天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ!   作:ナオ3

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ヴァリウス 後悔

俺は床に倒れ伏すリオを力強く抱きしめるルミナから、目を離すことができなかった。

 先程までの幼く無邪気な少女の面影はない。その輪郭、その背中、そしてリオを慈しむように包み込むその姿は。

 

 

(あれがアンナの言っていた、大人の姿のルミナか)

 

 

 大人の姿になれるようになったとアンナから聞いていたが……レオネルとアンナに良く似ている。

 艶やかな髪が波打ち、しなやかな肢体がリオの身体を庇うように覆い被さっている。傷ついた大切なものを何があっても守り抜こうとするその献身的な姿勢は、アンナそのものだった。

 リオの激しい痙攣が徐々に収まっていく。ルミナの底知れない母性のような温もりに包まれ、張り詰めていた狂気の糸が切れたのだろう。リオは深く苦しげな息を一つ吐き出すと、そのまま完全に意識を手放し気絶した。

 静寂が重く冷たい鉛のように密室を満たしていく。

 俺の荒い呼吸の音と、口内の切れた箇所から滴り落ちる血が石造りの床を汚す微かな音だけが響く。

 そして。

 ゆっくりとルミナが俺の方へと顔を向けた。

 俺は心臓を氷の刃で貫かれたような錯覚に陥った。

 背筋を駆け上がる悪寒に思わず息を呑む。

 ……完全に感情が消え去っていた。

 アンナ譲りの、本来ならば新緑のように温かく優しいはずの翠の瞳。

 そこに温度が欠片も感じられない。

 怒りではない。憎しみでもない。ただ絶対的な『無』。対象を生命体としてではなく、排除すべき障害物としてのみ認識する底冷えするような視線。

 俺は知っている。

 この顔をした人間がどれだけ危険かを。魂の底から理解している。

 忘れるはずがない。あれは二十年前のことだ。

 パルシリア王国を絶望の淵に追いやった強大な邪竜との死闘。

 その戦いでアンナは取り返しのつかない深い傷を負った。王国の医療技術と魔法のすべてを注ぎ込んでも、彼女の身体に巣食う邪竜の呪いを完全に祓うことはできなかった。

 結果として彼女は子供が産めない身体となり、あまつさえ長生きすら出来ないという過酷な運命を背負わされた。

 邪竜戦で疲弊し深く傷ついたパルシリア王国を好機と見て、ハイエナのように攻め込んできたあの汚物国家の軍勢。

 薄暗い病室で昏睡状態に陥っていたアンナの青白い手を握り締めながら、敵軍侵攻の報を聞いたレオネル。

 あの時彼が浮かべていた表情。

 怒りが限界を越え悲しみが許容量を突破し、すべての感情が焼き尽くされて完全に『無』に帰したあの顔。

 今のルミナの表情は、あの時のレオネルと全く同じだった。

 竜殺しの英雄と称えられるようになる前、彼が血塗られた戦場で付けられた恐るべき異名。

『憤激の殺戮騎士』。

 戦場に降り立った彼はもはや人ではなかった。怒りも悲しみも戦う楽しみすらもなく、ただ機械のように、息をするのと同じように攻め込んできた敵兵を作業の如く殺戮していった。命乞いも悲鳴も彼の耳には一切届かなかった。ただひたすらに、愛する妻の未来を奪われた世界そのものへの報復を遂行するかのように血の海を築き上げたのだ。

 今のルミナは、何よりも愛する者を傷つけられた時のあのレオネルそのものだった。

 

 

(レオネル、アンナ……)

 

 

 俺は心の中で親友たちの名を呼ぶ。

 

 

(ルミナは間違いなくお前達の娘だ)

 

 

 リオを抱きしめる時のあの慈愛に満ちた表情。それはアンナから受け継いだもの。

 そして愛する者を傷つけられた時に顕現する、この一切の容赦を排した絶対的な殺意。それはレオネルから受け継いだもの。

 二人の極端なまでの愛情の深さとそれを脅かす者に対する非情さが、この娘の中に色濃く恐ろしいほどの純度で血として流れていることを確信させられる。

 その手には武器などない。魔力の波動すら感じない。だが俺の生存本能が警鐘を鳴らし続けている。この娘は俺を殺す気だ。一切の躊躇いもなく害虫を潰すように。

 

 

(くそっ……俺が死ぬのは構わない)

 

 

 俺は己の血で汚れた唇を噛み締める。

 好奇心と魔法使いとしての探求心。そして何より事態を軽んじた俺の傲慢さが、リオの心の最深部にあった触れてはならない傷口を力任せに抉り開けてしまったのだ。その結果がこれだ。

 だからその代償としてルミナに殺されたとしても俺に文句を言う資格などない。自業自得だ。

 

 

(だがルミナを……友の娘の手を汚させる事だけは絶対に避けたい)

 

 

 それだけは何があっても阻止しなければならない。

 俺はこれでもパルシリア王国の国家中枢を担う重鎮の一人だ。国王エドワール、騎士団長レオネル、そしてその妻アンナの友でもある。

 そんな俺がルミナに殺害されたとなればどうなるか。

 王国筆頭魔法使いの不自然な死は必ず政治的な波紋を呼ぶ。ルミナの存在が明るみに出れば彼女は『反逆者』あるいは『危険存在』として糾弾され、彼女の未来は取り返しのつかない暗雲に包まれることは避けられない。

 せっかくルナ・マテリアルによってアンナが救われ、あの二人が、あの家族がようやく本来あるべきだった幸せを取り戻せるというのに。

 俺の浅はかな愚行のせいでその尊い幸せをぶち壊すなど、それだけは死んでも許せなかった。

 音すらない。完全な殺意の具現。

 俺は防壁を張ることすら放棄し、ただ彼女の翠の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

 俺とルミナの視線が交錯する。

 永遠にも思える張り詰めた僅かな時間。睨み合うというよりは、俺が彼女の殺意を全身で受け止め耐え忍んでいる状態だ。

 何としてでも生きる。この娘に俺を殺したという罪を背負わせないために。俺が生きている限り、この事態は『内輪の事故』として処理できる。

 冷や汗が顎を伝い床に落ちた。

 

 

「――っ!?」

 

 

 強固に施錠されていたはずの密室の扉が乱暴に開け放たれた。

 結界を強引に突破して踏み込んできたのは一人の大柄な男。

 レオン……いや、レオネルだ。

 息を乱し血相を変えて飛び込んできた彼は、部屋の中の惨状を目の当たりにして文字通り絶句した。

 

 

「なにが……?」

 

 

 彼の口から掠れた声が漏れる。

 無理もない。

 王国最高峰の防護が施された部屋が、内側からの物理的・魔力的な衝撃でひどく荒れ果てている。

 王国筆頭魔法使いである俺は顔を腫れ上がらせ、口と鼻からおびただしい血を流して壁際にへたり込んでいる。

 そして何より部屋の中央には――大人の姿のルミナが、気絶したリオを庇いながら俺に対して凄まじい殺気を放って立っているのだ。

 流石のレオネルでもこの混沌とした状況を一瞬で理解することは不可能だろう。彼の瞳孔が開き思考が追いついていないのがわかる。

 だが歴戦の猛者である彼は、異常事態の『核』がどこにあるのかを本能で察知した。

 レオネルの視線がルミナへと注がれる。

 そして彼女の表情を見た瞬間、彼はハッと息を呑んだ。

 彼にはわかったはずだ。今のルミナがどのような状態にあるのか。

 かつての怒りで自分を見失い、ただ目の前の敵を殲滅することだけを目的としていた『憤激の殺戮騎士』と呼ばれた自分自身を見ている気分だろうな。

 それが他ならぬ自分の愛娘なのだから皮肉にも程がある。血の業というものをこれほどまざまざと見せつけられるとは思わなかっただろう。

 

 

「ルミナ……待ってくれ」

 

 

 レオネルは武器を抜くこともなく、ただ両手を前に出してゆっくりとルミナに近づいた。

 

 

「何があったのか知らないけど、その殺気を一旦収めてくれ」

 

「…………」

 

「お願いだ」

 

 

 レオネルはルミナの内面に渦巻く絶対的な殺気に気付き、決して彼女を刺激しないよう慎重に言葉を選んだ。

 俺が何を言ったのか、何をしたのか。リオがなぜ倒れているのか。そんな余計な詮索は一切口にせずただ懇願する。

 己の経験から、理屈や言い訳など今の彼女の耳には一切届かないと魂の底から理解しているのだろう。愛する者を守り抜けなかった無力感とそれを傷つけた者への憎悪。その炎を鎮めることができるのは、敵対行為ではないという無防備な証明と純粋な愛情だけだ。

 ルミナはピタリと動きを止めレオネルを見つめた。

 その翠の瞳には実の父親であるレオネルに対する親愛の情すら浮かんでいない。彼でさえもリオに近づく『敵』とみなしかねない危うい均衡。

 レオネルは一瞬その実の娘からの冷酷な視線に怯んだように見えた。だが見事に気を取り直し、一歩も引かずにルミナを真っ直ぐに見つめ返した。

 そこにあるのは父親としての覚悟。

 静かに見つめ合う二人。

 時間にしてわずか数秒。しかしそれは何時間にも感じられるほどの濃密な魂の対話だった。

 やがて。

 ふっとルミナの身体からあの恐るべき殺気が霧散した。

 張られていた緊張の糸が解けたように、彼女の身体から力が抜け落ちていく。

 彼女は限界を迎えたように瞳を閉じ、気絶したリオの身体に重なるようにして倒れ込んだ。まるで意識を手放してなお我が身を呈して彼を守ろうとするかのように。

 するとルミナの身体から光が放たれ、収まるとそこには幼い少女の姿に戻ったルミナがいた。

 

 

「ルミナ……」

 

 

 レオネルが咄嗟に駆け寄り二人の身体を優しく抱き止めた。

 ルミナの安らかな寝顔を確認し彼が安堵の吐息を漏らす。

 危機は脱した。俺の命もルミナの未来も首の皮一枚で繋がった。

 ならば直にやらねばならないことがある。感傷に浸っている暇はない。

 

 

「レオネル……二人を連れて行ってくれ」

 

 

 俺は壁に寄りかかったまま掠れた声で指示を出した。

 

 

「ヴァリウス、しかしお前……その怪我は」

 

「話は後だ。俺はこの部屋の証拠を消す」

 

 

 俺はレオネルの言葉を遮り鋭い視線を向けた。

 

 

「この事がバレたらあの二人が危うくなる」

 

 

 一介の冒険者であるリオが、王国の重鎮であり筆頭魔法使いである俺に危害を加えたのだ。

 たとえそれが俺の無神経な言動が引き金となった自業自得の事態に過ぎないとしても、法と秩序を重んじる国家という枠組みの中ではそんな個人的な事情は考慮されない。

 リオが王国に反逆したとみなされる可能性は極めて高い。

 だがそれ以上に……俺が絶対に隠匿しなければならない『真実』があった。

 

 

(リオはアリアンナの子供だ)

 

 

 俺の脳裏に先程の光景がフラッシュバックする。

 俺がリオを鎮めようと紡いだ王国最高峰の緻密な魔法構成。それをあろうことか無詠唱で、微小な魔力の干渉のみで完璧に論理的に解体してみせたあの瞬間。

 魔法を破壊する一瞬、リオの黒い瞳が極光のような七色の輝きを放ったのを俺は見逃さなかった。

 この世のすべての事象の理を理解し、魔力の流れ、術式の構造、世界の法則そのものを丸裸にして映し出すという神の如き知覚能力。

 一般の魔法使いの間では『オリジン』以上に実在が疑わしいお伽噺として語り継がれている伝説の特質。

 

 

(アリアンナだけが所持していた『虹』。……それを継承していた……!)

 

 

 歴史の闇に葬られたはずの彼女の胎内にいた赤子。

 それが目の前にいるリオ・ハートフィールドなのだ。

 その事実が意味するものはあまりにも大きすぎる。

 レオンハルトの血、そしてアリアンナの才。その両方を色濃く受け継いだ唯一無二の存在。

 彼がどれほどの潜在能力を秘めているのか俺ですら底が知れない。

 リオの存在はルミナを遥かに越える、パルシリア王国の最大の『急所』となる。

 絶対に外部に漏らす訳にはいかない。

 そのためにはリオが俺の魔法を完全に打ち破ったという、この異常な戦闘の痕跡そのものを消し去らねばならないのだ。

 アリアンナの血筋が漏れる可能性は、どんなに僅かであっても徹底的に潰す。

 

 

「……わかった」

 

 

 レオネルは俺の真剣な目つきから事の重大さを察し短く頷いた。彼は軽々とリオとルミナの二人を抱え上げる。

 

 

「治療は?」

 

「いい。医者も呼ぶな」

 

 

 俺は血と泥に塗れた手で顔を覆いながら答えた。

 

 

「……少しこの痛みを感じていたい」

 

「…………」

 

 

 怪我の痛みではない。心が軋むように痛いのだ。

 俺の驕りが二人の若者を深く傷つけた。リオの心を切り裂き、ルミナに人殺しの業を背負わせかけた。

 その取り返しのつかない事実が俺の心を重く押し潰す。

 この物理的な痛みが無ければ罪悪感という名の見えない重圧に、本当に心が完全に潰されてしまいそうだった。

 レオネルはそんな俺の姿を見て深く重い溜息を吐いた。

 

 

「後でアンナの治療を受けるんだよ? 絶対だからな」

 

「ああ……」

 

 

 彼が部屋を出て行く足音が遠ざかっていく。

 アンナの医者顔負けの高度な治療技術と知識なら治してくれるだろう。

 だがこの事態を知った彼女がどんな反応をするかと思うと、気が重くて仕方がなかった。

 怒り狂って俺を力一杯殴り飛ばしてくれるならどれほど救われるだろうか。俺を罵倒し軽蔑してくれれば、少しは罪の意識も軽くなるかもしれない。

 ……だがそれは望めない。

 彼女はきっと悲しそうに眉を下げ、自分を責めるように俺の手当てをするのだ。それが彼女の優しさであり、俺にとっては何よりも堪える罰だ。

 俺はよろよろと立ち上がり乱れた呼吸を整えながら、部屋に漂う魔力の残滓と物理的な破壊の痕跡を隠蔽するための術式を組み始めた。

 頬や顎に激痛が走るがそれに構っている余裕はない。

 壁の亀裂を修復し床の血痕を浄化し、空気に残った魔力の乱れを中和していく。

 

 

(リオのケアも慎重に考えねばならんな……)

 

 

 術式を展開しながら俺は頭の片隅で今後の対応を計算していた。

 彼が目覚めた後、どのように接するべきか。彼が抱えるトラウマをどうすれば少しでも和らげることができるのか。

 だがそんな思考は、あまりにも傲慢で現実逃避に過ぎなかった。

 もしも俺が過去に遡ることができるなら。

 俺は今の俺の胸ぐらを力任せに掴み、顔面を殴りつけてこう怒鳴り散らしているだろう。

 

 

『思い上がるな、この三流魔法使いが!』

 

 

 リオの抱えた傷。

 彼が己の存在そのものを否定し、生まれてきたことすら罪だと魂で泣き叫んでいたあの絶望の深淵は。

 俺なんかが小手先の気遣いやフォローでどうにかできるような、そんな生易しいものではなかったのだ。

 何年も何年もかけて、彼自身が血を吐くような思いで必死に蓋をし、日常という薄氷の上を歩くことでようやく保っていた均衡。

 それを。

 それなのに。

 

 

『好奇心で不用意に指を突き入れてその地獄の蓋をこじ開けた間抜けはお前だ!』

 

 

 俺の愚かな探求心が彼を壊した。

 魔法を教えるなどという大義名分を掲げて、彼の最も触れられたくない領域に土足で踏み込んだ。

 

 

『手遅れだ、この愚図が』

 

 

 修復の術式が完了し部屋は元の静謐な姿を取り戻した。

 だが俺の心に開いた穴は、そして俺がリオに負わせてしまった致命的な傷は、どんな魔法を使っても二度と元に戻ることはないのだという事実だけが重く、ただひたすらに重く俺の魂にのしかかっていた。




正直この状況は唐突過ぎるのではと思いましたが、些細な善意と行動で地獄が顕現するシチュが見たくて書きました。
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