天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ!   作:ナオ3

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三人称で話が進みます


元祖・英雄夫妻

 

 

「……ようやく会えたのに、最初がそれか?」

 

 

 男勝りな、それでいて艶やかなアルトの響きを持つ声。その口調は紛れもなくレオンハルトのものだ。

 事象の全てを理解し、世界の理を丸裸にする神の如き知覚能力――その特異な瞳を持つアリアンナにとって、目の前に存在する存在の「本質」を見誤ることはあり得ない。

 眼前に立つその人物の魂の輝き、波長、そして何よりアリアンナ自身の魂の最も深い部分が狂おしいほどの愛しさをもって共鳴しているという事実。それら全てが目の前の存在が彼女の最愛の夫であり、『始まりの騎士』と謳われた英雄レオンハルトその人であることを完全に証明していた。

 間違いない。絶対に、彼だ。

 だが視覚から得られる情報が、その絶対の真理と決定的に矛盾していた。

 そこに立っていたのは夜の闇をそのまま切り取って織り上げたような、艶やかで真っ直ぐな漆黒の長髪。吸い込まれるような深みを持つ黒曜石の瞳の完璧な造形美を誇る美女。

 どこか猛禽類を思わせる鋭い凄みと女性特有の滑らかな曲線美を併せ持つその肉体は、妖精のように愛らしく小柄なアリアンナとは対極に位置する「美」の極致であった。

 

 

「この子の記憶じゃ、男だったでしょ!?」

 

 

 アリアンナは自らの腕の中に抱えた銀色の光体――愛息リオの魂――を庇うようにしながら、もう片方の手で目の前の黒髪の美女をビシッと指差した。

 

 

「い、いつも見てたクールなイケメンの旦那様だったじゃん!?」

 

 

 アリアンナの詰問に対し、女となったレオンハルトは、呆れたように、そして少し気まずそうに目を逸らした。

 

 

「……あれは偽装だ」

 

「偽装!?」

 

「リオの深層意識に記憶されている、男の俺をガワとして使ったんだ……真の姿はこれだ」

 

 

 レオンハルトは、自身の豊満な胸元を軽く叩いてみせた。その動作に合わせて柔らかな双丘がたわわに揺れる。

 その光景を目の当たりにしたアリアンナの口から、もはや言語とは呼べない奇声が漏れ出した。

 

 

「どどどどどどどどどどどどどどどどうしてぇ!!? どうして女になっちゃったのおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!?」

 

 

 彼女の『目』は、目の前の肉体が幻術や変化の魔法による一時的なものではないことを残酷なまでに正確に読み取っていた。

 骨格、筋肉の構造、内臓の配置、そして女性特有の魔力回路。その全てが魂レベルから完全に「女性」として再構築され、定着している。それは世界の理を根底から書き換えるほどの、異常極まりない奇跡の御業だった。

 

 

「……子供を産むのに、男では無理だろう?」

 

 

 レオンハルトはまるで「雨が降れば地面が濡れる」とでも言うような、あまりにも当たり前の事実を述べるかのように平然と言い放った。

 だが、その言葉が持つ意味の重さと狂気性は、アリアンナの許容量を遥かに超えていた。

 

 

「産んだ!?」

 

 

 アリアンナの声が裏返る。彼女は目を限界まで見開き、信じられないものを見るようにレオンハルトを凝視した。

 

 

「私が用意した代理母ホムンクルスのアリシアちゃんは!? 私が死ぬ運命を悟って、それでもこの子だけは絶対に守り抜くために極秘裏に作り上げた人工生命体! リオの魂で孕んだあの娘が私の代わりに産む手筈になると遺書で細かく、すっごく細かく書き残したでしょ!?」

 

 

 アリアンナは思い出す。

 事象の理を読み解く彼女の『目』は、ある時期から自分自身の未来に垂れ込める絶対的な「死」の暗雲を正確に捉えるようになっていた。どれほど足掻いても、どれほど策を弄しても、妊娠による魔力の喪失という絶対的な脆弱性を抱えた状態では、迫り来る破滅を回避することはできない。

 ならばせめて、腹に宿したこの小さな命だけは、愛する夫のために残さなければならない。

 その悲壮な覚悟のもと、アリアンナは自身の血肉を培養し、自分と極めて近い波長を持つホムンクルス「アリシア」を創造した。自分が殺された後、胎内の赤子の魂をアリシアへと移し替え、彼女を代理母として出産させる。それが大魔法使いアリアンナが組み上げた、「希望の魔法」だった。

 だが、アリアンナの言葉を聞いたレオンハルトの端正な眉間に、深い皺が刻まれた。

 それは、英雄としての顔ではなく、己の最も大切なものを汚されそうになった男(今は女だが)の、極めて不機嫌で独占欲に満ちた表情だった。

 

 

「……使う訳無いだろうが」

 

「え?」

 

「お前と俺の子を、たとえお前の血を引いているとはいえ、別の誰かに産ませるなんて許せるはずがない。俺達の子を、得体の知れない人工生命体の腹で育てるなど、俺の魂が絶対に拒絶する」

 

 

 低く、地を這うような声。そこには、世界の理すらねじ伏せるほどの強大で歪なエゴが渦巻いていた。

 

 

「それは…………」

 

「だから、俺が女になって産んだんだ」

 

 

 再び繰り返されたその言葉に、アリアンナは頭を抱えた。

 

 

「どうしてそうなるの!?」

 

 

 あまりの突飛な発想、論理の飛躍に、アリアンナは思わずツッコミを入れた。その頭を抱えて叫ぶ仕草は、奇しくも彼女が抱える光体――息子であるリオが、理不尽な事態に直面した時の反応と痛ましいほどによく似ていた。

 妻の混乱をよそに、レオンハルトは静かに、だが熱を帯びた瞳でアリアンナを見つめた。

 

 

「アリアがどれだけ自分で産みたかったか。どれだけ、母になりたかったか。……俺が一番知っている」

 

 

 その言葉に、アリアンナの動きがピタリと止まった。

 

 

「戦いと殺戮に明け暮れたお前が、初めて自分の中に宿った小さな命の鼓動を感じた時、どれほど嬉しそうに涙を流したか。お前によく似た人工生命体をリオの母にするなんぞ、俺は絶対に受け入れられん。お前の代わりにこの子を腹の中で育て、その重みを感じ、産みの苦しみを味わう権利があるのは、この世界で俺ただ一人だ」

 

 

 狂気。

 そうだ、これは狂気だ。

 愛する妻の死という絶対的な絶望を前にして、レオンハルトという英雄の精神は、ある意味で完全に常軌を逸してしまったのだ。

 ホムンクルスを拒絶し、己の肉体を世界の法則に逆らってまで女性へと作り替え、自らの腹で妻の忘れ形見を身籠もり、産み落とす。それは、魔法の深淵に到達したアリアンナですら想像もつかない、あまりにも重く、あまりにも深く、そしてあまりにもグロテスクなまでの純愛だった。

 アリアンナの情緒が完全におかしくなった。

 涙腺が崩壊し、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。

 

 

「そ、そりゃあ、この子を私以外に産ませるのは凄く嫌だったよ!? 幾ら私の血を使ってるホムンクルスだからと言ってもさあ!! 自分が母親になれない悔しさは、胸が張り裂けそうなくらいあったよ!!」

 

 

 アリアンナは、感情のダムが決壊したように叫び始めた。

 

 

「でも! 夫が女になって私の代わりに産んだなんて、どう反応したらいいのお!!? 嬉しいよ! 私を誰よりも想ってくれる貴方が、あの子を産んでくれるなら、これ以上ないくらい納得できるよ!! でも、でもでもでもおぉぉぉ!!」

 

 

 言語化しきれない感情の濁流が、アリアンナの魂を激しく揺さぶる。

 愛おしさ、申し訳なさ、そして何よりも、自分をそこまで愛してくれた夫への途方もない愛。

 それらの感情が臨界点を突破した瞬間、アリアンナの理性の糸がプツリと切れた。

 

 

「とりゃああああああ!!!」

 

 

 ヤケになったアリアンナは、弾かれたように床を蹴り、目の前の長身の美女――レオンハルトに向かって飛び掛かった。

 リオの魂である光体を片手で大事に抱え込んだまま、空いているもう片方の手で、彼女は迷うことなくレオンハルトの豊満な胸ぐらへと突撃したのだ。

 もにゅうん!

 という、ひどく肉感的な弾力の音が響いた。

 アリアンナの小さな手が、レオンハルトの女性としての象徴である豊かな胸を力一杯掴み、揉みしだく。

 その手に伝わってくる、反発するような圧倒的な質量。それは、アリアンナがどれだけ望んでも手に入れることのできなかった、女性としての絶対的な「豊かさ」であった。

 

 

「なに、この凶器は!」

 

 

 アリアンナは涙声で叫びながら、さらに力を込めて揉みくちゃにする。

 

 

「背も高くて、スタイル抜群で、顔もとんでもねえ美人だし!! 小柄で童顔で、おっぱいもそんなに大きくない私への当てつけかぁ!!? どうして男だった貴方の方が、私よりずっとスタイル抜群の美女になってるのよぉぉぉ!!」

 

 

 それは最愛の夫に対する八つ当たりであり、同時にどうしようもない女としての敗北感の吐露だった。

 

 

「でも大好き!!!」

 

 

 アリアンナは顔を真っ赤にして涙と鼻水を流しながら、レオンハルトの柔らかな胸の谷間に顔を埋め、グリグリと擦り付けた。

 たとえ肉体が女性に変わろうとも、その魂の根底に流れる気高く不器用な優しさは、彼女が愛した英雄そのものだ。姿形が変わっても、狂気じみた手段を選ぼうとも、アリアンナのレオンハルトに対する愛は不変であった。

 レオンハルトは胸に顔を押し付けて泣き喚きながら暴れる妻を見下ろし、呆れたように、けれどひどく優しく、深い溜息を吐いた。

 

 

「……まったく。遺書やら代理母やら、随分と入念な準備をしてたじゃないか。お前は昔から、一人で抱え込んで勝手に完結しようとする悪い癖がある」

 

 

 その口調は咎めるようでありながら、愛する者の不器用さを丸ごと許容する響きを持っていた。

 

 

「だって、何時、どうやって死ぬのかわかんなかったし……」

 

 

 アリアンナはレオンハルトの胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で弁明する。

 

 

「私の目が捉えたのは『死』という絶対の結末だけで、過程までは視えなかったんだもん……せめて、子供だけでも守ろうとして……うああああああん!!」

 

 

 再び慟哭が響き渡る。

 彼女の脳裏に、自身が命を落としたあの日の記憶が鮮明に蘇る。

 

 

「あんな死に方するなんて、思ってなかったのぉ! アル君に……殺されちゃうなんてさあ……」

 

 

 アル君。パルシリアの建国王の長男。

 ライオネルの親友であり、アリアンナにとっても心を許せる数少ない身内の一人であった男。

 妊娠による魔力喪失という絶対的な無防備状態にあった彼女を、信頼していた身内の刃が貫いたのだ。

 

 

「そのせいで……エド君と、ライ君と、クラリスちゃんが……あんなになっちゃってえぇぇぇ!」

 

 

 アリアンナの涙は自身の死への無念だけではなかった。

 残された者たちの狂乱と絶望。

 アリアンナを姉のように慕い、親友に裏切られて彼女を殺されてしまった事への自責の念に狂い、生涯を血を吐くような贖罪に捧げて狂死した義弟、ライオネル。

 敬愛する師匠を理不尽に奪われ、その死を受け入れられずに精神を病み、歴史の闇へと消えていった直弟子、クラリス。

 息子が犯した重すぎる罪を背負い、国を導くために心を殺さねばならなかったエドワード。

 そして、愛する妻を失いながら生き続けてきたレオンハルト。

 彼らを筆頭に大勢の人間が不幸になった。

 彼女の死は、彼女を愛した多くの人々の運命を決定的に狂わせ、地獄へと突き落としてしまったのだ。

 

 

「私のせいだ……私が甘かったから……みんな、みんな不幸になっちゃった……」

 

 

 子供のように泣きじゃくるアリアンナの背中をレオンハルトは静かに、そっと抱きしめた。

 

 

「……まったく。一人で背負い込むな。取り敢えず……全部吐き出せ」

 

「……うん」

 

 

 アリアンナは、レオンハルトの女性としての豊満な胸にさらに深く顔を埋めた。

 

 

「やっべ、凄く柔らかくていい香り……私だって、そこそこある筈なのにぃ……この包容力、反則じゃん……」

 

 

 泣きながらも女性としての敗北感を噛み締めつつ、レオンハルトの温もりに甘えるアリアンナ。

 レオンハルトは、そんな妻の行動に再び小さく溜息を吐きながらも、されるがままに身を任せていた。彼にとって、この体温、この声、この涙、アリアンナの全てが、長年渇望してやまなかった魂の救済であったからだ。

 どれほどの時間が流れただろうか。

 泣き疲れ、時折しゃくりあげるアリアンナの髪を、レオンハルトは長い指で優しく梳くように撫でていた。

 

 

「落ち着いたか?」

 

「うん……ごめんね」

 

「気にするな。……話したい事が、山ほどある」

 

「私も。いっぱい、いっぱい話したい」

 

「ああ。まあ、もう少しお前が完全に落ち着いてからだ。時間はまだある」

 

 

 再会した夫婦は、互いの魂の形を確かめ合うように、静かな時間を共有していた。

 だがその安らぎは、唐突に、そして暴力的なまでに叩き割られた。

 

 

 

 

 ――ズクン!!!

 

 

 

 

 概念的な空間そのものが、物理的な重さを持ったかのように激しく軋んだ。

 二人は、瞬時に頭上――気配の発生源へと鋭い視線を向けた。

 そこに在ったのは、途方も無い力と、鋼鉄よりも硬く烈火よりも熱い『意志』の塊だった。

 空間の歪みの中から、一人の女がゆっくりと顕現する。

 深く澄んだ蒼い髪。

 燃え盛る恒星をそのまま埋め込んだかのような、黄金に輝く瞳。

 その肢体は、絶世の美女となったレオンハルトに勝るとも劣らない成熟した美しさを誇り、その身には神話の戦乙女を思わせる神々しき純白の鎧を纏っていた。

 そして何より、彼女の背中からは圧倒的な力の奔流が具現化した、光り輝く巨大な六枚の翼が生え揃っていた。

 ルミナであった。

 普段のリオに甘える幼く無邪気な少女の面影はない。

 そこにいるのは、愛する者を守るためならば世界そのものを敵に回してでも全てを焼き尽くす、絶対的な破壊の権化として覚醒したルミナの姿だった。

 リオと深く魂を結びつけた少女。

 そのルミナが放つ空間そのものを凍りつかせるような凄まじい怒りの波動に、レオンハルトとアリアンナは思わず顔を引き攣らせた。

 

 

「あの人って……ルミナちゃん、だよね?」

 

 

 アリアンナが、恐る恐るレオンハルトに確認する。

 

 

「ああ、ルミナだな」

 

「え〜と……怒ってる?」

 

「ああ。凄まじく気が立ってるな。俺でも、正面から受けるのは躊躇するレベルの怒気だ」

 

「どうして? 何で『テメェらまとめてブッ殺す』って目で私達を睨んでるの!?」

 

 

 アリアンナはパニックに陥りながら叫ぶ。ルミナの黄金の瞳は、間違いなく自分たち二人を明確な『敵』としてロックオンしていた。

 

 

「それはお前、リオを苦しめてる元凶が、リオの魂を手に持っているからでは?」

 

 

 レオンハルトの冷静な分析にアリアンナはハッと我に返り、己の腕の中に抱かれた銀色の光体を見た。

 ルミナにとって、リオがなぜあんなにも血の涙を流して絶望し、魂を崩壊させかけた「呪い」の根源である過去の亡霊(アリアンナ)が、今まさにリオの魂を抱え込んでいる。

 ルミナの目には大切なリオが、彼を苦しめる元凶に囚われ、今にも握り潰されようとしているようにしか見えていないのだろう。

 

 

「いやあああああ!!? あながち間違ってないから否定も言い訳も出来ないいいいいい!?」

 

 

 アリアンナは己の存在そのものが息子の呪いとなっている事実を自覚しているが故に、ルミナの怒りを真っ向から否定する言葉を持たなかった。

 

 

「待ってルミナちゃん! 話を聞いて! 私達はリオの敵じゃ――」

 

 

 アリアンナが必死に弁明しようとした、その言葉の途中で。

 ドンッ!! という爆発音と共に、ルミナの姿がブレた。

 速い。

 歴戦の魔法使いであり、事象の理を先読みする『目』を持つアリアンナですら反応するだけで精一杯の超絶的な速度。

 ルミナは一直線にアリアンナへと肉薄し、彼女がリオの魂を持っている方の腕に狙いを定めて手刀を振り下ろした。

 

 

「っつ!」

 

 

 アリアンナが反応しきれなかったその刹那、レオンハルトが動いた。

 女体化しようとも彼の中に眠る武の神髄は少しも衰えていない。流れるような身のこなしでアリアンナの前に立ち塞がり、ルミナの振り下ろされる腕を、両手を使って柔らかく捕らえにいく。

 だが。

 

 

「ぐう!?」

 

 

 接触した瞬間、レオンハルトの口から苦悶の声が漏れた。

 重い。ただの腕力や魔力の出力ではない。その一撃に込められた、リオを取り戻すという狂気的なまでの『執念』の質量が、レオンハルトの想像を遥かに超えていたのだ。

 真正面から受け止めれば、自身の腕の骨ごと粉砕されかねない。

 レオンハルトは瞬時に判断を切り替え、咄嗟に技を使った。

 ブオン!!

 合気にも似た、神業と言える力の受け流し。ルミナの突進のベクトルを捉え、自らの肉体を回転させることで、強引に吹き飛ばした。

 吹き飛ばされている最中ルミナは背中の光翼を羽ばたかせて瞬時に空中で姿勢を整えた。

 着地と同時に彼女の黄金の瞳がさらに鋭く細められる。

 

 

「……ねえ」

 

 

 アリアンナが引き攣った顔のまま、隣に立つレオンハルトに小声で話しかける。

 

 

「なんだ?」

 

「力そのものは、そこまでじゃない筈なのにさ。私達が昔戦った、あの糞婆より……ずっと怖いんだけど?」

 

 

 アリアンナの脳裏に、かつて世界を絶望の淵に追いやり、自分たちが討ち果たした「女神」の姿が過った。

 絶対的な力を振るっていたあの女神。

 あの時の女神に比べれば、目の前のルミナの神威は大したことがないはずだ。

 それなのに本能が警鐘を鳴らし、魂が震え上がるほどの恐怖を感じている。

 

 

「……俺もだ」

 

 

 かつて、その恐るべき女神をゴミのように淡々と斬り殺した英雄たるレオンハルトでさえ額に冷や汗を浮かべ、目の前の少女を畏怖していた。

 

 

「あの女神と違うのは、ルミナの根底に『愛』があるからだ。奴の浅ましい悪意など比べ物にならない。愛する者を奪われた、あるいは奪われそうになっている人間の執念ほど恐ろしいものはない」

 

 

 レオンハルトは、己の両手についた痺れを隠すように拳を握り込みながら言った。

 

 

「愛の力というものがどれだけ理不尽で、どれだけ世界を歪めるか……俺もお前も、嫌というほど良く知っているだろ?」

 

 

 そう。彼ら自身が、「愛」という名のエゴがどれほどの奇跡と狂気を生み出すかを、誰よりも体現してきたのだ。

 アリアンナは片手に持っている銀色の光体――リオの魂に向かって、引き攣った顔のまま語りかけた。

 

 

「……凄い娘に愛されちゃってるね、リオ」

 

 

 それは母親としての素直な感嘆であり、同時に息子の背負い込んだ業の深さに対する哀れみでもあった。

 この凄まじい執念を持つ少女の愛を一身に受け止める息子の苦労を思い、アリアンナは苦笑するしかない。

 

 

「それで、え〜と……今の貴方のこと、なんて呼んだらいい?」

 

 

 レオンハルトは、一瞬だけ視線を伏せ、そして静かに答えた。

 

 

「『レイン』、だ。……今はそう名乗っている」

 

「レ、レインって……」

 

 

 その名を聞いた瞬間、アリアンナの脳裏に過去がフラッシュバックした。

 

 

『女の子なら、レインにしようと思うの』

 

 

 もし、生まれてくる子供が女の子であったなら自分が名付けようとしていた名前。恵みの雨を意味する、優しく美しい名。

 結果的に男の子として生まれたためにお蔵入りとなったが、あろうことか自分自身を女へと作り変えた夫がその名を名乗っているのだ。

 娘につけるはずだった名前を、女体化した夫が名乗る。

 そのあまりにも倒錯した狂気に満ちた愛情の深さに、アリアンナの情緒は先程よりもさらにグチャグチャな状態となった。

 

 

「ああもう!! 今はツッコんでる場合じゃない!!」

 

 

 アリアンナは頭を抱えるのをやめ、ヤケクソ気味に叫んだ。

 目の前ではルミナが背中の六枚の光翼を大きく広げ、次なる絶死の一撃の準備を整えている。

 交渉の余地はない。言葉は届かない。

 ルミナの目にはリオを害する魔女(姑)と、それを庇う悪しき騎士(舅にして姑)としてしか映っていないのだ。

 

 

「嫁と姑の喧嘩じゃー!!」

 

 

 アリアンナは半ばヤケクソの叫びを上げながら、自身の内側から眠っていた大魔法使いとしての魔力を爆発的に引き出し始めた。

 息子を守るためではない。息子の嫁(予定)の暴走を止めるための命懸けの死闘。

 彼女は黄金の瞳を光らせて突撃の構えをとるルミナに向かって、涙目で悲痛な懇願を付け加える。

 

 

「……手加減してくれると、うれしいな……」

 

 

 かくして、元祖英雄夫妻と、現在の英雄夫妻の娘との、リオの魂を巡る常軌を逸した愛と狂気の激突が幕を開けたのだった。

 




今のルミナは暴走状態、子供を傷つけられた母親です。
母性、目覚めちゃいました。
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