天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ!   作:ナオ3

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やっと現実世界に帰ります。


37話 弔いの名

果てしない白の世界に、静寂が満ちていく。

先ほどまでの、ボールを追う楽しげな足音や、鈴が鳴るような笑い声は、心地よい余韻となって空間に溶けていた。

 

 

「ふにゃあ……」

 

 

遊び疲れたステラが、その場にぺたりと座り込んだ。

蒼い宝石のような輝きを放っていた毛並みが、心なしかぐんにゃりと萎れている。

今の彼女は、かつて世界を恐怖に陥れた女神の残滓ではない。ただの遊び疲れた、甘えん坊の子猫だ。その無防備な姿が、今の彼女が俺たちに抱いている安心感を何よりも雄弁に物語っていた。

 

 

「ふむん……」

 

 

同じく遊び疲れたルミナも、ステラの隣に腰を下ろす。

満足げに息を吐き、小さな手で額に浮かんだ汗を拭う仕草。

俺は二人の姿に目を細めた。

平和だ。

本当に、嘘みたいに平和だ。

外の世界では、国家間の陰謀だの、女神の悪意だの、胃に穴が開きそうな問題が山積みだというのに。

ここだけは、世界から切り離された揺り籠のように、優しい時間だけが流れている。

この温もりこそが、守るべき世界の縮図なのだと、改めて思う。

 

 

「はは、疲れたか?」

 

 

俺が声をかけると、ステラは尻尾をパタパタと振り、ルミナはこくりと頷いた。

全力で遊んで、全力で疲れる。

子供の特権であり、生命として最も尊い営みだ。

俺はこの光景を護りたくて剣を振るうんだ。

 

 

「……そろそろ、目を覚ます頃合いか」

 

 

隣で、それまで腕を組んで静かに見守っていたレオンハルトが言った。

その声は、夢の終わりを告げる鐘の音のように、静謐でありながら有無を言わせぬ響きを持っていた。

目を覚ます。

現実へ戻る。

その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に、すっぽりと抜け落ちていた「現実の状況」が鮮烈に蘇った。

待て。

ちょっと待て。

俺は今、現実世界でどういう状況だった?

記憶のリールを急速に巻き戻す。

神の力の影響でルミナが――大人の姿へと急成長した。

そして俺は、暴走しかけた彼女を止めるために抱きしめ、そして……。

 

 

「……あ」

 

 

記憶の中の映像が、一つの光景で停止する。

極彩色の衝撃映像。

大人の姿になった、絶世の美女ルミナ。

その豊満かつ柔らかな双丘に、俺は顔を埋(うず)めるようにして抱きしめられていた。

いわゆる、ぱふぱふ状態。

しかも、ルミナは全裸。

一糸まとわぬ姿だ。

その状態で、俺たちの意識だけがこの精神世界に来ている。

つまり。

今、俺が目を覚ますと、俺の目の前にはルミナの谷間があり、俺は彼女の裸体に顔を押し付けているわけだ。

 

 

「レ、レオンハルト!?」

 

 

俺は悲鳴に近い声を上げた。

顔から火が出るどころか、全身が発火しそうな羞恥が襲う。

 

 

「ルミナは、今は……!」

 

 

俺は必死に言葉を探した。

神の力が抑えられた事で子供に戻ったかもしれない。

でも、元に戻って無かったら...どうしよう。

『俺、今あの子の胸に顔を埋めてるんです!』なんて、口が裂けても言えるか!

しかも相手は、俺が尊敬してやまない伝説の英雄だ。

そんな人に見られたら、俺の尊厳は粉微塵になって消滅する。いや、もう手遅れかもしれないが、せめてその決定的瞬間だけは回避したい。

 

 

「現実はどうなってるのかわからない」

 

 

レオンハルトは、俺の動揺を察したのか、それとも最初から分かっていてあえて触れなかったのか。

彼は視線を俺から外し、虚空を見つめたまま淡々と言った。

 

 

「……見てもいいなら話は別だが」

 

「ごめん、後生だからやめて!!」

 

 

俺は即座に土下座の勢いで懇願した。

見てもいいわけがない。

彼に俺の情けなさ過ぎる姿なんて彼に見られたくない!

英雄の目の前で、妹のような、娘のような幼女(大人ボディ)の胸に顔を埋めてふやけている男。

そんな姿を見られたら、俺はもう二度と彼の顔を直視できない。自害ものだ。

レオンハルトは目を閉じ、深いため息をついた。

その表情には、呆れというよりも、微笑ましい色が混じっている気がした。

 

 

「わかった。……とりあえず、ルミナの神の力は抑えられてる筈だ。危険は無いだろう」

 

 

彼は「見ない」と約束してくれた。

その紳士的な対応に、俺は心底救われた思いだった。

だが同時に、これから訪れる現実への覚悟も決めなければならない。

最悪を想定したほうがいい。

子供状態に戻っていない事を。

 

 

(覚悟するしかねぇ……!)

 

 

目を覚ました瞬間の、あの甘美かつ背徳的な状況を、いかにして紳士的に、かつ迅速に解除するか。

これは難易度の高いミッションだ。

そんな俺の葛藤を知ってか知らずか。

 

 

「あっ、レオくん」

 

 

不意に、ステラが声を上げた。

レオくん!?

俺は耳を疑った。

今、この猫(女神)、伝説の英雄に向かってなんて言った?

レオンハルトが、ゆっくりとステラに視線を向ける。

 

 

「どうした?」

 

 

あっさり流した!?

怒らないのか? 不敬だぞ?

いや、レオンハルトと呼び捨てしてる俺が言えたことじゃないけどさ。

それにしても、レオンハルトの許容範囲が広すぎる。

彼にとってステラは、ただの「友人の飼い猫」扱いなのだろうか。

ステラは、レオンハルトの足元にトテトテと歩み寄ると、見上げながら言った。

 

 

「もっと話を聞きたいけど、機会はあるよね?」

 

 

その瞳には、かつて彼に向けられていた恐怖の色はもうない。

あるのは純粋な好奇心と、親愛の情。

猫じゃらし合戦とボール遊びを通じて、何かが通じ合ったのだろうか。

レオンハルトは、その視線を柔らかくステラに注いだ。

 

 

「ああ、勿論だ」

 

「わかった」

 

 

ステラは満足そうに尻尾を立てた。

約束を取り付けた子供のように、嬉しそうだ。

 

 

「レオ」

 

 

続いて、ルミナが口を開いた。

ルミナまで!?

俺は驚愕で口がパクパクと動いた。

その人、英雄の中の英雄だよ!

この国の、パルシリアの守護神とも言える存在だよ!

そんな相手を、レオ呼ばわりとは。

ルミナ...恐ろしい娘!

ルミナは、レオンハルトの真正面に立った。

ルミナは一歩も引かず、その大きな瞳でレオンハルトを見上げ、宣言した。

 

 

「リオはまかせて」

 

 

凛とした声だった。

それは、甘えや願いではない。

明確な意思表示であり、決意の表明だった。

レオンハルトの眉が、ピクリと動く。

 

 

「頼む」

 

 

彼は短く応じた。

否定も、嘲笑もしない。

一人の対等な存在として、ルミナの言葉を受け止めたのだ。

ちょっと?

話が進みすぎてて、俺だけ置いてけぼりなんだが?

 

 

「ルミナさん?」

 

 

俺が恐る恐る声をかけると、ルミナはこちらを向かずに、背中で語るように言葉を続けた。

 

 

「リオはわたしがまもる」

 

 

そして、再びレオンハルトを見据える。

 

 

「レオにまけない」

 

「……っ!」

 

 

俺は息を呑んだ。

対抗心?

ルミナが、レオンハルトに対して?

 

 

(どうしたんだ、ルミナ? 何でレオンハルトに対抗心を抱いているんだよ?)

 

 

今の言葉には、単なる独占欲とは違う響きがあった。

「守る」という役割において、レオンハルトをライバル視しているような。

あるいは、「私が一番リオの近くにいる資格がある」と、誰よりも彼に対して主張しているような。

レオンハルトは、そんなルミナの挑戦的な視線を真正面から受け止め、やがて苦笑を漏らした。

それは、生意気な子供を見る目ではない。

成長した我が子を眩しく思うような、そんな温かい苦笑だった。

 

 

「そうか」

 

 

彼は一言、そう呟いた。

普通なら胃が痛くなる状況だが、なぜか嫌な感じはしなかった。

むしろ、胸の奥が温かくなるような、奇妙な居心地の良さがある。

レオンハルトが、ふと俺に向き直った。

 

 

「リオ」

 

「は、はい」

 

 

反射的に背筋が伸びる。

 

 

「お前も呼んでもいい」

 

「え?」

 

「レオンハルトなんて長ったらしいだろう? レオでいい」

 

 

彼は事もなげに言った。

俺は目を白黒させた。

 

 

「いや、でも……」

 

 

さすがにそれは無理だ。

畏れ多すぎる。

国民的英雄を愛称で呼ぶなんて、恐れ多すぎ!!

いや、本当に今更なんだけどさ...

 

 

「構わん。俺は『レオンハルト』を名乗る誰かだからな」

 

 

彼は肩をすくめて言った。

 

 

「……!」

 

 

そうだった。

彼は、本物の「レオンハルト」ではない。

その名を名乗る別人だという設定だった(俺たちの中では)。

だから、彼にとって「レオンハルト」という名は、あくまで偽名に過ぎないのだ。

そういや、そういう設定だったなぁ。

レオンハルト本人じゃないということになってるけど……。

俺は彼の顔をまじまじと見た。

その圧倒的な実力。カリスマ性。

そして、時折見せる深すぎる知恵と優しさ。

どう考えても、偽物ではない。

やっぱ無理があるよ、レオンハルト...

だが、彼がそう言うなら、そういうことにしておくのが礼儀というものだろう、俺もその御蔭で気安く接する事が出来てるし。

 

 

「わかったよ……レオ」

 

 

俺は、意を決してその名を口にした。

舌の上で転がる、短い響き。

 

 

「レオ」

 

 

呼んでみると、不思議なほどにしっくりときた。

まるで、ずっと前からそう呼ぶべきだったかのように。

胸のつかえが取れ、彼との距離が一気に縮まったような感覚。

血の繋がりなどないはずなのに、魂が共鳴するような親近感。

レオンハルト――いや、レオの表情が、ふわりと緩んだ。

鉄仮面の下にある、人間らしい素顔が覗いた瞬間。

 

 

「ああ、そっちの方がしっくりくる」

 

 

彼は満足げに頷いた。

 

 

「そうなのか?」

 

「俺の本来の名前は、短くて呼びやすい名前だったんだ」

 

 

レオは遠い目をして語り始めた。

それは、彼が初めて語る、自身の「過去」の欠片。

 

 

「それが威厳を出す為だとかなんとかで改名する羽目になったんだ、まったく」

 

 

やれやれ、とでも言うように溜息を吐くレオ。

その仕草は、伝説の英雄というよりも、中間管理職の苦労人のようで、俺は思わずクスリと笑ってしまいそうになった。

英雄にも、名前一つで苦労するような人間臭い事情があったのか。

俺は、好奇心を抑えられなかった。

彼の「本当の名前」。

仮面の下の素顔に触れるための、鍵となる言葉。

 

 

「へえ、本来の名前を聞いてもいいか?」

 

 

聞いてはいけないかもしれない。

それは、彼が捨て去った過去そのものかもしれないから。

だが、聞きたかった。

「レオンハルト」という重い鎧を脱いだ、ただの一人の男としての彼を。

レオは一瞬、言葉に詰まったような間を置いた。

拒絶ではない。

懐かしむような、そして少しだけ痛みを堪えるような沈黙。

 

 

「……すまんが、名乗るつもりは無い」

 

 

彼は静かに首を横に振った。

 

 

「息子にあげたんだ」

 

「あっ」

 

 

俺の喉から、小さな声が漏れた。

思考が、凍りついた。

息子。

その単語が持つ意味の重さに、俺は戦慄した。

レオンハルトの悲劇を思い出す。

かつて、彼の親友であった初代レオンハルト。

その妻と、お腹の中にいた子供が、建国王の長子によって無残に殺されたという話。

そして、その悲劇こそが、建国王による「聖約」という呪いを生み出すきっかけとなった。

レオが言う「息子」とは。

その時、生まれることなく命を落とした子供のことではないのか?

 

 

(息子、か)

 

 

俺の胸が締め付けられる。

 

 

(レオンハルトの子供が無事に産まれたら、男の子だったのか?)

 

 

もし、悲劇が起きなければ。

「レオンハルト」という重責を背負うことなく、一人の父として。

本当の名前で生きていけたのでは?

 

 

(産まれる前に死んだ息子に、自分の名を与える、か)

 

 

亡き子に、自分の名を与える。

それは、供養のためか。

それとも、自分の半身を持っていってほしかったのか。

あるいは、自分が「自分」であることを捨てて、人間としての自分を死んだ息子に託したのか。

 

 

(……そこにどんな想いがあるのか、俺には推し量れないな)

 

 

あまりにも重い。

あまりにも切ない。

俺が軽々しく「わかった」なんて言える話ではない。

彼が「名乗るつもりはない」と言った理由が、痛いほどに分かった気がした。

彼の「本当の名前」は、息子の墓標の下に眠っているのだ。

 

 

「そっか」

 

 

俺は、精一杯の敬意と哀悼を込めて言った。

 

 

「そんな大きなものをあげたんだな、レオ」

 

 

自分の名前。アイデンティティ。

それを全て捧げるほどの愛。

彼は、どれほどその子を愛していたのだろう。

会うことすら叶わなかった我が子を。

レオンハルトは、俺の言葉を聞いて、一瞬だけ目を見開いた。

何かを言いかけ、そして止めた。

その瞳の奥には、複雑な感情が揺らめいていた。

 

 

「……ああ」

 

 

彼は短く肯定した。

その声は、震えていたようにも聞こえた。

肯定の言葉の裏にある、万感の想い。

俺には、それが「悲しみ」に聞こえた。

だが。

 

 

「ルミナ……!?」

 

 

ふと気付くと、ステラが不思議そうに首を傾げ、ルミナが悲痛な表情で俺たちを見つめていた。

ステラは、状況がよく飲み込めていないようだ。

キョトンとして、俺とレオを交互に見ている。

対照的に、ルミナの反応は劇的だった。

彼女は、泣き出しそうな顔をしていた。

唇を噛み締め、大きな瞳が潤んでいる。

ルミナの瞳が揺れている。

ルミナ、どうしたんだ?

俺とレオの会話の、何がルミナの琴線に触れたんだろう。

わからない。

俺には、ルミナの涙の理由が完全には理解できなかった。

ただ一つ分かるのは、今、この空間に満ちている感情が、単なる悲しみだけではないということだ。

愛おしさ。切なさ。

それらが複雑に絡み合い、言葉にならない奔流となって俺たちを包み込んでいる。

 

 

「……そろそろ、戻るぞ」

 

 

レオが、静かに告げた。

その声が、感情の渦を断ち切る合図となる。

世界が揺らぎ始める。

果てしない白が、徐々に薄れていく。

現実への帰還。

俺たちが目を覚ます時が来た。

 

 

「リオ」

 

 

消えゆく意識の中で、ルミナが俺の手を強く握った。

 

 

「ぜったいに、まもるから」

 

 

その言葉は、誓いだった。

誰に対しての、何に対しての誓いなのか。

その答えを聞く前に、俺の意識は白の世界から引き剥がされ、温かく柔らかい――そして、とてつもなく危険な現実へと落ちていった。




レオネル、レオン、レオンハルトとレオレオが多くなってしまいました。
紛らわしいでしょうが勘弁して下さい。

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