天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ!   作:ナオ3

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42話 原初の『罪』

「アリアンナ」

 

 

その名が鼓膜を震わせ、脳髄の奥底へと到達した瞬間。

俺の世界は完全に静止した。

呼吸も瞬きも、心臓の鼓動すらもがピタリと止まった。

ヴァリウスさんの端正な顔立ちが微かに動いている。彼の唇が何か次の言葉を紡ごうとしているのが見える。しかしその声は一切俺の耳には届かない。

静止した世界の中で、俺の意識だけが異常な速度で回転し始めていた。

 

 

(そうだ。何故?)

 

 

真っ先に浮かんだのは、純粋な、そしてあまりにも巨大な『疑問』だった。

俺はレオンハルトの死んだ子供のことばかりに気を掛け、その悲劇に心を痛めていた。

だが。

そこで俺の思考は奇妙な空白に行き当たる。

 

 

(レオンハルトの死んだ子供の事にはあれだけ気を掛けていたのに。何故、『アリアンナ』の存在だけがすっぽりと抜け落ちていた?)

 

 

子供がいるのなら、当然その子供の『母親』がいるのが道理だ。命は無から生じるわけではない。母の胎内で育まれ、この世に生を受ける。

そして歴史の真実は、母親ごと子供を殺されてしまったと語っている。

それなのに俺は子供のことしか気にしていなかった。いや、違う。「気にしていなかった」のではない。「意識することができなかった」のだ。彼の最愛の妻であり子供の母であるその女性の存在を、俺の脳は意図的に、あるいは強制的に『空白』として処理していた。

一度その巨大な矛盾に気づいてしまうと、そこを起点として次々と更なる疑問が脳内に溢れ出す。

 

 

(ありえない)

 

 

自身の記憶の異常性に、背筋に冷たいものが走る。

レオンハルトの最愛の妻、アリアンナ。

それはこのパルシリア王国で生きる者であれば、誰一人として知らないはずのない名前だ。

彼女はパルシリア王国の前身である巨大な帝国の姫であった。そして同時に、あの規格外の強さを誇るレオンハルトと死闘を繰り広げた、比類なき最強の魔法使い。

レオンハルトの英雄譚を語る上で、アリアンナという存在は絶対に欠かすことができない。二人の出会いは敵同士であり、戦場での激突から始まった。英雄レオンハルトを唯一、幾度も死の淵まで追い詰め、圧倒的な力で敗北を味わわせた大魔法使い。

戦場で彼女に出会えば必ず『終わり』をもたらされるとして、畏怖と絶望を込めて『終わりの聖女』と称された帝国の姫。

相反する二つの星が戦場という夜空で激突し、やがて反発から理解へ、そして深く決して断ち切ることのできない愛へと変わっていった。そのロマンティックで血生臭い伝説は、吟遊詩人たちが好んで歌う定番の演目であり、御伽噺の最高峰でもある。

そんな超重要人物の存在が一切意識の片隅にも上らなかったなど、絶対にありえない。

 

 

「どうした、リオ?」

 

 

遠くで微かにヴァリウスさんの声が聞こえた気がした。彼の氷のように澄んだ瞳が俺の異変を察知し、僅かに揺らいでいる。

だがその声も気遣いも、今の俺の意識には全く届かない。厚い壁に遮られ、意味を持たない音の波として素通りしていく。

俺の脳はただひたすらに、ただ狂気的なまでに「アリアンナ」のことしか考えられなくなっていた。

閉ざされていた記憶の扉がミシミシと音を立ててこじ開けられていく。鍵が壊れ、錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、その奥底に隠蔽されていた真っ黒なヘドロのような情報が俺の意識の海へと雪崩れ込んでくる。

 

 

(思い出した)

 

 

知っている。俺はその真実を、本当はずっと前から知っていたのだ。

世界最強の魔法使いである彼女が、なぜ殺されてしまったのかを。

 

 

(アリアンナは、妊娠している最中に殺されたんだ)

 

 

この世界の魔法使いにおける絶対的な常識。それは市井で生きる者たちですら知っている理。

――女性の魔法使いは、体内に別の生命を宿す妊娠期間中、魔力のパスが激しく乱れ、一切の魔法が使えなくなる。

それは母体にとって極めて精緻な魔力コントロールを要求される事態であり、自己と他者の魔力が混線することを防ぐための、生命の防衛本能とも言える現象だった。

どれほど強大な魔力を持つ大魔法使いであろうと、この生命の理から逃れることはできない。例外はない。

 

 

(だから……最強の魔法使いであったはずの彼女は、なすすべもなく殺されてしまった)

 

 

『終わりの聖女』。天を焦がし大地を割り、一軍を単機で壊滅させるほどの圧倒的な暴力の化身。もし彼女が万全の状態であったなら、暗殺者など千人いようが束になって掛かってきても、瞬きする間に灰燼に帰していただろう。

だがその時の彼女は、お腹に愛する人の子を宿しただけのか弱い一人の女性だった。

 だからこそレオンハルトの留守を預かる彼女への警戒は、異常なほどに厳重であったはずだ。王国の精鋭が彼女を護衛し、何重もの結界が屋敷を覆っていたに違いない。

だが悲劇は外部からの攻撃によってもたらされたのではなかった。

レオンハルトが遠征に出ている最中に。

彼女を、そしてお腹の子供を絶対に守り抜くはずの人間によって彼女は殺された。

レオンハルトの無二の親友であり、このパルシリアの建国王の長子。

一切の抵抗も許されず、最強の魔法使いはその命を腹の中の希望と共に理不尽に刈り取られた。

 

 

(……俺は、何故こんな大事な事を今まで完全に忘れていたんだ?)

 

 

怒り、悲しみ、そして恐怖。様々な感情が入り混じり、俺の思考は熱を帯びて沸騰し始める。

こんな強烈な歴史の事実。建国の闇。パルシリア王国の成り立ちにおける、最も重く悲惨な出来事。

それをどうして「知らなかった」かのように生きてこられた?

 

 

(忘れる訳がない。教わった筈だ。孤児院にいた頃、レオル教の洗礼を受ける際に神父様から直接聞かされた筈なんだ!)

 

 

記憶がフラッシュバックする。

孤児院の子供たちが一定の年齢に達すると受けさせられる、国教であるレオル教の洗礼の儀式。

教えと共にこの国の成り立ち、英雄たちの偉業と、そして絶対に忘れてはならない『悲劇』が語り継がれる場。

 

 

(そうだ。あの時……)

 

 

神父が重々しい口調で、レオンハルトの妻アリアンナとその胎内にいた名もなき赤子の凄惨な最期を語った時。

隣に立っていたミリアは幼い顔をくしゃくしゃにして、ボロボロと大粒の涙を流して泣いていた。彼女の優しい心は歴史上の人物の悲劇であっても、まるで身内の不幸のように悲しんでいた。

ゼインも唇を噛み締め、小さな拳を強く握りしめていた。

ガルドは大きな体を丸めるようにして、悲痛な顔で祭壇を見つめていた。

レイナも静かに目を閉じ、胸の前で手を組んで、失われた命のために懸命に祈りを捧げていた。

周囲の子供たちは皆一様に悲しみに暮れ、あるいは残酷な事実に怯え、感情を揺さぶられていた。

 

 

(そして俺は……俺はその時、どうしていた?)

 

 

記憶の中の自分を俯瞰して見下ろす。

他の子供たちが涙を流し祈る中。

俺だけが。俺一人だけが、呆然とただその場に突っ立っていた。

 

 

(怒りも悲しみも無く。ただ魂が抜け落ちたように茫然自失になっていた)

 

 

あのアリアンナの死、赤子の死を聞かされた瞬間。

俺の心の中では悲劇に対する同情ではなく、言語化できない巨大な『何か』が暴れ狂っていた。それは恐怖だったのか絶望だったのか、あるいは自分自身の存在根幹を揺るがすようなナニカだったのか。

心という器がその情報の質量に耐えきれず、完全に機能停止を起こしたのだ。

 

 

(そして……それから一晩経ったら、俺はアリアンナの事だけを完全に『忘却』したんだ)

(ありえない。いくらなんでもそんな忘れ方があるはずがない)

 

 

誰かの洗脳か? 強力な精神操作の魔法でも掛けられたのか?

いや、それもおかしい。これはパルシリア王国の常識中の常識だ。国民全員が知っている歴史を、一介の孤児に過ぎない俺一人の記憶からわざわざピンポイントで忘れさせる意味など何処にも無い。そんな手間を掛けるメリットが存在しない。

 

 

(なら、自分で忘れようとしたのか? 俺自身の防衛本能が、その記憶に触れることを全力で拒絶したとでもいうのか?)

 

 

何故?

何故俺の心は、アリアンナという存在をそこまでして認識しまいとした?

彼女の存在を認めることが、俺にとって一体何の不都合があるというのだ?

彼女の死が、お腹の赤子の死が、俺と何の関係が――

 

 

「おい、リオ……リオ!?」

 

 

突然、強い力で肩を揺さぶられた。

現実に引き戻される。ヴァリウスさんが眉根を寄せ、険しい表情で俺の顔を覗き込んでいた。彼の声には明確な焦燥が混じっている。

だが現実に引き戻されたことで、逆に脳内で渦巻いていた疑問が一つの恐るべき結論へと収束していくのを止められなくなっていた。

 

 

(アリアンナ……アリアンナ……アリアンナ……!)

 

 

頭の中でその名前が呪いのように反響する。

思い出してはいけない。認めてはいけない。

記憶の箱の底。そこに隠されているのは希望などではない。俺という存在そのものを根底から否定し、破壊し尽くす絶対的な『罪』だ。

 

その瞬間。

俺の耳元で。否、脳内に直接響くようにして、全く知らない、それでいて酷く懐かしいような女性の声が聞こえた。

 

 

『大丈夫だよ。◼️◼️◼️さんが、あなたを守るから』

 

 

その声の響きは無条件の愛に満ち溢れており、俺の魂の最も柔らかい部分を撫でるようだった。

誰だ。

誰なんだ。

 

 

「リオ!!!」

 

 

ヴァリウスさんの叫び声がその優しい声を掻き消す。

 

 

「あ、あああ」

 

 

自分の口から間抜けな音が漏れた。

視界がぼやける。両目からとめどなく涙が溢れ出していた。悲しいわけではない。痛いわけでもない。ただ身体という器が内側から膨張する圧倒的な情報量と感情の奔流に耐えきれず、液体を排出することで破裂を防ごうとしているかのようだった。

 

 

「あああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

気付けば俺は絶叫していた。

獣のような言葉にならない叫び声。

王城の堅牢な床に掻き毟るようにして倒れ伏す。爪が石造りの床を引っ掻き、嫌な音を立てて剥がれていくが痛みなど全く感じない。

 

 

「あああああああああああ!!?」

 

 

心が切り刻まれるような痛みに悶える。

見えない無数の刃が俺の精神を八つ裂きにしていく。

呼吸ができない。喉が痙攣し、気道が完全に塞がったように空気が肺に入ってこない。視界がチカチカと明滅し、指先から感覚が消えていく。

 

 

「リオ!? おい、しっかりしろ! クソっ!!」

 

 

ヴァリウスさんがひどく焦った声で舌打ちをした。

彼は即座に状況の異常性を察知し、王国筆頭魔法使いとしての冷静な判断を下す。

流れるような動作で手を翳し、何かを詠唱し始めた。

周囲の空気がビリビリと震え、緻密で高度な魔力の編み目が瞬時に構築されていく。

俺の狂乱した精神を強制的に鎮めるための強力な精神安定の魔法か。あるいは自傷行為を防ぐための物理的な拘束の魔法か。

彼が紡ぐそれは間違いなく、俺を救おうとするための純然たる『魔法』だった。

 

魔法。

魔法だ。

目の前で練り上げられる、極めて高度で美しい事象改変の技術。

 

――アリアンナが、魔法を使えていれば!

 

俺の脳裏で、理性を焼き尽くすほどの黒い炎が爆発した。

 

あの最強の魔法使いがその力を万全に振るえていれば!

『終わりの聖女』としての絶大な力をただの一片でも行使できていれば!

裏切り者など塵芥のように消し飛ばせたはずだ。

レオンハルトは、レオは最愛の彼女を失わずに済んだのに!!

あの優しく不器用で誰よりも家族を愛していた偉大な騎士が、あんなにも深く傷つき、絶望の淵に突き落とされることはなかったのに!!

 

誰のせいだ。

何故、彼女は魔法を使えなかった。

 

子供のせいだ。

お腹の子供さえ居なければ!!!

 

そいつが。

そいつという異物が。

そいつの存在そのものが、アリアンナから魔法を奪い去った!

そして抵抗する術を失わせ、アリアンナを殺した!!!!!

 

憎い! 憎い! 憎い!

全身の血が沸騰するような凄まじい憎悪。

殺してやる!!

俺が、あの憎き赤子をこの手で八つ裂きにしてやる!!!

アリアンナの命を奪った、レオンハルトの幸せをぶち壊した忌まわしい寄生虫め!!!

 

 

「俺の前で……魔法を使うなああああああ!!!」

 

 

俺は血を吐くような叫び声を上げながら顔を上げた。

視界が赤く染まっている。

『目』が軋む。物理的な痛みを伴って俺の眼球が異常な熱を帯びる。

目尻から生温かいものが流れるのを感じた。血涙だ。

限界を超えた知覚能力の強制起動。

世界が色を失い、無数の線と数式、魔力の流れの視覚化へと変換されていく。

ヴァリウスさんが構築しようとしている魔法の構成が、瞬時に手に取るように理解できた。

幾重にも編み込まれた術式の術理。魔力の供給源。構成を維持するためのアンカー。

その全てが俺の『目』には丸裸だった。

魔法を使えないはずの俺の体内から、微弱だが極めて鋭利な魔力が一瞬だけ発生する。

俺は無意識のうちにその微弱な魔力を針のように研ぎ澄まし、ヴァリウスさんの構築する魔法の構成の『核』となる最も脆弱な結節点へと正確にぶつけた。

 

パキンッ!

 

というガラスが弾け飛ぶような小気味良い音と共に、王国筆頭魔法使いの紡ぎかけた高度な魔法が発動する前に霧散した。

 

 

「な!?」

 

 

ヴァリウスさんが信じられないものを見たかのように目を剥く。

無理もない。彼ほどの術者が紡ぐ魔法を、無詠唱かつほんの僅かな魔力の干渉だけで完全に論理的に解体してみせたのだから。

だが俺の狂気はそこで止まらなかった。

床を蹴り、獣のような速度でヴァリウスさんに殴りかかる。

味方であり、つい先程まで俺の身を案じ、魔法を教えようとしてくれていた恩人に危害を加える時点で、俺はもう完全に正気じゃ無かった。

理屈ではない。

ただこれ以上『魔法』を見たくなかった。

アリアンナを象徴とする、あの美しくも残酷な技術を。

 

 

「ぐう!?」

 

 

ヴァリウスさんが苦悶の声をあげる。

俺の渾身の拳は彼の顔面を捉える直前、空中に現れた半透明の壁に阻まれた。

咄嗟に使ったとは思えない極めて緻密で強固な防壁結界。彼が無意識の防衛本能で展開した王国最高峰の盾。

 

だが今の俺には。

 

 

「小賢しい!!!」

 

 

そんなものはひび割れたガラスの板にしか思えなかった。

『目』がひりつくような痛みを伴って疼く。

瞬時にその頑強な結界の多重構造、魔力の循環法則、そして物理法則の転換点までもが理解出来た。

どれほど強固に見えようと、術である以上必ず構造上の『継ぎ目』が存在する。

俺は拳を引くことなく、その結界の一番脆い部分――魔力の循環がコンマ一秒だけ途切れる特異点を見極め、そこに自身の体重と再び引き出した微小な魔力を一点に込めて撃ち抜いた。

 

 

「が!?」

 

 

正に分厚いガラスが粉々に砕け散るような、甲高い破砕音が室内に鳴り響いた。

絶対の防御を誇るはずのヴァリウスの結界が紙屑のように破られる。

防御を破られた余波で姿勢を崩したヴァリウス。

そこに一切の躊躇なく振り抜かれた俺の拳が、彼の整った頬を深々と捉えた。

鈍い打撃音。

王国筆頭魔法使いの長身が宙を舞い、部屋の壁に激しく叩きつけられる。

ドサリ、と崩れ落ちる音。

 

 

「あ……あ……」

 

 

拳に生々しい感触が残っていた。

自身の呼吸の荒さだけが静まり返った密室に響く。

壁際でヴァリウスさんが口元を押さえ、信じられないという目でこちらを見上げている。その瞳に浮かぶのは怒りではなく、底知れない驚愕と痛ましさだった。

 

殴ってしまった。

さっきまで俺と真摯に話をしていて、俺の抱えるものを慮り気遣ってくれていたヴァリウスさんを。

激しい怒りと狂気が、潮が引くように急速に俺の中から消え去っていく。

後に残ったのは絶望的なまでの罪悪感と自己嫌悪だった。

心が悲鳴をあげる。

どうして俺はこんな事を……。

無関係な、自分を助けようとしてくれた人を傷つけて。

やはり俺は呪われた存在だったのだ。

だって。

だって、そうだ。

 

 

「アリアンナ……俺は……俺の、せいで……」

 

 

膝から崩れ落ち、震える両手で自身の顔を覆う。

先程まで抱いていた、アリアンナを殺した『忌まわしい赤子』への凄まじい殺意と憎悪。

その矛先がグルリと反転し、俺自身の喉元に突きつけられる。

 

 

「俺が……居たから」

 

 

そうだ、俺が居たせいだ。

認めるしかない。どれだけ記憶を封じ込めようと魂がその事実を叫んでいる。

何故、精神世界でレオンハルトに会った時、あれほどまでに懐かしく、そして彼が悲しむ姿に心が張り裂けそうになったのか。

何故、俺には魔法の理を理解する規格外の『目』がありながら、魔法を使おうとすると魂が拒絶し激痛が走るのか。

何故、アリアンナという名前だけが、異常なまでの防衛本能によって記憶の底に沈められていたのか。

 

 

「俺が……」

 

 

アリアンナの腹の中にいたのは。

最強の魔法使いであった彼女から魔法を奪い、抵抗する力を奪い、結果として彼女を死に至らしめた忌まわしい寄生虫。

誰でも無い。

それは。

 

 

「や...べろぉ、リオ!!」

 

 

自己嫌悪の底なし沼に沈もうとする俺。

そんな俺の危うい精神状態に気付いたのか、ヴァリウスさんが鼻と口から鮮血を垂れ流しながら必死の形相で俺に呼びかける。

だが俺は止まらない。止められない。

止められるはずがない。

そうだ、俺が居たせいだ。

俺が存在したから彼女は死んだのだ。

俺がアリアンナを殺した。俺がレオンハルトの幸せを壊した。

俺は生まれてきてはいけなかった存在だ。

真実を完全に認識し、自己の存在意義が根底から崩壊しようとしたその瞬間。

 

 

「リオ!!」

 

 

不意に背後から温かく力強い感触が俺の身体を包み込んだ。

小さな、けれど決して離さないという強い意志を持った腕が俺の背中に回される。

 

 

「ル、ミナ?」

 

 

信じられない思いで震える声を絞り出す。

何故ここにルミナが居る?

ここはヴァリウスさんが何重にも強固な防音結界と認識阻害を施した密室のはずだ。外部からの干渉は一切不可能なはず。どうやって彼女はこの空間に入り込んできた?

だがそんな理屈などどうでもよくなるほどの温もりがそこにはあった。

 

 

「だいじょうぶ、大丈夫だから」

 

 

耳元で囁かれるルミナの声。

だがそれはいつも俺を慕ってくれる、あの幼く無邪気な少女の声とはどこか違っていた。

ずっと大人びていて、落ち着いていて。

全ての悲しみを許容し包み込んでくれるような、母性のような果てしない慈愛に満ちていた。

俺の心の中で暴れ狂っていた自己否定の嵐が、彼女のその声と背中から伝わる温もりによって嘘のように静まっていく。

 

 

「みんな、リオが大好きだから」

 

 

その言葉は、呪われた真実に押し潰されそうになっていた俺の魂への唯一の救済だった。

張り詰めていた糸が完全に切れた。

 

 

「ルミナ……」

 

 

俺は最後に救い主のその名前を呼び。

抗いがたい安心感と疲労の波に呑まれ、完全に意識の底へと落ちていった。

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