天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
リオがアスク先生の診察を受けるため、アンナに付き添われて部屋を出て行ってから、ほんの数分。
たったそれだけの時間しか経っていないというのに、この部屋を満たす空気の密度は、まるで別の世界のように重く、冷たく変色してしまっていた。
主を失った大きなベッドの縁に、ルミナがちょこんと腰掛けている。
その小さな背中は嘘のように丸まり、誰の目から見ても分かりやすくしょんぼりと沈み込んでいた。
光の加減できらめく美しい金糸の髪が、深く俯いた拍子にさらりと華奢な肩から滑り落ち、彼女の愛らしい表情を完全に覆い隠してしまう。
(あ〜あ……完全に、雨の日に路地裏へ置き去りにされた子犬の目をしてるわね)
私はベッドの反対側に優雅に腰を下ろし、シーツに指先を沈めながら、愛しの妹()の横顔を観察していた。
リオが部屋を出る直前の光景が、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
ルミナは確かに「ついて行く」と小さな声で言い張り、リオの服の裾を小さな手で、縋るように必死に握りしめていたのだ。
だが、その愛らしい懇願に優しく、しかし騎士としての絶対的な毅然さをもってストップをかけたのはアンナだった。
『ルミナ、あなたはここでお留守番よ。先生の診察は、静かな環境で集中して受けなきゃいけないの。……リオをゆっくり休ませてあげるためにも、ね?』
そう言い聞かされた時の、ルミナのあの世の終わりのような絶望顔といったらなかった。
アンナの言っていることは百パーセント正論だし、一切の隙がない。
そして何より、あの女性が纏う絶対的な包容力と、逆らうことを本能的に諦めさせるような静かな威圧感の前に、ルミナは唇を尖らせて不満を露わにしながらも、こくりと頷くしかなかったのだ。
(やっぱり、アンナはルミナの……)
思考の海に、冷たい小石を投げ入れたような静かな波紋が広がる。
あの二人の間に自然と流れる空気感。
言葉を交わさずとも、視線ひとつ、吐息ひとつで通じ合ってしまうような、奇妙なまでの親和性と無意識の距離感。
あれは決して、単なる「護衛騎士と保護対象の少女」なんて生易しい関係性から生まれるものではない。
まるで——長い年月を共にしてきた、本物の母親と娘のそれだ。
私の頭脳が、アンナ・オーリンという謎多き女性の正体について、いくつかの恐ろしくも辻褄の合う仮説を組み立てていた。
けれど、今はまだそのパズルを無理に完成させる時じゃない。
リオなら普通、とっくに気付いているはず……。
けれど、彼の中にある何か強固な防衛本能か、あるいは記憶の欠落が、真実に至る思考を意図的に遮断しているようにも見える。
これに関しては、成り行きに任せるしかないわね。
「大丈夫だよ、ルミナ」
静まり返った部屋に、鈴を転がすような、しかしどこか無理に背伸びをしたような幼い声が響いた。
絨毯の上に座り込んでいた青い毛玉——ステラが、心配そうに琥珀色の瞳をパチパチと瞬かせながら、トコトコと二本足で歩いてルミナの足元にすり寄っていく。
「アンナが傍に居るんだからさ。あの人、すっごく頼りになるし、リオ君のこともちゃんと見ててくれるよ。だから、そんなに落ち込まないでさ」
ステラなりの、精一杯の気遣い。
神様だか管理者だか知らないけれど、今のこのポンコツ猫は、ただ純粋にルミナを元気づけようと、短い前足を動かしながら一生懸命に言葉を尽くしていた。
だが、ルミナの伏せられた顔は、一向に晴れる気配を見せない。
翠の瞳は光を失ったままで、膝の上で揃えられた小さな両拳は、微かに、しかし確かに震えていた。
(そうよね……無理もないわ)
私は心の中で、誰にも聞こえないように小さく溜息をついた。
昨日、ルミナがリオから離れていた、ほんの僅かな空白の時間。その間に、リオは突如として意識を失い、深い昏睡の淵へと堕ちてしまったのだ。
今朝目覚めた彼の手首や指先は氷のように冷え切り、激しい頭痛と吐き気に苦しんでいた。
自分の目の届かない場所で、最も愛し、依存し、世界そのものとも言える大切な存在が傷つき、倒れてしまう——その恐怖と無力感は、この幼い心に、想像を絶するほど深く鋭利な爪痕を残したはずだ。
(それにしても……本当に何をしたのかしらね、ヴァリウス様は)
パルシリア王国筆頭の宮廷魔法使いであり、知の権化とも呼ばれる偉大な魔導士。
彼がリオと二人きりで話をして、その結果、リオは精神崩壊の一歩手前まで追い詰められて倒れた。
ヴァリウス様のことだから、悪意を持ってリオを害しようとしたわけではないのは明白だ。おそらくは、純粋な学術的好奇心の暴走か、あるいは彼なりの善意の空回り。
だが、その無邪気で配慮に欠けた踏み込みが、リオという少年の胸の奥底に分厚い鎖で封じられていた、決して誰も触れてはならなかった『致命的な傷』を容赦なく抉ってしまったのだ。
(リオ・ハートフィールド……)
私の唇が、音もなくその名をなぞる。
自分でも驚くほど、説明のつかない不可解な感情だった。
彼と出会ってから、まだ丸一日すら経っていない。
言葉を交わした回数だって、数えられる程度だ。
それなのに、私のこの常に冷静沈着で、何事も冷徹に計算し尽くしてきたはずの心臓は、彼の一挙手一投足に、激しく揺さぶられていた。
ついさっき、ベッドの上で言葉を交わした時のこと。
あの人は、驚くほど優しい人だった。
自分自身が激しい頭痛と吐き気で立っていることすらままならないはずなのに、真っ先にルミナを気遣い、アンナに深々と謝罪し、周囲の人間を不安にさせまいと必死に顔の筋肉を動かして笑顔を作っていた。
悲しいくらいに、自分という存在を後回しにする人間。
そして同時に、彼は強い人だった。
どれほど理不尽な運命に打ちのめされ、泥水を啜らされ、心身を傷だらけにされようとも、大切な者のためなら血反吐を吐きながらでも何度でも立ち上がってみせる——静かに、しかし決して消えることなく灯り続ける不滅の闘志を、私は彼の瞳の奥に確かに見たのだ。
自分でも完全に予想外だった。
これまでパルシリアの王宮の中で、私は数え切れないほどの貴族、騎士、学者と会ってきた。
けれど、彼ほど話をしていて波長が合い、魂の底が心地よく共鳴するような感覚を覚えた相手は、ただの一人もいなかった。
凄く、惹かれてしまう。
彼が放つ言葉の一つ一つが、不器用で、飾り気のない無骨な優しさが、私の心をどうしようもなく楽しく、温かく満たしてしまうのだ。
私という人間が、他者に対してこれほど急速に、かつ無防備に好意の扉を開け放つなんて、私の誇る明晰な頭脳をもってしてもまったく論理的な説明がつかない。
私は、たとえ肉を分けた家族に対してであっても、どこか心の奥底に冷徹な壁を作ってしまう悪癖がある。
パルシリアの第一王女として、常に一歩引いた視点で盤面を観察し、他人の思惑を値踏みしてしまう癖が染み付いているのだ。
だけど、あの少年に対してだけは、その分厚い壁が跡形もなく消え去ってしまう。
あんな風に、ベッドの上で無邪気に声を張り上げてはしゃぎ、ふざけ合うなんて、私の人生で本当に初めてのことだった。
ルミナというこの上なく愛らしい妹と……まあ、オマケとしてついてきた生意気な猫に出会えたことは、私の退屈だった人生における、最大の幸運かもしれないわね。
(……まあ、論理的に理解できないことは後回しよ!)
私は小さく首を横に振って、頭の中に渦巻いていた複雑な思考を強制的にシャットアウトした。
解けない難問はいったん盤面の隅に置いておくのが、私の信条だ。
それよりも今、何よりも優先すべき急務は、目の前の状況である。
この、部屋の四隅にまで澱のように重く沈み返った空気を、どうにかして打破しなければならない。
しょんぼりと耳を伏せた子犬のように落ち込んでいるルミナも、それはそれで私の歪んだ保護欲を強烈にそそるというか、見ているだけで口の端から涎が垂れてきそうなくらいに愛らしく、破壊力抜群の光景なのだが……。
やはり、私の可愛い妹には、太陽のように無邪気に笑った顔が一番よく似合うのだ。
(さて、どうやってこの息の詰まる空気をぶち壊してやろうかしら?)
私の脳内ライブラリから、パルシリア王宮秘伝の切れ味鋭いブラックジョークや、下劣極まりない高位貴族たちの裏スキャンダルネタが、次々と高速で検索されていく。
どれを投下してこの重苦しい空気を爆破してやろうかと、私が口元に悪巧みのような笑みを浮かべた、まさにその時だった。
コン、コン、コン——。
控えめだが、どこか焦りを孕んだ慌ただしいリズムを刻むノックの音が、静まり返った室内に響き渡った。
「姫さま〜? 入ってもいいですか〜?」
扉の向こうから聞こえてきたのは、私にとって聞き慣れた、気の抜けるような声だった。
私の専属侍女であるメリルだ。
(……グッドタイミングよ、メリル!!)
私は心の中で、ガッツポーズと共に快哉を叫んだ。
この沈鬱な空気を一撃で吹き飛ばすための、最高のピエロが自ら舞台の幕を押し開けて上がってきてくれたのだから。
「入りなさい、メリル。許可するわ」
私がベッドの上からよく通る声で応じると、ガチャリと金属音を立てて扉が開き、両腕いっぱいに綺麗に畳まれた着替えのドレスや下着を抱えたメリルが、おずおずと部屋の中に足を踏み入れてきた。
「失礼し……まああああああああああああああああああっっっ!??!?!」
部屋に足を踏み入れた、そのコンマ数秒後。
メリルの視界が、ベッドの上に足を崩して優雅に鎮座する私の姿を捉えたその刹那、彼女の口から鼓膜を粉々に破壊せんばかりの、怪鳥の断末魔のような大絶叫が炸裂した。
抱えられていた高級なシルクの衣類の山が、まるで重力を失ったかのように宙高く舞い上がる。
メリルは両目を限界までひん剥き、顔面を耳の先まで真っ赤に沸騰させながら、生まれたての小鹿のようにプルプルと全身を激しく痙攣させていた。
その血走った視線の先にあるのは、言うまでもなく——。
極上の透け感、必要最低限の布地面積、そして成長途上にある少女の柔らかな肌のラインを余すところなく主張する、過激極まりないスケスケのネグリジェを着た、このパルシリアの至宝たる私である。
「な、な、な、なんて格好をしてるんですかあああああああ姫さまあああああああっっっ!?!?」
おお、素晴らしい。実に見事な錯乱ぶりだ。
メリルの瞳が、ぐるんぐるんと渦を巻いて高速回転している。ちょっと狂気を感じるレベルだ。
「ちょっとメリル、うるさいわよ。パルシリア王女の専属侍女たるもの、そんな品のない大声を張り上げるものじゃないわ」
私は小指の先で耳をほじりながら、涼しい顔で嗜めてみせた。
視界の端を盗み見ると、あまりの爆音にルミナが目を真ん丸にしてポカンと口を開けており、ステラに至っては驚愕のあまり全身の青い毛を逆立てて、天井近くまで跳び上がっていた。
よし。完璧だ。
ルミナの胸を覆っていた重苦しい暗雲は、メリルの渾身の絶叫によって、木っ端微塵に吹き飛んだ。
流石は私の専属侍女、実にいい仕事をしてくれるじゃないの。
「う、うるさいとは何事ですかぁっ! 私がアンナ様から伝言を預かった時、何か嫌な予感はしていたんです! していたんですが……まさかこんな、こんな破廉恥の極みみたいな事態になっているだなんてええええっ!」
メリルは床一面に散らばった衣類を拾うことすら完全に忘れ、頭を両手で抱えてドタバタと地団駄を踏んだ。
なるほど、アンナの手配だったのね。
私がスケスケネグリジェ姿でリオのベッドに潜り込んでいたことに対して、あの場では一切ツッコミを入れずにスルーしていたから、てっきり見逃してくれたのかと思いきや……裏で侍女を動かして着替えを届けさせるとは。
本当に、どこまでも手際が良くてそつのない女だわ、アンナは。敵に回したら間違いなく一番厄介で恐ろしいタイプね。
「殿方の! よりによって血気盛んな年頃の殿方が泊まる部屋で、そんな無防備極まりない格好をするなんて、はしたないってレベルを遥かに超越してますよ姫さまっっっ!!」
メリルは鬼の首を取ったような形相で、ビシッと鋭い人差し指を私に突きつけてきた。
「今日という今日はお説教です!! ……セシリア様が!!」
「そこはママの名前を借りるんじゃなく、自分自身の言葉で説教する気概を見せて欲しかったわね」
私は心底ガッカリしたように、大袈裟に肩をすくめてみせた。
散々威勢よく捲し立てておきながら、最後の最後で母親の名前を出して威を借るあたり、実にメリルらしいヘタレっぷりだ。
まあ、そういう小心者で、どこまでも人間臭いところが、彼女の最高に可愛らしくて憎めない美点なんだけど。
「う、うるさいうるさいうるさぁい!! だいたい、そんな無防備極まりないスケスケの格好をして、もし万が一、億が一にでも殿方に獣のように襲われたらどうするおつもりだったんですか!?」
メリルが涙目で必死に訴えかけてくる。
純情侍女の彼女にとって、未婚の王女が男の部屋で薄着を晒すなど、国家転覆や天変地異に匹敵する大事件なのだろう。
だが、その哀れな問いに対する私の答えは、とっくに決まっていた。
「あら、襲われる心配なんて完全に杞憂よ」
私はベッドの絹のシーツを指先でトントンとリズミカルに叩き、妖艶極まりない笑みを浮かべて言い放った。
「だって私、リオと同衾したんですもの。でも、全然手を出されなかったわ」
空気が、完全に凍結した。
いや、違う。凍りついたのではない。
メリルの脳内で、思考の回路が天文学的な速度で暴走を始め、限界を超えてオーバーヒートを起こしたのだ。
(……それにしても、思い出すだけでちょっと腹が立つわね)
私の脳裏に、先程のリオの反応が蘇る。
パルシリアの至宝とも称されるこの究極美少女(私)が、スケスケのエロエロな格好で、自ら添い寝をしてあげていたというのに!
あの朴念仁ときたら、微塵もムラムラした様子を見せず、鼻の下を伸ばすこともなく、ただ純粋な恐怖と混乱で小刻みに震えていただけ。
なんなのよ、それ! 私の女性としての魅力不足!?
それとも何、男って生き物は、やっぱり前に突き出たおっぱいがないと反応しない単細胞な生き物なわけ!?
成長期の私の慎ましやかな胸元じゃ、彼の男としての性欲の導火線に火をつけることはできなかったっていうの!? キーッ、思い出すだけで悔しい!
私の内心の激しい憤慨をよそに、メリルは顔面を蒼白から真っ赤へ、そして再び真っ白へと目まぐるしく変色させながら、顎をカタカタと激しく震わせていた。
「ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど……っっっ!!」
「『ど』が多いってば、メリル。息継ぎしなさい」
「どうっっっきんんんんんんんんんんんんんんんんんんんっっっっっっ!!??!?!?!」
本日二度目の、魂の全エネルギーを削り出すような大絶叫。
あまりの音圧と声量に、部屋の分厚い窓ガラスがビリビリと激しく共鳴して震えた。
いいシャウトねぇ。王立歌劇場のトップを張るプリマドンナでも、ここまでのハイトーンボイスは出せないわよ。
ふと部屋の入り口に目をやると、半開きになった扉の隙間から、近衛騎士のカイルとアリッサが恐る恐る中を覗き込んでいるのが見えた。
二人はメリルの口から発せられた「同衾」という破滅的な単語を聞いた瞬間、同時に顔を見合わせ、引き攣った笑顔を浮かべると、音もなくスッと首を引っ込めて扉を閉めた。
パタン
静かに閉まる扉。
うん、素晴らしい危機回避能力ね。君たちの卓越した生存本能に、私からも二重丸(花丸付き)を授与してあげるわ。
ご褒美にお給料カット……は流石に可哀想だから、今月のおやつを全部没収してあげるわね。
「そ、そ、そ、そんな……! 姫さまが、あの純潔無垢で雪のように清らかだったはずの姫さまが、大人の階段を一気に駆け上がってしまわれたなんて……っ!?」
メリルは両手で頭を抱え、床の上で狂乱のステップを踏みながら、次なる妄想の深淵へとダイブしていった。
「屈強で野性味あふれる少年剣士に……まだ未成熟で柔らかい姫さまのお体を、薄暗い部屋の中でねっとりぐっちょりと触りまくり……! あああんなことや、そそそんなことや、口にするのも憚られるような破廉恥極まりない秘め事を……っ!!」
「あっ、やべ」
私は思わず呟いた。
完全に、メリルの『エロ妄想暴走スイッチ』が入ってしまったのだ。
一度リミッターが外れたメリルの妄想力は、宮廷魔法使いの高等詠唱よりも素早く、次々と下劣で生々しい禁断のシナリオを脳内で紡ぎ出していく。
「ああっ、姫さま! 『痛いから優しくして』なんて泣き叫ぶ姫さまを力づくで組み敷いて、荒い獣のような息を吐きながら貪り尽くすリオ様……! そして、朝露に濡れた花びらのように無残に散らされる王女の純潔……! なんてこと……なんて恐ろしいことなの……! ああ、でも……でも、ちょっとだけその光景を見てみたかった気も……いやいや何を考えてるの私っ!?」
メリルが一人で百面相を繰り広げながら、エロエロな妄想を滝のように湧き出させて悶絶している。
……感心するわね、正直なところ。
日頃からどんな怪しげな官能小説を読み耽っていれば、そんな短時間でこれほど多彩で下品なバリエーションの性癖を網羅できるのかしら。私ですら思いつかないような倒錯的なワードが、ポンポンと口から飛び出してくるじゃないの。
これでまだ十三歳だと言うのだから、将来が本当に恐ろしいわ、メリル。
ふと横を見ると、ルミナが小首を傾げて、まん丸な瞳をパチクリとさせていた。
「……?」
純真無垢、無垢なる純白そのものの表情。
大人の階段だの、ねっとりぐっちょりだのという言葉の意味がまったく分からず、ただ純粋な疑問符を頭の上にたくさん浮かべている。
……ああ、もう! なにその無防備なキョトン顔!
犯罪的なまでに可愛すぎるでしょ! 今すぐ抱きしめて頬ずりして、全身を甘やかしたい!
しかし、そのルミナのピュアすぎる反応を見て、血相を変えて飛び出してきた者がいた。
「ちょっとちょっとちょっと!! やめてぇぇぇっっ!!」
ステラだ。
青い毛玉が二本足でスクッと立ち上がり、短い前足を必死に上下にバタバタと振って、メリルの前に仁王立ちで立ちはだかった。
「ここにはルミナが! 穢れを知らない純真無垢なルミナが居るんだよっ!? お願いだから、その歪みきった穢らしい性知識をあの娘の耳に入れないでぇぇぇっ!!」
ステラの、魂からの必死の叫び。
確かに、この駄猫の言う通りね。
真っ白で何の色にも染まっていないルミナの心に、メリル特製の下劣極まりないエロ知識を注入したらどうなるか……ほんのちょっぴり、いやかなり興味があるけれど。
けれど、やはり我が愛しの妹の健全な教育上、それはよろしくないわ。
蕾が朝露を浴びて自然と花開くように、少女の心は自然な変化を経て大人になっていくのが一番美しいのだから。
だが、メリルは猫の必死な訴えに耳を貸さない。
自分の妄想で頭が一杯になってて、聞こえてないのだ。
(というわけで……そろそろ黙らせましょうか)
私はベッドから音もなくスルスルと滑り降りると、妄想の世界で悶絶し、一人で勝手に羞恥に身を悶えさせているメリルの背後へと、気配を完全に断って音もなく回り込んだ。
そして、胸の前で両手の手のひらをピタリと合わせ、両の人差し指を真っ直ぐに、鋭利な槍のように突き出す。
狙うは、無防備に晒されたメリルの、最大の急所——!
「秘技——プリンセス殺し!!」
ズドォッ!!
「ぱぎゃああああああっっっ!??!?!」
私の渾身の突きが、メリルのお尻のど真ん中へと、寸分の狂いもなく正確無比に突き刺さった。
メリルは背骨を獲れたてのエビのように大きく反らし、人間とは思えないカエルのような奇声を上げると、そのまま前のめりに床へと崩れ落ちた。
ビクン、ビクンと二、三度痙攣した後、彼女は完全に沈黙した。
よし、暴走馬車の強制鎮圧、完了。
流石はパルシリアに古くから伝わる淑女の護身術。素手でも極めて効果的に相手に精神的・物理的ダメージを与えられるが、無闇矢鱈と使ってはならぬとされる禁断の技ね。
効果は抜群過ぎるわ。
「静かになさいな、メリル」
私はフッと指先に息を吹きかけ、何事もなかったかのように優雅に居住まいを正した。
ふう……すっかり重苦しい空気は吹き飛んだけど、ちょっとばかり、やりすぎちゃったかしら?
私が満足げに部屋を見回すと、そこには予想外の光景が広がっていた。
「……なにやってんのよ、あんたたち?」
私の視線の先。
ステラが両の前足で自分のお尻を必死に押さえつけながら、涙目で激しく呻いていたのだ。
そして、そのステラの傍らにルミナが優しくしゃがみ込み、小さな手でポンポンと青い頭を撫でていた。
「あおおおおおん……! 痛い、痛いよぉ……! 昔の古傷が、心の奥底のトラウマのかさぶたが、メリメリと音を立てて剥がれ落ちたよぉぉぉっ……!!」
「よし、よし」
ルミナは聖母のような慈愛に満ちた目で、悶絶するステラを甲斐甲斐しく慰めていた。
完全にフラッシュバックを起こしているわね、あの猫。
(……まあ、いいわ)
私は床に倒れ伏すメリルと、尻を押さえて泣き喚くステラ、そしてそれを優しく宥めるルミナを見渡しながら、ふっと小さく吹き出した。
さっきまでの、あの息が詰まるような悲壮感と重苦しい静寂は、もうこの部屋のどこにも残っていない。
窓の外からは、温かな朝の陽光が部屋いっぱいに降り注いでいる。
リオが診察を終えて帰ってきたら、今度はどんな風に彼をからかって、どんなキレのあるツッコミを引き出してやろうか。
私はそんな楽しい未来を思い描きながら、床に散らばった着替えのドレスへと、優雅に手を伸ばしたのだった。
プリンセス殺しはマジで危険なのでやめましょう。
フィオナちゃんがこんな性格になったのは、理由があります。