天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
夜が明けていた。
窓の外から差し込む光が、静かに部屋を満たしていく。
俺はぼんやりと天井を見上げながら、小さく息を吐いた。
横を見ると、そこにはルミナがいる。
俺の隣で、小さな胸を上下させながら眠っていた。
昨夜――いや、正確には明け方近くまで泣き続けたせいで、今は完全に電池切れだ。
(結局朝まで泣き続けてたな……)
あの体のどこにそんなスタミナがあるんだ、と心の中で感心する。
泣き方も半端じゃなかった。
途中からは泣くというより、咆哮に近かった気がする。
泣きながら殴ってきたのはさすがに想定外だったけど。
めっちゃ痛かった。
そっと手を伸ばし、ルミナの髪をなでる。
細く柔らかい髪の感触が、指先をすり抜けるように流れていく。
彼女は小さく寝息を立ててる。
(……まあ、今はゆっくり寝かせてやるか)
そう思いながら、俺は大きく欠伸をした。
「あー……眠い……」
寝よう。
そう決意して枕に頭を戻しかけた、その瞬間。
――コンコン。
扉からノック音が響いた。
続いて、聞き慣れた低めの声がする。
「リオ、起きてるか?」
(……エドワールさん!?)
一瞬で眠気が吹き飛ぶ。
心臓が跳ね、脳がフル回転を始めた。
横にはまだ寝ているルミナがいる。
もちろん、エドワールさんには見えないはずだが……この状況は見られたくないな。
「……起きてます」
なるべく平静を装って返事をする。
すると、扉の向こうから申し訳なさそうな声が返ってきた。
「朝早いところすまないが、入ってもいいか?」
「どうぞ」
言った瞬間、自分の中で何かが腹をくくった。
ルミナが変なことをしませんように、とだけ心の中で祈る。
「失礼するぞ」
軋む扉が開き、エドワールさんが姿を現す。
その後ろには、見たことのない男が立っていた。
(……この人は……)
一目見た瞬間に理解した。
背の高い痩身、銀色混じりの長髪、知性を感じさせる鋭い瞳。
全身から漂う圧倒的な魔力の気配。
それだけで、彼が並の人間ではないと悟れる。
(ヴァリウス……!?)
噂には聞いていた。
「氷の叡智」の異名を持ち、王国最高の魔法使いとして知られる男。
その姿が、今まさに俺の部屋の前に立っている。
「ほう……」
男――グランツ様は、俺を一瞥して感心したように声を漏らした。
エドワールさんは苦笑を浮かべる。
「気づいているだろうが、紹介する。この男は王国が誇る最高の魔法使いだ」
「ヴァリウス=エル=グランツだ」
静かで、しかし芯の通った声。
名前の響きだけで背筋が伸びる。
「リオ・ハートフィールドです、グランツ様」
礼儀正しく名乗り、軽く頭を下げる。
するとグランツ様は片手を差し出してきた。
「ヴァリウスだ」
「……えっ?」
思わず声が漏れる。
あまりにも予想外だった。
「ヴァリウスと呼べ」
「は、はい」
反射的に返事をしてしまう。
その瞬間、心の中で疑問が浮かんだ。
(……案外気さくな人なのか?)
俺の中の「氷の叡智」という印象と、目の前のやり取りが噛み合わず、少し戸惑う。
エドワールさんは俺とヴァリウスさんの様子を見て、満足げに頷いていた。
「リオ、しばらく話をさせてもらうぞ」
「はい」
俺の横で眠るルミナの様子を確認する。
ルミナはまだ静かに寝息を立てている。
俺は二人の視線を追う。
……エドワールさんも、ヴァリウスさんも、俺の横に目を向けない。
つまり――俺のすぐ隣で、すやすやと眠っているルミナの姿が見えていない。
(……氷の叡智と呼ばれるヴァリウスさんですら、ルミナが見えないのか)
エドワールさんが見えないのは予想通りだったが、ヴァリウスさんのような化け物じみた魔法使いでもダメとなると、これは相当だ。
少なくとも、普通の不可視化魔法や隠蔽術で説明できる現象じゃない。
俺は心の中で小さく息を吐き、二人の会話に意識を戻した。
表情はできるだけ普段通り――そう、何事もないかのように。
頼むから起きるなよ、と内心で呟きながら。
(さて……一体どんな話をされるやら)
そう腹をくくったところで、部屋の空気がわずかに引き締まった。
この二人がそろって来るということは――ただの世間話で済むわけがない。
ヴァリウスさんは、俺とエドワールさんを見やり、小さく息を吐いた。
「……準備する」
短くそう告げると、次の瞬間――
空気が、変わった。
ほんの一瞬前まで普通だった室内が、まるで別の世界に切り替わったような感覚。
外の気配がスッと遠ざかり、代わりに耳の奥に“柔らかな膜”が張られたような感触が広がる。
(おいおいおいおいおい……)
心の中で思わず連呼してしまう。
これ……消音魔法だ。しかもただの消音じゃない。
術式の組み方が尋常じゃない。
動作は最小限、詠唱はゼロ、魔力の流れも滑らかすぎる。
まるで、息をするみたいに発動してやがった。
(……これ、どんだけ高度な術なんだよ)
魔法を使う瞬間の“軋み”が全くない。
仕組みを理解する間もなく完成していた。
しかも安定している。
普通なら時間をかけて慎重に構築するような術式が、ヴァリウスさんの手にかかれば、一呼吸もかからない。
(レイナじゃ……道具や時間をかけても、絶対無理だ……)
胸の奥が少し沈み込む。
俺がこれまで頼りにしてきた仲間――レイナは、確かに優秀だ。だが、こういう精密で複合的な魔術になると話は別だ。
今目の前で展開された魔法は、そもそも到達できる領域が違う。
(……これが“王国最高”ってやつか)
なんだろう、羨ましいとか悔しいとか、そんな感情よりも――ただただ隔絶した才能の前で立ち尽くす感覚。
……いや、やっぱ悔しいわ。
そんな俺を、ヴァリウスさんがじっと見てきた。
「……見抜いたのか?」
「えっ?」
素っ頓狂な声が出た。
いきなりそんなことを言われるとは思わなかった。
エドワールさんが「ふむ」と顎を撫でる。
何か面白いものを見つけた時の顔だ。
「どんな魔法かわかるか?」
ヴァリウスさんが問いを重ねる。
俺は一瞬迷った。
迂闊に言って的外れだったら恥ずかしい。
でも――まあ、どうせここは逃げられない流れだ。
観察したことを正直に口にするしかない。
「……音を防ぐ効果もありますが、核は“どんな音かわからなくさせること”ですね?」
ヴァリウスさんの目がわずかに細まる。
その奥に、興味の光が見えた気がした。
俺は続ける。
「結界は何重にもなっていて、通るたびに音が変化します。内から出ていく音が全部“別の音”にすり替えられる。これじゃあ、防音を抜けたとしても意味がないですよ」
自分で言いながら、改めてため息が出そうになった。
ただの消音じゃない。
盗聴防止、誤認誘発、そして音響の擬態まで全部詰め込まれている。
もはや芸術品だ。
「……ほう」
ヴァリウスさんの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
その笑みは、馬鹿にするものではなく、純粋な評価の色を帯びていた。
エドワールさんも俺を見て、わずかに口角を上げる。
(……え、これ褒められてるのか?)
正直、褒められている実感よりも、二人の反応に対する戸惑いの方が強い。
なんでそんな目で見られるんだ俺。
俺はただ、目の前で発動された魔術を観察して、見えたままを言っただけだぞ。
ヴァリウスさんは腕を組み、俺をじっと観察するように見据えた。
「……面白い」
短くそう言った声に、微妙な重みがあった。
ヴァリウスさんは、俺の方を見据えたまま、短く息を吐いた。
「……興味深いが、今は置いておこう」
その一言で、先ほどまでの魔法談義が一旦切り上げられた。
こちらとしても助かる。あまり突っ込まれると、余計なことまで口を滑らせそうだ。
「リオ」
「はい」
「業魔の遺骸の浄化が確認できた」
思わず背筋が伸びた。
あの戦いの結果が、公式に確認されたということだ。
「そうですか」
短く答える。
それ以上の言葉は自然と喉の奥に留まった。
俺にとっては、管理者が告げた“情報”がこれで裏付けられたことになる。
あの時のやり取りは、少なくとも虚言じゃなかった。
胸の奥で、ほんの少しだけ安堵が広がる。
ヴァリウスさんは続けた。
「そして僅かに研究したが……それだけでも極めて有効な素材になるという結論が出た」
「……はい」
その言葉は、俺の中で重く響いた。
単に“浄化できた”だけじゃない。
その副産物に、価値がある。
つまり――利用できる、ということだ。
(やっぱり……そうなるか)
戦いの意味が、別の角度からも証明されつつある。
ただし、それは同時に“新たな欲望の種”にもなり得る。
この事実が広まれば、危険な方向に転がる可能性も高い。
ヴァリウスさんは、わずかに口角を上げた。
「俺はこの素材を、ルナ・マテリアルと命名した」
「……ルナ・マテリアル」
頭の中でその響きを転がしてみる。
月の光に晒すことで得られる素材――そんな由来がすぐに思い浮かんだ。
言葉としても覚えやすく、耳に残る。
(率直な人だな、この人)
素材の名前を決めることにも、迷いや濁しがない。
余計な脚色もない。
その辺り、やはり“氷の叡智”と呼ばれるだけはあるな、と素直に思った。
「今後は“マテリアル”という単語を使え」
「……?」
一瞬、意図を測りかねて眉を上げる俺に、ヴァリウスさんは淡々と続けた。
「“業魔の遺骸”という言葉は使うな」
その瞬間、合点がいった。
「確かに……正体をバラしてる」
頷きながら答える。
名前は、ただの呼び名じゃない。
呼び方ひとつで受け取る印象は大きく変わる。
“業魔の遺骸”なんて言葉は、聞いた人間に警戒心や嫌悪感を即座に抱かせるだろう。
それは情報を隠すどころか、むしろ掘り下げられるきっかけになりかねない。
(……マテリアル、か)
その単語だけなら、正体は誰にもわからない。
どこにでもある資源の一種、くらいに思われるだろう。
情報をコントロールする上でも、非常に都合がいい。
気づけば、口元がわずかに緩んでいた。
「マテリアルだけじゃ、何のことかわからないですね」
少し笑いながらそう言うと、ヴァリウスさんもエドワールさんも、静かに頷いた。
エドワールさんは、腕を組みながら俺を見ていた。
その表情は柔らかいが、目の奥にあるのはやはり王としての慎重さだ。
ヴァリウスさんは、少しだけ視線を落とし、低く呟くように言った。
「さて、マテリアルに関してだが……」
言いかけて、口を閉ざす。
その表情は、淡々としたものだが――俺にはわかった。
これは、“言葉を選んでいる”沈黙じゃない。
“言わない方がいい”と自覚したうえでの沈黙だ。
(あー……こりゃ、かなりヤバいパターンだな)
空気が、ほんの少しだけ張り詰める。
さっきまでの命名のやり取りとは違う種類の重みが、この場に落ちていた。
俺は、苦笑を浮かべて軽く肩をすくめる。
「……無理して伝えなくてもいいですよ」
その一言に、ヴァリウスさんの鋭い視線が向けられる。
氷の刃のように冷たい……というよりは、俺の判断を測るような目だ。
「いいのか?」
短い問い。
だが、その裏には「聞きたがるのが普通だが?」という含みもある。
俺は、首を傾けて小さく息を吐いた。
「知るべき事と、知るべきではない情報ってあるでしょう」
「まあ……これは、後者でしょうね」
ヴァリウスさんが先ほど、「極めて有効な素材」と断言した。
その重みを、俺は理解しているつもりだ。
(間違いねぇ……絶対にヤバいやつだ!)
もし軽々しく扱える代物なら、こんな態度にはならない。
ヴァリウスさんが口を濁し、エドワールさんまで黙り込む――それだけで察せる。
横で黙っていたエドワールさんが、静かに口を開いた。
「……すまん、助かる」
王としての威厳を保ったまま、しかし確かに“感謝”を滲ませた声。
さらに、わずかに頭を下げる仕草まで見せた。
「はは……」
俺は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
(王国のトップがここまで言うってことは……)
(あー……これ、下手したら王国が吹っ飛びかねないレベルの代物ってことかよ!?)
心の中で、俺の“スカウトとしての勘”が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
――踏み込むな。
絶対に踏み込むな。
「フリじゃないぞ?」とまで、俺の中の経験値が強調してくる。
長年、危ない現場を嗅ぎ回ってきた身だからこそわかる。
これは、“見なかったことにする”のが最善手だ。
ヴァリウスさんは、そんな俺の反応をじっと観察しているようだった。
口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。
……その時だった。
次の瞬間。
ヴァリウスさんの胸元から――
――ぬるん。
ルミナの顔が、にゅっと飛び出した。
「ぶふぅっっ!!!?」
耐えきれず、俺は盛大に吹いた。
口の中に何も入っていなかったのが幸運だ。もし水でも飲んでいたら、この場は地獄絵図だった。
「……む?」
「……どうした、リオ?」
ヴァリウスさんとエドワールさんが、同時に俺を見た。
ヴァリウスさんは目を細め、エドワールさんは軽く首を傾げる。
その視線に、俺は即座に立ち直り――
「すみません!!!」
と全力で謝罪。
頭を下げた勢いで、横目をちらりとやる。
――ルミナがいない。
さっきまでベッドで寝ていたはずだ。
いや、確かに朝、俺が頭をなでた時もぐっすり寝ていた。
それがどうして、よりにもよってヴァリウスさんの胸から顔だけ出してるんだよ!
(あのガキ……!)
俺の脳裏で、警鐘がガンガン鳴り響く。
(話に集中していたとはいえ――俺に、不意打ちを与えただと!?)
昨日の夜とは違って意識が完全に覚醒しているのに痛恨の一撃を喰らった。
スカウトとしての誇りが、バッキバキにひび割れる音がした。
俺はこれまで、物音や空気の揺れで相手の接近を察知することにかけては人一倍自信があった。
獲物に気づかれず近づくことも、逆に敵を察知することも。
それが――この俺が――幽霊幼女に奇襲を許すだと!?
(ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ!)
内心で地団駄を踏む俺をよそに、ルミナはヴァリウスさんの胸からするりと引っ込んだ。
そして次の瞬間には、ヴァリウスさんの背後からひょっこり顔を出し、口元に指を当てて「しー」とやってくる。
(お前……わざとだな!?)
ヴァリウスさんは当然その存在に気づかないまま、真面目な口調で話を続けている。
エドワールさんも同様だ。
……地獄だ。
俺だけがこの茶番を知っているという、極めて個人的な地獄。
しかも、ルミナは明らかに楽しんでいる。
俺の視界の中だけで、スキップするようにヴァリウスさんの周りをぐるぐる回っているのだ。
そのたびに、俺の集中力が削られていく。
(おのれ……俺のスカウト魂に泥を塗りやがって……!)
必死に表情筋を制御し、真面目な顔を装う俺。
だが内心はすでに、復讐方法のリストアップに入っていた。
――ただし、相手は幽霊幼女。
下手な報復は俺の命を終わらせかねない。
(……仕返しは慎重にな……)
ルミナはそんな俺の葛藤をよそに、今度はヴァリウスさんの肩によじ登る素振りを見せた。
やめろ。
やめてくれ。
この場で飛び乗ったら、俺は笑い死ぬ。
必死に視線を逸らし、深呼吸。
「……リオ?」
エドワールさんの声に、反射的に背筋が伸びた。
「は、はい!」
「顔色が優れんが……大丈夫か?」
「だ、大丈夫です!」
ルミナのドヤ顔が、俺の視界の端にチラつく。
(あーもう……!)
この勝ち誇った小鬼を、どうにかして黙らせたい。
しかし今は耐えるしかない。ここで変な動きをすれば、俺の方が怪しまれる。
今はこの場を乗り切るのが最優先だ。
(覚えてろよ、ルミナ……)
俺は無言の宣戦布告を目で送ったが、ルミナはそれすら楽しそうに受け止め、ひらひらと手を振ってきた。
……完全に遊ばれてる。
ヴァリウスさんはリオへの好感度が滅茶苦茶高いです、それこそ親友レベルで。