お姉さんと僕   作:埴輪庭

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閑話②「怪異行:小学校教諭・室田の場合」  

 ◆

 

 放課後。

 

 子どもたちの喧騒が潮のように引いていき、校舎はすっかり静まり返っていた。

 

 室田春子は職員室を出ると、手にした熊の刺繍入り巾着袋を確かめるように軽く振る。

 

 中身がカサカサと小さな音を立てた。

 

 今日の「お給料」は飴玉が五個と、小さな鈴が一つ。

 

 それから折り紙で作った鶴が三羽。

 

 花子さんの好みを春子はよく理解していた。

 

 甘いものと、音の出るもの、そして人の手で丁寧に作られたもの。

 

 B棟への渡り廊下を歩きながら、春子は窓の外に目をやる。

 

 グラウンドでは野球部の生徒たちがまだ練習を続けていた。

 

 金属バットがボールを捉える乾いた音が、ガラス越しに響いてくる。

 

 階段を上る。

 

 一段、また一段。

 

 靴音が規則正しくコンクリートを叩く。

 

 三階に着くと、廊下の奥に女子トイレの入り口が見えた。

 

 薄暗い廊下にトイレの前だけぽっかりと明かりが灯っている。

 

 春子は深呼吸を一つ。

 

 これは毎日の儀式のようなものだった。

 

 トイレの扉を押し開けると、蛍光灯の白い光が目に飛び込んでくる。

 

 手洗い場の鏡に自分の姿が映った。

 

 三十五歳の小学校教師。

 

 茶色いカーディガンに膝丈のスカート。

 

 地味だけれど清潔感のある、いかにも「先生」らしい格好。

 

 個室は全部で五つ。

 

 春子は真っ直ぐに三番目の扉へと向かう。

 

 扉の前で立ち止まり、ノックを三回。

 

 コン、コン、コン。

 

「花子さんいらっしゃいますか?」

 

 春子の声がタイル張りの空間に響く。

 

 数秒の沈黙。

 

 それから個室の中から、かすかな声が返ってきた。

 

「はい」

 

 細く、消え入りそうな声。

 

 でも確かに聞こえる。

 

 ゆっくりと扉が内側から開いた。

 

 そこに立っていたのは、赤いスカートのおかっぱ頭の少女。

 

 見た目は小学校低学年くらいだろうか。

 

 白いブラウスに赤いスカート、そして黒い革靴。

 

 どこにでもいそうな女の子の姿だが、その肌は透けるように白く、瞳は底なしの闇を湛えている。

 

「今日も一日お疲れさまでした」

 

 春子はいつもの調子で声をかける。

 

「はい、今日の"お給料"です」

 

 熊の刺繍がチャーミングな巾着袋を差し出すと、花子さんと呼ばれた少女は無言で両掌を差し出してそれを受け取った。

 

 小さな手のひらが、そっと巾着袋を包み込む。

 

 花子さんはいうまでもなく人間ではない。

 

 幽世の住人である。

 

 しかし人に害を為す事はない。

 

「お給料」を受け取っている事から分かるように、彼女はこの私立忌坂小学校とは協力関係にある。

 

 その仕事はずばり言ってしまえば用務員だ。

 

 女子トイレの掃除はもちろん、校舎内に紛れ込んできた浮遊霊を追い出したりもする。

 

 男子トイレは人間の男性用務員が担当しているが、女子トイレは花子さんの領域。

 

 彼女がいるおかげで、このトイレはいつも清潔に保たれている。

 

 花子さんは巾着袋を開けて中を確認し始めた。

 

 飴玉を一つ取り出し、じっと見つめる。

 

 いちご味の飴。

 

 次に小さな鈴を取り出す。

 

 そっと振ってみると、チリン、と澄んだ音が響いた。

 

 花子さんの表情は変わらないが、目に宿る光がほんの少しだけ柔らかくなったような気がする。

 

 最後に折り鶴を手に取る。

 

 赤、青、黄色の三羽。

 

 一年生の子どもたちが図工の時間に作ったものだ。

 

 花子さんは折り鶴を両手で大切そうに包み込んだ。

 

 春子はこの瞬間が好きだった。

 

 花子さんは普段無表情だが、贈り物を確認する時の仕草にはどこか温かみがある。

 

 それは生きている子どもたちと何も変わらない、純粋な感情の現れのように春子には思えた。

 

「あ、それと……三階の音楽室に何かいたみたいですが」

 

 春子が尋ねると、花子さんは軽く手を横に振った。

 

 もう追い払った、ということだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 春子は心から礼を言う。

 

 浮遊霊の中には、生徒たちに悪影響を与えるものもいる。

 

 花子さんが巾着袋を胸に抱き、今日の「お給料」を大切にしまい込む仕草は控えめにいってもかわいらしい。

 

 春子は微笑みながら礼を言う。

 

「毎日ありがとうございます。明日もまた宜しくお願いしますね」

 

 花子さんはやはり無言でこくりと頷き、春子は軽く一礼をして扉を閉めた。

 

 ◆

 

 職員室に戻ると、教頭の藤沢が待っていた。

 

「あ、室田先生」

 

 五十代半ばというが、春子の目にはもう少し年かさに見える。

 

「はい」

 

「ちょっとよろしいですか?」

 

 藤沢は手にした書類を確認しながら続ける。

 

「ええと、"お給料"で使った費用の清算についてなのですが、急な用件で明日から二日間出張することになりました。ご存じの通り経費精算は通常翌日に清算する事になっているのですが──今すませてしまっても大丈夫ですか?」

 

「はい、もちろんです」

 

 春子は鞄から領収書を取り出した。

 

 飴玉、鈴、そして折り紙の購入費。

 

 全部で五百円ほどだ。

 

 藤沢は手慣れた様子で書類に記入していく。

 

「いつもご苦労さまです。いやあそれにしても花子さんのおかげで、女子トイレの管理費がかなり抑えられています。清掃業者を入れる必要がありませんからね。うちに来てくださってよかったですよ」

 

 実際、花子さんの「お給料」は人間の清掃員を雇うよりもはるかに安上がりだ。

 

 しかも仕事の質は段違いに高い。

 

 ただし、どこの学校にもいるというわけではなかった。

 

 花子さんにも好みの学校というものがあるらしい。

 

 また、同時期に複数の花子さんが確認されることもある。

 

 花子さん概念説という奴だ。

 

「それに、浮遊霊の処理もしてくれるので助かっています」

 

 藤沢が書類をファイルに綴じながら言う。

 

「去年、隣の公立小学校で集団ヒステリーが起きたでしょう? あれも浮遊霊が原因だったそうです」

 

 春子も覚えている。

 

 生徒十数人が突然泣き出したり、意味不明な言葉を叫んだりした事件だ。

 

「たしかこっくりさんをした生徒がいたんでしたっけ?」

 

 春子の問いに藤沢は頷く。

 

「よほどこじれなければ大事にはならないのですが、たまに大物を喚んでしまったりもしますからねぇ」

 

 ちなみにこの私立忌坂小学校ではこっくりさんは禁止されている。

 

「それでは室田先生、明日もよろしくお願いしますね」

 

「はい、明日は購買部で新しく発売された飴を持っていこうと思ってます」。

 

「お勧めはパイン味ですね。間違ってもレタス味は買わないほうがいいでしょう」

 

「教頭先生、もしかして──」

 

「ええ、まあ。物珍しさでね。後悔しましたよ」

 

 そうして軽く小話を終えたあと、春子は机に戻って翌日の小テストの最終チェックを始めた。

 

空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?

  • ①問題ない
  • ②少し詰めて欲しい
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