天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
ヴァリウスさんとの対話は、重苦しい沈黙の中で一旦の区切りを迎えた。
王城の一室。外部からの干渉を一切許さない、強固な防音結界と認識阻害の魔術が何重にも施された密室。そこは先程までよりもずっと、息苦しいほどの緊張感に包まれていた。
俺は、精神世界で出会った『始まりの騎士』レオンハルト――レオから託された真実を、ただ淡々とヴァリウスさんに伝えた。
神殺し、そして何より、あの女神の残滓たる『仮想神格』の恐るべき目的について。
ステラの尊厳に関わる「ルミナフィンガー事件」についての詳細は伏せた。情報を隠すのが悪手なのはわかっているが、あれだけはどうしても言えなかったからだ。ヴァリウスさんも何かを察したようだが、事情を口にできないと頼み込むと、それ以上は踏み込まずに引き下がってくれた。
それ以外の、この世界を根底から覆しかねない世界の真理とも呼べる情報を、俺はすべて目の前の大魔法使いに打ち明けた。
全てを聞き終えた王国筆頭魔法使い、ヴァリウス・エル・グランツは、氷のように澄んだ瞳を伏せ、深く、重い溜息を吐き出した。
「……予想以上に、深刻だな」
その声は、普段の冷静沈着な彼からは想像もつかないほど、疲労と苦悩に満ちていた。端正な顔立ちに刻まれた険しい皺が、事態の異常性を物語っている。
彼は腕を組み、鋭い視線を俺へと向けた。
「リオ。お前に命じる。仮想神格の目的を他言することを、固く禁ずる。最悪、ダンジョンの事やマテリアルの事は話しても構わん。だが、あの仮想神格の真の目的だけは……絶対に言うな」
その強い語気に、俺は思わず目を見張った。
「良いのですか?」
俺は問い返す。
「ダンジョン、特にマテリアルの事は、王国にとっても最高レベルの国家機密なのでは……?」
マテリアル。神域ダンジョン『ヴァージニア』からのみ産出される、その奇跡の物質について、俺は詳細なことまでは知らない。
だが、ある程度推察出来る。
あのパルシリア王国騎士団長、最強の騎士と名高いレオネル様――その愛する妻であるアンナ様を救ったのが、ルナ・マテリアルと呼ばれる物質なのだ。
アンナ様は、王国が持つすべての魔法技術、医療技術を注ぎ込んでも救うことは不可能だったと聞いている。
それを可能にした奇跡の代物。
それが、もし白日の下に晒されればどうなるか。
俺のような一介の冒険者であっても、容易に想像がつく。欲望に駆られた者たちによる、血で血を洗う争奪戦。パルシリア王国という国の根幹を揺るがし、下手をすれば戦争すら引き起こしかねない特大の火種だ。
それほどまでの国家機密を「最悪、話しても構わない」と言うのだ。
「良くない。全くもって良くないが……仕方が無い」
ヴァリウスさんは、片手で自身の顔を、その澄んだ目を覆うようにして、低く、自嘲するように笑った。
「少なくとも、マテリアル絡みの欲望が引き起こす騒動の方がまだマシだ。対処のしようがある。……だが、仮想神格の目的だけは駄目だ。絶対に」
ヴァリウスさんは覆っていた手を離し、俺の目を真っ直ぐに射抜いた。
「今までこの世界で起きた数々の悲劇が、愛する者を理不尽に奪われた絶望が、すべてあの仮想神格が自身の身体を取り戻す為に仕組んだ『茶番』であったと……? もしその真実が公になればどうなるか。特に、この国に逃れるようにして移民してきた者達がこの事を知ればどうなるか……想像つくか、リオ?」
「……怒り狂うでしょうね」
俺は、静かに、だが確信を持って答えた。
「そうだ。彼らは故郷で、理不尽に自分自身や、何よりも大切な人達を無惨に踏み躙られた者が大半だ。心に消えることのない深い傷と、行き場のない憎悪を抱えながら、それでもこのパルシリアでどうにか前を向いて生きようとしている」
ヴァリウスさんの言葉が、重く室内に響く。
「彼らの抱える絶望が、一個人の……いや、一柱の神格の身勝手な目的のための『茶番』だったと知れば、彼らの心の中にある黒い炎は、決して制御できない規模で爆発する。……特に、『征伐騎士』と呼ばれる者たちが王国の制御を離れるのは、極めて不味い」
「征伐騎士……」
俺はその言葉を口の中で反芻した。
「……実在したのですか?」
冒険者として酒場やギルドに顔を出していれば、酔っ払いたちの噂話として耳にすることはあった。
「復讐鬼の集まり」「一切の感情を捨て去った殺戮兵器」「他国で暗躍する王国の裏の刃」――。
どれもこれも尾鰭がついたような話ばかりで信憑性が薄く、俺はずっと何処にでもあるホラ話、あるいは吟遊詩人が作り上げた都市伝説の一つだと思っていた。
「ああ。実在する」
ヴァリウスさんは淡々と事実を告げた。
「すべてを失った移民達の中で、特に強い憎悪と復讐心を抱いた者たちで構成された特務騎士団だ。主に外国での非公式な活動、汚れ仕事を主としている。……あの、憎悪という名の泥を人の皮で包んだような、復讐のためだけに呼吸をしているような奴らが、すべての元凶がただの茶番だったと知れば、どうなるか……」
想像するだけで背筋が凍った。
彼らは間違いなく、すべてを焼き尽くすまで止まらない狂気の集団と化す。
俺は思わず、ルミナの小さな顔を思い浮かべていた。幼く、純粋で、俺のことを慕ってくれるルミナ。
……もし、あの娘が誰かの身勝手な目的のために傷つけられ、理不尽に踏み躙られたとしたら?
俺はどうなる?
間違いなく、俺も怒り狂う。理性など消し飛び、その元凶をこの手で八つ裂きにしてもなお、怒りは収まらないだろう。この身が焼け焦げようとも、世界を敵に回してでも、復讐を成し遂げようとするはずだ。
征伐騎士とは、つまり、俺にとってのルミナのような「絶対的な存在」を踏み躙られた者達の成れの果てだったのか……。
彼らの底知れない絶望と憎悪が、ほんの少しだけ、肌感覚として理解できた気がした。
「国防の観点、そして何より、これ以上の悲劇を生まないために……それだけは絶対に阻止したい」
ヴァリウスさんの声には、王国を守る者としての強い覚悟が滲んでいた。
「仮想神格の目的に関する情報を誰に伝えるかは、国王陛下を含めた国家上層部だけで慎重に判断する。お前は、この件に関しては完全に黙秘してくれ」
「わかりました。決して口外しません」
俺は深く頷いた。隠し事をするのは心苦しいが、これはそういう次元の話ではない。知ることが不幸に直結する真実というものがあるのだ。
「……リオ、聞かせて欲しい」
不意に、ヴァリウスさんが声音を変えた。先程までの司令官のような響きから、どこか一人の人間としての、静かな問いかけへと。
「お前は、あのダンジョンを……『ヴァージニア』を攻略する気はあるのか?」
「……」
「お前はもう、十分に過酷な真実を知ってしまった。これ以上首を突っ込めば、命の保証はないし、心が壊れるような思いをするかもしれない。ここで降りるというのなら、断っても誰も責めはしない。……お前の本心を聞かせてくれ」
ヴァリウスさんの氷のような瞳の奥に、わずかな気遣いの色が見えた。
王国筆頭魔法使いとして、俺という強力な駒を手放したくないはずなのに、あえて逃げ道を用意してくれている。これは、彼の優しさだ。
だが、俺の心はとうに決まっていた。
迷いなど、一欠片もなかった。
「はい。俺はあのダンジョンに挑みます」
真っ直ぐに、ヴァリウスさんの目を見返して宣言する。
「俺の大切な人達の居場所を、守りたいんです」
孤児院で共に育ち、家族のような絆で結ばれたゼイン、ミリア、ガイル、レイナ。彼らが笑って暮らせる明日を。
そして、ルミナ。あの純真な少女が、怯えることなく、安心して眠り、無邪気に笑える場所は、このパルシリア王国以外に無い。この国が、世界が、あの狂った女神の目的のために崩壊し、無くなるようなことは、決して許容できない。
ステラ。
彼女は、あのダンジョンに囚われ、穢れに染まりきって業魔と化してしまった魂たちを救いたいと願っていた。その途方もない悲しみと優しさに触れた俺は、彼女の助けになってやりたいと心から思ったのだ。
彼女の切なる想いに応えたい。
「……そうか」
ヴァリウスさんは、わずかに目元を和らげた。
「どんな理由であれ、最前線で戦ってくれる事にお前には感謝する、リオ。……国を動かす政治や、裏の工作、情報の統制といったドロドロとした話は俺達大人が引き受ける。お前はただ前を見て、ダンジョン攻略に専念するんだ」
「お願いします」
俺が頭を下げると、ヴァリウスさんは姿勢を正し、再び魔法使いとしての鋭い顔つきに戻った。
「ならば、お前が生き残り、目的を果たすために……使える手段を増やさんとな」
「それは、どういう意味ですか?」
俺の問いに対し、ヴァリウスさんはこともなげに言った。
「魔法を教えてやる」
「……え?」
一瞬、時が止まったかと思った。
俺に……魔法?
剣を振るうことと、斥候としての身のこなし、そして家事全般なら誰にも負けない自信がある。だが、魔法は。
背中に、じっとりと冷たい汗が流れるのを感じた。
「最初に出会った時のことを思い返してみてくれ」
ヴァリウスさんは俺の動揺に気づいているのかいないのか、淡々と話を続ける。
「俺は、お前たちとの会話の際、周囲に防音結界を敷いた。覚えているか?」
「え、ええ……」
思い出す。彼と初めて対面した時のこと。
俺の目の前で何の前触れもなく、詠唱もなく展開された、あの異常なまでに緻密で高度な魔法。
「あの結界は、ただ音を遮断するだけじゃない。『迷彩効果』も何重にも付与しているんだ」
ヴァリウスさんは自身の魔法の構造を解説し始めた。
「自分で言うのもおこがましいが、俺の張ったあの結界は並の一流魔法使い程度では、そこに『結界が存在する』という事象自体に気付くことすらできん。風景に溶け込み、魔力探知もすり抜ける。……なのに、お前はどうした?」
ヴァリウスさんは身を乗り出し、俺を指差した。
「お前は、結界が張られた瞬間にそれを知覚し、あろうことか一瞬でその迷彩のロジックを抜き、結界の多重構造そのものを正確に見抜いてみせた。……あんな真似、王国一と謳われる俺にだって不可能だ」
「それは……ただ、見えたというか、感覚的なもので……」
言い訳じみた言葉が口から漏れる。
だが、ヴァリウスさんは首を横に振った。
「それだけじゃない。お前は俺ですら観測出来なかった『ルミナ』という存在を、認識することが出来た。お前の持つその規格外の『目』――事象の深淵を覗き込むような特異な知覚能力が関係していないとは、到底思えん」
「……」
返す言葉がなかった。
俺自身、自分のこの『目』が何なのか、よくわかっていないのだから。
「間違いなく、お前に魔法使いとしての才能は……いや、才能という言葉すら生ぬるい、圧倒的な資質がある」
ヴァリウスさんの言葉には、一片の疑いもなかった。
「いいか、リオ。魔力の総量や出力といったものは、後天的な訓練や、魔道具、あるいは外部からの供給で幾らでもカバー出来る。だが、世界を正確に観測し、事象の理を理解する『目』……これは完全に生まれ持った才能だ。努力でどうにかなる領域ではない」
彼は諭すように語る。
「魔法使いにとって何よりも大事なのは魔力を練ることではない。『世界を認識する事』だ。世界がどのように構成され、どのような法則で動いているのか。それを正しく知ることで、初めて世界に干渉し、改変する技術たる『魔法』が使えるようになる。……その一点においてのみ言えば、お前はすでに俺以上の才能を持っているぞ、リオ」
王国筆頭魔法使いからの、最大限の賛辞。
普通であれば、飛び上がって喜ぶべきことなのだろう。
だが、俺の心は冷え切っていた。
胃の腑が重く沈み込み、指先が微かに震え始める。
……ここまで来たら、誤魔化しはきかない。正直に話すしかない。
長年連れ添った幼なじみである、ゼインやガイル、レイナ、ミリア……誰一人として話さなかった、俺の秘密を。
「俺は……魔法を使えません」
絞り出すように、俺は言った。
「……使おうとしても、駄目だったんです」
その言葉を聞いても、ヴァリウスさんは驚いた様子を見せなかった。表情を一切変えず、ただ静かに頷く。
「だろうな。あれほどの『目』を持ちながら、お前からは一切の魔力行使の痕跡が感じられなかった。お前が魔法を使えないこと、あるいは使わないことには、俺も以前から疑問を抱いていた。……何か、事情があるのか?」
「……簡単な、本当に初歩的な生活魔法の類ですら、使おうとすると……激しい頭痛がするんです」
俺は己の症状を説明する。
「頭が割れるように痛んで、視界が歪んで……酷い時は、そのまま気絶してしまう位に。身体が、魂が、魔法を使うことを拒絶しているような……そんな感覚なんです」
「そうか……」
ヴァリウスさんは顎に手を当て、深く思案する。
「……心因性のものか?」
「俺も、それは考えてみました。何か過去に、魔法絡みでひどい目に遭ったんじゃないかって。でも……」
俺は首を振った。
「俺に、魔法に対するトラウマなんて、一切ありませんよ? 孤児院で育った俺にとって、魔法は憧れでした。怖いものだなんて思ったことは一度もないんです」
そう、どう記憶の糸を辿ってみても、魔法がトラウマになる様な事件や事故の記憶は存在しない。
俺の記憶している限り、だが。
「……ふむ」
ヴァリウスさんは目を閉じ、己の知識の膨大な海の中を探るように沈黙した。
時計の針の音だけが、静寂の部屋に響く。
やがて、彼はゆっくりと目を開いた。
「ヴァリウスさん……?」
「俺は、お前と同じような……その事象の深淵を覗き込むような、規格外の『目』を持つ魔法使いに、一人だけ心当たりがある」
「…………!」
ドクン!!!
心臓が、肋骨を突き破らんばかりに、大きく跳ねた。
え?
何だ、今の。
全身の血が、一瞬にして逆流したような、異様な悪寒。
「彼女は、お前が精神世界で会ったという、始まりの騎士レオンハルトの妻であり」
やめろ。
内なる声が、警鐘を鳴らす。
これ以上聞いてはいけない。
耳を塞げ。
逃げろ。
「かつて『終わりの聖女』と呼ばれた、偉大なる魔法使いだ」
「………………」
ドクン! ドクン!! ドクン!!!
鼓動が、異常な早さで大きくなっていく。
耳鳴りがひどい。
キーンという甲高い音が脳内を支配し、周囲の音が……ヴァリウスさんの声が、遠く、水の中にいるようにくぐもって聞こえなくなる。
世界から、音が消えていく。
口の中がカラカラに乾き、舌が上顎に張り付く。
息が。
息が吸えない。
「ハッ……ァ……」
肺が酸素を求めて痙攣しているのに、気道が閉ざされたように空気が入ってこない。
身体が、ガタガタと、意志とは無関係に激しく震え始める。
何だこれ。
なんだ。
なんだ、なんだ、なんだ。
「彼女の名は――」
ヴァリウスさんの唇が動く。
その形が、無音の世界で、スローモーションのように俺の目に焼き付く。
俺は思わず、その言葉を遮るように、自分の口からその名前を紡いでいた。
呼んでしまった。
認識してしまった。
封印されていたはずの、思い出しちゃいけない、思い出してしまったら俺が俺でなくなってしまうような、そんな名前を。
「――アリアンナ」
それは、言ってはならない名前だった。
それは、呪い。
それは、鍵。
平穏な日常の皮を被った俺の精神の奥底、その最深部に厳重に施錠されていた、地獄に通ずる扉を開くための、たった一つの鍵。
カチャリ、と。
脳内で、錆びついた重い錠前が外れる音がした。
ヴァリウスさんに悪意は一切ありません。
名前だけならこうはなりませんでしたが、色々な要因が重なり過ぎてしまいました。