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風が吹いていた。
金色の草原を渡る風は甘く、日なたの埃と青い穂先の匂いを含んでいた。少女の背丈よりも高い草の群れがゆるやかにたわんで、さわさわ、さわさわと乾いた音をたてている。空に太陽は見当たらないのに、あたりはどこまでも明るかった。
少女の名は秋本しおりという。歳は八つ。顔の右半分に乾いた泥がこびりつき、髪はぼさぼさに絡まっている。着ているものは花柄のパジャマで、裾がところどころ破れていた。
孤独な日々が終わったのはつい先刻のことだ。黒い傘を持った男の子が、しおりの手を引き、
そして、気がつけば金色の稲穂のなかにいた──という寸法である。
冷たくて、やわらかくて、指の隙間にじわりと入り込んでくる土の感覚に驚き、しおりの目が大きく開かれた。両手を持ち上げて草に触れると、穂先がちくちくと刺す様でくすぐったい。思わず笑い声がこぼれて、それに驚いて口を押さえた。
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「おう、起きたかい」
不意に声がかけられた。しおりが声のほうを見ると、作業服の男が立っていた。日焼けした丸い顔に、頭のてっぺんが心もとない中年男だ。
男はしゃがんでしおりの視線に高さを合わせて口を開く。
「驚かせちまったな。悪い悪い。俺は松田っていうんだ。下の名前は……忘れちまった。お嬢ちゃんの名前は? 覚えているかい?」
「……しおり」
「しおりちゃんか。いい名前だ。まあここで寝ていてもなんだ、らちがあかねえだろう。こっちへおいで。なに、皆優しい人ばっかりだ、安心しな」
松田に連れていかれた先は、一言で言えば
「あら、ちっちゃい子ねえ」
花柄のエプロンを掛けた中年の女が、しおりの前にしゃがみ込む。
「お名前は?」
「……しおり、です」
「しおりちゃん。大丈夫よ。もう怖いことないからね」
女がしおりの頭を撫でた。
「よしよし。偉かったねえ。一人で怖かったねえ」
しおりの目からぽろりと涙がこぼれた。
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「私たちね、夫婦なのよ。名前は佳恵。名字は……忘れちゃったけれど、彼と夫婦っていうことは多分私の苗字も松田だと思うわ」
先ほどしおりの頭を撫でた女──佳恵はそんな事を言いながら苦笑を浮かべた。
「ちょうどお休みでね、二人で家にいたんだけれど。急に空がね」
「そうそう。急にぶわーってな」
松田が佳恵に合わせる。
そういえば、としおりも
しおりの習い事の帰り道の事だった。太急に太陽が紫色に染まり、その光が空の端から端まで広がって、東京の上に巨大なドームを形づくったのだ。
しおりは怖くなって家に早く帰ろうと走り出したが、周囲はすっかり様変わりしてしまっていた。家が崩れたり、道路が割れたりしたわけではない。
しかし──
周囲に響き渡る叫び声、鳴き声、怒鳴り声はしおりの耳朶に今でもこびりついている。
あちらこちらに黒い何かが、不気味に嗤う何かが、悍ましい何かが跋扈しはじめ、人々を襲い、殺し、喰らっていた。
漫画かなにかならばしおりに隠された力があり、それが都合よく発現し、危機を脱していたかもしれない。しかししおりはなんの力もない、ただの子供に過ぎなかった。
結果、しおりは背後から襲い掛かってきた何かに殺され、霊となって彷徨う事になったのだ。
その時の事を思いだしたのか、しおりの体がガタガタと震えた。それを見かねてか、佳恵がしおりを正面から抱きしめる。
「大丈夫よ、もう大丈夫。ここならもう怖いのはやってこないから……」
背中をぽんぽんと叩く感触がしおりの心の何かを震わせるような、そんな感覚を覚えた。
──わたし、なにか忘れてる……?
決して忘れてはいけないなにかを忘れてしまっているような、そんな感覚。だがなにを忘れているかもわからないので、しおりは結局考えるのをやめて佳恵の胸に額を押し付けた。
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それからしばらく、しおりは松田や佳恵らと話をして、
御堂聖が創った場所であるということ、ここでは腹が減らないと言うこと、暑さや寒さもないと言う事。
“巫女様”には決して逆らってはいけないということ。
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「そういう事をきちんと守っていれば、おっそろしい化け物に食われずに済むんだ」
松田はしたり顔でそんな事を言う。
「お仕事って……どんな事をするん、ですか?」
しおりが尋ねると、松田は佳恵と顔を見合わせた。
「多分、まだしおりちゃんには早いと思うわ。少し危ないし……聖君も巫女様も、きっと分かってくれると思うけれど……」
──危ない仕事なんだ
しおりはどんな仕事なのか少し心配になってしまう。
そんな事を話していると──
「話は済んだ?」
声の方を見れば、そこには黒い浴衣のようなものを羽織った少年が立っていた。
「あら、
佳恵の言葉に、東花とよばれた少年は小さく頷き、「まあね」と一言答える。
「あ、あの……」
そんな東花にしおりはおずおずと声をかけた。
「ああ、うん。ここの事は聞いた?」
「は、はい……」
「じゃあ後は家だね。巫女様に頼んで
家を、出してもらう?
しおりが内心で小首をかしげていると──
──『穂よ、栄えよ、満てよ、穂、穂、穂……』
声が響く。
すると松田や佳恵、そして東花と呼ばれた少年も、まるで神に祈りをささげるかのようにその場に跪いた。しおりもあわてて同じ様な体勢を取る。
さわさわ、いや、ざわざわと村を取り囲む黄金色の穂が揺れ、そして。
「あ」
何がどうなって
しかし、気づいたら家が──確かにその場にはなかった空き地に、真新しい木造の家屋が建っているではないか。
呆然とするしおりの肩を、ぽんと東花が叩く。
「ほら、お礼いって」
「あっ……! えっと、ありがとうございました、みこ、さま……」
しおりが慌てて礼を言うと──
ふわりと風が吹き、稲穂の香りがしおりの鼻をくすぐった。
南部興福寺にいろいろの化物あり 東花坊のからかさ
空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?
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①問題ない
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②少し詰めて欲しい