天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
高い塔の窓から見下ろすと、王城の一角にある小さな部屋が見えた。
距離はかなりあるが、私の目はそれを苦にしない。
呼吸を整え、額に軽く指を添える。
視力強化の技術を用い、遠くの景色を鮮明に映し出す――まるでそこに立っているかのように。
部屋の中には三人居る。
ひとりは、ヴァリウス。
視線は窓の外、つまり私たちの立っている方向を向いている。
何かを口にしているようだが、その声は私に届かない。
エドワールもまた部屋を覗き込んでいるが、私とは違い、唇の動きをじっと見つめていた。
「……がんばる」
何の文脈なのかはわからない。
まだ若い少年。
くっきりとした目鼻立ちをしていて、背筋を正しながら、向かいの人物に気を配る仕草が自然だった。
おそらく、これがエドワールが言っていた「リオ」という少年だろう。
しかし、私は彼を見ても心が動かない。
いや、意識が向かないと言った方が正しい。
私の視線は、ただ一人――
テーブルの向こう側、ケーキを食べている幼い少女に吸い寄せられていた。
あの娘は金の髪を、陽の光を受けて淡く輝かせている。
瞳は透き通るような碧。
一心にフォークを動かし、口元には淡いクリームの跡が残る。
紅茶を一口、静かに含んでは、小さく息をつく。
その仕草が、あまりにも自然で――そして、どこか懐かしい。
胸の奥に、何かが込み上げてくる。
それはレオネルに抱く愛しさとは異なる。
けれど、確かに「愛しい」と呼べる感情だった。
理由はわからない。
ただ、視線を外すことができない。
「……アンナ、あの少年がリオだ」
エドワールの声が耳に届く。
わずかに緊張を帯びた声音。
私に恩人であるリオを紹介しようとしているのだろう。
私とレオネルの恩人――リオ。
その名を聞けば本来なら、感謝と敬意を込めて姿を確かめるはずだった。
だが今、私の目は、紅茶を口にする少女の方にしか向いていない。
紅茶を飲む少女。
金髪、碧眼。
頬の曲線、瞬きの仕方、そのすべてに既視感があった。
私の知る誰かの面影――いや、複数の影が重なって見える。
レオネルの雰囲気、そして……私自身の特徴までもが、そこにあった。
「……エドワール」
自分の口から落ちた声に、私自身が少し驚く。
重く、深く、逃げ場のない響き。
エドワールもそれを感じ取ったのか、僅かに肩を揺らした。
私は一度、静かに呼吸を整えた。
胸の奥のざわめきを抑え込むようにして、言葉を続ける。
「あそこに居る女の子……誰?」
問いの瞬間、エドワールが息を呑む音がはっきりと聞こえた。
彼は慌てたように言葉を返す。
「な、なんであの娘を尋ねるんだ、リオの方が……」
「エドワール」
名を呼ぶ。
それだけで、彼の言葉が止まった。
私は彼の方を見ない。
視線はあの少女に釘付けのまま。
声だけで、意志を伝える。
沈黙の後、エドワールは小さく息を吐いた。
観念したような声音で答える。
「あの少女は……ルミナと言う名前だ」
ルミナ――
口の中で静かに転がす。
光を意味するその音が、不思議なほど彼女に似合っていると思った。
理由もなく、涙が滲んでくる。
目尻に熱が集まり、こぼれそうになるのを瞬きで誤魔化す。
私の中の何かが、この子に手を伸ばしたがっている。
抱きしめたい。
触れて確かめたい。
でも、距離と言う絶対の壁が私を阻む。
「ルミナ……いい、名前ね」
自然と笑みがこぼれた。
だが、次の瞬間、頬を伝う温かいものに気づく。
理由はわからない。
けれど、その涙は止まらなかった。
私は満面の笑みを作った。
けれど――自分でもわかる。
その笑みは目に届いていない。
感情の奥底では、別の波が荒れ狂っているからだ。
「さて、レオネルにも内緒で連れて来た理由……教えてくれるわよね?」
声は甘く、表情は柔らかく。
だが、目だけは一切笑っていない。
その視線に、エドワールはほんのわずか肩をすくめた。
私の中の予感は、もう確信に近かった。
この子――ルミナは、ただの偶然でここにいるわけじゃない。
そしてその理由を、エドワールは知っている。
そして私はエドワールから聞いた。
リオと名もなき少女との出会い。
そしてルミナの誕生を。
「……以上が、リオから聞いた話だ」
エドワールの声は、妙にかすれていた。
私の正面に座る彼は、膝の上で手を組み、視線を逸らさずに話し切った――少なくとも、形式上は。
けれど、その指先は小さく震え、声にはわずかな逡巡が混ざっていた。
私は何も言わなかった。
ただ、最後まで無言で聞いた。
表情を変えることなく、ただ彼の言葉を受け止めた。
「……そう」
それだけを口にした瞬間、エドワールは小さく肩を揺らした。
「ア、アンナ……?」
焦りと恐怖を混ぜた声。
それに私は反応せず、ただ自分の内側に渦巻く感情を押し殺した。
――荒れ狂う感情。
胸の奥で、何かが暴れている。
それを押さえ込まなければ、ここで何かを壊してしまいそうだった。
「……私が王城に来た、夜」
口角を上げようとしたが、思った以上に顔が引きつった。
頬がぴくりと痙攣し、作った笑みはぎこちない仮面にしかならなかった。
「ほぼ同時にリオの元に現れた、謎の少女」
エドワールは、視線を泳がせた。
その動きは、彼が次の言葉を予想し、胃の辺りを押さえた動作と重なる。
「ええ、私と無関係に思う方が……不自然よね」
自分に言い聞かせるように、私は言葉を吐き出した。
声は冷たく、自分の耳にも聞き慣れない響きだった。
「……」
エドワールは黙り込み、ただ胃の辺りを押さえたまま私を見ている。
それがまるで、これ以上踏み込まれることを恐れているかのようだった。
「誰にも見えない少女を、リオだけが見つけることが出来て」
自分でも驚くほど、声が低くなっていた。
「ルミナという名前を付けた」
呼吸が浅くなる。
言葉を吐くたびに、胸の奥に渦巻く熱が強くなっていく。
「……そういうこと?」
短い問いかけ。
けれど、その裏には言葉にならない感情が渦巻いていた。
――嫉妬
私は今まで、この感情をここまで強く抱いたことがなかった。
だが今、胸の中でそれが暴れ、喉元まで競り上がってくるのを感じる。
ルミナを見つけることが出来たのは、私ではなくリオ。
その存在に名前を与えたのもリオ。
そして――彼は、その誕生を祝福した。
頭の奥で何かが軋む音がした。
嫉妬の熱が、理性を焼こうとしていた。
その衝動に、ほんの一瞬、殺意が混じった。
エドワールは、それを察した。
私の目の奥を見て、彼は即座に言葉を投げる。
「アンナ、リオは恩人だぞ!?」
その声が、私を現実に引き戻す。
リオは――ルミナを救ってくれた人。
恩人。
その事実を胸の奥に強く刻み込む。
そうすれば、この嫉妬の熱は少しずつ鎮まる。
深く、深く、息を吸う。
そして、吐く。
胸の中の熱が、ゆっくりと冷えていくのを感じた。
「……ごめんなさい。もう大丈夫よ」
言葉は落ち着いていた。
感情の波を押し殺し、声色も整える。
エドワールは、ほっとしたように肩を落とした。
「そ、そうか……」
その顔は緊張から解放されたようでいて、どこかまだ警戒を残していた。
だが、今の私にはそれ以上詮索する気力はなかった。
胸の奥にはまだ、微かに熱の残滓がくすぶっている。
けれど、それを表に出すつもりはない。
今は――まだ。
「……まだ、話していないことがありそうだけど――聞かないわ」
自分でも驚くほど、声は穏やかだった。
さっきまで胸の中を荒れ狂っていた感情は、今は深い水底に沈んでいる。
それは静まり返っているようでいて、触れれば一瞬で爆ぜる、そんな不安定な静けさ。
「これ以上聞いたら、抑えきれない」
唇にわずかに笑みを乗せた。
優しい笑顔のつもりだったが、エドワールの顔が一瞬で強張ったのを見ると、やはり目は笑っていないのだろう。
「後でゆっくりと話を聞かせてもらうわよ、エドワール?」
彼はまるで死刑宣告を受けた囚人のような顔で、短く答えた。
「……はい」
その様子に、少しだけ胸の奥の黒い感情が満たされる。
額に手を当て、深く息を吐く。
そして、視線を彼に戻す。
「レオネルと一緒に」
その瞬間、エドワールの目が大きく見開かれた。
「待ってくれ!!!」
切羽詰まった声。
けれど、私は首を横に振る。
「レオネルにも大いに関係がある。そうでしょ?」
問いかけは、確認というより断定に近かった。
エドワールは口を開きかけ、しかし何も言わずに閉じた。
沈黙が、答えだった。
私は溜息をひとつ吐き、口元だけで笑った。
「安心……出来ないでしょうが、約束するわ」
エドワールが此処につれてきた目的。
「レオネルは私が止める」
自分の声が妙に冷静なのを、他人事のように感じる。
さっきまであれほど高ぶっていたのに、感情が極限に達すると逆に澄み渡っていく。
まるで嵐の目に立っているかのような、不自然な静けさ。
「その為に、私をここに呼んで――」
言葉を切り、視線を塔の窓の外へと向ける。
遠く、あの部屋で紅茶を飲む少女が見える。
無垢な仕草でカップを持ち上げるその姿は、あまりにも自然で、あまりにも眩しい。
「あの娘を、私に見せた」
再びエドワールへ視線を戻す。
その目は笑っていない。
だが、声はあくまで穏やかに保った。
「そうでしょ?」
エドワールの喉が、ごくりと鳴った。
答えは返ってこない。
けれど、その沈黙が何より雄弁な肯定になる。
私の中で、さっきまで荒れ狂っていた波が完全に引き、静かな海面が広がった。
けれど、その下には、容易に触れてはいけない黒い深淵が横たわっている。
エドワールは胃の辺りをさらに押さえ、まるで目の前に爆発寸前の爆弾が置かれているかのような表情で俯いた。
彼の額に浮かぶ冷や汗は、光を反射して淡くきらめいている。
……いいわ、エドワール。
嵐は、まだ吹かせない。
それは、後で――あなたがすべてを話した後で。
「エドワール、対策は?」
そう問うと、彼は即座に短く答えた。
「騎士たちを総動員する」
その言葉に、私は少しだけ眉を上げる。
「……私は戦場に出なくて久しいけど、そこまでなの?」
エドワールは重く頷いた。
「ああ。これでも、まだ不安だ」
その返答に、胸の奥がひやりとした。
それほどの脅威――そう理解した瞬間、全身に薄い緊張が走った。
私は、レオネルの実力を――いえ、彼が戦場で発揮する本当の力を、甘く見ていたのかもしれない。
普段の穏やかで真面目な彼の姿ばかりを思い浮かべ、戦場での彼を直視しないようにしていたのだ。
だが、その力が恐れられる理由を、私は思い出してしまった。
だが、同時に怒りが込み上げる。
私は静かに吐き出すように呟いた。
「……憤激の殺戮騎士……」
低く、怒りを含んだ声が漏れる。
その言葉を聞いて、エドワールは目を伏せた。
あの称号。
思い出しただけで、喉の奥に苦いものがこみ上げる。
王国に侵略してくる、下劣な国。
汚物国家としか呼べない連中の旗が、焼け野原に立っていた光景が、脳裏に浮かび上がる。
「あいつらのせいで、こんな称号を……!」
歯を食いしばる。
レオネル――私の夫であり、王国が誇る騎士団長。
戦場に立つ彼は、常に笑顔を絶やさず、仲間を鼓舞し続ける。
戦う姿はまさに騎士の鑑であり、その剣は王国の誇りだ。
だが――怒らせてはならない男だった。
笑顔の奥には――怒りがあった。
一度その怒りが解き放たれれば、邪竜をも惨殺するほどの力を振るう。
王国を混乱に陥れた邪竜を討ったその力で、今度は外国からの干渉を悉く粉砕した。あの忌まわしい出来事の後――私の未来を奪われて間もない頃。
まだ私の心も、そして彼の心も血を流し続けていた時期に、外国から侵略があった。
怒り狂ったレオネルは、戦場で暴れ回った。
私の未来を奪った存在への怒りと、侵略者への憎悪が重なり、彼は容赦という言葉を失っていた。
その時以来――外国は彼をこう呼んだ。
「殺戮騎士」と。
ただの蔑称ではない。
その剣に討たれた者たちが残した、恐怖そのものだった。
王国に干渉しようとする国々は、あの日以来、積極的な動きを見せなくなった。
やがて彼は穏やかさを取り戻した。
だが、「憤激の殺戮騎士」と「竜殺しの英雄」。
その二つの名は、裏表のように、今も外国で語られ続けている。
私は、エドワールが空を仰ぐ気配を感じた。
彼の声は低く、そしてどこか苦い響きを帯びていた。
「……レオネルが知れば、狂乱しかねん」
その言葉に、私は目を閉じた。
心臓の鼓動がゆっくりと重く響く。
「……それほど衝撃的な話なのね、レオネルにとって……私にとっても」
息を整えながらそう告げると、エドワールはゆっくりと頷いた。
「アンナ。レオネルを止められるのは、お前しかおらんのだ」
その言葉は、重く胸に落ちた。
分かっている――彼の剣を止められるのは、剣ではない。
怒りの渦を鎮められるのは、ただ一人、私だけだ。
その責任の重さが、今、改めて肩にのしかかる。
嵐を止めるのは、私の役目だ――たとえ、その嵐が愛する人であっても。
頑張れ、エドワールさん(の胃)!