宮野志保に幼馴染を用意してみた   作:コ哀推進派委員会

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長いお別れ

時刻は午前0時を回っていた。

喧騒の名残すら霧散し、米花町は深い眠りの中に沈んでいる。

閉店後の店内には音ひとつなく、俺は照明を落としたカウンターで静かにグラスを磨いていた。

 

この時間、もう客は来ない――来るはずがない。それが、普通の店なら。

 

「今日はもう、店じまいですよ」

 

お決まりの一言を呟きながら顔を上げる。

その瞬間、カラン、と扉のベルが控えめに鳴った。

夜の静寂を切り裂くように、硬質な足音がふたつ。

黒い影が、迷いなくカウンターへと歩み寄る。

 

無言のまま俺は、彼らの顔を一人ずつ確認した。

 

ひとりは、見慣れた顔――ジン。

冷徹をそのまま人間の形にしたような男。

その隣には、初めて見る女の姿があった。

 

整った顔立ち。けれどその瞳には、明確な敵意が宿っている。

彼女は椅子に腰を下ろすと、刺すような声で言った。

 

「ここは、なんなの?」

 

挑むような声音だった。

だがジンは一切動じず、低く、感情の籠らぬ声で返す。

 

「ここは組織が使っている基地のようなものだ。この時間帯は、俺たちのためにある」

 

「なるほど。あなたたちの“巣”ってわけね」

 

吐き捨てるようなその言葉に、俺は無意識に背筋を伸ばした。

警戒心がわずかに胸を刺す――が、ジンは眉ひとつ動かさない。まるで何も感じていないかのように。

 

「お飲み物は?」

 

何気なく声をかけたつもりだった。

だがその瞬間、隣にいた女の目が、ぱちりと俺を捉えた。

 

「……久しぶりね、貞次くん」

 

その言葉に、手が止まった。

“貞次”――もう長いこと聞いていなかった、本当の名前。

思わず彼女を見つめ返す。

その瞳の奥に、どこか懐かしい光を見つけた気がした。

 

記憶の底、少年の日々。

優しく微笑んでくれた、あの人の面影が重なる。

 

「……お久しぶりです、明美さん」

 

彼女はふっと、柔らかく笑った。

それはまるで、深夜の冷たい空気にそっと火を灯すような笑みだった。

 

「こんなに立派になって、びっくりしちゃった。最後に会ったのは、あなたが8歳のときだったわよね? じゃあ、12年ぶりね。……そりゃあ、大きくなるはずよね」

 

朗らかで、あたたかくて――

黒の組織の人間にはまずない笑顔だった。

その明るさに触れた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 

子どもの頃。

組織という檻の中、息の詰まる日々の中で――

この人の笑顔だけが、俺にとって唯一の“人間らしい記憶”だった。

 

 

「……志保とは最近でも会ってるの?」

 

ふと落とされた明美さんの問いかけ。

その名前を聞いた瞬間、俺の脳裏に彼女の姿が浮かぶ。

 

「そうですね。時々、この店に来てくれますよ」

 

ウェーブのかかった髪。警戒心に満ちた鋭い視線。

ぶっきらぼうな口調と、誰にも心を許さない態度――

でも、なぜか俺にはすぐ懐いてくれた。

理由はわからなかった。けれど、組織という檻の中で育った俺たちにとって、互いの存在は、きっと救いだったのだろう。

 

「まだ仲良しでよかったわ。志保も、もう18歳よ。研究ばっかりじゃなくて、そろそろ恋の一つもしてほしいんだけどねぇ。」

 

「……志保ちゃんが恋って、いまいち想像できませんね」

 

そう言うと、明美さんは意地悪そうにニヤニヤと俺を見てくる。

 

「あら、そういうところは意外と鈍いのね」

 

少し照れくさい気持ちが胸をくすぐった。

けれど――その空気は、すぐに凍りついた。

 

「――世間話に来たわけじゃないだろう」

 

ジンの冷たい声が、空気の温度を一気に引き下げる。

瞬時に明美さんの笑顔が消え、顔が引き締まる。

 

「……それで、答えを聞こうじゃないか。やるのか、やらないのか」

 

重苦しい沈黙が落ちた。

明美さんは目を伏せたまま、長く動かない。

そして――覚悟を決めるように顔を上げ、ジンの目を真正面から見据えた。

 

「……やるわ。その代わり――この仕事を終えたら、志保と私を組織から解放してくれるんでしょうね?」

 

ジンの口元がわずかに歪んだ。

 

「あぁ。お前が生きて、その仕事を完遂できたらな」

 

その笑みに、誠実さは一片もなかった。

あるのは、冷酷な皮肉と――悪意だけ。

 

「もういい。俺は行く。こいつの昔話に付き合ってる暇はない」

 

マントの裾を翻して、ジンは店を出ていく。

カラン、と扉のベルが再び鳴り、そして静寂が戻った。

 

だが、その静けさは――決して心地よいものではなかった。

 

カウンターには、俺と明美さん。

ふたりだけが、置き去りにされていた。

 

明美さんはふっとため息を吐く。

どこか張りつめた糸が緩んだような声音だった。

 

「ああ……緊張した。あの目つき、ほんっと怖いわね。……貞次くん、よく平気で話せるね?」

 

「……慣れたんで。もう十年以上の付き合いですから」

 

口ではそう言いながらも、内心では――あの目に慣れることなんて、一生ないと知っていた。

けれど、俺たちは“平然とした顔”でいることを求められる世界で生きている。

それが、生き残る術だから。

 

 

「何か、飲みますか?」

 

俺が訊くと、明美さんは少しだけ表情を和らげて笑った。

 

「そうね。……じゃあ、"シェリー"をお願いしてもいいかしら?」

 

「承知しました。」

 

俺はボトル棚からシェリー酒を取り出す。

滑らかで柔らかい甘さの中に、ほんのりと切なさを残す――彼女には、そんな味が似合う気がした。

グラスに琥珀色の液体を注ぎ、そっと彼女の前に置く。

ーーーそう言えば、志保さんのコードネームは……。

 

「ありがとう。」

 

明美さんはゆっくりとグラスを手に取り、静かにひと口を含んだ。

その動作はどこか名残惜しそうで、どこか確かめるようでもあった。

 

「……あなたも、ああしてジンと話しているってことは、組織に深く関わってるのね。」

 

「……はい。父からこの店ごと、引き継いでしまいましたので。」

 

「そう……。あなたは、組織を抜け出したいとは思わないの?」

 

唐突な問いだった。

けれど、その言葉の裏にある真剣さが、胸に強く響いた。

 

「あなたには、まだ“人”の暖かさが残ってる。……ジンやウォッカにはもうないものよ。あなたなら、きっと……まだ引き返せる。」

 

彼女のまなざしは、静かで、そして深かった。

人を疑い続けてきた人間が、それでも最後の希望にすがるように、俺の目を見つめていた。

 

だけど、俺の答えは――沈黙だった。

 

「……ごめんなさいね。急にそんなこと聞いても、困るわよね。」

 

明美さんはそう言って、ふっと笑う。

その笑顔が、どこか寂しげで痛々しくて、言葉を返せない自分が情けなかった。

 

「昼とか夜は、普通に営業してるの?」

 

「ええ。昼はカフェ、夜はバー。……店の“顔”が時間帯で変わるんです。」

 

「ふふ、それもいいわね。……じゃあ、今度は志保と一緒に、昼か夜に来るわ。」

 

そう言った彼女の笑顔は、まるで何かを振り払うように明るかった。

グラスに残ったシェリーを半分まで飲み干すとと、彼女はそっと席を立った。

 

「じゃあね、貞次くん。私が呑めるのはここまでみたいだから、残りは貞次くんが呑んでちょうだい。」

 

その言葉と共に、扉の向こうへと彼女は消えていった。

 

「承知しました。」

 

そして――

それが、彼女と交わした最後の会話になった。

 

 

ーーーーーー

 

 

〜志保side〜

 

 

「いらっしゃいませ」

「どうも」

 

淡々とした、どこか冷めた私の声。それは聞きようによっては冷酷とすら映るのだろう。だが、カフェのカウンター越しに立つ彼――守屋貞次は、そんな声にも変わらぬ笑顔で応じてくれる。

 

「珍しいね。志保ちゃんのほうから来てくれるなんて」

「……ちょっと、近くまで来たから。そのついでよ」

「ふーん、組織の仕事?」

「ええ。……でも、あまり外で組織の話をするのは感心しないわね」

「大丈夫、大丈夫。組織の連中が来るのは大抵、深夜だけ。昼間は地元の高校生くらいしか来ないし」

「それで店が成り立ってるなら、奇跡と言うしかないわね」

「志保ちゃんもそう言う~?」

 

軽口を交わす私たちの間に流れるのは、特別な空気だった。

 

彼の名前は守屋貞次。コードネームは『カシャーサ』。

生まれながらにして、黒の組織の一員。私と同じ、稀有な出自を持つ者。

 

私たちは物心ついた頃から、常に組織の陰に覆われた大人たちに囲まれて育った。

組織の中で年齢が近い子供は、私と彼くらいだったから、自然と共に過ごす時間も多くなった。

 

……いわゆる「幼馴染」、なのだろう。

私たちにその実感があるかは別として。

 

「ご注文は?」

「アイスコーヒーで」

 

私の一言に、彼はやけに芝居がかった仕草でキッチンへと向かう。

数秒後、目の前に置かれたのは――ゆらゆらと湯気を立てるホットミルクだった。

 

「頼んだのはアイスコーヒーなんだけど?」

「病人はおとなしくホットミルクでも飲んでなさいって」

「……別に病人じゃないわ」

「目尻の微かな赤み。涙膜が光を反射してうっすら潤んでる。あと、呼吸。言葉の合間に口呼吸が混じってる。たぶん鼻が詰まり気味で、吸気が浅い。――立派な風邪の初期症状だと思うけど?」

 

ぐうの音も出ない。

 

「……昔からあなたの何でも見抜く洞察力には腹が立つわ」

 

私の変化に気づいてくれたのが嬉しくて、少しだけ口元が緩む。けれど、それを見られるのが恥ずかしくて、私は精一杯の嫌味で取り繕った。

 

「それで? 僕に相談したいことって何?」

「なんのことかしら。」

「志保ちゃんはね、昔から精神的に負荷がかかると、必ず体調に出るんだ。ほら、五歳のとき。海外留学が決まって、俺と明美さんと離れることになった時、見事に熱出して寝込んだじゃん」

 

私は心の中で舌打ちしたくなる。どうしてこの人は、こうも昔のことを鮮明に覚えているのだろう。

 

「本当に、大した観察眼ね。カフェのマスターより、探偵にでもなれば?」

「それもいいかもなぁ。そしたら“あの方”が言う『シルバーブレット』になれちゃったりしてね。

 

ふざけた口調に、私は肩をすくめる。

何気ないやり取りの中に、温かさと懐かしさが滲む。私はふと、心に引っかかっていた問いを口にした。

 

「……お姉ちゃんのこと、何か知ってる?」

「……し、知らないよ」

 

目を逸らす彼。その仕草は、あまりにもわかりやすかった。

 

彼は私に対してだけ、昔からどうしようもなく嘘が下手だ。

それを本人は気づいていないが、私は敢えて指摘しない。嘘とわかっていても、それを受け入れる方が都合がいいこともあるから。

 

「ジンとウォッカの会話が聞こえたのよ。お姉ちゃんが、ジンと何かの取引をしてたって」

「そ、そうなのか……初耳だなぁ……」

 

わざとらしく眉をひそめる彼の声に、私は内心でため息をつく。

 

何かを知っている――彼の反応がそれを雄弁に物語っていた。

けれど、私にそれを隠そうとする理由があるということは、おそらく事態は私の想像以上に深刻なのだろう。

 

お姉ちゃんは、今――危険な状況にいる。

 

私はただの研究者でしかない。戦う力も、地位もない。

けれど彼なら。

幼い頃から組織の深部に関わり、若くしてその中枢に近い場所に立つ彼なら、もしかしたらお姉ちゃんを助けてくれるかもしれない。

 

……そんな希望を託せるくらいには、私は彼を信じている。

 

「もしも……お姉ちゃんが本当に、ヤバい状況になったら……」

言葉が喉につかえる。吐き出すのが怖い。

「……あなたが、助けてくれる?」

 

彼は少しだけ口を開きかけ、すぐに閉じる。

目が合う。そして、苦笑するように言った。

 

「……ズルいなぁ、志保ちゃんは」

「……なによ」

「志保ちゃんにそんな顔されたら、俺が“無理”って言えないの知ってて言ってるんでしょ?」

 

気がつけば、私の頬をひとすじの涙が伝っていた。

慌ててハンカチで拭うが、時すでに遅し。感情の堤防が、音を立てて崩れていく。

 

嗚咽がこぼれる。息が詰まり、喉が軋む。

そんな私を、彼は何も言わず、ただその大きな体で包み込んでくれた。

 

その腕はあたたかく、子どもの頃に戻ったような感覚を思い出させてくれた。

 

「大丈夫だから。明美さんも、志保ちゃんも、俺が命に代えても守ってあげるよ」

 

その言葉に、私は首を振る。

 

「ダメよ」

「え……?」

 

驚いたように、彼が顔を覗き込む。

私は、強いまなざしで彼を見つめ返した。

 

「私の幸せには……お姉ちゃんと、あなたが必要なの。だから――あなたも、死んじゃダメよ」

 

彼の表情が一瞬だけ緩む。

そして、いつもの冗談めいた口調で呟いた。

 

「はいはい。注文の多いお姫様だこと」

 

私も、それに応えるようにわずかに笑った。

 

けれど、この日を境に、私たちを取り巻く運命の歯車は、音を立てて回り出す。

後戻りのできないあの日へと、私たちを連れて行くのだった――。

 

 

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