宮野志保に幼馴染を用意してみた 作:コ哀推進派委員会
米花町の裏通りに、目立たぬように佇む一軒の喫茶店がある。
古びた木の看板に手書きで「珈琲ジェームズ」と記されたその店は、どこか昭和の香りを残しており、喧騒から切り離されたような穏やかな空間を持っていた。
この店には、実のところ「三つの顔」がある。
昼は近隣の高校生たちが集まる憩いの場、夕方は会社帰りの常連客が一人で本を読む静かな時間、そして夜は…それはまた別の話。
「にしても、この店はいつもガラガラだな。まあ静かで助かるけどな、推理には。」
手帳を手にした少年――帝丹高校の名探偵・工藤新一は、難しそうに眉間に皺を寄せながら呟いた。
俺はカウンターの奥から、香ばしい香りを漂わせるコーヒーカップを運びながら、少し笑って返す。
「おいおい、店主の前でそれを言うか? 傷つくぞ。」
「だってさ、この店に来るのって俺と蘭と園子、時々阿笠博士ぐらいだろ? 他の客、昼間に見たことねぇぜ。」
「それでいいのさ。ウチは昔から常連に支えられてきた。親父の代から、その方針は変わらない。」
新一はどこか納得したように頷くと、コーヒーに口をつけた。慣れた手つきで、まるでルーティンワークのように。
「……味は悪くないんだけどなぁ。なんで客が少ないんだか。」
やれやれと肩をすくめたくなる。皮肉を言いながらも、彼が毎日のように顔を出しているのを、俺はちゃんと知っている。
「君や蘭ちゃんのお父さん、お母さんも、学生の頃からの常連だったらしいよ。」
「つまり、マスターの店は工藤家と毛利家で成り立ってるってことだな。なら、その常連には少しくらいサービスしてくれてもいいんじゃね?」
「まったく、欲張りな探偵様だよ。」
そんな他愛ない会話を交わしていると、入口のドアに取り付けられた小さな鈴がチリンと音を立てた。
入ってきたのは、これまた見慣れた制服姿の少女たち。帝丹高校の毛利蘭と鈴木園子。二人とも、町中で目を引くほどの美少女で、まるで雑誌のグラビアから抜け出してきたようだ。
「マスター! 今日もイケメンね!」
「ちょっと、園子。いきなり失礼だってば。」
「いらっしゃい。いつものカフェラテでいい? ああ、ちょうどクッキーが焼けたところだから、よければどうぞ。」
「いつもありがとうございます。」
「いやいや、常連さんにはサービスしなきゃ。」
そんな和やかなやりとりをジト目で見ていた新一は、カップの縁に唇を寄せながら不満げに呟いた。
「……俺も常連のはずなんだけどなぁ。」
新一はテーブルの上に広げた手帳をじっと見つめ、時折コーヒーを啜る。
対面では、蘭と園子がノートを開きながら何やら真剣な様子で宿題に取り組んでいる。2人の笑い声と新一の唸り声が交互に響く、そんな微笑ましい午後。
やがて新一が俺に声をかけてきた。
「マスター、ちょっと聞いてくれよ。今、追ってる事件があってさ。」
「ああ、また難事件か?」
彼は手帳のページをめくり、軽く咳払いしてから話し始める。
「被害者の部屋の窓から、隣の建物の窓へと飛び移って逃げたって証言があったんだ。でもな、外には足跡が残ってないんだよ。」
「ほう……それで?」
「そこまではいい。でも問題は、容疑者のじいさんが『足の捻挫で歩けない』って話でさ。今は車椅子生活らしいんだ。」
「なるほどねぇ……そのじいさんの写真、ある?」
「え? 写真? まああるけど。見てどうすんだよ。」
「まあまあ、見せてみなよ。」
新一が手帳のポケットから一枚の写真を取り出して俺に手渡す。そこには、包帯で左足をぐるぐる巻きにし、車椅子に座る老人の姿が写っていた。
俺はその写真をじっくりと見つめてから、ふっと口角を上げた。
「このじいさん、多分歩けるよ。」
「……は?」
新一が目を丸くしてこちらを見つめる。
「ほら、靴をよく見てみな。靴底の摩耗具合が不自然に激しい。車椅子生活なら、靴底がここまで擦り減るはずがない。」
「……確かに……!」
新一の目が、急に鋭くなった。
「捻挫ってのも、ハッタリってことか……いや、もしかしたら仮病か! マスター、やっぱりすげぇよ。探偵やった方が絶対いいって!」
「俺は町のマスターで十分さ。事件に関わるには、体力も胆力も足りないよ。」
「もったいねぇなぁ……。まあいいや、じいさんの主治医に直接聞いてみる!」
そう言い放つと、新一は勢いよくコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「ちょっと! 新一、お会計は!?」
蘭が慌てて声を上げるが、すでに彼は扉を開けていた。
「いいよ、蘭ちゃん。事件が解決したら、その報酬で払ってもらうから。」
「すみません、いつも……」
「全然気にしないってば。……それより、蘭ちゃん。」
「はい?」
「最近、新一くんとの仲、どう?」
俺が茶化すように聞くと、蘭は一瞬で顔を赤く染め、肩をすくめて視線を泳がせた。
「べ、別に……進展なんて、特に……。そういう関係じゃないし……」
その仕草があまりに可愛らしくて、思わず笑いそうになる。
恋する女の子は、どんな名探偵の推理よりも、よっぽど分かりやすい。
そこへ、園子が畳み掛けるように口を挟んだ。
「聞いてよマスター! 蘭ったらついに新一とデートするのよ!」
「へぇ、いいねぇ。どこに行くの?」
「ちょっと園子! デートじゃないってば!」
「何言ってんの。休日に2人で遊園地なんて、完全にデートでしょ?」
「……少なくとも新一は、そんな風に思ってないわよ……」
そう言って俯く蘭の横顔には、ほんのりと不安と期待が滲んでいた。
いつもの午後、いつもの珈琲、そして、いつもの日常。
この静かな喫茶店が、彼らの日々の「間(ま)」を支えている。
これが、「喫茶ジェームズ」の――昼の顔だった。
ーーーーーー
日が落ち、街灯が灯り始めるころ。
夕暮れの余韻がまだ残る空の下、カフェ「珈琲一匙」はその姿を静かに変える。
昼間は学生たちの笑い声に満ちたこの店も、夜にはカーテンを引き、間接照明だけが柔らかく空間を照らす大人のためのバーへと姿を変えるのだ。
木の香りとグラスの響き、そして酒の匂い。
今宵も静かな夜が、ゆっくりと始まろうとしていた。
「こんばんは、もう開いてますか?」
その声とともに扉が開かれる。
姿を現したのは、警視庁捜査一課の刑事・高木渉。紺色のスーツをスマートに着こなしている。
そしてその背後に現れたのは、長い黒髪とキリリとした瞳が印象的な女性刑事――佐藤美和子だった。
「もちろん、ようこそ。……あら、今日はお一人じゃないんですね。しかもこれはまた、とびきりの美人さんを連れて。」
「ええ、ちょっと大きな事件が一区切りついて、そのお祝いってことで。」
高木が照れくさそうに頭を掻く。
その様子に、佐藤は小さく笑いながらも自然に店内へと歩を進める。
「高木さんはいつもの、ですよね。……佐藤さん、お酒は?」
「佐藤です。よろしくお願いします。お酒、好きですよ。バーテンダーさんのおすすめでお願いできます?」
「かしこまりました。」
俺はカウンター奥の棚からボトルを取り出し、シェイカーに氷とともに酒を注ぐ。
リズミカルな音と手慣れた動きで、静かに、しかし確かな手つきでカクテルを作り上げていく。
やがて淡く琥珀色に輝くグラスが、2人の前に静かに差し出された。
「バーテンダーさん、ずいぶん若いんですね。」
佐藤が興味深げに俺を見つめる。
確かに、まだ二十歳になったばかりの俺がバーカウンターに立っているのは珍しい光景だろう。
「実は半年前に父の店を継いだばかりでして。バーテンとしても、接客業としても、まだまだ修行中の身なんです。」
「そうだったんですか。でも、手つきはずいぶん慣れてるから、ちょっと意外でした。」
「高木さんは、この店の常連さんなんですよね?」
「はい。静かで落ち着いていて、居心地がよくて。……まあ、他にお客さんを見かけたことはあまりないですけど。」
「おやおや。また店主の前でストレートなことを。」
「いやいや、悪気はないんです。ただ本当に静かで……」
「ウチはね、少ない常連さんに支えられてるんです。高木さんの職場の方々には、父の代から随分お世話になってますよ。たとえば、目暮警部とか。」
「えっ!? 目暮警部もこの店に!?」
「ええ。僕が店を継いでからはあまり来られていませんが、以前はほぼ毎晩のように来てました。……毎日毛利さんと言う部下の愚痴を吐きながら潰れてましたね。」
ふと見ると、佐藤はすでにグラスを空けていた。
その飲みっぷりに思わず内心で感心する。これは中々の強者だ。
「高木さん、佐藤さんのお酒、少し濃い目にしてみましょうか?……そうですね、高木さんの介抱が必要なくらいに。」
「えっ!? そ、それはちょっと……」
「騙し討ちみたいなことは嫌ってことですか、やっぱり高木さんは誠実ですね?」
「ちょ、ちょっとバーテンダーさん、佐藤さんに聞こえてしまいますよ!」
慌てる高木さんの声に、俺は冗談半分で笑いながらシェイカーを振る。
そしてそのやり取りを察した佐藤さんが、じとっとした目でこちらを見つめていた。
俺はわざとらしく咳払いをして、高木さんの希望どおり――いや、もしかしたら俺の悪戯心で――少し濃いめのカクテルを作り、佐藤さんに差し出した。
「それでは、ごゆっくり。……お二人とも、素敵な夜を。」
カウンターから一歩引くと、2人はどこか気まずそうに目を逸らしながらも、頬を赤らめていた。
ああ、初々しいな。
恋が始まる予感には、いつも甘くてほろ苦い香りがする。
こうして一日の終わりに、疲れた心を癒しに来る人々のための隠れ家――
それが、「喫茶ジェームズ」のもう一つの顔。夜の姿である。
ーーーーーー
日付が変わり、街から人の気配が消え始めるころ。
高木さんと佐藤さんが連れ立って静かに帰路につくと、店内には再び静寂が戻った。
俺はカウンター越しに時計を見上げ、ため息交じりに店先の看板を『CLOSE』へと裏返す。
ここからが、この店の「最後の顔」――誰にも見せてはならない、裏の貌だ。
洗い物を片付けていると、控えめな音を立ててドアが開いた。
月明かりに照らされ、3つの黒い影がゆっくりと店内へと歩みを進める。
「今日はもう店じまいですよ。」
お決まりの文句を口にするが、彼らはまるで聞こえていないかのように黙ってカウンター席へ腰を下ろした。
慣れた動作。慣れた空気。ここが自分たちの居場所であるかのような、当然のような態度だった。
「お飲み物は?」
いつもと変わらぬ口調で尋ねると、女が静かに口を開いた。
「いつものをよろしく。」
「かしこまりました。」
俺は手際よく白ワインに香草のリキュールを数滴落とし、シェイカーで軽やかに混ぜ合わせる。
その動作はまるで、精密な儀式のように慎重で、どこか非日常的な緊張を孕んでいた。
淡く黄金色に輝く液体が、磨き上げられたグラスに注がれる。
そのグラスを、女はまるで芸術品に触れるように指先で持ち上げた。
「お待たせしました。――“ベルモット”です。」
彼女は腰まで届くブロンドの髪を揺らしながら、ひと口、ゆっくりと味わう。
「……いつも通り、いい出来だわ。」
満足げに微笑むその女――世界的な女優にして、黒の組織の幹部。
誰もがその本性を知らない、あるいは知ることなく消えていく“ベルモット”。
「ありがとうございます。……こちらも、ジンさん、ウォッカさん。」
男たちにも、それぞれのグラスが差し出される。ジンは無言でグラスを取り、ウォッカも無表情のまま一礼する。
ベルモットが小さな封筒をカウンターに置いた。中には一本の極細のフィルム。
「頼まれていた拳銃密輸の記録よ。」
「上出来だ。」
ジンが低い声で呟きながら、それを無造作に手に取る。その目には、いつもと変わらぬ冷酷な光が宿っていた。
「それで、取引の場所は?」
「週末、トロピカルランドだ。」
「人目が多すぎない? 観覧車の中ででもやるつもり?」
「心配は無用だ。そんなヘマはしない。」
いつも通り、簡潔なやり取りだけが交わされる。無駄な感情も、雑談もない。
すべてが計画の一部、すべてが命のやり取りに直結する言葉だ。
3人は、それだけを済ませると席を立つ。
深夜の密談にしては、あまりにも静かで、あまりにも短い。
「もうお帰りですか?」
「ええ。明日にはアメリカに戻らなきゃならないから。」
ベルモットがグラスを置き、上着の裾を払うように軽く立ち上がる。
「さすが世界的大女優はご多忙で。」
「それに比べてあなたは暇そうね。今日も客が少なかったんでしょう?」
「それでいいんです。この店は、儲けるためのものじゃないので。」
ジンが振り向かずに言い捨てる。
「この店は、俺たち常連が“使う”ためにある。それが……先代の教えだったな、カシャーサ。」
「ええ。引き継いだ以上、役割は果たします。」
「取引が完了したら、いつも通りここへ持ってくる。準備をぬかるなよ。」
「……お待ちしています、“ジン”さん。」
3人の背中が、静かに店の扉の向こうへと消えていく。
誰にも知られることなく、誰にも気づかれずに。
そして、再び静寂が訪れる。
この喫茶店――いや、喫茶店兼隠れ家兼バー「喫茶ジェームズ」。
高校生の探偵が推理を語る昼の顔。
刑事たちが癒しを求める夜の顔。
そして、世界の裏側を操る亡霊たちが集う深夜の顔。
それらすべてを受け入れるこの店が、父から俺へと受け継がれた、“舞台”なのだ。