お姉さんと僕   作:埴輪庭

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第6話「日常⑨(聖、佐原 裕、眞原井アリス他)」

 ◆

 

 病院で目を覚ました翌日、僕は退院することができた。

 

 打撲箇所は思っていたより多かった。

 

 右肩と腰だけじゃなく、左の脇腹、両膝、それに後頭部にも青あざができていた。特に脇腹の打撲はかなり重くて、普通なら一週間は安静にしてなきゃいけないレベルだったらしい。

 

 でも、僕の担当医は異能持ちだった。

 

「ヒーリング系の能力なんです」

 

 若い女医さんはそう言って、僕の体に手をかざした。

 

 温かい光が体に染み込んでいく感覚。痛みがすーっと引いていく。

 

 まるで魔法みたいだった。

 

「完全に治すわけじゃないですけど、治癒速度を大幅に上げることができます。一日安静にしていればほぼ完治するはずですよ」

 

 実際、退院した時点でかなり楽になっていた。

 

 でも茂さんと悦子さんは心配して、もう一日は家で静養するように言った。

 

 体自体は平気だからすぐにでも学校には行きたかったけれど──

 

「学校なんていつでも行ける。体が第一だ。特に単なる怪我ならともかく、精神に対する怪我はすぐには表に顕れない事も多いからな」

 

 茂さんの言葉に、僕も異論はない。

 

 怪異絡みの怪我は後を引くことも珍しくない──いわゆる呪いとか祟りとかの事だ。

 

 怪我は治ったけれど後日異常が発生する、みたいなこともあるとか。

 

 ◆

 

 そして事件から三日後の朝。

 

 制服の袖に腕を通した。

 

 もう痛みはほとんどない。異能ドクターの力ってすごいな、と改めて思う。普通なら絶対にこんなに早く治らない。

 

 鏡を見る。顔色もいい。むしろ妙に調子がいい気さえする。

 

 精神的にも異常はない。

 

「聖くん、本当に大丈夫?」

 

「大丈夫です。行ってきます」

 

 鞄を手に取って、ふと洗面器に目をやった。

 

 クロは静かに佇んでいる。昨日は一日中僕のそばにいてくれた。まるで看病してくれているみたいだった。

 

「留守番よろしくね」

 

 声をかけると、ぷるりと震えた。

 

 なんとなく「気をつけて」って言われた気がした。思い込みかもしれないけど。

 

 ◆

 

 教室のドアを開けた瞬間、空気が変わった。

 

 みんなが僕を見ている。

 

 いつもなら誰も気にしない、空気みたいな僕を。

 

 心配そうな顔、興味深そうな顔、同情的な顔──色んな感情がごちゃまぜになった視線が突き刺さる。

 

「聖!」

 

 裕が真っ先に駆け寄ってきた。

 

「大丈夫か? まだ痛むんじゃないか?」

 

「平気だよ。もう全然」

 

 軽く肩を回してみせる。本当に痛みはない。

 

「三日も休むなんて、相当ひどかったんじゃない?」

 

「うん、まあ……打撲が結構あって。でも病院の先生が異能持ちだったから、すぐ治してもらえたんだ」

 

「へー、ヒーラーか。いいな、中々診てもらえないんだぜ」

 

 裕が羨ましそうに言う。

 

「本当によかったですわ」

 

 アリスも安堵の表情を浮かべていた。

 

「ごめん、心配かけて」

 

 僕が謝ると、アリスは首を横に振った。

 

「謝ることではありませんわ。河童に襲われたと聞いた時は……」

 

 ──ああ、そうか

 

 僕は理解した。

 

 きっと事件の翌日のホームルームで発表されたんだ。

 

 特定異形災害の被害者が出たら、クラスで情報共有する。

 

 それが学校の決まりだ。

 

「御堂くん!」

 

 クラスメイトの石塚さんが声をかけてきた。

 

 普段は全く話した事がない。

 

「大丈夫だった?」

 

「あ、ありがとう……」

 

 正直、驚いた。

 

 裕やアリス以外も僕のことを心配してくれてたなんて。

 

 その後も次々と人が集まってくる。

 

「怪我、もう大丈夫?」

 

「河童ってそんな凶暴なのかよ。俺の叔父さん、仕事で河童の協力を受けたりしてるんだけど大丈夫かなあ」

 

「どうやって助かったの?」

 

 質問の嵐だ。

 

 でも悪い気はしない。みんな本当に心配してくれてたんだ。

 

 胸の奥がじんわりと温かくなる。

 

「そういえば、打撲がひどかったって?」

 

 誰かが聞いてきた。

 

「うん、結構あちこち打ってて。特に脇腹がひどかったみたい。でも異能ドクターのおかげで一日で治ったんだ」

 

「異能ドクターかー。最近増えてるよね」

 

「うちの近所の病院にもいるよ。予約取るの大変だけど」

 

 みんなが口々に言う。

 

 そうなんだ。異能持ちの医者って増えてるんだな。

 

 考えてみれば、治癒系の能力って医療現場では重宝されるだろうし。

 

「で、河童ってどんな感じだったの?」

 

 話題が本題に戻る。

 

 みんなの視線が集中する。恐怖と好奇心がないまぜになった表情で、僕の次の言葉を待っている。

 

「えっと……」

 

 あの時の記憶が蘇る。

 

 生臭い匂い、濁った黄色い目、ギギギという不快な音──

 

「昔話みたいな可愛いやつじゃなかった。目は濁った黄色で、歯は尖ってて……体中の鱗が剥がれかけてて、すごく気持ち悪かった」

 

 ひぃ、と誰かが声を漏らした。

 

「頭の皿は乾いてひび割れてたし、なんていうか……飢えた獣みたいだった。クリーチャー、みたいな」

 

「うわぁ……」

 

「マジでヤバいじゃん」

 

 みんなが顔をしかめる。

 

「しかも一匹じゃなくて、たくさんいたんだ。壁を這ってたり、天井に張り付いてたり」

 

 教室がざわめいた。

 

「それで、どうやって逃げたの?」

 

 核心を突く質問。

 

 ──お姉さんが助けてくれた、なんて言えるわけない

 

「その……よく覚えてないんだ。気がついたら霊捜の人たちが来てくれてて。あ、でも光とかは凄く嫌がってた気がする」

 

 曖昧にごまかす。嘘じゃない。本当のことを全部話してないだけ。

 

 その時、この前クロの事で少し話した相沢さんが口を開いた。

 

「あたしも前に襲われたことあるよ」

 

 空気が変わる。みんなの視線が相沢さんに移った。

 

「マジで?」

 

「どんなやつに?」

 

 相沢さんは肩をすくめて、長いネイルを見つめながら話し始める。

 

「去年の夏、渋谷で買い物してたらさ。急に周りの景色が歪んで、異常領域に巻き込まれたの」

 

 ──異常領域

 

 みんなが息を呑む。

 

 僕も身を乗り出していた。

 

「で、出てきたのが超キモい怪物。全裸で、腹だけ異常に膨れ上がってて……なんていうか、妊婦? いや、もっと気持ち悪い感じ。後から聞いたけど餓鬼っていうんだって」

 

 何人かが顔を青くした。

 

「顔は人間っぽいんだけど、目が三つあって、口から絶えず何か黒いのが垂れてて……」

 

「やめて! 想像しちゃう!」

 

 女子の一人が耳を塞ぐ。

 

 相沢さんはクスッと笑った。

 

「まあ、ビリッとやってあげたけどね」

 

 そう言いながら、人差し指と中指の間に電気を走らせる。

 

 パチパチと青白い光が踊った。

 

「相沢さん、エレクトロマンサーだったんだ!」

 

 誰かが感嘆の声を上げる。

 

 エレクトロマンサー。電気を操る異能者。

 

 かっこいいな、と素直に思った。戦闘向きの能力として有名だし。

 

「そ。だから今はバイトで害獣駆除とかやってる」

 

 さらりと言う相沢さん。

 

 ──害獣駆除か

 

 異能者向けのバイトの一つだ。都市部に出る低級霊とか妖怪を退治する仕事。

 

 報酬はいいって聞いたことがある。でも危険も伴うから、それなりの実力がないと無理らしい。

 

 他にも異能者向けの仕事はたくさんあるって聞く。建築現場の地鎮祭の補助とか、心霊スポットの浄化作業とか、異常領域の監視員とか。

 

 どれも僕には縁のない仕事だけど。

 

「へー、相沢もやるじゃん」

 

 裕が感心したように言った。

 

「まあね。お小遣い稼ぎには丁度いいし」

 

 相沢さんが髪をかき上げる。

 

 ──いいな

 

 率直にそう思った。

 

 異能があれば自分の身も守れるし、人の役にも立てる。将来の選択肢も広がる。

 

 でも僕には──

 

 無意識に拳を握りしめていた。

 

「御堂くんも何か能力あるんじゃない?」

 

 不意に誰かがそう言った。

 

「だって河童の群れから逃げられたんでしょ? 普通じゃ無理だよ」

 

 期待のこもった視線が集まる。

 

 ──違う、僕には何もない

 

 でも、そう言えない雰囲気だった。

 

 みんな、僕に何か特別なものがあると信じたがっている。河童から生還した僕を、ただの無能力者だと思いたくないみたいだ。

 

 まあ確かに僕はお姉さんに守ってもらえている。

 

 ただ、それを異能といっていいのだろうか? 

 

 なんだか違う気がするし、今後も永遠にお姉さんが僕を守ってくれると決まっているわけじゃない。

 

「僕は……」

 

 言いかけた時、チャイムが鳴った。

 

 ホームルームの時間だ。

 

 みんながぞろぞろと席に戻っていく。

 

 僕もほっとしながら席についた。でも視線は感じる。好奇と期待と、少しの畏怖が混じった視線を。

 

 妙な気分だった。

 

 今まで誰も気にしなかった僕が、急に注目を集めている。特定異形災害の生還者として。

 

 嬉しいような、居心地が悪いような。

 

 複雑な感情を抱えたまま、担任の先生が入ってくるのを待った。

 

 ◆

 

 先生が教室に入ってきて、いつも通りホームルームが始まる。

 

 連絡事項の後、先生が僕を見た。

 

「御堂、体調はどうだ? 三日も休んでたが」

 

「はい、もう大丈夫です。病院で治療してもらったので」

 

「そうか。それでも無理はするなよ」

 

 優しい口調だった。

 

 職員会議でも話題になったんだろうな。学校から特定異形災害の被害者が出るのは一大事だし。

 

 特に本田君のこともある。

 

「それでは今日の授業だが──」

 

 先生の話を聞き流しながら、窓の外を見た。

 

 いつもと変わらない青空。

 

 でも、あの日下水道で見上げた空とは違う。

 

 あの時は本当に死ぬかと思った。重い打撲をいくつも負って、普通なら入院が長引くところを、異能ドクターのおかげで三日で学校に戻れた。

 

 ──生きててよかった

 

 改めて、何度目になるかわからないけれど心の底からそう思った。

 

 ◆◆◆

 

 午前二時。

 

 永田町。

 

 眠りについた権力の中枢に、革靴の音が規則正しく響いていた。

 

 こつ、こつ、と硬質な音の主は氷室兼続。

 

 現内閣総理大臣である。

 

 氷室は総理執務室の重厚な扉の前で足を止めると、慣れた手つきで複数の生体認証をクリアし、音もなく中へ滑り込んだ。

 

 部屋からは冷たい印象を受ける。

 

 主の精神を写し取ったかのような、静謐で華美を削ぎ落とした空間。

 

 氷室は部屋の中央まで進むと、何もない空間に向かって手を差し伸べた。

 

 すると淡い光の粒子が、まるで闇の中から湧き出すように集まり形を成していく。

 

 巨大な東京の立体ホログラム。

 

 眠れる大都市の精巧な模型だ。

 

 その地図の上には無数の光が瞬いている。

 

 赤。黄。青。

 

 まるで都市の皮膚に浮き出た発疹のようだ。

 

「特定異形災害」の発生地点。

 

 呪いの灯火。

 

 それらは、ただ無秩序に散らばっているわけではなかった。

 

 全体として、一つの巨大な紋様を描いている。

 

 氷室は無表情のままそれをただ見下ろしていた。

 

 黒い瞳に底なしの闇が湛えられている。

 

 じきに地図に変化が訪れた。

 

 西新宿、東京都庁。

 

 ひときわ大きく、どす黒い赤い光を放つその一点から、するりと細い光の糸が吐き出された。

 

 糸はすぐ近くで瞬く別の光点へと、ゆっくりと伸びていく。

 

 そしてぴたりと接続された。

 

 とくん、と。

 

 繋がれた二つの光点が、まるで心臓のように一度だけ強く脈打つ。

 

 それが合図だった。

 

 都庁の光点から次々と無数の光の糸が生まれていく。

 

 それはまるで巨大な蜘蛛が巣をかけるようにも見えた。

 

 緑ヶ丘。桜台。北町。

 

 やがて全ての光点が結ばれた。

 

「……順調だ。神の寝床もようやく温まってきた」

 

 氷室の唇の端がミリ単位で吊り上がった。

 

 

 

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