天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
「…………」
身元不明のルミナの姉を名乗り。
一介の平民であり、女性経験など皆無のしがない童貞である俺の嫁だと、このスケスケネグリジェの幼女は、パルシリアの王女が堂々と自称している。
部屋の空気が、完全に停止した。
窓の外からは鳥のさえずりが聞こえ、朝の爽やかな風がカーテンを揺らしているというのに、このベッドの上だけは時間が凍りついたかのような異常な静寂に支配されていた。
俺の脳髄は、目の前の少女——フィオナと名乗る少女から提示された情報群の処理を完全に放棄していた。パルシリアの王族という雲の上の存在が、なぜ俺のベッドに潜り込んでいるのか。なぜルミナと姉妹関係を結んでいるのか。そしてなぜ、俺の嫁になろうとしているのか。
すべての前提が崩壊しており、思考の糸口すら掴めない。
「…………」
俺が完全なフリーズ状態に陥っているその傍らで、ルミナがゆっくりと動いた。
彼女は一切の表情を顔面から削ぎ落としたまま、無言でスッと右手を顔の高さまで持ち上げる。
その動作はあまりにも静かで、流れるように美しかったが、そこから発せられるプレッシャーは尋常ではなかった。
チカッ、と。
ルミナの掲げた右手から、金色の光がほのかに漏れ出し始めた。
それは温かみのある光ではない。すべてを貫き、すべてを蹂躙する絶対的な破壊の光だ。
(ル、ルミナフィンガー!!?)
俺は内心で悲鳴を上げた。
精神世界で青白いナマモノの姿をしていた管理者(ステラ)の臀部を、容赦なく、そして無慈悲に抉り抜いた禁断の必殺技だ。
ステラはあの後、あまりの痛みと屈辱にしばらく立ち直れなかった。物理的な破壊力と精神的なダメージを両立させる、恐るべき必殺である。それを今、この場で、パルシリアの王女に対して放とうとしているのか。
「ひっ……!?」
フィオナを名乗る少女の喉から、先程までの威厳が完全に吹き飛んだ、引き攣ったような悲鳴が漏れた。
彼女の目は大きく見開かれ、ルミナの手を凝視している。どうやらこの少女、その整った顔立ちに似合わず、野生動物並みの危険察知能力を備えているらしい。自身の尊厳と肉体(特に臀部)に対して致命的な結果をもたらすことを、本能のレベルで即座に理解したのだ。
フィオナはベッドの上でジリジリと後ずさりし、両手で自身のお尻を庇うような体勢を取った。
ヤバい。このままだとこのうら若き王女の尻が、ルミナの無慈悲な指先によって貫かれてしまう。パルシリア王国の歴史に、「王女、尻を抉られる」という前代未聞の不名誉な一ページが刻まれてしまう。う、頭が痛い。
俺は慌てて己の麻痺した体を叩き起こし、ルミナの右腕をそっと掴んだ。
「ル、ルミナ。落ち着いて。一旦深呼吸しよう」
「…………」
「大丈夫だから。俺はこの娘を嫁にした覚えは無いから。誓って無いから」
俺の必死の説得と弁明を聞いて、ルミナはジッと俺の目を見つめ返した。
彼女の翠玉の瞳の奥で揺らめいていた黒い殺意が、俺の言葉によって少しずつ中和されていくのがわかる。
「……むう」
ルミナは小さく不満げな声を漏らしながらも、指先に集束させていた金色の光をスッと霧散させた。
右手を下ろし、再び俺の隣にちょこんと座り直す。
よかった。なんとか落ち着いてくれたようだ。これにより、パルシリア王女の尻の平穏と、俺の首の皮一枚はギリギリのところで護られた。
「た、たすかったわ...」
少女は安堵の息を吐いた、正に九死に一生を得たような感じだった。
スケスケネグリジェ着て男の横に眠る度胸はあるのに、幼女に尻を抉られそうになるのはビビるんか?
ビビるに決まってるだろ。
俺は脳内でセルフツッコミをして、改めてベッドの左端で尻を庇っている少女に向き直った。
「それで、フィオナ様」
俺は努めて冷静な、臣下が王族に向けるような丁寧な声色を作った。
にわかには信じがたいが、まずはこの少女を「パルシリアの王女フィオナ」として対処するのが正解だろう。こんな警備の厳重な城の奥深くで、偽物が王女を詐称するメリットなど何一つない。それに何より、彼女の纏う只者ではないオーラや、先程の堂々とした(狂っているが)宣言の姿は、普通の平民の少女のものでは到底あり得なかった。
だが、俺のその丁寧な呼びかけは、不機嫌そうな声によって即座に遮られた。
「フィオナ」
「え?」
「『様』は付けないで。フィオナ、よ」
彼女は腕を組み、ぷくっと頬を膨らませて俺を睨みつけた。
「嫁になる女の子に『様』付けだなんて、夫婦間の距離感が遠すぎるわ。全然感心しないわよ、リオ?」
「いや、だから、なんで俺の嫁になる前提で話が進んでるの?」
俺は頭を抱えそうになった。
なんでパルシリアの王女が、突如として俺の嫁になっているんの、ねえ? 国の法律はどうなってるんだ。王族の婚姻って、もっとこう、国を挙げての重大行事じゃないのか。
「運命よ」
フィオナは、一切の迷いがない、澄み切った瞳で俺を見つめて言い放った。
「なんか、こう、ティンってきたの!!」
「…………ふう」
俺は深く、重い溜息を吐き出し、ゆっくりと天井を仰いだ。
ティンときた。
なるほど、そうか。完全に理解した。
どうやら俺は、まだ夢の中から抜け出せていないらしい。
ヴァリウスさんとの会話で気絶した俺は、今も深い眠りの底にいるのだ。
そして、あまりにも女性に縁がない寂しい童貞の精神が、無意識のうちに己の性欲と承認欲求を拗らせ、こんなご都合主義極まりない、美少女(しかも幼女)が突然「嫁になる」と言い出す夢を見せているのだ。きっとそうだ。そうに違いない。
「おやすみ」
俺は呟くと、右隣に座っていたルミナの小さな体をギュッと抱き寄せ、そのままベッドにゴロンと横になった。
「ん……」
ルミナは驚きながらも、俺の腕の中で安心したように身をすり寄せてきた。彼女から漂う甘く優しい香りが、俺の荒んだ精神を癒していく。
そうだ、俺はもう一度眠るんだ。こんなカオスな夢はリセットして、もっと平和で、理不尽のない優しい世界へレッツゴーだ。
「ちょ、現実逃避しないでよ!」
俺が至福の二度寝へと意識を沈めようとしたその瞬間、フィオナが俺の肩を激しく揺さぶってきた。
「ああもう、これは現実! 夢じゃないわよ! ほら、起きなさい!」
「うるさい、俺は夢の国へ旅立つんだ……」
「ルミナの夫=私の夫なのは当然の理屈でしょ!!」
その瞬間、俺の脳内に蓄積されていたツッコミのマグマが、限界を突破して大噴火を起こした。
俺はバッと跳ね起き、フィオナ様に向かって指を突きつけた。
「どんな計算式だ!!」
「ひゃっ!?」
「『ルミナの夫=私の夫』!? そんな方程式、パルシリアのどの学術書に載ってんだ!! そもそも俺はルミナの夫じゃねぇし、前提条件からして完全に狂っとるわ!!」
我ながら、魂の底から絞り出された完璧なツッコミだった。
声の張り、タイミング、そして事実の指摘。今の俺は、間違いなくパルシリアで一番冴えているツッコミ職人だ。
しかし、俺のその渾身の怒声を受けて、フィオナ様は怯えるどころか、パァッと顔を輝かせた。
「ふふっ……なんて切れ味の良いツッコミなの。流石ね——剣士なだけに」
ドヤ顔。
彼女は完璧なドヤ顔で、極めてレベルの低い、何処かで聞いた事があるようなダジャレを放ってきた。
「…………」
間違いない。
この娘は、間違いなくあのエドワールさんの娘だ。
彼の血が受け継がれていることを、何故か俺は確信した。
俺はフィオナ様の相手を一旦保留し、腕の中にいるルミナの顔を見下ろした。
「ルミナ。その、フィオナ……王女とは、一体いつ知り合ったんだ?」
俺が倒れている間に、何日も月日が流れていたのだろうか。ルミナが王女と姉妹の契りを結ぶほどの長い時間が。
ルミナも俺を真っ直ぐに見つめ返し、短い言葉で答えた。
「きのう、あった」
「…………」
ルミナは、一切の嘘偽りない純粋な瞳で俺の疑問に答えてくれた。
昨日。
たったの、昨日。
昨日出会ったばかりじゃん!
そんなわずか二十四時間にも満たない短い間で、どういう過程を経たら一国の王女とルミナが「姉妹」になるんだよ?
んでもって、なぜその延長線上で、その王女が「俺の嫁」になるんだよ?
王族の距離感、どうなってんのさ? バグにも程があるだろ。
「ふふふ。昨日、ルミナを初めて見た時に、直感したの」
俺の内心の混乱をよそに、フィオナはベッドの上でふんぞり返り、自慢げに語り始めた。
「雷に打たれたような衝撃だったわ。ああ、この世界一かわいい娘は、私の妹だ! ってね」
フィオナ様……いや、もうフィオナでいいや。彼女は真顔でそんな狂った理論をのたまった。
ルミナが世界一かわいいっていう主張には、俺も全面同意する。首がもげるほど同意する。
でも、だからってなんで「妹」になる? そしてなんで「嫁」に派生する?
どういう思考回路を経由したら、そんなぶっ飛んだ結論に行き着くのか、俺の凡人の頭脳では到底理解できない。
いや……待てよ?
俺だって、ルミナと出会ってからまだ日も浅いのに、彼女を大切な「家族」として認定し、命を懸けて守ると心に誓っている。
それを考えると、出会った瞬間に家族認定する彼女のことを、あまり強く非難することはできないかもしれない。俺も同類といえば同類だからだ。
俺がそんな葛藤を抱えながら黙り込んでいると、ふと、フィオナが俺の目をじっと見つめてきた。
「…………」
その瞬間、俺の背筋を冷たいものが走り抜けた。
先程までの、ポンコツで変態じみた幼女の顔ではない。
漆黒の瞳の奥底に、深淵を覗き込むような、恐ろしいほどの理知の光が宿っていたのだ。
相手の皮膚を透過し、筋肉を透かし、心臓の鼓動から魂の形まで、そのすべてを残酷なほど正確に見抜くような、絶対的な観察者の眼差し。
俺は、思わず息を呑み、彼女の視線に射竦められたように動けなくなった。
俺もまた、彼女を観察する。
(この娘……茶苦茶頭がいいぞ)
直感が、俺にそう告げている。
それだけじゃない。
(それでいて、その圧倒的な知性に振り回されることなく、自分というものを完全に制御している確固たる芯を感じる。……この年齢で、これほどの覇気と知性を兼ね備えているのか?)
俺は戦慄した。
この娘は、将来とんでもない大物になる。
お姫様で済む器じゃない。
「うん、良い」
フィオナは、品定めをするように何度か頷き、スッと俺の鼻先に白く細い指を突きつけてきた。
「なんというか……すっごく不器用そうね、あなた」
「なっ……」
「滅茶苦茶才能があって普通にしていれば人生を超イージーモードで生きていけるポテンシャルがあるのにその真面目すぎて自己評価の低い性格のせいで自分から進んで泥水の中に飛び込み他人の苦労をガンガン背負い込んでボロボロになってしまうタイプと見たわ!!」
ワンブレス。
一切の淀みなく、息継ぎすら一切せずに、彼女は俺の本質を機関銃のように撃ち抜いてきやがった。
すげえ肺活量と滑舌だよ、この幼女。
「余計なお世話だ!!」
俺は顔を真っ赤にして、思わず叫び返した。
なんかすっげえグサッと来たぞ。心臓のど真ん中に、鋭利なナイフを深々と突き立てられたような痛覚。
ちくしょう。暁の剣のメンバーたちからも事あるごとに「リオは背負い込みすぎだ」「もっと人を頼れ」と言われ続けてきたが、初対面の幼女にまで見透かされるほど、俺って不器用でわかりやすいのか?。
俺が図星を突かれて落ち込んでいると、フィオナは突き出していた指を引っ込め、クスリと優しく微笑んだ。
「完璧な奴なんて、つまらないわ」
「え……?」
「弱さや不器用さがあるからこそ、人は美しいのよ。あなたのその泥臭さは、とても魅力的よ」
俺の最大の欠点を、彼女はまるで極上の宝石でも見つけたかのように、肯定してくれた。
だが……幼女の口から出る言葉じゃねえだろ、それ。達観しすぎている。人生何周目だよ。
普通この年頃の王女様なら、レオンのような非の打ち所のない完璧な白馬の王子様イケメンにキャーキャー言うものではないのか? なぜ俺のような泥臭い裏方気質の男を評価する。
「そういう意味では、ルミナ抜きで考えても……あなた、とても『良い』わね」
フィオナは腕を組み直し、俺の顔を舐め回すように見つめた。
「さっきから私がどんなに突拍子もないことを言っても、どんなに私が変態的な態度を取っても、あなたは私にドン引きしつつも、決して『女子供』と侮ったり、王族だからと過剰に媚びへつらったりせずに、一人の人間として『対等』に接してくれている。私の本質を、ちゃんとその目で見ようとしている」
彼女の言葉に、俺はハッとした。
確かに俺は、彼女をパルシリアの王女だと認識しつつも、一人の「ヤバい奴」としてフラットに対応してしまっていた。それが、彼女にとっては新鮮だったのだろうか。
「多分、あなたとなら、とても良好で面白い夫婦関係を築ける気がするわ」
確信したように深く頷くフィオナ。
その笑顔には、先程までの狂気は潜みを潜め、一人の聡明な女性としての魅力が溢れ出していた。
「道理で、ルミナみたいな特異な存在でも、迷うことなく家族として受け入れられたわけだわ。偏見がなく、器が広いのね。……そもそも、あなた自身の出自が特別だからかしら?」
探るような、フィオナの問いかけ。
『特別』。
その言葉が、俺の胸の奥にある古傷を微かに疼かせた。
俺は自嘲気味に笑って首を振った。
「俺は、ただの孤児だよ。特別な背景なんて、何処にもあるか」
俺は、孤児院の前に捨てられていた赤ん坊だった。
誰の血を引いているのか、どこから来たのか、何一つ持っていない空っぽの存在。
ただ、院長先生が言うには、決して憎まれていたり、疎まれてゴミのように捨てられたわけではないらしいが……。その真実は、深い闇の中だ。
特別な血統も、誇るべき家名もない。ただ、拾われた命を必死に繋いできただけの、ありふれた平民の男。それが俺だ。
俺の言葉を聞いて、フィオナは何かを思案するように目を細めた。
「……今は、そういう事にしておくわ」
意味深な言葉。
彼女のその圧倒的な洞察力は、俺自身すら知らない「俺の真実」の尻尾を、すでに掴みかけているようだった。
「ふふふふふ。まぁ、取り敢えず今は、未来の旦那様との親睦を深めるところから——!?」
フィオナが再び妖艶な笑みを浮かべ、俺にすり寄ろうとしたその瞬間だった。
青白い一筋の光の弾丸が、物理法則を無視した尋常ではない速度で飛来した。
「のばぁ!!?」
凄まじい破裂音と共に、フィオナの美しい右頬に、その『青い毛玉』がクリーンヒットした。
フィオナの顔面が再びひしゃげ、ベッドの上をゴロゴロと無様に転がっていく。
「リオ君にまで手を伸ばしてんじゃねえよ、このド変態節操無しがァ!!」
ベッドのシーツに着地し、ドスの効いた怒声を張り上げたのは、俺がよく知る存在だった。
「ス、ステラぁ!!?」
俺は目を疑った。
精神世界で俺を導いた管理者、ステラ。
今では可愛らしい子猫の姿をしている彼女が、なんと現実世界のベッドの上で、二本足で仁王立ちしているではないか!
「えっ、嘘!? ステラって現実世界に実体として出られるの!?」
俺の驚愕をよそに、顔面を蹴り飛ばされたフィオナが、ベッドの端でゆっくりと体を起こした。
彼女の長い黒髪が乱れ、その瞳には明確な怒りの炎が燃え盛っている。
「……一度のみならず、二度も私の顔面を蹴ってくれたわね……!」
地を這うような恐ろしい声。どうやら、俺が気を失っている間にも、ステラに顔面を蹴り飛ばされていたらしい。
「何度だって蹴ってやんよ! お前みたいな手癖の悪い変態が、うちのリオ君とルミナに近づくのは教育上よろしくねぇんだよ!」
ステラは二本足で器用にステップを踏みながら、前足を拳闘士のように構えて挑発した。
「ふざけないで! 私はルミナの姉であり、リオの嫁よ! 家族のスキンシップを邪魔する野良猫は、毛皮を剥いで絨毯にしてやるわ!」
「こいや、スケスケ変態姫!!」
バチバチと、二人の間に見えない火花が散る。
おお……。
俺はただただ呆然としていた。
ステラといえば、精神世界では俺やルミナに対しては、少しお調子者ながらも比較的腰の低い態度で接してくれていた。
それがどうだ。このフィオナに対しては、完全に裏路地のチンピラのようなケンカ腰である。
逆に言えば、それほどまでに彼女たちは遠慮のない関係性を(たった一日で)築き上げてしまったということか。波長が合うというか、同族嫌悪というか。
「「おりゃああああああああああ!!!」」
咆哮と共に、一人と一匹がベッドの上で激突した。
フィオナは王族らしからぬ身軽さでステラに飛び掛かり、ステラは純粋な猫の俊敏性と肉弾戦でそれを迎え撃つ。
取っ組み合い、髪を引っ張り合い、泥沼のキャットファイト。
「痛い! 噛むなこの駄猫!」
「お前こそ 離せ!」
俺の寝ていたベッドの上は、突如としてパルシリア王国最大の激戦区と化した。
しかし、俺はその熱い死闘に介入する気など微塵も起きず、ただ呆然と見守ることしかできなかった。
なんなの、これ? 俺、病み上がりなんだけど。もっと労ってくれないかな。
すると、俺の右側に座っていたルミナが、静かに動いた。
彼女は俺の左側——先程までフィオナが抱きついていた腕——に回り込むと、両手で俺の左腕をギュッと抱きしめ、自分の頬をスリスリと執拗に擦り付け始めたのだ。
「うわがき」
ルミナは、真剣な表情でそう呟いた。
「上書き」。
つまり、俺の左腕にこびりついてしまったフィオナの残り香と感触を、自分自身の匂いと温もりで上書き保存しようとしているのだ。
「ル、ルミナ……?」
まるでマーキングをする子犬のような可愛らしい仕草に、俺の心臓がキュンと鳴る。
だが、状況は依然としてカオスだ。
左腕には金髪の美少女がスリスリと匂い付けを行い、目の前では、パルシリアの王女と青い二足歩行の猫が、死闘を繰り広げている。
助けてくれ。俺の精神がもたない。
俺は救いを求めるように部屋の入り口へと視線を向けた。
そこには、扉の隙間からこちらの中の様子をそっと覗き込んでいる、見慣れた二人の姿があった。
カイル君とアリッサさんだ。
彼らは、この城で俺たちを護衛するために配置された、優秀な騎士であるはずだ。
(たすけて)
俺は、声を出さずに口パクと視線だけで、彼らに必死のSOSサインを送った。
『騎士殿! 警護対象が困窮しています! 助けて!』
だが、俺のその悲痛な視線を受け止めた二人は。
ゆっくりと、そして極めて同情的な表情で——深く首を横に振った。
カイル君とアリッサさんの目が語っている。
『すんません、リオさん。流石にそれは無理っす。魔物や暗殺者なら幾らでも命を懸けて戦うんですが……王女様と猫の取っ組み合いに介入するとか、俺には出来ません』
『すみません、リオ様。私のような平騎士には、荷が重すぎます。……ルミナ様と同じ様に、フィオナ姫様とも末永くお幸せに』
パタン。
無情にも、扉は静かに、そして完全に閉ざされた。
「ちょっと!?」
俺は思わず声に出してツッコんだ。
君たち、俺らの護衛だよね!? 警護対象を守るのが仕事だよね!?
なんで王女と猫の死闘は「管轄外」みたいになってんの!? しかもアリッサさん、勝手に俺をフィオナとくっつけようとしないで!
だが、冷静に考えれば彼らの判断は正しい。正しすぎる。
蒼い子猫とパルシリアの姫がシーツの上でデスマッチを開催し、その傍らで金髪の幼女が俺の左腕にスリスリとマーキングをしているという、この地獄のようなカオス空間。
こんな状況を適切に処理できるマニュアルなど、騎士団の教本には一行も載っていないだろう。俺が逆の立場なら、間違いなく見なかったことにして扉に鍵をかける。
助けは、来ない。
俺はこの理不尽の嵐が過ぎ去るのを、ただ耐え忍ぶしかないのだ。
(たすけて……)
俺はもう誰も覗いていない扉から視線を外し、天井の木目に向かって天に祈るように助けを求めてみた。
だが当然、神様からの反応は何一つ返ってはこなかった。
部屋の中には、フィオナの怒声とステラの威嚇音、そしてルミナの「うわがき……」という呟きだけが、いつまでもカオスな輪唱のように響き続けていた。
やっぱりギャグを書くのは楽しいなあw