宮野志保に幼馴染を用意してみた 作:コ哀推進派委員会
深夜。街の灯がまばらになり、米花町の喧騒がようやく静寂に包まれる頃、店内はすでに営業を終え、間接照明の淡い光だけがカウンターを照らしていた。
俺はいつものように、磨き残しのないようグラスに息を吹きかけ、布で丹念に磨いていた。常連たちの笑い声が残像のように耳に残る中、今日は誰も来ないだろうと踏んでいた矢先――
カラン、と扉の鈴が軽やかに鳴る。
深夜にもかかわらず、黒い影が静かに店内に入り込んできた。言うまでもなく、常連だ。だが、“普通”の常連ではない。
「今日はもう、店じまいですよ」
お決まりの台詞を呟きつつ、俺は顔を上げる。そこに立っていたのは、やはり――
「カシャーサ、仕事だ。」
ジン。その存在だけで空気が数度下がるような気配を持つ男。ぶっきらぼうな口調とともに、彼は一枚の写真をカウンターに置いた。表情はなく、ただ任務を伝える機械のように。
写真に映っていたのは、黒いニット帽に射抜くような目つきの男――その鋭さに、知らぬ者でさえ只者ではないと悟るだろう。
「コードネーム“ライ”……赤井秀一ですね。」
俺が名前を口にすると、ジンの口角がわずかに動いた。
「さすが、その目はすべてを記憶しているな。」
FBIの潜入捜査官。いわゆるNOC(Non-Official Cover)。かつて黒の組織に入り込み、情報を探っていた男だ。しかし、ジンとの接触に失敗し、組織を抜けた。
――その赤井秀一と交際していたのが、志保ちゃんの姉・明美さんだった。
「こいつが今、日本にいる。俺たちを探るつもりだろう。……それと、ベルモットの奴もなにかコソコソと動いていやがる。」
ジンは言葉を噛み殺すように続けた。低く、鋭く、何かを見透かすように。
「なるほど、赤井秀一を妨害しつつ、ベルモットをサポートする……と。」
「それもあるが……ベルモットは秘密主義だ。俺たちですら何をしているのか分からねえ。目的を探れ、動向を抑えろ。」
任務を端的に伝えると、ジンは灰皿にタバコを押し付け、灰を撒き散らすようにして立ち上がった。その背中からは、どこか焦燥すら感じられた。
そして、彼は音もなく店を後にする。
扉が閉まる音が、まるで時限爆弾の起動音のように重く響いた。
カウンターにはジンの残した熱だけが微かに残っている。灰皿に押しつけられたタバコの火は、すでに消えかけていたが、その残り香は妙に鼻についた。
俺は一度、深く息を吐いてから視線を落とす。カウンターの上に置かれた写真――赤井秀一の顔を改めて見つめる。
“ライ”の名で知られる男。FBIのエリートであり、かつて黒の組織に深く潜り込んだ、最も危険なスパイの一人。だがそれ以上に――明美さんのかつての恋人という意味でも、俺にとっては他人事ではなかった。
彼が再び日本に姿を現したということは、何か大きな動きがあるということだ。
しかも、ベルモットも別口で何かを調べているという。
赤井を妨害し、ベルモットを補佐しながら、その真意を探れ――ジンはそう言った。
だが、それだけで済む話じゃない。
俺にはベルモットとの取引がある。
さらに、志保ちゃん――かつての“シェリー”、彼女はいまや、組織から追われる身だ。ならば、彼女を守るために動くのが、俺の役目だ。
志保ちゃんの協力者を見つけ出し、場合によっては利用し、場合によっては始末することは考えなければならない。
ジンの任務をこなすふりをしながら、俺は俺のやるべきことをやる。
「……忙しくなるな」
独りごちて、俺は棚からウィスキーのボトルを取り出した。
指先が無意識に、シェリのボトルをなぞる。
今夜のこの静寂は、嵐の前の静けさにすぎない。そう直感でわかった。
俺は再びグラスを磨きながら、これから訪れるであろう嵐の中心に、己の立ち位置を見定めていた。
ーーーーーー
ぽかぽかとした陽気に包まれた昼下がりの米花町。
窓越しに春の陽光が差し込み、喫茶《ジェームズ》の木製のテーブルに柔らかな陰影を落としていた。店内には焙煎された豆の香りが漂い、スピーカーからは控えめなジャズが流れている。
そんな穏やかな午後、ドアが元気に開いた。
「こんにちは〜!!」
明るい声とともに現れたのは、すっかり顔馴染みになった少年たち――帝丹小学校の光彦くん、元太くん、歩美ちゃん、そしてコナンくんの4人だ。
「いらっしゃい。もう学校は終わったのかい?」
子どもたちは挨拶もそこそこに、まるで自分たちの部屋のように自然な足取りで、窓際の特等席へと陣取った。あの席は、いつの間にか彼ら専用の“基地”になりつつある。
「やぁ、今日もいつもの4人だね。……もう1人の女の子は、やっぱり来てくれなかったんだね。」
俺がそう問いかけると、光彦くんが少し残念そうな表情で答える。
「そうなんですよ。灰原さんにも一緒に行きましょうって誘ったんですけど、用事があるからまた今度って。これで……9回連続ですよ。」
「9回もかぁ。それはちょっと寂しいね。ぜひうちの常連さんになってもらいたいんだけどな。……ちなみにさ、その娘はどんな雰囲気の子なのかな?」
興味本位で尋ねると、光彦くんが「えっと」と言いかけた瞬間――
「頭がいいけど、ちょっと人見知りする子だよ。だから、このカフェに来るのは……ちょっと難しいかもっ!」
コナンくんがわずかに食い気味で言葉を遮った。軽い調子に見えるが、その一瞬の眼差しはどこか張りつめていた。……どうやら、あの子のことは慎重に扱った方が良さそうだ。
「さて、飲み物は……みんな、いつものでいいかい?」
「はーい!」
と元気に答える3人に続いて、歩美ちゃんが手を挙げて口を開いた。
「あ、私はコーヒーでお願いします!」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。まだランドセルの似合う年頃の子どもが、コーヒーを注文するとは珍しい。
「歩美ちゃん、本当にコーヒーでいいの?」
「はいっ。私、大人ですから!」
頬を赤らめながら見上げてくるその視線には、どこか背伸びしたい気持ちと誇らしさがにじんでいた。
――なるほど。これはちょっとした“子供扱いされたくない年頃”ってやつだな。
「かしこまりました。じゃあ、歩美ちゃんには……コーヒーをね。」
彼女がこくんと嬉しそうに頷くのを見届け、俺はカウンターへと戻る。
コーヒー――と言っても、本物を出すわけにはいかない。子どもの胃に負担がかからず、でも見た目は“大人の飲み物”に見えるものを。
用意したのは、俺のオリジナルメニュー『やさしいブラックコーヒー』。
麦茶をベースに、ココアパウダーを溶かし込む。黒蜜でわずかな苦味を演出し、バニラエッセンスで香りを整えたら、氷をたっぷり入れて冷やす。見た目はブラックコーヒーそのものだが、味は子どもでも安心して飲めるマイルドな一杯。
出来上がった『やさしいブラック』をトレイに乗せて、歩美ちゃんの前へと運ぶ。
「お待たせ。歩美ちゃんのコーヒーだよ。」
グラスを受け取った歩美ちゃんは、一瞬緊張した面持ちでそれを見つめたあと、両手でしっかりと持ち上げ、そっと口をつける。
……そして数秒後。
「も、もちろん、飲めるよ!」
目を輝かせながら胸を張って言い切った。見事な“演技”だ。いや、もしかしたら彼女なりに本当に頑張っているのかもしれない。
「歩美ちゃんは大人だねぇ。」
「えへへ……」
照れ笑いを浮かべる彼女の表情に、こちらまで頬が緩む。
カウンターに戻ろうとすると、背後から可愛らしい2人が耳打ちをしてくる。
まずは歩美ちゃんだ。
「マスター、ありがとう。」
「歩美ちゃんのためなら、お安い御用だよ。」
「お礼にいいこと教えてあげるね。哀ちゃんね、このお店には来たがらないんだけど、マスターのこと絶対に好きだと思うよ。」
「え、どうして?」
「だって、私達がマスターに会った次の日に、必ず私たちに聞くの、マスターの様子とか元気そうだったとか。その時の哀ちゃんの顔は恋してる女の子そのものだよ!」
「そうなんだ、いい事聞いちゃったなぁ〜。ありがとう。」
次に耳打ちしてきたのは少し悪戯っぽい笑みを浮かべたコナン君だ。
「ねぇ、マスター。歩美ちゃんが飲んでるやつ……あれ、コーヒーじゃないよね?」
「えぇ!? そんなことないよ、ちゃんと立派なブラックコーヒーだよ?」
俺がすっとぼけてみせると、コナンくんは首を傾げながらも、目だけはじっとこちらを見据えていた。
「だってぇ、ブラックコーヒーにあんなにココア入れないよね?」
子どもらしい口調とは裏腹に、その観察眼と推理力には舌を巻く。まったく、どうしてこの子はいつも核心に近づいてくるんだろう。
「すごいな、コナンくん。よく気付いたね。……まるで探偵みたいだ。」
「えっ!? い、いやぁ、知り合いの兄ちゃんに探偵がいて、よく教えてもらってるからかな、アハハ。」
乾いた笑いでごまかすその姿に、妙な既視感を覚える。まあ、子どもの嘘に真剣に突っ込むのは野暮ってものだ。だが――もしこの世に、黒の組織と張り合える小学生が存在するなら、それは間違いなく、目の前の少年のような子だろう。
そんなことを考えていると、カランと軽やかなベルの音が鳴った。
「マスター、こんにちは〜。」
「お久しぶりです。」
扉をくぐってきたのは、これまた馴染みのある常連――蘭ちゃんと園子ちゃんだった。2人は制服姿のまま、自然な足取りで店に入り、笑顔を向けてくれる。
「いらっしゃいませ。いつものでいいかな?」
「はいっ!」
返事も軽やかに、彼女たちは子どもたちのいるテーブルの隣――これまた”彼女たち専用席”とも言える場所に腰を下ろした。
「コナンくんも来てたのね。」
「うん、さっき来たところだよ。」
そう答えるコナンくんの表情は一見無邪気だが、蘭ちゃんが近づいた途端にわずかにそわそわして見えるのは気のせいだろうか。
いつものコーヒーを2人に運びながら、ふと問いかける。
「そういえば、蘭ちゃんのボーイフレンド――新一くん、最近来てくれないんだけど、どうしたの?」
「ボ、ボーイフレンドじゃないですけどっ……! あの、ちょっと厄介な事件に巻き込まれてて……今は学校も休んでるんです。」
言葉を選びながら答える蘭ちゃんの頬が、じわじわと赤みを帯びていく。
「そっかぁ……それは寂しいねぇ。」
「べ、別に、私は何ともないですっ!」
「そうなのよマスター。蘭のやつ、毎日私に“新一に会いたいよ〜”って泣きながら電話してくるんだから!」
「園子っ!?」
園子ちゃんの口撃に、蘭ちゃんは真っ赤になって彼女の肩を叩いた。どう見ても、恋する乙女そのものだ。
「なるほどねぇ……じゃあ、新一くんから蘭ちゃんには連絡もないってわけじゃないんだ?」
「そ、そういうわけじゃ……。電話とか……たまには会ったりも……」
「なるほど、“たまに会ってる”んだねぇ?」
わざとらしく反芻するように言うと、蘭ちゃんはますます顔を赤らめて目を逸らした。
……と、その様子を見ていたコナンくんから妙に鋭い視線を向けられる。
「そう言えば、蘭ちゃんは新一くんのどこを好きになったの?」
「どこって……別に好きじゃいないけど。鈍くて、推理バカで、デリカシーもないけど、でも躊躇なく他人を助けようとするところに惹かれて……ってもうマスター何聞いてるのよっ!?」
さっきまで鬼気迫る表情をしていたコナン君が今度は突然むせ返るように咳き込んだ。
「コナンくん、大丈夫? 顔真っ赤だよ?」
「さっきからすごい咳き込んでたし、風邪引いたんじゃないか?」
歩美ちゃんや元太くんの心配そうな声に、コナンくんはごまかすように手を振ったが、その動揺は隠しきれていない。
昼下がりの《ジェームズ》は、そんな微笑ましい空気に包まれながら、今日も静かに、しかし賑やかに時間が流れていく。
昼のお客さんがみんな帰っていき店に1人になった俺は満足げに笑みを浮かべながら、そっとグラスを磨いていた。
そしてグラスを静かに置くと、とある人物に電話をかける。
「あぁ、俺だ。ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど……そう。工藤新一について調べてくれ、"幼少期"から現在に至るまでの全ての情報をね。」
──平穏な日常の裏で、ほんのわずかな波紋が広がっていく。