天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ!   作:ナオ3

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お茶回です


17話 童貞レクイエム

部屋の中は、午後の光がカーテン越しに柔らかく差し込んでいた。

窓際のテーブルには白いクロスが敷かれ、その中央には小ぶりのケーキと、三人分のティーカップが並んでいる。

ヴァリウスは椅子に背を預け、俺の向かいで腕を組んだまま無言。

その視線はちらちらとルミナへ向けられている。

無理もない。彼女の挙動は、今の俺たちからすれば珍しいくらい初々しかった。

 

ルミナはケーキを見つめたまま、固まっていた。

視線は皿の上の白いクリームに吸い寄せられているが、手を伸ばそうとはしない。

その銀色のフォークを握ったまま、どう扱っていいのかわからない…そんな戸惑いが全身から伝わってくる。

 

 

「……ルミナ、食べたことないんだな?」

 

 

問いかけると、彼女は小さく瞬きをして、こくりと頷いた。

髪がふわりと揺れ、その横顔にはわずかな警戒と興味が同居している。

甘味なんて無縁だったのだろう。

 

俺はそっとフォークを手に取り、ケーキの端を小さく切り分ける。

ふわりと生地が沈み、白いクリームが少しだけ横に広がった。

その断面から、スポンジに染み込んだシロップの光沢がのぞく。

 

 

「口、開けて」

 

 

少し迷うだろうと思ったが、ルミナは俺の声に素直に従った。

小鳥のように小さく口を開き、俺を見上げる。

その仕草は妙に無防備で、心の奥で何かをそっと掴まれるような感覚が走った。

 

フォークをゆっくりと近づけ、唇の中へと運ぶ。

ルミナは一瞬、まるで毒を試すように小さく舌先で触れ――次の瞬間、ぱちっと瞳を見開いた。

 

 

「……!」

 

 

驚きと戸惑いが、そのまま表情に浮かんでいた。

甘さが衝撃だったのだろう。

慣れない刺激に、彼女はしばらくもぐもぐと噛みしめながら視線を落とす。

白い頬にわずかに赤みが差す。

その変化が、見ていて妙に微笑ましい。

 

 

「どうだ?」

 

 

問いかけても、返事はない。

けれど、その頬の膨らみ方と、時折こくこくと動く喉が答えだった。

味わおうとしている。甘味という未知の体験を、必死に受け入れようとしているのだ。

 

その様子を見て、俺は小さく笑った。

ヴァリウスさんは向かいから顎に手を添え、興味深そうに彼女を観察している。

まるで新種の小動物でも見ているかのような目だ。

だが彼なりの、悪意ではなく純粋な好奇心なのだろう。

 

しばらくして、ルミナは小さく息を吐いた。

その顔にはまだ甘さの余韻が残っていて、少し混乱しているように見える。

このままだと舌が甘味に支配されて、落ち着くのに時間がかかるかもしれない。

 

俺はティーポットに手を伸ばし、小さなティーカップに茶を注ぐ。

香りはやや柔らかいが、熱すぎないように少し時間を置いたものだ。

そこへ砂糖を一匙、そしてミルクを少しだけ垂らす。

白い渦がゆらゆらと広がり、やがて全体が淡いクリーム色へと変わった。

 

 

「これも、試してみろ」

 

 

カップを持たせるには少し不安があったので、俺が手で支えたまま、ルミナの口元へと運ぶ。

彼女は一瞬だけ俺を見上げ、それから唇をつけた。

啜る音が小さく響く。

温い液体が舌を包み、甘味と混ざった感覚を洗い流していくのだろう。

 

 

「……ん」

 

 

小さな声が漏れる。

ルミナは唇を離し、目を細めた。

先ほどまでの驚きと混乱が少し和らいでいる。

喉を通る茶の温かさが、彼女の緊張を解きほぐしていくのがわかった。

 

 

「甘さが、落ち着いたか?」

 

 

問いかけると、ルミナはまたこくりと頷いた。

言葉は少ないが、その反応は十分だ。

初めての甘味は衝撃だったに違いないが、こうして茶で整えてやれば、きっともう少し楽しめる。

 

その間も、ヴァリウスさんは腕を組んだまま観察を続けていた。

何も言わずに見ているだけだが、その目には細かい感情の揺れが隠れている。

 

 

「……ふむ。興味深いな」

 

 

唐突にヴァリウスさんが口を開く。

低く落ち着いた声だが、その眼差しはどこか探るようで、ルミナを見つめていた。

俺は思わず眉を寄せる。

 

 

「……何が、ですか?」

 

 

疑問が口をつく。

するとヴァリウスさんは、少し顎を引いて俺の方を見た。

 

 

「完全に一人の人間として存在している」

 

 

――完全に人間として存在。

その言葉に、俺の中でいくつかの疑問が渦を巻いた。

何故、俺が強く「ルミナはこの世界にいる」と意識しただけで、こんな変化が起きたのか。

 

 

「ヴァリウスさん、何故ルミナが……皆に見えるようになったのでしょうか?」

 

 

俺が尋ねると、ヴァリウスさんは一瞬だけ目を細め、すぐに視線を外した。

そして――わずかに指先を動かし、空気に揺らぎが走る。

 

 

(……!)

 

 

次の瞬間、声が直接、俺の頭の奥に響いた。

言葉は耳ではなく、意識に流れ込んでくる。

思念だけで会話できる魔法――か。

レイナも似たような術を使えるが、この滑らかさと安定感は桁が違う。

防音結果でも思ったが、やはり少し悔しい。

 

(リオ、お前がそう望んだからだ)

 

 

まず結論が、短く、確信を持って告げられた。

ヴァリウスさんは紅茶を口にし、ゆっくりと飲み下す。

 

 

(ルミナはお前の思念で在り方が変わる)

 

 

紅茶を置く音が、妙に静かに響く。

 

 

(お前が“自分にしかルミナが見えない”と思い込んでいたから、誰にも見えなかった)

 

 

ヴァリウスさんは目を閉じ、短く息を吐いた。

その仕草ひとつにまで、含みがある。

 

 

(そして――お前が“ルミナはこの世界に存在する”と強く思ったからこそ)

 

 

ゆっくりと目を開き、ルミナへ視線を向ける。

 

 

(その少女は、世界に認識されるようになった)

 

 

俺もつられてルミナを見る。

彼女は何も知らず、ケーキを頬張っていた。

フォークを口に運び、頬にクリームをつけたまま、どこか幸せそうに。

俺はそっと彼女のカップに茶を注ぎ足す。

あたたかな香りが立ちのぼり、甘味で火照った頬が少し落ち着くように見えた。

 

 

(何故……ルミナは、一体……)

 

 

思考の奥底で問いが浮かぶ。

その答えを、ヴァリウスさんは――

 

 

(……すまんが、言えん)

 

 

短い言葉だった。

だが、その声音には迷いがあった。

俺は彼の目を真っ直ぐに見据える。

 

 

(知っているんですね、ルミナの正体を)

 

 

ヴァリウスさんは黙って頷く。

 

 

(裏付けはまだないがな)

 

 

その一言に、胸の奥がざわついた。

つまり、推測の域ではあるが、彼の中ではほぼ答えが出ているということだ。

俺は目を閉じる。

思考の流れを整理しながら、息を整える。

 

 

(……裏付けが取れたら教えてくれる……そういうわけじゃなさそうですね)

 

 

返事はない。

だが、それが答えだった。

もし本当に教えるつもりなら、今の段階でそう言うはずだ。

ヴァリウスさんは沈黙を選んだ。

それはつまり、何らかの理由で真実を伏せる必要があるということだ。

 

目を開くと、ルミナがこちらを見上げていた。

口元に小さくクリームをつけたまま、不思議そうに瞬きをしている。

何も知らない――いや、何も思い出していないだけかもしれない。

その無垢な表情を見て、胸の奥で小さく疼く感情を押し殺した。

 

俺はティーカップを口に運び、温かな液体を喉に流し込む。

甘味と香りが、ほんの少しだけ心を落ち着けてくれる。

 

ルミナは、ちびちびと紅茶を口にしていた。

両手でカップを包み込むように持ち、唇をそっと触れさせる。

それは慎重というより、紅茶を飲むという行為そのものを噛みしめているように見えた。

窓から差し込む光に髪が淡く透け、まるでこの世界に生まれたばかりの存在のようだ。

 

 

(ルミナを……どうするつもりですか?)

 

 

俺はヴァリウスさんへ思念を送った。

目の前の少女が、極めて特異な存在であることはもうわかっている。

彼女がこの世界に現れた経緯も、その力の本質も俺には掴みきれていないが、魔法使いたちにとっては間違いなく垂涎の的になる。

研究、解剖、利用――そのどれもが現実味を帯びてしまう。

まして、ヴァリウスさんは王国一の魔法使いであり、国王陛下の親友の一人だ。

その立場からすれば、ルミナを“利用”するのは容易いはずだ。

 

 

(ヴァリウスさんは……全てが俺よりも上だ)

 

 

技術も、知識も、立場も、経験も。

俺が束になっても敵わない相手だ。

だが、それが――

 

紅茶を飲むルミナの姿を、一瞬だけ見る。

口元にカップの縁を触れさせ、小さく啜るその姿は、ただの少女だ。

穏やかで、守るべき日常の一部のように見える。

 

 

(だが、それがルミナを見捨てる理由にはならねぇ)

 

 

その瞬間――

 

 

「……聞こえてるぞ」

 

 

ヴァリウスさんが紅茶を口に運びながら、穏やかに言った。

一瞬、脳が空白になる。

俺は今、思念を送った覚えはない。

いや、正確には“送る意思”はなかった。

念話は、相手に意識して送らなければ届かないはずだ。

それが基礎的な仕組みだと、俺は知っている。

 

 

「……っ」

 

 

驚きと警戒が入り混じる。

俺の頭の奥に響いたのは、ヴァリウスさんの低い声ではなく、事実を突きつけるような冷静な響きだった。

 

 

(それなりの魔法使いになれば、念話相手の読心ができる)

 

 

そう、さらりと告げられる。

俺は言葉を返せなかった。

“それなり”なんて簡単に言うが、魔法に関する知識を持つ俺には、その技術がどれほど高度か理解できてしまう。

高度すぎて、常人なら一生かかっても到達できない領域だ。

 

 

「覚えておくと良い」

 

 

ヴァリウスさんは紅茶を口に含みながら、軽く釘を刺すように言った。

俺は歯噛みする。

完敗だ。

この人は、俺の心の奥底にまで踏み込み、その上で一切の力みを見せない。

圧倒的な差を感じる。

だが、引き下がる気はない。

 

ヴァリウスさんは、ふぅ……と小さく溜息を吐いた。

そして再び、思念が流れ込んでくる。

 

 

(お前の警戒は正しい)

 

 

その一言に、心臓がわずかに跳ねた。

やはり、ルミナは――。

 

 

(魔法使いにとって、ルミナは興味深いだろうさ)

 

 

彼の視線が、そっとルミナへ向けられる。

俺もつられて目を向ける。

小さくケーキを切り分け、また紅茶で口を潤している。

何も知らず、何も疑わず、ただ目の前のひとときを楽しんでいるように見える。

 

 

(だが――)

 

 

ヴァリウスさんの目が細められ、表情の奥にわずかな熱を宿す。

 

 

(俺はこの少女を害することが出来ない)

 

 

一瞬、その言葉の意味を測りかねた。

けれど、次の思念が決定的だった。

 

 

(絶対に)

 

 

強い響きだった。

理由は示されない。

根拠も説明もない。

それでも、その一言には妙な説得力があった。

何故かわからないが、胸の奥で「この人は嘘をついていない」と断言できた。

 

ヴァリウスさんの目は、ただの好奇心だけでルミナを見ているわけじゃない。

もっと深い何か――俺にはまだ知らされていない理由が、そこにある。

 

俺はカップを傾け、冷めかけた紅茶を一口飲んだ。

舌に広がる渋みと香りが、思考を少しだけ静めてくれる。

だが心の奥では、別の熱が静かに燃え続けていた。

 

ルミナを守る。

それは、俺が誰よりも強く望んでいることだ。

ヴァリウスさんがどう言おうと、その意志だけは揺るがない。

 

 

(……ヴァリウスさんがルミナを害する意思は無いと信じます)

 

 

そう心の中で確認しながら、俺は目の前のルミナに視線をやる。

彼女は相変わらずケーキをちまちまとフォークで切り分け、真剣な顔で食べ進めていた。

 

 

「……エドワール、国王陛下は?」

 

 

思わず口から出たのは、その名前だった。

人としてのエドワールさんは信じられる。あの気さくさ、飄々とした態度、妙に頼れる背中。

だけど――王としての彼はどうなんだ?

俺の胸の奥に小さな不安が残っている。

 

 

(エドワールさんを疑いたくなんてない)

 

 

でも、目の前の少女を見れば――

 

 

(この娘を守りたい)

 

 

例えそれが、王国の最高権力者を敵に回すことになっても。

 

ヴァリウスさんは、俺の問いを聞くや否や、片手で目を覆った。

長い指が額を押さえ、深い溜息とともに――

 

 

「……あいつはもっとありえん」

 

「は?」

 

 

予想外すぎる答えに、脳内が一瞬真っ白になる。

ヴァリウスさんはさらに続ける。

 

 

「そんなことをすれば王国が……終わる」

 

 

最後の一言とともに、わずかに肩が震えていた。

寒気か、それとも別の感情か。

俺は呆気に取られるしかなかった。

 

 

(そういえば……)

 

 

頭の片隅で、妙な記憶が蘇る。

――なんか遺言のようなことを言って、部屋を出て行ったエドワールさんの背中だ。

あのときは冗談だと思った。……冗談であってくれ。

 

 

「ヴァリウスさん、エドワールさんって……大丈夫ですか?」

 

 

その瞬間、空気が変わった。

ヴァリウスさんは沈黙した。

永遠のように長い沈黙だ。

時計の秒針が一回転するたびに、俺の不安がじわじわと膨れ上がっていく。

 

 

そして――

 

 

永遠にも感じられる沈黙が落ちた。

本当に永遠なんじゃないかと思うほど、ヴァリウスさんは何も言わない。

窓に視線を向け、わずかに口元が動いた――

 

 

「…………………………………大丈夫だろう…………………………たぶん」

 

「たぶんって何だぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

長い! 長すぎる!

考えた末の答えがそれか!?

俺は思わずツッコミを入れそうになり、テーブルに手をかけた。

だが――視界の端で、ルミナが小首をかしげて俺を見ている。

 

……危ねぇ。

ここで思いっきりテーブルを叩いたら、ルミナが驚くだろう。

俺は理性の全力を総動員して、拳を止めた。

 

 

そんなやり取りをしていると、ヴァリウスさんは窓の外に目をやった。

柔らかな光が差し込むはずの窓の向こうを、真剣な眼差しで見つめながら――

 

 

「……暴走したあいつを止められるのか……エドワール……」

 

 

その瞬間、俺の脳裏に――

爽やかな笑顔でサムズアップを決めるエドワールさんの姿が浮かんだ。

背景には意味不明なほど眩しい後光、そして風に揺れるマント。

……いや待て、なんでこんな場面でそんな脳内映像が流れるんだ俺。

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 

俺の耳に、ルミナの声が届く。

見ると、彼女は小さな手を膝に置き、礼儀正しくお辞儀をしていた。

 

「……美味しかったか?」

 

「うん」

 

 

俺は現実逃避のように、その頭をそっと撫でる。

柔らかな髪の感触が、少しだけ心を落ち着かせた。

ルミナが目をつむって受け入れる姿に癒されまくる。

 

ふと視線を横に向けると――

ヴァリウスさんは天を仰ぎ、両目を閉じていた。

その姿はまるで……黙祷。

 

 

「……もうやめてくださいよ、縁起でもない……!」

 

 

声をかけても、ヴァリウスさんは何も答えなかった。

ただ、天井の向こうにでもいるエドワールさんへ祈りを捧げているように見えた。

 

俺はそっとルミナの頭を撫で続ける。

――こうして、俺たちのティータイムは、妙な不安と笑いと共に幕を閉じた。

 

 




エドワールさんは死闘の準備をしています。
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