お姉さんと僕   作:埴輪庭

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第25話「胎蔵界曼荼羅図」

 ◆

 

 その日の朝、僕は通学中に奇妙な現象に遭遇する。

 

 向かいから歩いてくるサラリーマンの顔が、一瞬──つるりとした肉塊になったのだ。

 

 目も鼻も口もない、のっぺらぼう。

 

 ──え……? 

 

 思わず声を出しそうになり、強く瞬きをする。

 

 すると、サラリーマンは怪訝な顔で僕を見返してくる。

 

 普通のどこにでもいるような中年男性の顔だった。

 

 ──疲れてるのかな……

 

 昨夜もハザードマップの情報を整理していて夜更かしをしたせいか、と自分に言い聞かせる。

 

 だがその時、学生服のポケットに入れていた「魔除けの鈴」が、チ……と、か細く、虫の鳴き声よりも小さな音を立てたような気がした。

 

 気のせいかと取り出してみるが、鈴は沈黙している。

 

 銀色の小さな鈴は朝日を反射してきらりと光るだけだった。

 

 ──本当に鳴ったのかな

 

 首を傾げながら、僕は鈴をポケットに戻す。

 

 茂さんからもらったこの鈴は、僕に害をなす魔が近づいた時に鳴るはずだ。

 

 でもさっきのは本当に微かで、聞き間違いかもしれない。

 

 通学路をいつも通り歩いていく。

 

 商店街を抜け、住宅地を通り、学校へと向かう道。

 

 何度も通った見慣れた景色のはずなのに、今朝はどこか違って見える。

 

 まるで薄い膜越しに世界を見ているような、そんな違和感。

 

 電柱の影が妙に長く伸びている気がする。

 

 道端の花壇の花が、風もないのにゆらゆらと揺れているような。

 

 ──やっぱり疲れてるんだ

 

 そう自分に言い聞かせて僕は足を速める。

 

 ◆

 

 放課後の部室。

 

 いつものようにオカ研のメンバーが集まっていた。

 

 でも今日は祟部長の姿がない。

 

「部長、今日は休みなんですか?」

 

 僕が福々先輩に尋ねると、「そうみたいだね」とのんびりした返事が返ってきた。

 

 僕は朝の出来事を話すべきか迷った。

 

 でも、ここはオカルト研究部だ。

 

 こういう話こそ共有すべきかもしれない。

 

「実は今朝、ちょっと変なことがあって」

 

 僕が切り出すと、みんなの視線が集まる。

 

 特に側にいた眞原井さんが、興味深そうに僕の方を向いた。

 

「どんなことですの?」

 

「通学中に、向かいから来たサラリーマンの顔が一瞬のっぺらぼうに見えたんです」

 

 部室がざわめく。

 

「のっぺらぼう?」

 

「マジで?」

 

 でも僕は続ける。

 

「すぐに瞬きしたら普通の顔に戻ってたんですけど……」

 

 その瞬間、眞原井さんの表情が厳しくなった。

 

 立ち上がると僕の顔を真剣に覗き込む。

 

「御堂君、それは気のせいではありませんわ」

 

 眞原井さんの瞳には、いつもの冷静さとは違う、切迫したものが宿っていた。

 

「あなた、やはり何かに"干渉"され始めています」

 

 干渉? 

 

 その言葉の意味を理解する前に、眞原井さんは続ける。

 

「友達として忠告しますが、もしかしたら部活は少しお休みしたほうがいいかもしれませんわよ」

 

「え、どうして?」

 

 僕の問いに、眞原井さんは少し言葉を選ぶような素振りを見せた。

 

 その時、祐が口を開く。

 

「そういえばばあちゃんから聞いたことあるんだけど、怪談とかってあんま良くないらしいな──」

 

「え?」

 

 僕は祐の方を見る。

 

 いつもの軽い調子とは違う、真面目な表情をしていた。

 

「いや、なんつうのかなあ、"そういう話"をしてるとさ、"あっち側"からしたら"受け入れてくれてる"って事になるらしいぜ」

 

 受け入れてくれてる? 

 

 どういう意味だろう。

 

 眞原井さんが祐の言葉を引き継ぐように説明を始めた。

 

「佐原君の言う通りですわ。怪談や心霊現象について語るということは、その存在を認め、意識を向けるということです」

 

 彼女は一呼吸置いて続ける。

 

「通常、人間と霊的存在の間には見えない壁があります。それは認識の壁とでも言うべきもので、『信じない』『意識しない』ことで保たれているんです」

 

 なるほど、つまり──

 

「でも、こうして怪談を集めたり、異常領域について調べたりすることで、その壁に穴を開けてしまうということですか?」

 

「その通りですわ」

 

 眞原井さんは頷く。

 

「特に御堂君のように感受性の高い人は、影響を受けやすいんです。今朝ののっぺらぼうも、恐らくは何かの前兆でしょう」

 

 感受性が高い。

 

 前に祟部長にも同じようなことを言われた気がする。

 

「でも、僕には霊能力なんてないし……」

 

「能力の有無と感受性は別物ですわ」

 

 眞原井さんが断言する。

 

「むしろ能力がない分、防御する術を持たない。だから余計に危険なんです」

 

 そう言われると確かに怖くなってくる。

 

 福々先輩が口を開いた。

 

「まあでも、すぐに活動を止める必要はないと思うよ。ただ、気をつけるに越したことはないね」

 

 その言葉に少しほっとする。

 

 ◆

 

 しばらくして、話題は今日の活動内容に移った。

 

 福々先輩がパソコンの前に座り、画面を操作している。

 

 そこには都内の地図が表示され、赤や黄色の印が無数に打たれていた。

 

 僕たちが作っているハザードマップだ。

 

「うーん……」

 

 福々先輩が悩ましい声を上げた。

 

「どうしたんですか、先輩」

 

 僕が尋ねると福々先輩は振り返る。

 

「いや、まあ偶然だと思うんだけどこれ見てよ」

 

 そう言いながらPCを操作し、地図をやや拡大表示する。

 

 みんなが画面を覗き込む。

 

「見てくれれば分かると思うけど、怪異の噂、発生源には偏りがあるよね」

 

 確かに、印は均等に分布しているわけではない。

 

 いくつかの場所に集中している。

 

「ほら、この群とこの群、そしてこの群──」

 

 福々先輩がマウスを動かし、それぞれの発生群を丸で囲む。

 

 大きな円がいくつも画面に描かれていく。

 

「で、この一番発生の噂が多い地域が──新宿」

 

 大きく丸で囲われた新宿を中心に、周囲に小さな円がいくつも配置されている。

 

 確かに特徴的な配置だ。

 

「これがどうしたんですの?」

 

 眞原井さんが首を傾げる。

 

 福々先輩は画面を指差しながら説明する。

 

「大きい群を小さい群が囲うようにして出来ている──これは」

 

 その時だった。

 

「むむむ! これは胎蔵界曼荼羅図に似てますね!」

 

 と声をあげたのは、部室の隅で本を読んでいた先輩だった。

 

 能都春巻(のと はるまき)先輩。

 

 オカ研でもちょっと変わった人で、おじいさんが真言密教僧だという。

 

 大きな黒縁眼鏡をかけたいかにも頭が良さそうな先輩だ。

 

「たいぞう、かい?」

 

 僕は聞き慣れない言葉に首を傾げる。

 

 能都先輩は眼鏡を直しながら立ち上がった。

 

「胎蔵界曼荼羅、正しくは胎蔵生曼荼羅といいます」

 

 そう言いながら、画面に近づいてくる。

 

「曼荼羅というのは、密教において宇宙の真理を図像化したものです。特に胎蔵界曼荼羅は、大日如来の慈悲の世界を表現したもので──」

 

 能都先輩の説明が始まった。

 

「中央に大日如来を配置し、その周囲を八葉の蓮華が取り囲みます。さらにその外側には十二の院があり、全体で四百十四尊もの仏が描かれているんです」

 

 なるほど、中心から外に向かって広がる構造というわけか。

 

「そして重要なのは、この配置が単なる装飾ではないということです」

 

 能都先輩は画面の印を指差す。

 

「中央の大日如来は宇宙の根源を表し、周囲の諸尊はその力が顕現した姿。つまり、中心から力が広がり、世界を形成しているという世界観なんです」

 

「それがこの怪異の分布と?」

 

 祐が興味深そうに聞く。

 

「ええ、非常によく似ています」

 

 能都先輩は頷く。

 

「新宿を中心として、段階的に怪異が配置されている。まるで何かの力が中心から放射状に広がっているかのように」

 

 その言葉に部室の空気が変わった。

 

 これが偶然の一致とは思えない。

 

「でも、なんで曼荼羅の形になるんです?」

 

 僕が疑問を口にする。

 

 能都先輩は眼鏡を光らせた。

 

「それは分かりません。ただ、もしこれが意図的なものだとしたら……」

 

 言葉を切る。

 

 みんなが固唾を呑んで続きを待つ。

 

「誰かが、あるいは何かが、都市そのものを巨大な曼荼羅に見立てて、何かを行おうとしている可能性があります」

 

 都市を曼荼羅に見立てて何かを──

 

 それがどういう意味だか僕にはわからないけれど、何かとても大きな事に巻き込まれようとしている……気がする。

 

 福々先輩が深刻な顔で画面を見つめていた。

 

「これは……祟部長に報告しておこう」

空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?

  • ①問題ない
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