天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
「本題に入ろうか」
管理者の声が湖上に低く響いた。
俺はごくりと唾を飲む。
(とうとう……管理者が、ダンジョンを支配したい理由がわかるのか)
「ああ」
「……次は“穢れ”についてだ」
空気が張り詰める。
俺は思わず姿勢を正した。
「穢れとは――」
管理者はひと呼吸置き、淡々と告げる。
「負の想念に染まりきった“魂”のことだ」
「……なんだって?」
思わず声が裏返った。
胸の奥がざわめき、頭の中が真っ白になる。
(穢れって……怨嗟や憎悪、呪いみたいなものじゃなかったのか?)
俺が考えていたのは、ただの「負のエネルギー」だ。
人の悪意や苦悩が凝り固まり、瘴気として溢れ出したもの――そう思っていた。
だが違った。
管理者ははっきりと言った。
「穢れは“魂”そのものだ。怒りや憎悪といった感情は副産物にすぎない。魂が完全に負へと傾き、濁り切った状態こそが“穢れ”なんだ」
「……魂」
耳の奥でその言葉が反響する。
体の芯が冷え、鳥肌が立つ。
「だから、穢れはただの呪いではない」
青白い光が淡く揺れ、まるで慰霊のように湖面を照らす。
その光景に、俺は背筋を凍らせながらも理解した。
「じゃあ、業魔は・・・」
「穢れた魂が女神の神体を使って受肉した存在だ」
その言葉が胸に落ちた瞬間、思わず手で口を押さえた。
「勘違いしないでくれ! 君は彼らを殺したりなんてしていない」
管理者が慌てて続ける。
「業魔を討つことで、魂にこびりついた負の想念を切り離すことができたんだ。君が業魔にとどめを刺した瞬間に魂を回収している」
「回収――そのあと、どうなるんだ?」
口をついて出た自分の声がやけに重たく響いた。
俺は管理者の淡い光を見据える。
あの青白い人影はしばし沈黙し、やがて静かに答えた。
「回収した魂は……眠らせている。深い眠りに、ね」
眠らせている。
その一言に、俺は眉をひそめる。
「眠らせるって……それだけなのか?」
管理者は首を横に振った。
「本来ならね。ダンジョンには“浄化した魂を新たな生へ送り出す”機能がある。苦しみを終わらせ、安らぎの後に再び世界に還す……それが、本来の姿なんだ」
「……だが?」
「僕では、その機能を使えない」
はっきりと断言する声に、胸がずしりと重くなる。
「……不完全だから、か」
俺が問い返すと、管理者は小さく頷いた。
その表情は、光を帯びているのにどこか影を落としているように見える。
「本当なら、人の手を煩わせる必要は無かったんだよ……」
その声音には自嘲が滲んでいた。
「女神の神体の一部に、穢れとなった魂を入れる」
管理者の声は、静かに湖面を震わせた。
「魂にこびりついた想念を、神体に移すことが出来る」
その光景が頭に浮かぶ。
黒く濁った魂が、ゆっくりと白い神体へと沈み込んでいき、まるで泥を洗い落とすかのように穢れを手放していく。
残されたのは、本来の澄んだ光だけ。
「そこから神体を洗い流して……浄化された魂を、新たな生に導く」
自然と脳裏に光景が浮かぶ。
穢れに覆われた魂たちが、ひとつひとつ清められていき、白い光となって天に還っていく……。
それは、悲しみに満ちた世界に小さな希望の灯火を点すような光景だった。
「これが、ヴァージニアの本来の役割だったんだ」
つまり、ヴァージニアは魂の再生装置。
ただ滅ぼすのではなく、苦しみを抱えたまま終わらせるのでもない。
痛みによって歪められた魂を、洗い清め、再び未来へ送り出す。
それこそが、女神が担うはずだった――
俺は無言で彼を見つめる。
「……でも、僕に出来るのは魂を神体に移すことだけだ」
「そこから先、どうしても人の手が必要なんだ」
管理者の言葉に、胸の奥がざらついた。
「人の手」……つまり俺や、ここに来る者たちに託さねばならない。
自身ではどうにもならないということ。
俺は深く息を吐いた。
「……全ては女神が元凶か」
自然と口から言葉が漏れた。
考えれば考えるほど、怒りが込み上げてくる。
「自分のせいで多くの人が苦しんでいるのに……」
気づけば、口元に乾いた笑いが浮かんでいた。
「面倒なことや嫌なことを、全部押し付けて逃げた?」
月を仰ぐ。
どれだけの人間が、どれだけの魂が苦しみ、泣き続けてきたのだろう。
それを放り出して、背を向けたのが――“女神”。
……おかしい。
おかしすぎて、笑えてくる。
だが、同時に胸の奥が痛む。
何故、この管理者が――女神から切り捨てられた存在が、ここまで辛い思いを背負わされなければならないのか。
(落ち着け。今は怒っている場合じゃない)
拳を握りしめて、深く息を吐く。
「……管理者」
「……うん」
小さな返事が返る。
「お前の願いは……負の想念で苦しむ魂たちか?」
少しの沈黙の後、管理者は口を開いた。
「……僕は」
月光に照らされる彼の姿は、青白く淡い。
けれど、声は揺るぎないものだった。
「彼らの嘆きを聞いて、生まれたんだ」
その言葉に、背筋が粟立つ。
「最初は、ほとんど自我なんてなかった」
「ただ、ひたすらに……声を聞き続けていた」
どれほどの年月をそうして過ごしたのだろう。
想像するだけで、胸が締め付けられる。
「でも、彼らの声を聞いて、僕の中にある感情が芽生えた」
一拍置いて、彼は静かに告げた。
「――怒りと、悲しみだ」
その声音には、深い重みがあった。
彼が本当にそれを感じてきたからこそ滲み出る、魂そのものの震え。
「感情が、心を育んで……今の僕になった」
管理者は一度目を閉じ、そして、俺をまっすぐに見据えた。
「そして願いを抱いたんだ」
その目は強く、確かな光を宿している。
「――彼らを、解放してやりたいと」
静寂が広がった。
月の光が湖面を照らし、波紋のように広がる。
その中で俺は、言葉を失っていた。
それは、魂の根源から湧き上がる願いだった。
人を救いたい。
苦しむ声に終止符を打ちたい。
……その気持ちが、俺の胸を強く揺さぶった。
俺は目を閉じ、深く息を吸う。
胸の奥に、熱が灯るのを感じる。
(やっぱり……放ってはおけないよな)
俺の剣は、自分のためにある。
だが同時に、大切なものを守るためにある。
その「大切なもの」の中に、この管理者の願いも加わってしまった。
目を開いた時、俺はもう決めていた。
「……管理者」
「なに?」
「お前の願い、俺が叶えてやる」
湖面を渡る風が、一瞬だけ柔らかくなった気がした。
管理者の唇から、ぽつりと零れ落ちた。
「――ありがとう」
ただ真っ直ぐに俺へ向けられた、心の底からの言葉。
青白い光が、ほんの一瞬だけ揺らいだように見えた。
まるで、涙をこぼすことが出来ない代わりに、光そのものが震えているように。
胸の奥に、じんわりと熱が広がる。
俺は苦笑して肩を竦めた。
「礼なんて要らないよ。勝手にそうすると決めただけだ」
それでも管理者は首を横に振る。
「ううん……僕はずっと、誰かに聞いて欲しかったんだ。
誰かに信じてもらいたかったんだ。
だから……ありがとう」
その言葉が、重く、けれど温かく俺の胸に沁みていく。
「それで、だ」
俺は息を整え、意識を切り替える。
これはどうしても聞いておかなければならない。
「自由になった女神は、今どうしてるかわかるか?」
どう考えてもろくでもない存在だ。
放置しておけば、どんな形で災いをもたらすか知れない。
対処の必要があると、俺は思っていた。
管理者は、しばし沈黙した。
青白い光が月明かりに照らされ、静かに揺らいでいる。
「……おそらく、完全に消滅している」
「な……なんだって!?」
思わず上ずった声が漏れた。
どこかで潜んでいるか、あるいは消息不明という最悪の可能性まで想定していた俺にとって、この答えは意外すぎた。
「何故、死んでいると?」
管理者は非常に嫌そうな声音で答えた。
「僕は、女神と同一存在だ。大まかだけど、繋がりを感じることができる」
管理者は自分の胸に手を当て、ゆっくりと言葉を続けた。
「それは糸のように細い感覚なんだ。姿も声もない。ただ……脈打つような“気配”だけが、ずっと僕の奥底で鳴っていた」
「……何百年か前に、その繋がりが突如として消えたんだ」
俺は眉をひそめる。
「じゃあ、女神が隠れているという線は?」
口に出した瞬間、自分でも苦しい仮説だとわかっていた。
あの傲慢な存在が、わざわざ自分を覆い隠してまで潜むだろうか。
けれど、もしそうなら最悪の形で再び現れることもあり得る。
俺の問いに、管理者は一瞬黙り込み――次いで吹き出した。
「はっはっはっはっは!」
その笑いはどこか侮蔑を孕んでいた。
「アレにそんな忍耐が出来るわけないだろ?」
「隠れるなんて理性的な行動が出来るわけがない」
光の中に、冷たい影が差す。
「なんせ、それらも僕に押し付けたんだから」
……なるほど。
慈愛も謙虚も貞淑も、全部こいつに押しつけて、女神は思うがままに動いたというわけか。
「本能の赴くままに行動したんだろうさ」
管理者は肩をすくめるように言った。
「……じゃあ、女神は本当に?」
「ああ。あいつの“意識”の部分だけが完全に消えたんだろうね」
「自由になったといっても意識だけだ。力の大半はこのダンジョンに縛られている」
その声は皮肉に満ちていた。
「それでも人間にとっては十分脅威だけど……僕程じゃない」
女神の残滓に過ぎないはずの管理者が、本体であった存在を超えている。
これ以上の皮肉があるだろうか。
「ふう……」
思わず息が漏れる。
女神を警戒する必要がないというのは、予想外だが嬉しい誤算だった。
生きていても絶対に世の中の害にしかならない存在は、もういない。
だが――。
「ただ……」
管理者の声が、重苦しく沈んだ。
「……何かあるのか?」
俺が問うと、管理者は頷いた。
「あいつが地上で“何か”をした可能性がある」
空気が、ずしりと重くなる。
「自由になってから少し経った後、加速度的に穢れがダンジョンに蓄積していったんだ……」
俺は息を呑む。
その瞬間、嫌な仮説が頭をよぎった。
――パルシリア王国以外の、あの“汚物国家”たちのことだ。
不自然なほどに腐敗し、膿のように膨れ上がった国々。
人が人を食らい、権力者が腐臭を撒き散らす。
あれほど歪んだ国が次々と現れた理由。
もし女神が消える前に“種”を撒いていたとしたら……。
湖面に映る月が揺れた気がした。
俺の胸の内も同じようにざわめいていた。
「どうしたの、リオくん?」
様子の変わった俺に、管理者が心配そうに首を傾げる。
「……実はな」
俺は息を整え、腐敗した国家群のことを管理者に語った。
権力者が民を食い物にし、国そのものが膿んでいく有様。
まるで人間そのものが“瘴気”に侵されているかのような惨状を。
すべてを聞き終えた管理者は、青白い光の額を押さえて頭を抱えた。
「……ありえる」
低く絞り出した声は、怒りと絶望が入り混じっていた。
「……え?」
「――ありえるんだよ!」
突如として管理者は叫んだ。
その声は水面を震わせるほど鋭かった。
「国を腐らせて争わせる!」
その言葉に俺の背筋が凍る。
「そして、負けそうになった国に“救済”の顔をして手を差し伸べる!」
「自分の信者や影響力を増やすための……あの女神の常套手段だ!」
空気が一気に張り詰める。
「……あいつ……」
管理者の声は震えていた。
怒りか、それとも悔しさか。
「……あれだけの惨事を起こしておいて……」
「――またやったのか!?」
水面に波紋が広がる。
俺は言葉を失った。
心のどこかで薄々予想していたが、こうして管理者の口から断定的に語られると、重さが違った。
女神は消滅する直前まで、腐敗の種を地上にばら撒いていた。
その結果が――あの汚物国家たち。
俺は無意識に拳を握り締めていた。
「……クソッ」
胸の奥にこみ上げる怒りを吐き出すしかなかった。
暗い世界を――ルミナはひたすらに飛び続けていた。
羽根などないのに、彼女の身体は光に導かれるように前へ、前へと進む。
「はやく……はやく……はやく!」
小さな唇が繰り返し紡ぐ言葉は、ただ一つ。
リオのもとへ行きたい――それだけだった。
この闇は冷たく、重い。
色も音も匂いもない、ただ黒く淀んだ虚無。
どこまで行っても果てが見えず、まるで時間すら存在しない世界。
――ああ、しってる。
胸の奥がずきりと痛む。
忘れていた記憶が、じわじわと滲み出してきた。
そうだ。かつて自分はここに閉じ込められていたのだ。
名もなく、姿もなく、誰からも気づかれず。
ただ漂うだけの存在。
呼びかけても声はなく、泣こうとしても涙は出ない。
自分が自分であることを証明するものは何一つなく、ただ「空白」として漂い続けたあの永遠にも似た時間。
(いやだ……)
震える。
忘れていた恐怖が、胸を締め付ける。
あの孤独に戻るくらいなら――どんな痛みも、どんな苦しみも耐えられる。
ただ、あれだけはもう二度とごめんだ。
――そのとき。
思い出す。
あの闇に、一筋の光が差し込んだ瞬間を。
「……リオ」
名前を呼ぶだけで、胸が熱くなる。
あの時、闇に沈んでいた自分を見つけてくれたのは彼だった。
他の誰でもない、彼。
そして――。
「ルミナ」
そう呼んでくれた。
初めて、自分に「名前」が与えられた。
初めて、世界に「居場所」を示してもらえた。
名を持つということが、こんなにも温かく、嬉しく、安心できるものだと、あの時の自分は初めて知った。
リオがくれたのは、ただの名前じゃない。
光だった。
暗い世界を照らす、唯一の、かけがえのない光。
――だから。
「リオ……」
彼がいないと駄目だ。
彼がいないと、またあの闇に閉じ込められてしまう。
ルミナの小さな身体から金色の光が溢れ出す。
まるで心そのものが燃えているかのように、彼女の姿は輝きを増していく。
飛ぶ速度がどんどん速くなる。
冷たい闇を裂き、温かな光の矢となって進んでいく。
あいたい。
だきしめたい。
おしゃべりしたい。
いっしょにわらいたい。
リオの隣で――当たり前のように過ごしていたあの時間が、どれほど尊いものだったか。
引き離されて初めて、その重みを思い知らされる。
胸の奥から、溢れて止まらない。
怖さも、切なさも、寂しさも、全部ひっくるめて――ただ一つの願いに変わる。
「リオ……っ!」
叫ぶと同時に、光が更に強くなる。
彼女の姿は一筋の金色の流星のように、闇を駆け抜けていく。
(はやく、はやく、はやく……!)
ただそれだけを願って。
――その先に、きっと彼がいる。
暗闇は確かに恐ろしい。
だけど、彼を思うだけで胸の奥が温かくなる。
彼が「ルミナ」と呼んでくれたあの日から、ずっと。
ルミナにとってリオは、光そのものだ。
なくしてはいけない光。
二度と手放してはいけない光。
だから――闇に戻るわけにはいかない。
震える指先を強く握りしめ、少女はただひたすらに飛んだ。
涙のような光の粒を零しながら。
金色の輝きが、暗黒の世界に道を刻みながら。
――その先に、リオが待っていると信じて。
管理者は善意で帰らせましたが・・・核地雷踏んじゃいました。