天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
部屋の空気が、沈黙で少し重くなっていた。
エドワールさんは何かを考え込んでいるし、ルミナはカップを両手で包んだまま、時々こちらを見上げては小首を傾げる。
俺も俺で、さっき頷かれたことが頭から離れなかった。
そんな中――
バンッ。
ノックの音はなかった。
いきなり扉が開き、ヴァリウスさんが姿を現した。
「……え?」
思わず間の抜けた声が出る。冷静沈着、感情をほとんど表に出さないあのヴァリウスさんが、慌てている。
歩みは速く、長い脚で部屋の奥まで一気に詰め寄る。
だが、俺はその姿を見て息を呑んだ。
まるで……幽鬼のようだった。
元々怜悧な風貌の持ち主だが、今はそれに加えて、肌の血色は悪く、目の下には深い隈。
口元はきつく結ばれ、呼吸も荒い。
全身からただならぬ疲弊が滲み出ている。
……いや、ただ疲れているというより、魂を削ってきたような。
「おばけ?」
不意にルミナが呟いた。
その大きな碧眼が、純粋な好奇心でヴァリウスさんを見ている。
(お前が言うの?)
内心で思わずツッコむ。
「そろそろ限界だエドワール!!!」
ヴァリウスさんは部屋に入るなり、エドワールさんに向かって怒鳴った。
その声には焦りと苛立ちが入り混じっている。
「まだそんなに時間経ってないだろ!?」
エドワールさんが思わず声を上げる。
「あいつらにとっては長いのだろ!」
吐き捨てるようなヴァリウスさんの言葉に、エドワールさんは言葉を詰まらせた。
そして、一度だけ深く息を吐き、俺の方に向き直る。
「……今からお前の護衛騎士を呼ぶ」
口調は穏やかだった。
けれど、その奥に混じった焦りを、俺は聞き逃さなかった。
まるで一刻を争うような雰囲気。
「え、あの――」
尋ねようとしたが、エドワールさんは鋭い目で俺を制した。
口を閉じるしかない。
「……二人を」
エドワールさんの言葉に、ヴァリウスさんは小さく頷いた。
「もう、来ている」
「……入れ……」
その返事を聞いたエドワールさんは、額に手を当て、深く息を吐き――目を覆った。
俺は息を呑み、扉の向こうに視線を向ける。
そこに現れるであろう護衛騎士――一体どんな人物なのか、胸の奥がざわついた。
その瞬間、扉の向こうから澄んだ声が響いた。
「失礼します」
足音が二つ、部屋に近づいてくる。
入ってきたのは男女二人――その姿を見た瞬間、全身の毛穴が一斉に開いたような感覚に襲われた。
背筋に、ぞくりと冷たいものが走る。
(……なに、これ)
直感が告げる。
――俺よりも遥かに上の剣士だ。
立ち姿は自然体で、威圧感も誇示もない。
なのに、その輪郭から一歩も踏み込めない“壁”のような気配が漂っている。
まず、視線を女の方へ向ける。
肩にかかる程度の長さの栗色の髪、透き通る碧の瞳。
王都でもそうそうお目にかかれない、美貌の持ち主だ。
長身で、しなやかな肢体はまるで彫像のようだ。
だが、その美しさに目を奪われていると――別の感覚が襲ってくる。
剣士としての格。
それも、俺なんかでは届かないほど高い境地にいる者だけが纏える、研ぎ澄まされた気配。
(……一目でわかる。俺より、遥かに上だ)
視線を交わしただけで、その目に宿る知性に圧される。
まるで全てを見透かされているような錯覚。
その鋭さは、ヴァリウスさんに匹敵する――いや、もしかすると別の意味でそれ以上かもしれない。
息を吐き、次に隣の男へ目を向けた。
(……っ)
思考が、一瞬で止まる。
この男に関しては、もはや推し量ることすらできない。
桁が違う。
圧倒的すぎて、実力の輪郭すら見えない。
金色の髪が光を受けて柔らかく輝き、蒼い瞳は静かにこちらを見ている。
整った顔立ちは穏やかで、優しさを滲ませていた。
だが、その奥に隠された苛烈な意思を、俺は見逃さなかった。
――隣の女よりも更に強い。
理由も根拠もなく、それがはっきりと分かった。
言葉にできないほどの山のような存在感。
そこに立っているだけで、部屋の広さが変わったかのように錯覚する。
(俺と大して歳は変わらないはずだよな……なのに、この雰囲気はなんだ?)
自分なりに、これまでの冒険や戦いで腕を磨いてきた。
そこそこ才能があると、正直思っていた。
だが――それは自惚れだった。
二人を前にして、それを思い知らされた。
これは「上には上がいる」という話じゃない。
自分が立っている土台そのものが、彼らとは違う。
これまで王城で何人かの騎士を見てきた。
どれも一騎当千の猛者ばかりだった。
だが、この二人は別格だ。
一歩も動いていないのに、背筋が自然と正される。
それほどまでに、二人の放つ空気は研ぎ澄まされていた。
先に口を開いたのは、栗色の髪の女騎士だった。
「私はアンナ・オーリン。これから、あなたの護衛を務めます」
その声音は澄んでいて、揺らぎがない。
名乗るだけでこちらの背筋が自然に伸びるような、そんな威厳があった。
続いて、隣の金髪の男が口を開いた。
「僕はレオン・オーリンです。よろしくお願いします、リオ殿」
優しい笑みを浮かべながらの挨拶。
だがその立ち姿や声の調子から、穏やかさだけではなく、芯の強さが感じ取れる。
普通なら、王命で護衛を命じられたとしても、不満や距離感が透けて見えるはずだ。
けれど、この二人からはそれが一切感じられない。
むしろ、俺という人間に対してきちんと敬意を向けてくれているのが分かって、逆に戸惑ってしまう。
「ん? オーリン?」
ふと、二人の名が同じであることに気づき、首を傾げる。
「私とレオンは夫婦なの」
アンナが、いたずらっぽく口角を上げて答える。
からかい半分、試すような視線。
「へえ」
俺は自然と笑って返す。
「レオンさんとアンナさん……名前を並べると、まるでレオネル様とアンナ様の英雄夫妻みたいですね」
軽口のつもりでそう言ったが、すぐに付け加える。
「しかも夫婦で騎士とは、凄い偶然だ」
王国で“英雄夫妻”と言えば、レオネル様とアンナ様。
その名は子どもから老人まで知らぬ者はいない。
名そのものは決して珍しくはないが、こうして並ぶとどうしてもあの英雄夫妻を連想させる。
その時――
エドワールさんとヴァリウスさんが、わずかに身を固くしたのが目に入った。
ほんの一瞬、二人の眉がかすかに動いたのだ。
(……ああ、親友の名前を聞いたから、か)
俺はそう推測する。
「私とレオンは幼馴染で、ジークフリード家の親類なの。アンナ様から名前を頂いたのよ」
アンナさんが、少しだけ照れたような、それでいて誇らしげな口調で言う。
「僕はレオネル……様の名前を、少し変えてつけられたんです」
レオンさんも、恥ずかしそうに視線を逸らしながら告げる。
その仕草には、名前の由来への敬意と、背負う重みを知っているがゆえの慎みがあった。
(あー、なるほどな)
(レオネル様とアンナ様と同じ道を歩んだってことか。幼馴染で、そのまま夫婦になって……)
胸の奥に、妙な痛みが走る。
気がつけば、脳裏にミリアの笑顔が浮かんでいた。
――あの頃。
まだ何もかもが未完成で、未来がどこまでも広がっていると思っていた日々。
気持ちを伝えることすらできず、気づけば彼女は・・・
(……鎮まれ、青春の傷よ!)
俺は心の中で叫び、痛みを押し込める。
今はそんなことを引きずっている場合じゃない。
深呼吸を一つして、笑みを作る。
「俺はリオ・ハートフィールドです」
しっかりと名乗り、二人に視線を向けた。
「これからよろしくお願いします」
二人は頷き、再び礼を取った。
その所作には一片の乱れもなく、やはり只者ではないと改めて思い知らされる。
「こっちの女の子は……ん?」
ルミナのことを紹介しようと視線を向けた瞬間、俺は言葉を止めた。
ルミナは、まるで時間が止まったかのように、アンナさんとレオンさんの二人を真っ直ぐに見つめていた。
瞬きすらしない。
その視線は鋭くもなく、怒りや怯えがあるわけでもないのに、異様なほど強い。
まるで、二人の奥底まで覗き込もうとしているみたいだ。
「……どうしたんだ?」
問いかけても、ルミナは反応を示さない。
そのまま視線を外さず、微動だにしない。
アンナさんが先に口を開いた。
「……初め、まして」
わずかに硬さが混ざっていた。
自然体の雰囲気を崩すほど、彼女も緊張しているのが分かる。
続いてレオンさんが、ほんの一瞬ためらってから言葉を出す。
「会えて……嬉しいよ……」
優しげな響きではあったが、その奥に何か抑え込んでいるような重さがあった。
二人とも緊張を隠しきれていない。
ほんの数分前までの、自然体で洗練された雰囲気はどこへやら、わずかに肩や手に力が入っている。
(……何なんだ、この空気は)
二人ともルミナを前にして、なぜこんなに構えているんだ?
戸惑う二人の様子に、俺はとりあえず話を進めることにした。
「この娘はルミナ……俺の家族……かな」
どう紹介するべきか、一瞬迷った。
仲間とも違う、保護対象とも違う、孤児院の子供たちに抱くのとはまた違う。
俺には今まで縁のなかった「家族」その言葉がなんかしっくりくる。
だから、その言葉を選んだ。
「家族」という言葉に、アンナさんとレオンさんの表情がわずかに揺れた。
目の奥に、説明のつかない複雑さが走る。
「ルミナ、か」
「……良い名前だね」
言葉は穏やかだが、二人の目が笑っていない。
複雑な感情が混ざっていて、それが何なのか俺には分からない。
まるで、懐かしさと切なさと、少しの戸惑いを同時に抱えているような……そんな顔だった。
(……なんだ?)
ルミナは俯き、何も言わない。
普段なら人見知りなんてしない子だ。
初めて会った相手にも物怖じせずに話しかけ、興味があれば自分から声をかけるのに――今はただ、口を閉ざしている。
俺は申し訳なくなって、二人に向き直った。
「すみません、普段は人見知りしないのに……」
今の態度は失礼に見えてしまうかもしれない。
だから先に謝っておくしかなかった。
アンナさんは小さく首を横に振り、「気にしないで」と短く答えたが、その視線はまだルミナに向けられていた。
レオンさんも笑顔を保とうとしているが、その笑みはどこか硬い。
(……なんだ、この空気?)
ルミナと二人の騎士が向かい合ったまま、誰も口を開かない。
目には見えない緊張が、部屋全体に張り詰めているのが分かる。
俺は戸惑いを隠せず、ただ沈黙の中に取り残されていた。
その張り詰めた空気を破ったのは、エドワールさんだった。
「……基本的に、この二人がお前の護衛につく」
その一言に、俺の胸に疑問が芽生える。
(いやいや、どう考えても俺の護衛に使うのは過剰すぎるだろ……)
視線を二人へ向ける。
アンナ・オーリンとレオン・オーリン。
二人は王国騎士という精鋭の中でも、間違いなくトップクラスだ。
立ち姿ひとつとっても隙がなく、その空気感だけで場を支配する。
しかも年齢は俺とそう変わらない。
若さと実力、そして風格を兼ね備えている。
特にレオン――
竜殺しの英雄、レオネル様の後継者に相応しいと、何の疑いもなく信じられる。
親類というだけではなく、その立ち居振る舞いからも、剣を握った時の姿が容易に想像できるのだ。
剣を抜けば、あの眼に刻まれた意思が炎のように燃え上がるだろう。
そして、そのレオンを支える稀代の才媛、アンナ。
知性と美貌、そして確かな武芸。
(そんな次世代の王国の柱を……俺の護衛に?)
エドワールさんの判断が理解できない。
護衛という名目で近くに置くにしても、これはあまりにも贅沢すぎる布陣だ。
ふと、エドワールさんを横目で見る。
(……エドワールさんにとって、ルミナはどういう存在なんだ?)
最近の彼の態度は、明らかにおかしくなった。
あの人が豹変したのは、ルミナと出会ってからだ。
何かを恐れ、何かを隠し、そして何かを急いでいる――そんな印象だ。
エドワールさんは、少し心苦しそうに俺を見た。
「リオ……疑問に思うのはわかるが、受け入れてくれ」
その言葉に、俺はほんの一瞬だけ考えた。
そして、口を開く。
「……はい」
短く、それだけ答える。
だが、胸の内では別の言葉が渦巻いていた。
(エドワールさん……あなたにとって、ルミナがどういう存在なのかわかりません)
(この二人を俺の傍に置くのも、何かしら意図があるのでしょうね……)
それは、俺の護衛として以上に、監視の意味があるのかもしれない。
あるいは、万が一の場合、俺を即座に制圧できるようにするためか。
理由はいくらでも想像できる。
(ですが……)
視線を落とす。
そこには、俯いたままのルミナがいる。
小さな肩が、かすかに震えているようにも見えた。
(俺はこの子の未来を守ります)
(ルミナに危害が加わるなら……)
ゆっくりと、心の中で言葉を結ぶ。
(……貴方を、敵に回してでも)
静かに息を吐いた。
表面上は何も変わらないが、胸の奥で何かが固く結ばれた気がした。
リオはエドワールさんの事を信頼していますが王国の為なら非情の決断が出来る人物だと認識しています。