天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
「ガラスの交換、終わりました」
「私達は警護に戻ります。何かあれば、すぐにお声がけください」
「ええ、ありがとう。ご苦労様でした」
カイルとアリッサが手際よく割れた窓ガラスの交換を終えて、ママが優雅に礼を言うと一礼し、部屋を後にした。
私は彼らの背中を見送りながら、新しく嵌め込まれたばかりの窓ガラスへと視線を移す。
一見するとただの透明なガラスに見えるけれど、あれは王宮専用に特注された代物だ。特別な加工法を用いて一流の職人が作り上げた、滅茶苦茶頑丈な防護ガラス。大の大人がハンマーで全力で叩き割ろうとしても、傷一つ付かないほどの強度を誇る。
……なのに。
ほんの少し前、大人の姿に変貌したルミナはあの頑強なガラスをまるで薄い飴細工か何かのように、いともたやすくぶち破って飛び出していったのだ。
その光景を思い出し、私は思わずほうっと熱い溜息を漏らす。
あの時のルミナ、すっごい美人だったなぁ……。
幼くて愛らしい姿も最高に尊いけれど、大人の姿はまた別格だった。滑らかで艶やかな髪が空気をはらんで波打ち、横顔は神々しいほどに整っていた。そして、あのしなやかで均整の取れた肢体。スラリと伸びた長い足に細い腰、そして思わず目を奪われるほどに豊かに実ったおっぱい……。
ああ、思い出すだけで鼻の奥がツンとして、胸の奥がギュンギュンと高鳴ってしまう。ルミナが大人になるまで待てば、あんな極上の芸術品のような姿を毎日拝めるというの? 王宮の宝物庫にあるどんな宝石よりも魅力的じゃない。
「……っと、いけないいけない」
私はブンブンと首を横に振り、暴走しそうになる己の煩悩に無理やり蓋をした。
今は尊いものを愛でて興奮している場合じゃない。優先すべき事態が目の前にある。
私は視線を落とし、ぐったりとして動かなくなった猫――ステラへと手を伸ばした。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「しっかりして、猫ちゃん」
私とママが交互に呼びかけながら丁寧に介抱する。
先程まで王族である私を前にしても一切物怖じせず、むしろ生意気なまでに元気いっぱいに口答えして喧嘩を吹っ掛けてきたこの不思議な喋る猫。それが今や、虫の息と言ってもいいほど弱り果てている。
その死にそうな様子に、私は柄にもなく慌ててしまっていた。
ああもう!!
癪だけど、私という一人の人間に対して身分や建前を抜きにして本気で喧嘩してくれたのなんて、この猫が初めてだったんだから。それが妙に新鮮で楽しくて、もっともっと口喧嘩でこいつを言い負かしてやりたかったのに。
「うう……リオ君……ルミナ……」
ステラがうわ言のように二人の名前を呼ぶ。
窓をぶち破って飛び出していったルミナのことは、直後にレオン――彼が猛烈な勢いで追いかけて行ったからきっと大丈夫だと思う。あの異常なまでの身体能力と身のこなし、只者ではない。
今にして思うと彼のあの動き、そして顔立ち……。
私は再び思考の沼に沈みそうになるが、小さく頭を振って意識を現実に戻した。今はそんな推論を組み立てている場合じゃない。状況の把握が先だ。
「ねえ、ママ」
「何かしら、フィオナ」
「リオって人は、今何処に居るの?」
私の問いに、ママは心配そうに眉を顰めながら答えた。
「彼は……今、ヴァリウスさんと別室で大事な話をしている……筈です」
「そうなんだ。ヴァリウス様と……」
王国筆頭魔法使い、ヴァリウス・エル・グランツ。
その名前を聞いた瞬間、私の胸の内に嫌な予感と拭い去れない不安が広がっていく。
あの人とは私も何度か言葉を交わしたことがある。8歳の子供である私に対しても、彼は決して誤魔化したり子供扱いしたりせず理路整然と接してくれた。だからこそ、私には彼の本質がよくわかるのだ。
彼は『氷の叡智』と称されるほどに極めて高い知能と膨大な知識を持っている。だけど……対人関係においては割と致命的に不器用な人だ。
表面上はとてもクールで感情の起伏を見せないけれど、その内面は実はとても情が深い。情が深いが故に、相手を救おうとする親切心や探求心が先行しすぎてズカズカと他人の心の柔らかい部分に踏み込んでしまう危うさがある。
論理で人の心は測れない。どれほど正しい言葉でも、相手を深く傷つける刃になることがある。彼はその機微を、頭では理解していても肌感覚として掴みきれていない節があるのだ。
普段ならそんな彼の危うい部分を、我が父である国王エドワールが上手くフォローし手綱を握っているはずなんだけど。
「パパはどうしたの? リオとの話し合いには同席してないの?」
私が尋ねると、ママの顔に一瞬、何とも言えない複雑な色が浮かんだ。
「エドワールは……今は別室で、寝込んでいます」
「……!?」
私は耳を疑った。
あのパパが? 寝込んでいる?
王としての責任感が人一倍強く、ちょっとやそっとの事では動じない鋼の精神を持つパパが倒れてしまうなんて、一体何があったというの!?
確かに最近のパパはとても忙しそうで疲労が溜まっている様子だった。だけど、政務の過労だけであのパパが倒れるとは思えない。
何か、精神的に致死量のダメージを受けるような、余程衝撃的な出来事があったに違いない。それこそ世界がひっくり返るような……。
「ママ、パパに何があったの……?」
「…………」
ママは静かに首を横に振った。
わからない、あるいは今は言えない、か。
でも、それならどうしてママはここに居るの?
倒れたパパの傍に誰も付き添っていないわけがない。いくら王宮とはいえ最高権力者が倒れたのだ。信頼できる人間が傍にいるはず。
お兄ちゃん達も各々の公務であちこち移動しているから、すぐ捕まえられるわけがない。
お兄ちゃん達やママ以外にパパの身柄と弱った姿を安心して預けられる、絶対的な信頼を置ける人物がこの王宮に居る?
その疑問のピースがカチリと音を立ててはまる直前。
バタンッ! と乱暴に扉が開かれた。
入ってきたのはレオンだった。
その両腕に、ぐったりとした見知らぬ黒髪の男の子と元の幼い姿に戻ったルミナを抱えて。
「お……レオン、一体何が?」
「セシリア様、詳しい話は後です」
レオンは切羽詰まった声で言い、男の子とルミナを丁寧に、壊れ物を扱うようにベッドへと寝かせた。
私は彼の横顔を真っ直ぐに見つめ、核心を突く問いを投げかけた。
「一体何が起きたの……レオネル様?」
「っ!?」
彼は一瞬、弾かれたようにこちらを見た。
その瞳に浮かんだ驚愕の表情を、彼はすぐに取り繕って抑え込もうとした。だがその一瞬が、私の推測を『確信』へと変える決定的な証拠となった。
やはりそうだ。このレオンと名乗る青年は、パルシリア王国騎士団長レオネル・ジークフリードその人だ。
さっきステラと口喧嘩していた時、私は横目でママとこの青年のやり取りを観察していたのだ。
二人の間に流れるあの空気、あの距離感。それは昨日今日出会った者同士のものではない。何十年も苦楽を共にしてきた、昔なじみの親友にしか出せない阿吽の呼吸だった。
そして何より私の目は誤魔化せない。
親戚だとしてもレオンはレオネル様に似すぎている。顔のパーツの位置、骨格、立ち姿の重心、そして視線を逸らす時の細かい瞬きの癖まで、全てが完全に一致している。親戚だからという理由では絶対に説明がつかないレベルだ。
常識的に考えて人間が数十歳も若返るなんてあり得ない。だけど目の前にある事実を総合すれば、彼が『若返ったレオネル様』であるとしか結論付けられない。
そして。
ベッドに寝かされたルミナを見る。
ルミナはレオネル様にとてもよく似ている。まるで……実の父娘みたいに。
喋る猫と喧嘩したり、幼い少女が突然大人の絶世の美女に変貌して窓をぶち破ったり……そんな超不思議体験を連続で目の当たりにしているのだ。私の常識なんて、もはや何の役にも立たない事態が起きていることだけは明白だ。
(アンナ・ジークフリード)
(あの方が、ルミナのお母さん……?)
ルミナがレオネル様の娘であるなら、母親は一人しか居ない。レオネル様が狂おしいほどに愛し、その命を繋ぎ止めるためにあらゆる手を尽くしてきた最愛の妻、アンナ様だ。
点と点が繋がり、線となる。
倒れて寝込んだパパを傍に置けるほど、ママが全幅の信頼を置ける相手。それはアンナ様以外にあり得ない。
……だとしたら。アンナ様は健康を取り戻し、レオネル様は若返り、二人の間にはルミナという娘がいる。
あまりにも突拍子もない奇跡のような話だ。でも私の直感が、それが真実だと強く訴えかけている。
本当だとしたら、これは王国にとって途轍もない朗報だ。パパやママの親友である二人が救われたのだから、私も凄く嬉しい。
でも……。
私は部屋の空気を肌で感じる。
それならママはもっと手放しで喜んでいていいはずなのに。レオネル様も幸福の絶頂にいるはずなのに。
二人の顔には重苦しい陰りが落ちている。
何か、私の想像を絶するような重大な問題が生じたのだ。
(後でパパの調子が良くなったら、一緒に聞かせてもらおう)
パパはまだ8歳の私には政治や王国の暗部に関わって欲しくないようだけど……多分もう「子供だから」と言ってられないような、国を揺るがす事態が起きている。
「フィオナ、それは……」
ママが私の推察に気付き、何かを言い訳しようと口を開いた。
「今はいいわ、ママ」
「え?」
「それどころじゃ無いでしょ?」
私はママの言葉を遮り、床で息も絶え絶えになっているステラをひょいっと抱きかかえて横たわるルミナと男の子に近づいた。
……うわ、この猫、めっちゃ手触り良いわね。
思わずモフモフと顔を埋めたくなる衝動を抑え、私はステラをルミナと男の子の頭上付近へと置いた。
「ほら、あんたの居場所はここなんでしょ?」
男の子とルミナの温もりに触れた瞬間、ステラの浅かった呼吸が少しだけ落ち着きを取り戻したように見えた。
ちくしょう、やっぱそこ変われや糞猫。
私は気絶しているルミナを改めて観察した。
ルミナは意識を失いながらも、その小さな手で隣に横たわる黒髪の男の子の服の胸ぐらをギュッと強く握りしめている。絶対に、何があってもこの手を離さないとばかりに。
そしてその愛らしい幼い顔には、痛ましいほどに涙の跡がこびりついていた。
ああもう。この姿を見ただけで、ルミナがどれほど深く、狂おしいほどに彼のことを大事に思っているかがわかってしまう。彼女の全世界の中心が、この男の子なのだと。
私の胸の奥で、どす黒い嫉妬の炎がチリチリと音を立てて身を焦がす。私だってルミナの特別な存在になりたいのに。
だが。
その嫉妬の炎は、隣に眠る男の子――ルミナが命懸けで守ろうとした少年の顔を見た瞬間、冷や水を浴びせられたように直に鎮火した。
「ひどい……」
「…………」
背後でママが両手で口を抑え、悲痛な声を漏らす。レオネル様も目を伏せて沈痛な表情を浮かべている。
私も言葉を失った。何も言えなかった。
なんて悲痛な顔なの……。
目尻からは、赤い筋が幾重にも頬を伝って流れた跡があった。血の涙だ。
気を失って眠っているというのに、その表情は全く安らいでいない。眉間には深いシワが寄り唇は噛み締められ、まるで今この瞬間も、終わりのない地獄の底で責め苦を受けているかのようなあまりにも痛そうで、苦しそうな顔。
彼の魂が、血を流して泣き叫んでいるのが痛いほどに伝わってくる。
一体何が起きたら、これほどの絶望を顔に貼り付けてしまうというの?
さっきまでの状況から推測するに……多分、ヴァリウス様が彼の心にある『特大の地雷』を、何の悪気もなく純粋な探求心か何かで力一杯踏み抜いちゃったんだろうな……。
あの『氷の叡智』め。頭が良いだけの朴念仁。今度会ったら、私が直々に人との接し方の基本を一から十までみっちり教育してやろうかしら?
王国筆頭魔法使いという大の大人が、8歳の小娘に説教されて教えを乞うなんて屈辱以外の何物でもないでしょうけど、そんなこと知ったこっちゃないわ。彼をこんな状態にした張本人なら、それくらいの罰は受けて当然だ。
私は静かに寝顔を見下ろした。
彼が、リオ。
誰に言われたわけでもない。確かな証拠があるわけでもない。ただ私の本能が直感で、彼が『リオ』なのだと告げていた。
私はそっと彼の耳元に顔を寄せ、囁きかけるように話しかける。
「私はフィオナ。パルシリアの王女よ」
「…………」
「起きたら、いっぱいお話しましょうね、リオ」
彼と話がしたい。
彼がどんな声をしていて、どんな言葉を紡ぎ、どんな反応をして、どんな風に笑い、どんな風に怒るのか。その全てを知りたい。
なんとなく、本当になんとなくだけど……彼とはすごく気が合いそうな、仲良くなれそうな気がするのだ。
本当に不思議な感覚だった。
私がルミナに対して感じた『尊い』という感情とは根本的に種類が違う。
一目惚れ?
……ううん。私はまだ8歳だし本気の恋愛なんてしたことが無いからよくわかんないけど、多分そんな陳腐なものじゃない。
そんな言葉で簡単に片付けられるようなチャチなものじゃないのだ。
血の涙の跡を残し、苦悶の表情を浮かべる彼を見ていると、私の胸の奥で今まで感じたことのない熱いものがドクドクと脈打つのを感じる。
まるでパズルの最後のピースを見つけたような。
ああ、この人は私の『運命の人』なんだと、魂がそう叫んでいる。
「フィオナ……?」
「フィオナ様……」
私の様子がおかしいことに気付いたのか、ママとレオネル様がひどく複雑そうな、引きつった顔で私を見ている。
特にレオネル様は私の瞳に浮かぶ尋常ではない光を見て、過去のトラウマでも呼び起こされたような顔をしている。
私はこの重く淀んだ空気を一気に引っくり返すために、ニッコリと満面の笑みを浮かべて宣言した。
ルミナの頭を撫でると、手に至福を感じる。
ああ~たまんねぇ~。
「ルミナは、リオのお嫁さんなのね」
「え……?」
「ということは、ルミナのお婿さんになる彼は……私のお婿さんでもあるわね」
部屋の空気が、一瞬にして凍りついた。
「どうしてそうなるのフィオナ!?」
ママが王妃としての威厳もかなぐり捨てて、素っ頓狂な声ですかさずツッコミを入れる。
レオネル様はと言えば額に手を当てて、ひどく懐かしげな、そして同時に頭が痛くなるような表情をしている。ああ、その顔でわかる。きっとママの青春時代――暴走していた頃の姿が、今の私と完全に重なって目に浮かんでいるのね。
「おまえ……みたいな……へんたいに……やれるかぁぁぁ……」
ベッドの上のステラが、虫の息のままうめき声をあげた。
なんだこの駄猫。今にも死にそうなくせに、こんな時でも口を減らさないのか?
まるで「娘さんを僕に下さい!」と土下座する男の前に立ちはだかる頑固親父そのものじゃないか。
ママは完全に頭を抱え込んでプルプルと震えている。
「ああっ……どうして……どうしてこの娘はこんな、常軌を逸した発想に飛躍するの……」
「ふふん、決まってるじゃない」
私は胸を張り、誇らしげに言い放った。
「ママの『血』よ」
「ぐはぁ!?」
特大のブーメランが直撃し、ママは変な悲鳴を上げてその場にダウンした。
事実だもの。お兄ちゃん達はパパの血を色濃く引いているけれど、私だけは間違いなくこの『変態の血』のルーツであるママの血を最も純粋な形で受け継いでいるのだ。
「フィオナ様……その、もう少しこう、手心をですね……」
レオネル様がダウンしたママの背中を擦って介抱しながら、引きつった苦笑いで私を窘めようとする。
「善処します、レオネル様」
私は言葉だけ恭しく返しつつ、視線はすでにベッドの上のリオへと固定されていた。
私はそっと手を伸ばし、彼の冷や汗をかいた頬を優しく撫でる。
指先から伝わる彼の体温。その肌の下で脈打つ命の鼓動。
「ふふ、リオ。貴方が起きたら、いっぱいお話して、いっぱい構って、貴方のことも私が全力で振り回してあげる」
私は彼の耳元で悪魔のように、けれど誰よりも甘く囁く。
「……今、貴方が抱え込んでいるそんな苦しそうな顔が、跡形もなく吹き飛んでしまうくらいに、ね」
一介の冒険者と、一国の王女。
世間の常識からすれば、天と地ほどに離れた身分の壁。
でもそんなもの、私にとっては水に濡れた紙よりも脆く、取るに足らないものだ。パパが反対しようが貴族たちが騒ごうが力技で捻じ伏せてみせる。
私は王女だ。
私が欲しいと思ったものは、どんな手段を使ってでも全て手に入れてみせる。
私の『運命』、リオ。
私の『至宝』、ルミナ。
……ついでに、生意気な喋る猫も。
彼らが目覚める時が、今から楽しみで仕方がなかった。
こんな8歳居ねぇよとツッコミがあるでしょうが、彼女は特別です。
成長したら王国をマジで乗っ取れます。