天才冒険者リオの英雄譚 童貞・処女しか入れないダンジョンを攻略せよ! 作:ナオ3
窓の外に目をやると、王都の空を茜色に染めていた夕日はとうに地平の彼方へと沈み、紫紺の夜の帳が静かに街並みを包み込み始めていた。
王城の一角にある広々とした客室の中、魔導ランプの柔らかな琥珀色の明かりが灯り、テーブルを囲む俺たちの影を壁一面に長く落としている。
「――でさ、結局その時の依頼料、殆ど宿と食費で消し飛んじまったんだよ。レイナには『あんたたち男衆は、頭に筋肉しか詰まってないの!?』って丸一日ネチネチ説教されるし、ミリアは横で『まあまあ、みんな頑張ったんだし……』って困り顔で笑ってさ。俺も一応リーダーとしてビシッと言おうとしたんだけど、レイナのあの燃え盛る火炎魔法じみた眼力に睨まれたら、何も言い返せなくなっちゃって……」
身振り手振りを交えながら熱弁していた俺は、ふと喉の渇きを覚えて言葉を切った。
テーブルの上に置かれた陶器のカップに手を伸ばし、すっかり冷めてしまった紅茶を一口含む。冷たい渋みが舌の上に広がり、そこでようやく、自分がどれだけの時間話し続けていたのかに気がついた。
昼下がりに始まったはずの思い出話。途中で何度かメリルがお代わりの紅茶を淹れてくれたり、ルミナがクッキーを齧る小休止を挟んだりしたものの、ほぼ俺の一人語りでここまで引っ張ってしまった。
「あ……ごめん」
俺は途端に気まずくなって、後頭部をポリポリと掻いた。
「熱中しすぎた。付き合わせちゃって悪かったな」
呆れられたかと思って恐る恐る顔を上げると、正面のソファーに腰掛けていたアンナが、形の良い唇を緩めて優しく微笑んでいた。
「いいのよ、リオ。とても面白かったわ。それに……貴方がどんな仲間たちと笑い合って過ごしてきたのか、よく分かったもの」
その眼差しはどこまでも穏やかで、慈愛に満ちていた。まるで我が子の昔話を聞く母親のように温かい。その表情に毒気を抜かれ、俺の肩からすっと強張りが抜けていく。
「そうですよ、リオ様!」
メリルが、エプロンの胸元で両手をぎゅっと握りしめ、目を輝かせながら身を乗り出してきた。
「とっても素敵なお話でした! 皆さんの絆というか、お互いを思いやる温かさがひしひしと伝わってきて……私、ちょっと感動しちゃいました。特に、ゼイン様が伸び悩んでいらっしゃった時に、リオ様が陰ながら支えようと孤軍奮闘していたところなんて、もう……!」
「メリル、興奮しすぎよ。淑女の慎みを忘れかけているわ」
「はっ! も、申し訳ありません、アンナ様……!」
アンナに柔らかく窘められ、メリルは顔を真っ赤にしてペコペコと頭を下げた。その微笑ましいやり取りに、客室の空気がふっと和らぐ。
ふと、隣にちょこんと座っていたルミナが、俺の袖を小さな手でくいっと引っ張った。
見下ろすと、大きな碧い瞳が真っ直ぐに俺を見上げている。
「ん」
短く、けれど確かな肯定を込めて頷くルミナ。
彼女の小さな膝の上では、いつの間にか丸まって毛づくろいをしていた仔猫――ステラが、青白い燐光を微かに散らしながら、ふにゃりと喉を鳴らした。
「リオ君の家族も同然だからねぇ。聞けて良かったよ。……まあ、リオ君の致命的な鈍感さと、ちょっとしたお人好しが招いた悲劇の数々には、僕から見てもツッコミどころが満載だったけどさ」
「おいステラ、余計な一言を付け足すな」
俺が苦笑いしながらステラの頭を軽く小突くと、ステラは「ふぎゃっ」と情けない声を上げてルミナの腕の中へと潜り込んだ。
場が和やかな笑いに包まれる。
――だが、その中で一人だけ、一切笑っていない少女がいた。
円卓の向かい側。小さな顎に指を当てていたフィオナだ。
パルシリア王国の第一王女である彼女は、瞳をスッと細め、ひどく難しい顔をして俺を見つめていた。
「フィオナ……?」
俺が声をかけると、フィオナは静かに腕を組み直し、大人びた仕草で居住まいを正した。
「リオ、いいかしら?」
鈴を転がすような、けれど奥底に冷徹な知性を秘めた声音。
「なんだ、フィオナ?」
「貴方が仲間の事をとても大切に思っているのは、今のお話でよくわかったわ」
フィオナは淡々と言葉を紡ぎ出す。
「お互いに足りない部分を補い合い、命を預け合ってきた……。若手ながら王都でも指折りの実績を誇るパーティー〈暁の剣〉。そのリーダーである貴方が、仲間からどれほど深く信頼されていたかもね。実際、優秀な中堅パーティーとして王宮の耳にも届いていたわ。私も、王国にとって有益そうな人材として名前はチェックしていたもの」
「知ってたのか?」
平民の、それも王都に数多いる冒険者の端くれのことなど、雲の上の存在である王族が知るはずもないと思っていた俺は、素直に驚いて目を丸くした。
「そりゃあ、将来有望な人物を把握しておくのは王族の務めですもの。でもね――」
フィオナはそこで言葉を区切り、探るような鋭い視線を俺に向けた。
「不思議なのよ。何故、貴方だけなのかが」
「……え?」
「〈暁の剣〉は五人パーティーだったはずよ。前衛三人、後衛二人。攻守のバランスが取れた、非常に完成度の高い構成だったと聞いているわ。なのに……どうして貴方一人だけが、あの未知のダンジョンに入れるのかしら?」
心臓が、トクンと嫌な音を立てて跳ねた。
「私のパパ……エドワール国王は、決して有望な若手冒険者を使い捨ての駒にするような人ではないわ。未知の迷宮が現れた時、普通なら百戦錬磨の近衛騎士団や、歴戦の王国軍を送り込むはずよ。実際、初期調査ではそうしたと聞いている。なのに、貴方一人だけ入れる……。その辺りの事情は完全に国家最高機密に指定されていて、王女である私にすら伏せられているのよね」
フィオナの理路整然とした追及に、部屋の空気が一気に張り詰めた。
「……」
「うにゃあ……」
俺と、ルミナの膝の上のステラが、同時に喉を詰まらせて口篭もる。
冷や汗が背中をツーッと伝い落ちていくのが分かった。
「それは……」
言葉に詰まる俺を見て、フィオナは責め立てるような真似はせず、ふっと眼差しを和らげた。
「言えない事があるなら、無理にとは言わないわ。貴方にも、守秘義務があるでしょうからね。ただ……教えられる範囲だけでいいから、教えてくれないかしら?」
慈悲深い、物分かりの良い態度。
だが、その瞳の奥には怜悧な執念がギラリと光っていた。
(違うんだ、フィオナ……!)
俺は内心で、頭を抱えて絶叫していた。
お前が考えているような、壮大な国家の陰謀とか、古代の神託とか、俺に隠された特別な英雄の血筋とか、そういう格好いいものは一切ないんだ!
俺が飛び抜けて優秀だから選ばれたんじゃない! エドワール国王が俺の類まれなる才能を見抜いたからでもない!
(俺が……童貞だからだよ……ッ!!)
神域ダンジョン〈ヴァージニア〉。
別名――童貞・処女しか入れないダンジョン。
世間知らずの箱入り娘ならぬ、ダンジョン生まれダンジョン育ちの箱入り神様だったステラが、良かれと思って設定してしまった絶対の結界。
『純潔を保っている者にのみ、加護を与えて入場を許可する』。
ステラは知らなかったのだ。
戦場という、いつ死ぬか分からない極限状態を生き抜いてきた歴戦の騎士や兵士、腕の立つ冒険者たちほど、「死ぬ前に悔いを残したくない」と早々に異性との経験を済ませているのが世の常識であるということを。あるいは、極限の死闘を生き延びた後の猛烈な生の昂ぶりによって、本能の赴くままに異性を求めてしまうのが人間の悲しい性(サガ)であるということを。
その結果、何が起きたか。
国中の猛者たちが、ダンジョンの入り口の結界に触れた瞬間、無慈悲に「非純潔者」として弾き飛ばされ、地面にケツを強打して転がるという前代未聞の珍事が発生した。
誰一人として、初めの一歩すら踏み込めない。
もしあのまま誰も入れなければ、ダンジョン内で飽和した業魔たちが地上へと溢れ出し、パルシリア王国は――下手をすれば世界は、滅亡の危機に瀕していた。笑い話のようでいて、その実、人類滅亡のカウントダウンが秒読みで進んでいたのだ。
そして。
冒険者としてそこそこ腕の立つ剣士でありながら、好きな女への一途すぎる想い(と致命的なヘタレっぷり)を拗らせて、奇跡的に純潔を貫き通してしまっていた超希少生物。
それが――俺だ。
あの日、謁見の間で俺の青春が音を立てて爆散した、あの地獄の光景が脳裏をよぎる。
流石のフィオナでも、この真相を察するのは絶対に不可能だろう。聡明であればあるほど、まさか一国の命運が「下半身の未経験っぷり」の一点にかかっているなどという、頭の悪すぎる真実に辿り着けるはずがない。
(言えるかぁぁぁぁぁぁっ!!)
俺は心の中で血の涙を流した。
特にルミナの目の前で! こんな、透き通るような碧い瞳で見つめてくる、純真無垢の塊のような幼女の目の前で、童貞について熱弁を振るえるわけがないだろうが!
「いいかいルミナ、俺が世界を救う資格を得られたのはね、女の子とエッチなことをしたことがないからなんだよ」なんて説明してみろ、俺は人間としての尊厳を完全に失ってその場で舌を噛み切って死ぬ!
それにフィオナだってそうだ。
どれだけ早熟で大人びた口を利くとはいえ、実年齢はまだ八歳の女の子だぞ!? 王女様に「私がダンジョンに入れた理由は、ズバリ童貞だからです!」なんてカミングアウトしたら、一体どんな顔をされる!?
ドン引きされるならまだマシだ。「……あ、あの、ごめんなさい、変なこと聞いちゃって……」みたいな、腫れ物に触るような痛々しい同情の目を向けられたら、俺のガラスのハートは粉砕骨折どころか灰燼に帰す!
チラリと、向かいのアンナに視線を向ける。
アンナは……あからさまに視線を斜め下へと逸らし、人差し指でこめかみを押さえながら、なんとも言えない、苦虫を百個ほど噛み潰したような顔をしていた。
(知ってるよな!? アンナは絶対に知ってるよなちくしょう!!)
この一件の全貌を知る彼女は、俺が今どんな生き地獄を味わっているのかを完璧に理解しているのだ。
「……言えないようね」
重苦しい沈黙に耐えかねたのか、フィオナが小さく息を吐いた。
「いいわ。国家機密なら、これ以上追求するのは野暮というものね。そこら辺は、後でパパ……陛下に直接問いただすことにするわ」
(すみませんエドワールさん!!)
俺は心の中で、国王陛下に向けて五体倒地の土下座を捧げた。どうぞ、愛娘からの質問責めに対し、王としての威厳を保ちながら必死に誤魔化してください。
フィオナは顎に手を当てたまま、視線をルミナの膝の上へと滑らせた。
「じゃあ……その理由には、ステラが関係しているの?」
「ああ」
俺は言葉少なに返事をした。
どこからが機密に触れるか分からないし、余計なことを口走れば、この聡明すぎる王女様は芋づる式にすべての真相を引き出しかねない。極力、口数を減らすのが賢明だ。
「ふ~ん……」
フィオナはステラをじっと見つめ、それから窓の外の暗闇へと視線を向けた。
「最近、お兄ちゃんたちがバタバタと慌ただしく動いているのも、やっぱりそれが関係しているのかしら?」
「多分、そうだと思う」
俺は曖昧に頷いた。
事は国家の存亡に関わる事態だ。王子たちもせわしなく動かざるを得まい。
フィオナはふっと瞳を閉じ、小さく息を吸い込むと、目を開いて俺を真っ直ぐに見据えた。
「……うん、わかったわ。リオが、私の想像以上に重大な立ち位置にいることがね」
「フィオナ?」
「私も貴方に協力するわ」
突然の申し出に、俺は思わず目を剥いた。
「フィオナ、それは……!」
「私の勘だけど……相当、重大な事態になっているんでしょう? パルシリアの今後が左右されるくらいに」
「…………」
痛いところを突かれ、俺は言葉を失った。肯定も否定もできない。だが、その沈黙こそが最大の雄弁だった。
「図星ね」
フィオナは自信に満ちた、不敵な笑みを浮かべた。
「私はまだ子供だけれど、そこそこ知恵はあるつもりよ。王女としての身分も、王宮内の人脈も、使えるものはいくらだって利用できるわ。国が危機に瀕しているかもしれないのに、子供だからと言って大人しく部屋に引っ込んでいるなんてできない。私は――パルシリアの王族なのよ」
八歳の少女の口から放たれたとは思えない、圧倒的な気迫。
王者の血を引く者としての誇りと覚悟が、その華奢な身体から溢れ出していた。
俺は圧倒されそうになりながらも、ぐっと踏みとどまり、真剣な眼差しでフィオナを見つめ返した。
「……エドワールさんに許可をもらうんだぞ。いいな?」
「ええ、もちろんよ」
「それと、もし許可が出たとしても――絶対に危険な事はさせないからな」
釘を刺すように言うと、フィオナは悪戯っぽく口元を歪めた。
「うん、考慮するわ」
「断言してくれよ……!」
俺は深いため息をついた。「考慮する」は、やる気のない奴か、あるいは絶対に約束を守る気がない奴の台詞だ。必要と判断したら、平然と危険な橋を渡りそうな危うさがあるからこそ怖いのだ。エドワールさん、頼むから愛娘の手綱はしっかり握っていてくれよ。
そんな俺の気苦労を知ってか知らずか、隣から服の裾をくいっと引っ張られた。
振り向くと、ルミナが俺の服をぎゅっと握りしめていた。
「ルミナ?」
ルミナは、胸の前に小さな両手を構え、決然とした表情で言った。
「わたしも、てつだう」
「……ルミナ」
その瞳には、一点の曇りもなかった。
深く、澄み渡った光。揺るぎない強い意志がそこにあった。
「……ああ、ありがとうな」
俺は破顔し、ルミナの頭にそっと手を乗せて優しく撫でた。
確かに、ルミナが具体的に何をお手伝いできるのかと言われれば、まだ分からないことの方が多い。けれど、その気持ちがたまらなく嬉しくて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……………」
ふと、ルミナの膝の上にいるステラを見ると、耳をペタリと伏せ、どこか浮かない顔をして俯いていた。
「ステラ、どうした?」
声をかけると、ステラはハッとしたように顔を上げ、慌てて取り繕うように尻尾をパタパタと振った。
「え、いや……なんでもないよ! うん、一緒に頑張ろうね、リオ君、ルミナ!」
「おう!」
「ん」
ぎこちなさは残るものの、ステラの言葉に力強く応じる。
そして、俺とルミナは吸い寄せられるように、ステラの柔らかな毛並みへと手を伸ばした。
ふたりがかりで、首筋や背中、耳の裏を念入りに撫で回す。
「うにゃあああああんっ!?」
ステラの口から、神の威厳など微塵も感じられない、情けない歓声が漏れ出た。
おお、相変わらず手触りが最高だ。極上の絹糸を撫でているかのような、滑らかで温かい感触。日々の疲れと張り詰めていた神経が、指先から急速に溶け出していくのを感じる。
「あっ、あっ、あ、ルミナ、そこ、そこぉぉ……!」
「ん」
ルミナが無表情のまま、器用な指先でステラのふかふかのお腹をわしゃわしゃと撫で繰り回す。ステラは完全に目を細め、前足を宙でフミフミと動かしながら、ゴロゴロと喉を鳴らし続けていた。完全に猫の本能に屈服している。
こうして、ひとつのソファーに肩を寄せ合い、一匹の猫を愛でていると――。
俺とルミナとステラの三人(?)の巡り合わせの奇妙さを、改めて実感せずにはいられなかった。
特に、ルミナとステラだ。
今でこそ、こうして仲睦まじくじゃれ合っているが、客観的に見れば、この二人が仲良くなれていること自体、奇跡以外の何物でもない。
だって――。
(おお……忌まわしき『ルミナ・フィンガー事件』の記憶が蘇る……!)
俺は脳裏をよぎった惨劇のヴィジョンに、思わず身震いした。
あの凄絶な地獄絵図は、間違いなく俺の人生において目撃した光景の中でトップクラスの狂気と恐怖だった。
よくぞそこから、ここまで仲良くなれたものだ。
今や猫の姿に変身して、ルミナに完全に懐いている。運命の巡り合わせとは、本当に分からないものである。
だが。
そんな風に過去を振り返っていた俺の思考に、ふと、奇妙な引っかかりが生じた。
ルミナ・フィンガーが炸裂して、俺が途方に暮れていた時……。
あの後、何が起きたんだっけ?
管理者が断末魔をあげ、ルミナが怒っていて、俺が頭を抱えて――
(……あれ?)
俺は眉をひそめ、記憶の糸を手繰り寄せようとした。
けれど、手繰り寄せようとすればするほど、その部分の記憶だけが、まるで濃い霧の向こうへと溶けていくように曖昧になっていく。
思い出せない。
何一つ、輪郭を掴むことができない。
(ま、いっか……)
数秒ほど考え込んだ後、俺は軽く首を振って思考を放棄した。
思い出せないなら、大したことじゃなかったんだろう。
それか――俺には、それを“思い出す資格”が無いんだろうさ。
「リオ?」
ふと気付くと、ルミナがステラを撫でる手を止め、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
いかんいかん。せっかくの団欒の場で、暗い顔をしてちゃダメだな。
「わりぃ、ちょっと考え事してただけだ」
俺が笑いかけると、ルミナは小さく頷き、再びステラのお腹に顔を埋めた。
だが、視線を上げると、今度はアンナが険しい表情で俺を見つめていた。
その目は、ただの心配ではない。もっと切実で、痛ましいものを直視するような眼差し。
(ああ……そうか)
俺は心の中で苦笑した。
少し前に、宮廷医師のアスク先生から診断を受けたばかりなのだ。
『精神の過負荷』――自覚症状はほとんどないというのに、アスク先生は大真面目な顔で俺の身体の異常を警告していた。
アンナはその場に同席していたからこそ、俺がほんの少し上の空になっただけで、「何か異常が起きたのではないか」と過敏に反応してしまうのだろう。
まいったな。ちょっと昔のことを思い出そうとしただけで、これほど周りに気を遣わせてしまうとは。情けないにも程がある。
そんな重苦しくなりかけた空気を察したのか、ルミナの腕の中でとろけていたステラが、ふにゃりと顔を上げて口を開いた。
「もう、リオ君は心配しすぎなんだから! 一人で全部抱え込もうとしちゃダメだよ? 僕たちにはレオ君だって居るんだし、無理しないでね、リオ君!」
ステラの明るい、あっけらかんとした声が室内に響く。
その言葉に、真っ先に反応したのはフィオナだった。
興味深そうに眉をピクリと動かし、ステラに問いかける。
「レオ君?」
ステラは得意げに胸を張り、尻尾をピーンと立てて自慢げに鳴いた。
「ふっふっーん! レオ君はとっても格好よくて強いんだぞー!! 僕達の頼れるお友達なんだから!」
その言葉に同調するように、ルミナもステラの頭を撫でながら、誇らしげにこくりと頷いた。
「ん。レオ、凄い」
「へ~」
フィオナの唇が、面白そうな玩具を見つけた子供のように弧を描く。
「リオだけじゃなくって、レオって人も居るんだ。その人も、リオと一緒にダンジョンに入ったりしているのかしら?」
「レオ様……」
背後に控えていたメリルが、指を顎に当てて小首を傾げた。
「パルシリアで、レオとつく名前はよくありますからね。レオポルド様、レオナルド様、レオネル様……。騎士や貴族の家系にもたくさんいらっしゃいますし、どなたのことか、それだけでは分かりづらいですね」
メリルの推論を聞きながら、アンナは一人、深遠な思考の海へと沈んでいた。
その表情は、先ほどまでの穏やかさとは打って変わり、酷く張り詰めている。
「レオ……もしかして……」
アンナの呟きは、誰の耳にも届かないほど小さかった。
けれど、その声の微かな震えが、彼女の脳裏に浮かんだ仮説の重大さを物語っていた。
だが――。
それらの会話が、俺の耳には、まるで遠い世界の言語のように届いていた。
ざわり、と。
背筋を、氷柱で直接撫でられたような冷たい悪寒が駆け抜けた。
心臓の鼓動が、急激に早鐘を打ち始める。
ドクン、ドクン、ドクンと、耳の奥で血の巡る音がうるさいほどに鳴り響く。
何だ?
この、胸を内側から爪で掻きむしりたくなるような、激しい違和感は。
まさか――。
違う。
そんなはずはない。
だが、この胸のざわめきを放置することは、どうしてもできなかった。
これを曖昧にしたまま笑ってやり過ごすことなど、俺の魂が断固として拒絶していた。
俺は、ゆっくりと口を開いた。
自分の声が、信じられないほど低く、かすれているのが分かった。
「ステラ」
呼ばれたステラは、無邪気に首を傾げて俺を見上げた。
「なに、リオ君?」
丸い瞳には、何のやましさも、悪意も含まれていない。
ただ純粋な、親愛の色だけが揺れている。
俺は、乾ききった喉から、絞り出すようにその問いを吐き出した。
「レオって……誰だ?」
ほんわかモードはもうお終いです。