「私がやります」

 

 

普段は柔和なレオネルが、鋼の意志で押し通そうとする。その態度に、ヴァリウスもエドワールも戸惑うが、次の瞬間、二人の表情ははっきりと変わる。

 

――レオネルには、妻がいる。

 

アンナ・ジークフリード。

レオネルと姉弟のように育ち、騎士として共に命を賭け、エドワールやヴァリウスとも親しい間柄だった。

明るく、活発で、穏やかなレオネルを支えてきた女性だ。

竜殺しの異名を得た戦いでレオネルを庇い、彼女は重傷を負った。

アンナはその後、子を産めない体となり、余命も少ないと言われ、今や寝たきりとなっている。

レオネルは“英雄”としての栄誉と引き換えに、最愛の未来を奪われたのだ。

 

 

王国は英雄である彼女の治療に全力を尽くした。エドワールも、ヴァリウスも、ありとあらゆる方法で救おうとした。

だが、どんな奇跡を願っても、結果は変わらなかった。二人はその苦しみを間近で見てきたからこそ、完全に失念していた。

 

レオネルは、静かに、けれど揺るぎない声で言う。

 

 

「……私は、もしこれが本当に奇跡の力なら、妻にも分け与えてやりたい。

どんな代償も厭わない。どうか……もし成功したら、彼女にも同じ恩恵を与えさせてください」

 

 

その目には、涙がにじんでいた。

 

ヴァリウスは言葉を詰まらせ、

 

 

「せめて、時間をくれ、検証しないと……」

と声をかけるが――

 

 

レオネルは叫ぶ。

 

 

「もう時間が無いんだ!!!

妻は、アンナは、いつ死んでもおかしくない!!!

検証なんてしてる余裕は無いんだよ!!!!」

 

 

その叫びは、絶望と願いが混じった切実な音だった。

 

その言葉に、ヴァリウスは目を閉じて、黙った。

「……もう、そこまで……」

 

 

 

エドワールも、哀しそうに呟く。

「……言ってくれれば、配慮したものを……」

 

 

彼はレオネルの覚悟を知りつつ、なおも王として確認をする。

 

 

「どうなるのかわからんぞ?」

 

 

レオネルは、涙を流しながらも、哀しい笑顔を浮かべて答える。

 

 

「僕は……アンナのいない人生に、耐えられそうにないよ、エドワール、ヴァリウス……」

 

 

その想いの深さを、二人は痛いほど知っている。

エドワールも、ヴァリウスも、反対の言葉を失った。

 

しばらく、誰も何も言わなかった。

夜の研究所に、ただ、月の光と“奇跡”の予兆だけが静かに降り注いでいた。

 

 

 

 

レオネルは腰のナイフを抜き、躊躇なく皮に刃を当てた。ザクリ、と音もなく切れる。

 

 

「……!」

 

(信じられない……)

 

 

レオネルは驚愕の声を洩らした。自らの誇る愛剣で全力で斬りつけても傷一つつかなかったこの皮が、ただの量産品のナイフであっさりと切断されたのだ。

 

信じがたい現象に呆然としながらも、レオネルはナイフを巧みに操って皮をはぎ、慎重に肉をそぎ取る。

 

 

(お願いだ、奇跡の存在なら――)

 

(アンナに奇跡を。未来を与えてやってくれ)

 

(それが叶うなら、僕の全てを捧げても構わない……!)

 

 

ためらいはなかった。

 

 

(アンナ――!!!)

 

 

最愛の妻の名を、心の底から叫ぶ。己が命を削り、魂を震わせて願う。レオネルは祈りながら、肉を口に運んだ。その瞬間、全身を突き抜けるような熱が走る。

 

 

「……ぐ、あ……!」

 

 

思わず呻き声が漏れる。全身の血が沸き立つような、得体の知れぬ熱。

 

 

「レオネル!」

 

 

エドワールが駆け寄り、肩を支える。

 

 

「レオネル!大丈夫か!?」

 

 

駆け寄ったエドワールが、慌てて彼の肩を支えた。ヴァリウスも無言で彼を観察し、変化の兆しを見逃さぬよう目を凝らしている。

 

ヴァリウスはレオネルの全身を観察し、呼吸も確かめる。

レオネルは深呼吸し、数秒後に顔を上げた。

 

 

「……大丈夫、だ……」

 

 

レオネルは息を整え、なんとか答えた。腕を動かしてみると、食べる前よりもわずかに

 

 

――――動きが軽い。

 

 

「……肉に含まれている“オリジン”が、お前の肉体を修復しているんだ。間違いない。細胞レベルで、戦いや加齢で傷ついた箇所を塗り替えるように治癒している」

 

 

ヴァリウスが興奮を抑えきれない声で言う。

 

 

「いや、オリジンだけじゃない、オリジンを貯蔵している肉そのものにも、何かあるのか?」

 

 

彼の瞳は思索の海に沈む。

 

レオネルはすぐに納得した。長きにわたる戦いと加齢で傷んだ肉体が、今まさに治っていく――それを実感できるのだから。

 

 

 

エドワールはしばらく考え込むと、静かに尋ねた。

 

 

「……まだ、食べられるか?」

 

「はい、食べてみせます」

 

 

レオネルは即座に頷く。

 

 

「いいだろう。食べられるだけ食べてみろ」

 

 

それからしばらく、レオネルは黙々と肉を食べ続けた。

最初は警戒しながら少しずつ、やがて食欲に任せて大胆に。とうとう右腕一本、皮も骨も、すべて食べつくしてしまう。

 

どれほどの時間が経ったか、レオネルは皮も骨も、余すことなく体内に取り込まれている。

 

――完食したレオネルは、まったく別人になっていた。

 

身体の傷はもちろん、皺一つない若々しい肌。筋肉は無駄なく引き締まり、力強さとしなやかさを兼ね備えている。その姿はまるで二十歳前後の、全盛期を思わせる――いや、それ以上の若さと気迫を纏っていた。

 

「……これが……本当に僕なのか?」

 

 

レオネル自身が最も信じられないという顔で、自分の手足を眺める。

 

「……なんと……」

 

「信じがたい……!」

 

 

エドワールとヴァリウスも唖然と立ち尽くす。

 

レオネルは二人から離れ、剣の構えを取った。瞬時に地を蹴る。鋭い踏み込み、しなやかな動き、全盛期すら凌ぐ反応速度――その様を見て、遠目からでも二人は寒気すら覚えた。

 

 

「……俺は、まだまだ認識が甘かった……」

 

(この事が知れ渡ったら恐ろしいことになる)

 

 

エドワールは呟く。自分がいかに“オリジン”を侮っていたかを痛感した。

 

 

 

「……これが“オリジン”……想像を遥かに超えている……!」

 

(畜生!!!早く研究したい!!!!!)

 

 

ヴァリウスは興奮を抑えきれない。恐怖すら感じる力だが、それ以上に知的好奇心が勝った。

 

一通り動き終えたレオネルは、静かにその場に立ち尽くす。ふいに、瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 

「……これなら、妻を、アンナを――救える……!」

 

 

確信を得た、彼女を救えると。

レオネルは深く、深く、リオへの感謝の念を心から送った。

 

 

「ありがとう、リオ殿……本当に、ありがとう……」

 

 

彼の声は、静かな感謝に満ちていた。

 

 




レオネルさんは肉体のマイナスがゼロになっただけです、パワーアップとかじゃありません。
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