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早川さんの喉が動いて、青い半錠は呆気なく消えた。
「あ」
「あーあ」
僕と原田さんの声が重なる。木下さんは伸ばしかけた手をゆっくり下ろして、それから深いため息をついた。
「……で? どうなの」
「どうって、別になんとも──」
言いかけた早川さんの体がぐらりと傾いで、椅子の背もたれを掴んだ。
「おっと……なるほどね、こりゃ確かに眩暈だわ」
「眩暈は一分ほどで治まります。効いてくるのはそのあとですよ」
鷲尾先生はカルテに何かを書き足しながら言った。それからきっかり一分ほど待って顔を上げる。
「いかがですか」
「──おい、なんだこれ」
早川さんは自分の両手を見下ろしていた。
「なんだこれ。おい、なんだよこれ」
「語彙がなくなってるわよ、早川くん」
「いや待てって、こいつは説明できねえんだよ。プールの話したろ? 念のプールの話。あれがな、風呂桶だったのがダムになってんの。しかも満水のダムだ」
早川さんは椅子から立ち上がって、財布を出して、小銭入れから五百円玉を摘まみ上げた。
「見てろよ御堂」
五百円玉が指を離れてふわりと浮く。
そして浮いた五百円玉が見えない両手に掴まれたみたいにぴたりと止まって──
千切れた、というほうが近いかもしれない。粘土細工を捻じ切るみたいにだ。銀色の断面を晒した二つの塊がさらに四つへ八つへと千切られていって、最後には金属の粒の群れが空中でゆっくり渦を巻いた。
「うっそだろぉ……」
原田さんが目を丸くしている。
「五百円玉って三層構造なんだよ? 真ん中に銅を挟んでてさぁ、手で曲げるのだって絶対無理でさぁ……千切るとか工場のプレス機の仕事だよぅ」
「だろうな。前の俺なら百円玉一枚曲がりもしなかったぜ」
早川さんは宙の粒を掌に集めて受け止めて、じゃらりと鳴らした。ご機嫌だ。
「先生よ、こいつは大したもんだわ」
「お気に召したようで何よりです」
「なあ御堂もやれって。半錠でこれだぜ? お前のあれ、幽霊への
言われて、ほんの少しだけ心が動いた。
僕は弱い。それはずっと気にしている事で、強くならなきゃとも思っていて、でもその方法が分からないでいる。もしこの薬で本当に──
『やめなさい』
頭の中で声がした。
お姉さんの声だった。囁くようなのにはっきりと、耳のずっと奥で聞こえた。
……うん。そうだよね。
「ぼ、僕はやめておきます」
「なんでだよ。もったいねえなあ」
「ほら、僕のは異能じゃなくて霊能ですから。効くかどうかも分からないですし」
咄嗟にしては悪くない言い訳だと思う。実際のところ霊子を凝縮した錠剤が霊能にどう作用するかなんて誰にも分からないわけだし。
「原田はどうすんだ」
「う、うーん……俺は遠慮しとくよ、薬とかあんまり好きじゃないし……」
「お前それでもなんでも食える男かよ」
「なんでも食えるからこそだよぅ。口に入れる物にはうるさいの」
木下さんは訊かれる前に首を横に振った。
「私もいいわ。副作用のない薬なんてこの世にないもの」
「特にないと申し上げたはずですが」
「だから信用できないのよ」
木下さんと鷲尾先生の視線がぶつかって、先に逸らしたのは先生のほうだった。眼鏡の奥で目が細くなる。笑ったのかもしれない。
「では、お薬をお出ししましょう」
鷲尾先生はカルテを閉じて、新しい紙にさらさらと何かを書き始めた。書き上がった処方箋は四枚あった。
「鎮痛剤、感冒薬、胃腸薬、消毒薬、抗生物質、あとは包帯とガーゼ類。当面はこれで足りるでしょう。薬剤部の窓口にお出しください」
「さっきは廊下がループしてて行けなかったんだけど」
「もう大丈夫ですよ。皆さん、受付はお済みですから」
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診察室を出て廊下を東へ歩く。
さっきまで何度歩いても振り出しへ戻された廊下は、拍子抜けするほど素直だった。曲がり角を曲がったら曲がった先に出る。当たり前の事がやけにありがたい。
薬剤部は本当に北東の角にあった。
小窓のついたカウンターがあって、奥には天井まで届く薬品棚がずらりと並んでいる。窓口には白衣の女の人が立っていた。半透明で顔立ちはよく分からないし、名札も霞んでいる。それでも処方箋を差し出すと丁寧に頭を下げて、棚の間へ滑るように消えていった。
待つ事しばし。窓口に白い紙袋が積み上がっていく。
「中身、確認しなさいよ」
「分かってるって」
木下さんに言われて早川さんが袋を開ける。錠剤のシート、軟膏のチューブ、包帯にガーゼ。どれも埃ひとつなくて、使用期限の印字はずっと先の日付だった。崩壊からもう結構経つのに、この病院の中では薬が古びないらしい。
「よし、これで任務完了──っと、そうだ。これも結構お宝かもな」
早川さんが五枚目の処方箋をひらひらさせた。さっき鷲尾先生に書いてもらった、例の強化薬のやつだ。
「分析でもすりゃ量産の目とかあるかもしれねえしな。確か薬剤師のおっさんが避難所にいたはずだ」
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最終的に、荷物は結構な量になった。リュック四つがぱんぱんで、それでも入り切らない分が段ボール二箱。
「貸してみな」
早川さんが顎をしゃくると、段ボールが二つとも軽々と宙に浮いた。
「おおー」
「な? 飲んどいてよかっただろ? この調子なら瓦礫の撤去とかもいけるぜ。今だったらビル解体だって朝飯前さ」
浮いた段ボールを従えて歩く早川さんの足取りは軽かった。鼻歌でも歌い出しそうだ。
これで偵察班のお仕事は大成功という事になる。薬は山ほど手に入ったし、医療センターの謎も解けたし、誰も怪我ひとつしていない。文句なしの成果だった。
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エントランスに戻ると、外はもう昼を回った明るさだった。
行きに通った半開きの自動ドアから、まず原田さんが段ボールを抱えて出る。木下さんが続いて、僕も敷居をまたいだ。外の空気は埃っぽくて、鼻の奥に居座っていた消毒液の匂いがふっと消えた。
振り返った。
早川さんが出てこない。
自動ドアの内側で足が止まっている。宙に浮かべていた段ボールをゆっくり床へ下ろして、それから早川さんはドアの隙間に掌を差し入れた──差し入れようとして、止まった。
まるでパントマイムの様に、何もない空間に掌が当たっていた。
空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?
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①問題ない
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②少し詰めて欲しい