お姉さんと僕   作:埴輪庭

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第49話「東京山手医療センター②(御堂 聖、早川 俊介、木下 麻衣、原田 浩二)」

 ◆

 

「とりあえず自分の目で見たほうが分かりやすいかもな」

 

 早川さんに促されるまま、僕らは薬剤部を目指してフロアを歩き始めた。

 

 フロアマップだと薬剤部は北東の角のあたり。エントランスから長い廊下を進んで何回か曲がれば着くはず──なんだけど。

 

「この消火器にさ、前に来た時テープ貼ったんだよ。ほら、赤いの」

 

 消火器の取っ手に小さく赤いビニールテープが巻いてある。

 

「いまエントランスを背にして北を向いてるだろ? マップだと薬剤部はこのまままっすぐだ。突き当たりまで行ってみな」

 

 言われた通り、廊下をまっすぐ歩いた。まっすぐ。一度も曲がっていない。突き当たりの壁が見えてきて、そこを左に曲がった。

 

 赤いテープの巻かれた消火器。

 

「……え?」

 

「な?」

 

 おかしい。僕は一回しか曲がっていない。それも突き当たりの壁にぶつかって左に折れただけだ。なのにエントランス付近に戻ってきている。フロアマップで言えば北の端まで歩いたはずなのに、南の出発地点に立っている。道を間違えようがない一本道で、だ。

 

 試しにドアをいくつか引いてみた。びくともしない。鍵がかかっているとかそういう話じゃなくて、扉自体が壁と一体化している。ドアノブは回るのに押しても引いても動かない。窓も同じで、ガラスの向こうに中庭が見えているのに窓枠が完全に固着してしまっていた。

 

 原田さんがエレベーターのボタンを押しているのが見えたが、電気が来ていないんだから当然何も起きない。

 

「階段は?」

 

「上ってみな」

 

 近くの非常階段を上った。踊り場を経て出た先の壁に貼られたフロア表示には──。

 

「……一階ですね」

 

「ここは地下もあるんだけどよ。下りても一階だぜ。窓は割れない、壁は壊せない。念動でぶっ飛ばそうとしたけどダメだった」

 

 なるほど、これは確かに手ぶらで帰るわけだ。

 

「まあ──不思議っちゃ不思議なんだが、そうでもないとも言える」

 

 早川さんはぐるりと辺りを見回してそんな事を言った。

 

「こういう風に空間をループさせたりってのは異常領域ではよくあるからな」

 

「ていうかさあ、そもそも異常領域ってなんなンだろうねぇ」

 

 原田さんが首を傾げた。

 

「こういう事が起きてます、はい分かりました、って受け入れてるけどさ。なんでお化けが空間を歪ませたりできるの? っていう根本のところがさっぱりなんだよねぇ。物理法則ってもうちょいこう、頑固なもんじゃないの?」

 

 確かにそうだ。僕もオカ研で色々聞いてはいたけど、異常領域がなぜ発生するかっていう根本のところは正直あんまり考えた事がなかった。怪異が出る場所、くらいの認識で止まっていたと思う。

 

「あの──東極教授の論文を読んだ事があるんだけど」

 

 木下さんが控えめに口を開いた。

 

「東極教授?」

 

「帝都大学の霊子物理学の教授。崩壊のずっと前から異常領域の発生原理を研究していた人なの。その人の仮説だと、異常領域は人間の想念が現実の空間に干渉した結果として起きるんだって。恐怖とか苦痛とか、強い負の感情には微量の霊子素粒子が伴っていて、それが長期間同じ場所に蓄積されると、ある密度を超えた時点で空間の物理法則が書き換えられ始める──っていう理論」

 

「霊子ってのはそもそもなんなの?」

 

 原田さんが首を捻る。確かに僕もその言葉は聞いた事があるけれど、具体的になんなのかって問われると答えられない。

 

「教授の話によると匂いに近いらしいわ」

 

 木下さんはそう言った。

 

「匂い?」

 

「うん。匂いって目に見えないけど、実際は微細な粒子が鼻の粘膜に付着することで知覚されるでしょう? で、例えば有毒ガスの匂いを嗅いだとするよね。それって実際に有毒な粒子を体内に取り込んでいるということだから、本当に体調が悪くなる。匂いは気のせいじゃなくて物理現象なの」

 

 言われてみれば確かにそうだ。匂いっていうとなんとなくふわっとした感覚的なものに思えるけれど、実態は目に見えないちっちゃい粒が鼻にくっついてる──っていう完全に物理的な出来事だ。

 

「東極教授の仮説だと、人間の感情もそれと同じなの。恐怖とか苦痛とか、強い負の感情に伴って微量の霊子素粒子が放出される。それ自体は誰にでも起きていて、普段は微量すぎて何の影響もないんだけど──」

 

「それが一箇所にたまるとやばい、と」

 

「そう。有毒ガスが密閉された部屋に充満したら人が倒れるのと同じ。霊子の密度がある閾値を超えると、空間そのものの……なんていうのかな、霊的な粘膜みたいなところに粒子が付着して、物理法則が書き換えられ始めるっていう理論」

 

 霊的な粘膜。変な言葉だけれどなんとなく腑に落ちた。空間にも鼻粘膜みたいな受容面があって、そこに霊子がべったりくっつくと空間そのものが具合悪くなる──みたいなイメージだろうか。

 

「まあそういうわけなんだよ。で、どうだ? 何か分かるか?」

 

 早川さんが聞いてくるけど当然何も分からない。

 

 ただ、うーん……。

 

 僕は受付カウンターにいる霊を見る。

 

「ここで働いてる人に聞いてみたらいいんじゃないでしょうか」

 

「働いてる人──さっき言ってた、受付のか?」

 

「はい」

 

「まあやってみろ」

 

 僕は受付カウンターに向かった。

 

 彼女はまだそこにいた。近くで見ると制服を着ている。白いブラウスにベージュのベスト。胸元の名札は文字が滲んでいて読めなかった。

 

 目が合った。ぼんやりしていた目がこっちを向いて、顔つきがすっと切り替わる。

 

「おはようございます。本日は初診でいらっしゃいますか?」

 

 はっきりした声だった。

 

「あ──はい」

 

「保険証をお願いいたします」

 

 保険証!? 

 

 一瞬面食らったけど──まあある。財布のカード入れに入れっぱなしにしていた。そういえば財布自体出すのも久々かもしれない。ここ最近お金なんて使ってないし……。

 

 カウンターの上に置くと──。

 

「御堂 聖さまですね。本日はどうされましたか」

 

「えっと……薬を、貰いに……」

 

「お薬のお受け取りですね。処方箋はお持ちですか」

 

「いえ……」

 

「かしこまりました。先に診察を受けていただく形になりますので、あちらの待合でお掛けになってお待ちください。お名前でお呼びいたします」

 

 彼女がカウンターの右のほうを指す。

 

 振り返ると椅子に人が座っていた。さっきまで誰もいなかった待合のプラスチックの長椅子に何十人も。壊れたはずの電光掲示板には三桁の番号が浮かんでいて、ゆっくり切り替わっている。

 

 全員が霊だった。半透明というか、人型に空気が淀んでいるというかんじだ。全部同じ様な姿ではなく、青っぽい人や黒っぽい人もいる。赤や黒はちょっと危ない──そんな話を思い出した。

 

 消毒液の匂いもする。さっきまでの埃っぽい空気は嘘みたいに消えていた。

 

「御堂? おい御堂」

 

 早川さんの声が妙に遠く感じる。

 

「……います」

 

「何が」

 

「人が──霊が。待合の椅子に何十人も座ってます」

 

「まじかよ……俺には何も見え、待て……よく見ると確かに空気がぐにゃってるような……」

 

「ぐにゃってるって何よ。でも俊介君の言いたい事は分かるわ。やっぱり霊能者と異能者っていうのは似て非なる者なのね」

 

「消毒液の匂いがしませんか」

 

「しねえ。……いや、微かにするか。それに──」

 

「寒くなってない?」と原田さん。

 

「なるほどね……御堂君は受付を済ませたっていうわけね」

 

 木下さんが言う。

 

「はい。保険証を出して、名前を呼ばれて、あちらでお待ちくださいって

 

「……この異常領域に正式に入ったんだと思う。さっきまでは門前にいただけで、受付したことで内側に通された」

 

「だからループしてたのか」

 

 早川さんが舌打ちした。

 

「受付してない奴はそもそも院内に入れない。入口の前をぐるぐる回されてただけってやつか」

 

空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?

  • ①問題ない
  • ②少し詰めて欲しい
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