天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
ダンジョンの扉が静かに閉まる。
同時に、空気が変わった。
――そこに、いた。
白亜の広間。清浄で神聖な空間の、ただ一点に――
あまりにも不釣り合いな“黒い染み”のようなものが、そこにあった。
魔物。
四足の獣……そんな輪郭が一応ある。
でも、どう見ても獣じゃない。歪んだフォルム、自然界のどこにもいないおぞましさ。
体毛じゃなく、まるで肌そのものが黒い染料を流し込んだみたいな不自然な光沢を放ってる。
筋肉は異様なまでに膨れ上がっていて、牙も爪も常識外れに肥大化している。それはもはや「生きるための武器」じゃない。
――殺すためだけの形。
黒いよだれを垂れ流しながら、そいつはじっとこっちを睨んでいた。
目は真紅に発光し、瞳孔も見えない。
でも、わかる。そこに宿っているのは“殺意”だけ。
しかも、飢えや自己防衛なんかじゃない。ただ、純粋な“憎悪”。
「……入った直後にこれって、殺意高すぎだろ、このダンジョン」
呆れ混じりに、思わずため息が漏れた。怒る気も湧かない。
でも、じっくり観察すればするほど、背筋が冷たくなっていく。
――これは、やばい。
剣士としての、いや、それ以前にスカウトとして培ってきた危険察知が、全力で警報を鳴らしてる。
今まで〈暁の剣〉が“強敵”って呼んできた連中、あれはこいつと比べたら虫けらだ。
「……魔物、か?」
思わずつぶやいた。
明らかに自然界の存在じゃない。歪で、不快で、汚らわしく、見ているだけで理性が逆撫でされる。
その場にいるだけで、空間そのものが穢れていくような異常さがあった。
見れば見るほど、胸の奥から嫌悪と拒絶感が込み上げてくる。
本能が叫んでいる――“これは触れるべきじゃない”と。
……でも、あまりにも現実離れしてて、逆に冷静になった。
「……ああ、これは死ぬやつだ」
直感が、確信に変わる。
ちらりと出口――背後の扉に目をやる。
だけど、あの魔物は完全に俺をロックオンしてる。背中を見せて動いた瞬間、絶対に間に合わない。
「出ようとしたら殺されるな」
呟きながら、思考が一気に加速する。
脳が熱を帯びて、視界が異様にクリアになっていく。
“ゾーン”――強敵との戦いで、数秒だけ入るあの集中状態に、今は最初からずっと入っている。
こんなに長く、深くゾーンに入ったのは初めてだ。
「……手傷を負わせて、撤退するか?」
一瞬そう考えた。
だけどすぐに却下する。こいつは目を潰そうが脚を切ろうが、間違いなく殺しにくる。
退路を作るために手加減なんかしてたら、絶対に間に合わない。
なら――選択肢は一つ。
「……ま、いつも通りさ」
小さく笑みが漏れる。
初めて強敵と出会ったときも、仲間の命がかかった戦いも、ギリギリの中で何度も選んできた答えは変わらない。
――前に出て、叩き伏せる。
それが一番生存率が高いって、経験で知っている。
そして、それしかできない自分を今さら変えるつもりもない。
無言で剣を引き抜いた。
片手で剣を構え、重心を落とし、呼吸を整え、真正面から魔物の目を睨み返す。
どれだけ強かろうが、絶望的だろうが――やることは変わらない。
諦めない。ただ、それだけ。
「さあ……」
口の端が自然と上がる。
「冒険の始まりだ」
魔物が動いた。
――速い。
ゾーンに入った俺の目ですら、ギリギリで動きを捉えられるかどうかの速度。
一瞬で、殺意そのものの黒い塊が俺の懐に飛び込んでくる。
「――ッ!」
爪の一撃が、空間ごと断ち切る勢いで迫る。
地を滑るようにしてギリギリで避けた。空気が皮膚を切り裂く。
すれ違いざま、俺は逆手に持った剣を前足の関節めがけて振り下ろした。
硬い。
驚くほど、ありえないほどに硬い。
それなのに同時に、刃が弾かれそうになるほど妙な弾力があった。
(弾かれる……!)
直感が叫ぶ。
が――その瞬間、
剣が青白い光を帯びる。
「……っ!?」
光が一閃。
あの硬さも、弾力も、すべて意味をなくすように――俺の剣が、前足をあっさり断ち切った。
「今のは……?」
一瞬、疑問が頭をよぎる。
だが、魔物はまだ倒れていない。前足を失ったというのに、殺意は全く衰えない。むしろ、狂気を孕んだ戦意が、さらに濃くなっていく。
――やばい。
普通の敵じゃない、これは。
「集中しろよ、リオ……」
心の中で自分に言い聞かせる。
一度動きを見た、そして前足を一本落としたことで、わずかな隙、飛びかかる“前兆”がわかる。
肩、筋肉、尻――些細な動きで次の動作が読める。
(……ここだ!!!)
魔物が地を蹴る。
黒い稲妻のように、今度は首筋を目がけて一直線に飛びかかってきた。
俺は、その勢いを紙一重で避け、逆に魔物の懐に入り込む。
剣を逆手に持ち替え、渾身の力で――魔物の首へ叩き込んだ。
また、剣が青白い光を放つ。
(またか――!?)
刃は呆気ないほどに、魔物の太い首を切断した。
黒い頭が飛び、床に転がる。
だけど――終わりじゃない。
魔物の胴体は、首を失っても動きを止めない。
残った四肢で床を引っかく。肉を探しているような動きだ。
「しつこい……!」
ためらいなく、残った四肢を次々に切断していく。
右前脚、左前脚、後ろ脚も、迷いなく。
首をはねただけじゃ死なない。そんな予感があった。
ぐったりと動かなくなった胴体に、とどめとばかりに心臓めがけて剣を突き立てる。
ぐしゃり、と骨と肉を貫く感触。
どろりと黒い体液が溢れ、異臭が立ち上った。
しばらくの間、世界が静止していた。
俺は息を殺し、剣を構えたまま微動だにしない。
目の前に転がる黒い異形。血の気もなく、微かな振動も感じられない。
「……死んだ、のか?」
その瞬間、張り詰めていた全てがプツンと音を立てて切れた気がした。
ゾーン――あの異常な集中状態がふっと解け、俺の体は鉛のように重くなる。
今までに感じたことのない、全身を圧し潰すような疲労感。
神経を酷使し、限界を何度も超えた反動が一気に押し寄せてくる。
「まっず……」
このままだと本気で意識を失う。
慌ててポーチから小瓶を取り出すと、歯で蓋を引き抜いて中身を一気に流し込む。
――気付けと痛覚麻痺を兼ねる、劇薬一歩手前の強壮剤。
命の危険があるときだけ使う切り札だ。
(後で絶対地獄を見るだろうな……)
喉を焼くような苦い液体が体内に広がると、意識が急速にクリアになっていく。
今のうちにやれることをやらなきゃいけない。
改めて、転がる魔物の“遺骸”に目を向ける。
……魔物、というカテゴリに入るのかも怪しい。
そもそも、こいつは生き物だったのか?
見た目の異様さも、戦いの最中に感じたあの本能的な嫌悪感も、どう考えても常識の範疇を超えている。
でも、これが何なのか少しでも情報が必要だ。
危険と天秤にかけてでも証拠を回収するべきだと判断する。
腰から太い紐を取り出し、まずは首と四肢をひとまとめにして縛る。
体液がドロリと染み出しているが、なるべく触れないように慎重に作業を進める。
「重い……」
右足を持ち上げてみて驚いた。見た目より遥かに質量がある。
この強固な骨と高密度な筋肉――だからあの突進が可能だったのか。
戦いを思い返しながら、思わずため息が漏れる。
切り落とした各部位も全部まとめて、何重にも紐で縛り直す。
そのままズルズルと入り口まで引きずり始める。
「クソ、重いん……だよ!」
剣士として鍛え抜いた俺の体でもギリギリの重さだ。
肩も腰も悲鳴を上げているけど、ここで倒れるわけにはいかない。
なんとかダンジョンの出口までたどり着き、やっと外の光が見えた。
外で待機していた兵士たちの気配が近づく。
俺の姿を見て、一斉に騒然となる。
「リオ殿!?」「無事か!?」「あれは……なんだ!?」
兵士たちが駆け寄ってくるが、遺骸を見て一歩、二歩と後退する。
死んだはずのこいつから、いまだに強烈な不快感が漂っている。
言いようのない“穢れ”が、見る者全ての本能に警鐘を鳴らしているのだ。
遺骸を完全に外へ出し終えると、ダンジョンの扉が静かに閉じる。
ようやく、外の世界に戻ってこれたことを実感した。
兵士たちは遺骸の異様さに立ち尽くしている。
死体から発される負の気配は、今まで見てきたどんな魔物とも桁違いだった。
呼吸を整え、最後の気力を振り絞って指示を出す。
「……王国に……増援を要請してくれ。この遺骸を……二十四時間、複数人で監視しろ。……何が起こるかわからない」
声を出した瞬間、限界がきた。
世界がグラリと揺れ、膝が崩れる。
意識が遠のく中、騒然とした兵士たちの声と、禍々しい遺骸を睨むような視線が、ぼんやりと耳に残った。
――次に目を覚ましたとき、何が待っているのだろうか。
リオのダンジョン攻略はまだ始まったばかりだぜ?
最初の魔物に苦戦する、初々しいテンプレですね。
あっさり殺せた理由は追々。