花に酔へり羽織着て『奥の細道』を歩む女 作:ウルピスフォリアは我らの光
【草加】
東北までの道程は長い。極東は一般に知られる世界地図では小さく描かれるものの、その実、ヴィクトリアを優に覆える面積であると言われる。東北へ行き、そして帰るまでにどれほどの時が過ぎるのかは判然としない。若き日のように軽やかな旅とならないことは明白である。ウルピスフォリアはくすんだ金髪を撫でた。
いかに文化を知るとは言えど、極東はウルピスフォリアにとっての異郷である。踏みしめた土はシラクーザの石畳ではなく、過ぎゆく風に鉄の臭いは無い。ウルピスフォリアは極東の湿った風を愛していたが、体に染みついたパレードと硝煙が薄れることはなかった。慣れない地を歩む足が、草葉に沈み込む。
「歩みが遅いね」
気付けば、日が暮れかかっていた。今日の宿は草加なる移動都市である。天災を避けて都市が動いたのか、ウルピスフォリアの動きが遅れているのか。不安になった彼女は、木に登り周囲を確認する。目指す都市を進行方向に遠く目視し、安心して息を吐いた。
「やはりトランスポーターの真似事は向かないね。中央に行ったら雇おうか」
そうして長道を歩めば、草加に着いたのは夜更けである。急ぎ宿の一室に入る。
身体は随分疲労していた。原因は膨らみすぎた荷物であったが、ウルピスフォリアは周囲に耳目の無い宿の和室ですらそれを表にはしない。ただ、持たされた荷物を整理し、背負い方を模索するばかりである。
それにしても多すぎる荷物である。中身をいくつか取り出してみる。
源石錐。なんでも奇妙なバケツ鎧触手チラ見え男との取引で使えるらしい。ウルピスフォリアが思うに、そんな男はただの不審者である。──ロドスのトップに存在するフードの不審者が脳裏をよぎる。不審者二人ならば仕方なし。ウルピスフォリアは考えないことにした。
賽子。なんか便利らしい。曰く、これのご機嫌次第でオペレーターに重篤な身体異変が発生するらしく、ドクターは日々祈りを捧げて転がすとか。ウルピスフォリアが思うに、呪いの道具である。
啓示板。サーミの奥地に生える木の皮が剥がれ落ち、それを拾ったら啓示板になったらしい。ドクターはこれ欲しさに木々の皮を剝ぎまくるとか。ウルピスフォリアが思うに、あの地域一帯で起こる幻覚症状であろう。呪いの道具である。
構想。カズデルにて老人へ読み聞かせをした際、なんか出てきたらしい。ドクターはこれを求め、その辺の木々にいたリスを捕まえてから戦闘指揮を執るそうだ。間違いなく呪いの道具である。
その他、古城で貰ったらしい大聖堂の絵が描かれたパズル。海で拾ったらしい青く光る鱗獣の模型。サーミで見つけたらしいダンスシューズ。カズデルで掠め取ったらしいアーツ抑制指輪10個の意匠付き電子装置。いずれも旅に不要でありそうだったが、一応貰っておいた。これらの送り主であるロドス統合戦略部門員の面々曰く、
「珍しいものではあるんだけどね……」
「いや、効果も凄いよ?ほんとに。なんだけど、なんかさ、ねぇ?」
「うん……なんか、これが手に入る頃には要らないんだよね、正直」
「記録できたから満足」
「だからさ、こう、旅の縁起物でさ、持っといてよ」
だそうだ。
「断れないものだね」
そうウルピスフォリアは独りごちた。贈り物は嬉しいものだ────かつて送られた、プレゼントのぬいぐるみを除いて。人間の愚を詰めたプレゼントを思い出す。愛娘に送られた悪意の塊。苛立つ心境を布団にくるみ、眠りについた。
【室の八島】
「このあたりなら、オオミハの神社に寄ると良いですよ!」
ウルピスフォリアが草加で知り合ったトランスポーターに案内を頼むと、二つ返事で頷かれた。なんでもこの一帯を中心に案内をしているという。頼まれるや否や忽ちプランを組み上げるその実力は確かと思われたが、一ヶ所不要な経由をしていることにウルピスフォリアは気付いた。目的地まで真っ直ぐで良いと頼んだが、『室の八島』の名を出された途端、掌を返す。暴力に依らない交渉術は、トランスポーターの方が一枚上である。
トランスポーターは慣れた足取りで、オオミハなる神社を目指して歩む。そこにあるという『室の八島』は、ウルピスフォリアにとって憧れの地の一つである。室の八島──それは歌枕である。極東が機械化により発展するより前の時代、古き時代に人々が歌に詠み入れた地であるのだ。心躍らせるウルピスフォリアに、先を歩むトランスポーターが振り返る。
「お姉さんも、旅行の目的は信仰活動でしょー。あんまり神様の不興を買ったら大変なことになるんだからね!」
極東では、公に旅行というのは認められていない。その数少ない例外が寺社仏閣巡りであり、多くのトランスポーターはそうした体で仕事をしている。ウルピスフォリアもまた、それに従って旅をしていた──寺社仏閣は得てして歌の名所であることも、少しばかりの理由であるのかもしれない。
「ああ、そうだよ。神社には縁が深くてね────」
さて、目的のオオミハ神社は風光明媚である。薄く立ちのぼる霧と草木に包まれた神社には人っ子一人おらず、ただ静謐のみがあった。それはこれまでの険しい道中を思えば当然に思える静けさであった。
「ここは霧が出やすくて、それを煙に喩えて昔から詠まれてきたんだー!良い所でしょ!」
トランスポーターはこの神社について熟知していた。曰く、遙か昔に神様が子を生んだとされる地であるそうで、今でも安産祈願、それに家内安全の祈りが盛んらしい。逸話では燃える産屋で神が出産したという、そのいかにも神話らしい無茶苦茶な展開は、ある種の異国情緒──ウルピスフォリアにとっての異国という意味で──を思わせるものであり、好ましいものであった。トランスポーターは此処を頻繁に訪れては祈るという。彼女の天真爛漫といった様子は我が子を思い出させるものであったが、ウルピスフォリアは一つ疑問があった。
「しかし、室の八島はどこだい?」
「あー……さっき通り過ぎたところです。あの、石が八個くらい並んでた……」
「……あれが?」
「はい、室の八島です!……だから室の八島も名のみなりけりー、なんて言われるわけで……」
「ああ、成る程。良いさ、歌枕であるのは事実みたいだからね。名のみなりけり、私も好きな歌だよ。それを思えば感慨も増すというものさ。“人を思ふおもひを何にたとへまし……”」
「“室の八島も、名のみなりけり!”」
ウルピスフォリアはその暗殺者としての知覚を以て、微かにトランスポーターの語調が暗いことを認識していた。それはきっと自身の問いが室の八島を軽んじていると捉えられたためであると判断し、
「うん。確かにあれを見られたことは喜ばしいね。ありがとう」
そう本心を述べた上で、猶も語調の暗いトランスポーターに内心首を傾げたのである。
夕暮れ時、今日の目的地であった鹿沼へと到着した。トランスポーターに別れを告げ、代金を支払った。
翌朝。雨の音で目を覚ます。空は暗い。朝食を食べていると、宿の主人から声を掛けられた。
「オオミハから小物を預かってるよ。忘れ物かなんかかい?まあ、何でもいいから早く貰ってくれよ」
「……何?」
ウルピスフォリアが仔細を問えば、主人は知らなかったのかといった顔で説明する。
「ほら、昨日世話になっただろう?あのトランスポーターの子。オオミハちゃんだよ。何?神社の名前だ?なんだ、あんた知らずに頼んだのか。かわいそうに、騙されちまって。あの子ねぇ、兄貴があそこの神主してたんだよ。……源石病だったから、すぐ死んじまったんだけどねぇ。んで身寄りもなく一人で生きて、まあ最後の居場所が神社なんだろうね。可哀想な子だよ。
ああ、そうだ。で、オオミハちゃんが昨日の夜に来てね、渡してくれって言ってお守りを渡されたんだよ。多分忘れ物だと思うんだけどねぇ。ほら、これ」
そうして小さなお守りを見せられる。ウルピスフォリアはそれを受け取った。暗い青色の下地に金色の字が縫われている。旅の安全を願うものであった。この地の名物とか言う鱗獣の小骨が喉に刺さり、すぐに抜けた。
次なる目的地へ向かう道中オオハミ神社について尋ねれば、必ずこう返された。“源石病者を捨てた山”と。
確かに神社は存在する。逸話も存在する。それ以上に、あの山の裏手には多くの源石が存在しているらしい。それは源石病者の墓標であり、源石病者そのものであると。
確かにあの地に霧は出やすい。けれどそれ以上に、昔は源石粉塵が立ちのぼったと言う。神社内がいかに無害と言えど、寄り付く者はいないのだ。