天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
剣が折れる音が耳に残っていた。
あの重い一撃を受け止めた瞬間、刀身は限界を超え、同時に僕の全身を震わせた衝撃が抜けていった。
最後の一太刀。
渾身の斬撃を放ち切った彼の身体は、もう立つ力を残していなかった。
「リオ!」
反射的に叫び、僕は手にしていた剣を放り出す。
そのまま駆け寄り、地に倒れ込む彼の身体を抱きとめた。
体温が異様に熱い。呼吸は荒く、全身に血が滲み、筋肉は震え、骨も……恐らく無事ではないだろう。
……ひどい。
(このままでは……不味い)
焦燥が胸を焼いた。
こんなところで彼を死なせるわけにはいかない。
「リオ、飲むんだ」
腰に下げた薬品ホルダーに手を伸ばし、一つの細長い薬瓶を取り出す。
そこには、いざという時のために一本の薬瓶が収められている。
それは秘薬――マテリアルを回復に特化させ、安定化させたもの。
リオが飲んでいた薬よりも強力な代物だ。
迷う暇はなかった。
僕は瓶を開け、彼の口元に押し当てた。
液体は喉奥へと流れ込み――数瞬ののち、リオの全身が淡く光を帯び始める。
裂けた皮膚が音を立てて再生し、血に濡れた肉が結び直される。
折れた骨すら、軋みながら元に戻っていく。
「……知ってはいるが、何度見ても背筋が凍るな」
常識を越えた癒し。
いや、それは癒しと呼んでいいのかすら分からない。
だが、その力に救われた。
僕も、アンナも。
僕は安堵の吐息を漏らし、ふと気配を感じて顔を上げる。
視線の先――そこにわずかな空間の歪みが生じ、ゆらめきの中から二つの影が現れた。
エドワール。そしてヴァリウス。
二人は魔法で姿を隠し、この戦いを最初から見届けていたのだろう。
ヴァリウスが僕に一瞥を送り、静かに告げた。
「……俺が診よう」
その声音は冷ややかで、しかし揺るぎない信頼を抱かせるものだった。
僕は黙って頷き、リオの側から身を退いた。
「頼む」
それだけ言い残し、僕は数歩下がる。
ヴァリウスがしゃがみ込み、長い指先でリオの脈をとる。
耳を傾け、呼吸を確かめ、掌を胸に当てて生命の流れを測る。
その仕草は無駄がなく、的確で――まるで彼自身がひとつの医療器具であるかのように見えた。
青白くなったリオの顔。
それでも、先ほどまでの血まみれの惨状を思えば、今はずっと安らかに見える。
秘薬が効いているのだ。
命が繋がったことに、僕は小さく息を吐いた。
(……本当に、無茶をしたな)
安堵と同時に胸を刺すのは、やはり後悔。
だが――彼の強さを見た誇らしさも、確かに存在していた。
ヴァリウスの髪がさらりと揺れ、冷たい瞳が僕へと向けられる。
「……命に別状はない。だが、骨と筋を休めねばならん」
その言葉に、僕は深く頷いた。
胸の底に溜まっていたものが、少しだけ和らぐのを感じた。
ヴァリウスが僕に一瞥を送り、静かに告げた。
「……引き続き、俺が見ておこう」
後はヴァリウスに任せよう。
彼がいるのなら、リオの命は繋がる。
エドワールが僕へ歩み寄り、柔らかな笑みを浮かべた。
「見事だ、レオン」
そう言いながら、エドワールが僕の方へ近づいてくる。
彼はゆっくりとした歩調で、まるで観戦を終えた審判のように落ち着き払っていた。
だが、その瞳には確かな驚きが宿っている。
「いや――レオネル」
エドワールが僕の本当の名を呼んだ。
その声音には深い敬意が込められていて、胸の奥が熱くなる。
同時に、心の奥に重苦しい影が落ちる。
つい先日、僕は暴走し、仲間に危害を加え、多大な迷惑をかけた。
冷静さを欠き、己の未熟さを晒した。
その記憶が脳裏に蘇り、喜びと誇りの感情に冷水を浴びせる。
胸に広がる熱と、沈むような重さ。
相反する二つの思いがせめぎ合い、呼吸が乱れそうになる。
だが、僕は小さく首を振った。
「……いえ、エドワール。本当に称えられるべきは彼です」
僕の視線は、静かに横たわるリオへと向かう。
青白い顔をしているが、その胸は確かに上下している。
さっきまで死の淵に立っていたとは思えないほど、静かな呼吸。
あの戦いを振り返れば、称賛を受けるべきは僕ではない。
エドワールは言葉を飲み込み、僕の横顔をじっと見つめる。
僕は続ける。
「僕は彼を試したに過ぎません。挑発して、限界を超えさせた……称えられるべきは、僕ではなくリオです」
声に、後悔と、誇らしさと、苦さが入り混じっていたのが自分でもわかる。
エドワールはふっとため息を漏らし、俯いた。
「……なるほどな」
重苦しい沈黙が落ちたが、僕の胸の内は少しだけ晴れていた。
真実を言葉にすることで、自分の中に渦巻いていた想いが整理されていくのを感じたからだ。
僕は首を振り、倒れ伏す少年を見やった。
エドワールもその視線を追い、ため息をつく。
「確かに……レオネルにあそこまで迫れる者は、騎士たちの中にもそうそう居ない」
そして静かに呟いた。
「……無茶しすぎだ。実戦でもないのにここまで振り絞ってどうする」
彼の言葉は正しい。
僕も同意するしかなかった。
だが、ここまで追い詰めたのは他ならぬ僕だ。
その結果が、この有様だ。
黙したまま、僕は地面に放り出していた剣を拾い上げた。
折れた刃。
握り慣れた柄の感触が、皮膚の奥にまで沁みこんでくる。
(信じられない……)
心の奥底から驚嘆が込み上げた。
剣を折られるなど、僕にとっては想定外の出来事だった。
ましてや、まだ若い一人の少年によって。
粉々になったリオの剣と、へし折られた僕の剣。
その二つが並ぶ様は、この戦いがどれほど異常なものだったかを雄弁に物語っていた。
(あの一撃……本物だった)
僕は震える指で刃の断面をなぞった。
熱を帯びたようにざらつき、まだ戦いの余韻を伝えてくる。
確かに、あの少年の力が僕の剣を打ち砕いたのだ。
胸の奥に、驚愕と、そして……かすかな喜びすら芽生えていた。
「お前が剣を折られるなんてな」
エドワールの声には、驚嘆が色濃く混じっていた。
王として、数多の騎士を見てきたからこそ分かるのだろう。
一人の若き冒険者が、騎士の剣を――それも僕の剣を折るなど、本来あり得ないことだ。
あり得ぬはずの光景を前に、彼ですら驚きを隠せなかった。
僕は思い出す。最後の一撃。
あの瞬間に、彼は――己の枷を打ち破り、限界のその先を覗いていた。
振り下ろされた刃は、粗削りで、稚拙で、無謀ですらあった。
だがそこには確かに、常人の域を超えた力が宿っていた。
僕の腕を震わせ、剣を折り、心の奥にまで刻み込まれる一撃だった。
「レオネル、リオの最後の一撃は……」
エドワールの問いかけに、僕は静かに答えた。
「彼は……三段階まで至りました」
三段階――それは、ほんの一握りの者しか踏み込めぬ高み。
多くの騎士が二段階に留まる中、選ばれた者だけが至れる領域。
そこに、まだ若き少年が――自力で辿り着いたのだ。
自分の口から洩れた言葉に、改めて戦慄する。
振り返れば振り返るほど、あの一閃は三段階以外に説明がつかない。
「やはり……」
エドワールが低く唸り、納得したように頷いた。
「闘術の師匠は?」
エドワールの問いに、僕は首を横に振った。
あの戦いを思い返す。リオの動きは確かに鋭かったが、そこには奇妙な偏りがあった。
「……いません。リオの技術は、明らかに体系として教えられた痕跡がない」
エドワールがわずかに眉を上げる。
(……どう考えても、そうとしか思えない)
僕は胸中で呟く。
ダンジョン攻略の報告に「外傷はないのに重傷」という不可解な記録が残っていた。
あれは外敵に傷つけられたのではなく――自らの力で自らを壊していたのだ。
「恐らく――自力で至ったのでしょう」
誰に導かれることもなく、知識も持たぬまま。
ただ戦いの中で感覚的に掴み、積み重ね、辿り着いた。
それは正規の教育を受けた者からすれば、歪で、危うく、欠陥そのものに思えるかもしれない。
けれど――。
それでも確かに、“三段階”に触れていた。
未熟で粗削りな形とはいえ、その域に至った事実そのものが、異常なのだ。
(天才……いや、それ以上だ)
僕は震える指で砕けた剣の柄を握り直した。
エドワールが低く息を吐き、目を細める。
「……なるほどな」
僕は唇を噛み、折れた剣を握り直した。
「……天才としか言いようがない」
エドワールの言葉に、僕もまた同意するしかなかった。
闘術。
それは生命力を自在に操る秘技。
パルシリアが編み出した技術であり、騎士であることの最低条件でもある。
闘術を扱えぬ者は騎士団に立つことすら許されない。
闘術には、明確な五つの階梯が設けられている。
第一段階――肉体の強化。
第二段階――力の流れの制御。
第三段階――外部への干渉。
(その三段階に……彼は……)
第一段階でもあり得ないのに第二段階の技を使いこなした。
挙句の果てには騎士団でも至る者が少ない三段階に、あの少年は独力で触れた。
(本当に……信じられない)
胸の奥がざわめく。
畏れと驚愕、そして――僅かながらの高揚。
「それで……お前はリオと剣を交わして、何を思った?」
エドワールの問いに、僕はわずかに目を伏せ、短く答えた。
「……期待、外れですね」
その言葉を聞いた瞬間、エドワールの瞳に翳りが差した。
「そうか、期待外れだったか……」
悲しげに呟くその声音には、すでに僕の真意を察した色があった。
そう――僕は心の底で、折れてほしかったのだ。
諦めてほしかった。
ルミナと、僕の娘と穏やかな生活を送って欲しかった。
だからこそ、あんな芝居を打った。
疑ってもいないのに、疑う振りをして。
試す必要などないのに、試した。
リオとルミナが互いを大切に思っていることなど、初めて目にした瞬間に分かっていた。
視線の交わし方も、言葉を交わす間も、全てが自然で――作られたものではなく、心からのものだった。
互いに相手の存在だけで笑顔になれる。
傍で見ているだけで伝わってくる幸福。
短い期間でも確かな絆がそこにあった。
彼の涙が脳裏に浮かび上がる。
あの娘の、ルミナの孤独な境遇に対して悲しみと怒りを込めた叫びは本当に胸が裂けるかと思った。
二人を疑うこと自体、愚かだと思い知らされた。
(それでも僕は……)
そうせずにはいられなかった。
あの少年の歩む道を、どこかで止められるのではないかと――ほんのわずかな期待を抱いてしまったのだ。
だが現実は逆だった。
彼は折れるどころか、僕の想像を越えて立ち上がり、ここまで届いてきた。
「エドワール、リオはきっとダンジョンの攻略に参加します」
自分の声が思いのほか静かで、そして確信に満ちているのを感じた。
彼がダンジョン攻略へと向かうのは――避けられない。
神域ダンジョン。
業魔という、王国にとって最大の脅威。
リオがそれを見過ごし、傍観しているだけで済むとは――到底思えない。
才能だけではない。
彼の気質そのものが、英雄なのだ。
栄光や名誉を欲するわけではない。
称賛や褒美に心を躍らせるわけでもない。
ただ――悲しみと怨嗟に満ちた未来を拒み、己の身ひとつで立ち向かおうとする。
……真の英雄。
そう呼ぶしかない。
彼は必ず、前に立つ。
背を向けることは決してない。
血を吐こうとも、剣を握る手が砕けようとも、彼は立ち上がるだろう。
それが、リオの気質。
それが、英雄の本質。
僕は、恐怖と同時に確信していた。
娘のために、限界を超え、自分の剣を折った少年。
たとえ身を砕いても守ろうとするその姿を、僕は生涯忘れはしないだろう。
「……やはり、そうか」
エドワールは小さく吐息を漏らした。
重責を背負う王の顔を浮かべてはいたが、その目の奥には複雑な感情が滲んでいる。
「王国として、国王として、その方がありがたい」
その言葉は正直で、冷徹ですらあった。
リオという存在がもたらすものを理解し、利用することに迷いはない。
彼の力は王国の未来を切り拓く。
それをエドワールは知っている。
「だが……」
その先は言葉にならなかった。
彼の声には、公を背負う者の硬さではなく、一人の人間の苦さが混じっていた。
国王である前に――エドワールは、心優しい男だ。
立場を理由に冷たく割り切ることができない。
人によっては「甘い」と嘲るかもしれない。
だが、僕はそんなエドワールが好きだった。
血を吐くような決断を強いられ続ける中で、なおも人の痛みに寄り添える彼だからこそ、僕は忠誠を誓えるのだ。
「……リオ」
小さく名を呼ぶ。
胸に残った温もりと痛みを抱えながら。
彼の未来が、どれほど苛烈であろうと。
僕は、祈らずにはいられなかった。
レオンの正体はレオネルでした!
書かれていませんが、闘術にはあるデメリットがあります。