お姉さんと僕   作:埴輪庭

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第11話「魔都胎動」

 ◆

 

 霊異対策本部・中央監視室。

 

 無数のモニターが青白い光を放つ空間で、オペレーターたちの指がキーボードを叩く音だけが響いていた。

 

「第七区画、霊波レベル上昇。閾値まであと12%」

 

 若い女性オペレーターの声が、静かな室内に響く。

 

「第十三区画も同様です。レベル3に接近」

 

 別のオペレーターが続けた。

 

 壁一面に配置された巨大モニターには、東京23区の立体地図が浮かび上がっている。

 

 各地点で明滅する光点。

 

 赤、黄、青。

 

 それぞれが霊的異常の強度を示していた。

 

「これは……」

 

 監視主任の藤堂が眉をひそめる。

 

 五十代半ばの男は、この仕事を二十年以上続けているベテランだ。

 

 その彼が見たことのない現象が、今まさに起きていた。

 

 それは怪異の発生を表す光点なのだが、肝心の異常領域の発生がどこにも見当たらない。

 

 異常領域とは、現実世界が歪み別の法則に支配される空間だ。

 

 通常、怪異の発生はその異常領域の内部で確認される事が多い。

 

 にもかかわらず、怪異の目撃報告を示す光点が次々と現れては消えていく。

 

 まるで()()()()()()()()()()()()と化したかのように。

 

「主任、どうしますか」

 

 オペレーターの一人が振り返る。

 

 藤堂は黙って画面を見つめていた。

 

 警報を出すべきか。

 

 都民に避難を呼びかけるべきか。

 

 だが──

 

「まだだ」

 

 藤堂は首を振った。

 

「警報レベルには達していない」

 

「しかし、これだけの異常が……」

 

「聞け」

 

 藤堂は声を落とした。

 

「怪異の多くは人間の恐怖が生み出す。今ここで警報を出せば、パニックが起きる。そのパニックこそが、さらなる怪異を呼び込む触媒になる」

 

 オペレーターたちが息を呑む。

 

 確かに過去にもそういった事例はあった。

 

 軽微な異常に過剰反応した結果、集団ヒステリーが本物の災厄を引き起こしたケースが。

 

「各自、家族に連絡を取れ。その様子だと仕事も手につかないだろう」

 

 藤堂が指示を出す。

 

「外出は控えるように伝えろ。ただし、理由は濁せ。『仕事が忙しい』でも『体調が悪い』でもいい。とにかく恐怖を煽るなよ。我々の家族は我々の仕事内容を知っているだろう。そんな我々が焦ったりすれば、より強い恐怖を煽る事になりかねん。そうなれば、怪異を引き寄せてしまう可能性がある」

 

 オペレーターたちが一斉にスマートフォンを取り出す。

 

 それぞれが親しい者たちへとメッセージを送り始めた。

 

『今日は早く帰って。買い物は明日にして』

 

『子供を外で遊ばせないで』

 

『飲み会はキャンセルしたほうがいい』

 

 ◆

 

 別フロアの一般職員エリア。

 

 書類整理や事務作業に追われる職員たちの間にも、異様な空気が漂い始めていた。

 

「なんか、上がざわついてない?」

 

 事務職員の田中が隣の席の同僚に囁く。

 

「確かに。さっきから幹部が出たり入ったりしてる」

 

 資料室から戻ってきた山田が口を挟む。

 

「エレベーターで会った霊捜の連中、全員フル装備だったぜ」

 

 その言葉に、周囲の職員たちがざわめいた。

 

 霊異捜査局の捜査官がフル装備で出動するということは、相当な事態だ。

 

「でも警報は出てないよね?」

 

「うん、アプリも確認したけど平常通り」

 

 スマートフォンの画面を見せ合う職員たち。

 

 霊異対策本部が提供する公式アプリには、異常なしの緑色の表示。

 

 だが、その画面の向こうで何かが起きているのは明らかだった。

 

 ぴりり、と内線が鳴る。

 

「はい、総務課です」

 

 受話器を取った職員の顔が、みるみる青ざめていく。

 

「は、はい。すぐに伝えます」

 

 電話を切ると、震える声で伝達事項を告げた。

 

「本日は定時で全員退庁。残業は禁止だそうです」

 

「え?」

 

「なんで?」

 

 口々に疑問の声が上がる。

 

 霊異対策本部で残業禁止など、前代未聞だ。

 

 24時間体制で都民の安全を守るのが彼らの使命のはずなのに。

 

「理由は……『職員の健康管理のため』だって」

 

 誰もがその建前を信じていなかった。

 

 何かが起きている。

 

 それも、ただごとではない何かが。

 

 ◆

 

 霊異捜査局・第三機動隊詰所。

 

「また通報だ!」

 

 無線から緊迫した声が響く。

 

「場所は?」

 

 隊長の黒田が地図を広げる。

 

「品川区東大井。路上で河童の目撃情報」

 

「河童? また河童か」

 

 黒田は舌打ちした。

 

 今日だけで河童の目撃情報は十件を超えている。

 

 しかも、どれも異常領域の外での出現だ。

 

「第二班、東大井へ向かえ」

 

「隊長、もう人員が……」

 

 副隊長の声に疲労が滲む。

 

 詰所を見渡せば、出払っている班ばかり。

 

 残っているのは最小限の人数だけだ。

 

「くそっ」

 

 黒田は拳を机に叩きつけた。

 

 手が回らない。

 

 都内全域で同時多発的に怪異が出現している。

 

 しかも厄介なことに、どれも異常領域を伴わない「単独出現」だ。

 

 通常なら、異常領域の発生を感知して、その範囲を封鎖すればいい。

 

 だが単独出現の場合、予測も封じ込めも困難だ。

 

 無線がまた鳴る。

 

「こちら第五班。目標を確認。交戦します」

 

 銃声のような音が聞こえた。

 

「被害は?」

 

「民間人一名が軽傷。搬送済みです」

 

 まだ死者は出ていない。

 

 それが唯一の救いだった。

 

 だが、このペースが続けば……。

 

 ◆

 

 インターネット掲示板『異常領域情報交換スレッド Part.892』

 

 1 名前:スレ立て人 ID:??? 

 都内の異常領域・怪異目撃情報スレです

 デマ・煽りは禁止

 目撃情報は具体的に(日時・場所・詳細)

 

 2 名前:名無しさん@異界 ID:4Kj9

 今日やばくない? 

 うちの近所だけで3回も怪異見た

 

 3 名前:名無しさん@異界 ID:pQ2m

 >>2

 どこ? 

 

 4 名前:名無しさん@異界 ID:4Kj9

 >>3

 墨田区

 最初は犬の散歩中に浮遊霊

 次は買い物帰りに河童

 最後は今さっきベランダに何か張り付いてた

 

 5 名前:名無しさん@異界 ID:8YtR

 異常領域じゃないのに怪異が出るっておかしくね? 

 

 6 名前:名無しさん@異界 ID:Lm5v

 >>5

 だよな

 普通は異常領域の中だけのはず

 

 7 名前:名無しさん@異界 ID:3Wq8

 別におかしくないよ

 

 8 名前:名無しさん@異界 ID:pQ2m

 >>7

 なんで? 

 

 9 名前:名無しさん@異界 ID:3Wq8

 異常領域で出る怪異が特にヤバいってだけで、怪異自体はどこにでもいるしどこにでも出るよ

 

 10 名前:名無しさん@異界 ID:Dk8f

 霊捜のサイレンずっと鳴ってるぞ

 

 11 名前:名無しさん@異界 ID:qR4x

 渋谷に河童いた

 

【挿絵表示】

 

 

 12 名前:名無しさん@異界 ID:Yw2s

 >>11

 ブレすぎワロタ。でも確かに河童っぽい何かは写ってる

 

 13 名前:名無しさん@異界 ID:5Tm9

 政府は何か隠してるな。警報出さないのおかしい

 

 14 名前:名無しさん@異界 ID:Ju8i

 >>13

 パニック防ぐためじゃね

 警報出したら余計やばくなりそう

 

 15 名前:名無しさん@異界 ID:wE3p

 あー、韓国のアレか

 

 16 名前:名無しさん@異界 ID:9Kg5

 地形が大きく変わるとかそのくらいやばいのじゃないと警報なんて出ないでしょ

 

 17 名前:名無しさん@異界 ID:wE3p

 もしかしたら都市全体がゆるやかな異常領域になってるとか

 閾値以下だから検知されないだけで

 

 18 名前:名無しさん@異界 ID:Nf7u

 >>17

 それやばすぎだろ……

 

 42 名前:名無しさん@異界 ID:vC9m

 おい、ニュース見ろ。新宿で死者出たらしい

 

 43 名前:名無しさん@異界 ID:8YtR

 >>42

 マジ? ソースは? 

 

 44 名前:名無しさん@異界 ID:vC9m

 >>43

 速報で流れた

 詳細はまだ

 

 45 名前:名無しさん@異界 ID:Dk8f

 ついに死者か……

 

 46 名前:名無しさん@異界 ID:pQ2m

 これで警報出さないとかありえん

 

 ◆

 

 SNS上でも情報が飛び交い始めていた。

 

 @tokyo_citizen

 え、今電車の中で幽霊見た

 しかも他の乗客も見えてるっぽい

 みんな見て見ぬふりしてる

 

 @salaryman_42

 会社から早く帰れって言われた

 理由は教えてくれない

 なんか嫌な予感する

 

 @psychic_boy

 霊感ある俺から言わせてもらうと今日の東京はマジでヤバい

 街全体が薄っすら歪んでる。できれば外出るな

 

 @news_watcher

【速報】新宿駅西口で怪異による死亡事故

 20代男性が犠牲に

 詳細は調査中

 なお警報は出ていない模様

 

 @mother_of_two

 子供を迎えに行きたいけど

 かえって危険かも

 どうしたらいいの

 

 @govt_critic

 死者まで出て警報なし

 完全に隠蔽だろこれ

 

 @rational_mind

 みんな落ち着け

 パニックが一番危険

 冷静に行動しよう

 

 リアルタイムで更新される投稿。

 

 ・

 ・

 ・

 

 不安、恐怖、怒り、疑問。

 

 様々な感情が入り混じり、デジタル空間を埋め尽くしていく。

 

 ◆

 

 霊異対策本部・緊急対策室。

 

「状況は?」

 

 本部長の厳しい声が響く。

 

「怪異出現、都内全域で312件。うち対処済みが189件」

 

「死傷者は?」

 

「死者1名、重傷者3名、軽傷者27名」

 

 数字を読み上げる職員の声に焦燥の色が滲んでいる。

 

「警報は?」

 

 誰かが口を開く。

 

 本部長は首を横に振った。

 

「まだだ」

 

「しかし、これ以上被害が……」

 

「聞け」

 

 本部長の声が一段と低くなる。

 

「我々の分析によれば、これは一時的な現象だ。おそらく今夜中には収束する」

 

「根拠は?」

 

「霊波パターンが周期的な変動を示している。ピークは既に過ぎた」

 

 モニターに波形グラフが表示される。

 

 確かに、異常値は少しずつ下降線を描き始めていた。

 

「今ここで警報を出せば、パニックによる二次被害の方が大きくなる。もう少しだ。もう少し耐えろ」

 

 重い沈黙が室内を支配する。

 

 誰もが祈るような思いで、モニターの数値を見つめていた。

 

 ◆

 

 午後八時。

 

 街に不気味な静寂が訪れ始めた。

 

 怪異の目撃報告が、潮が引くように減少していく。

 

「第十三区画、霊波レベル正常値に」

 

「第七区画も同様です」

 

 オペレーターたちの声に、安堵の色が混じる。

 

「全区画、レベル2以下に低下しました」

 

 ついに、歓声が上がった。

 

 危機は去ったのだ。

 

 だがなぜこうも急激に都内に怪異が出現しはじめたのか──理由は分からない。

 

 全ては謎のままだ。

 

 だが今は、とにかく収まったことを喜ぶしかない。

 

「各班に撤収命令」

 

「医療機関に状況確認」

 

「マスコミ対応の準備を」

 

 慌ただしく指示が飛び交う。

 

 明日からは、この異常事態の原因究明が始まるだろう。

 

 だが今夜はひとまず危機を乗り切ったことに安堵する。

 

 ◆

 

 掲示板には安堵と疑問の声が交錯していた。

 

 231 名前:名無しさん@異界 ID:7Uj3

 急に静かになったな

 

 232 名前:名無しさん@異界 ID:Xm8v

 >>231

 だよな

 さっきまでの騒ぎが嘘みたい

 

 233 名前:名無しさん@異界 ID:Qw9p

 結局なんだったんだ? 

 

 234 名前:名無しさん@異界 ID:hN6k

 集団幻覚とか? 

 

 235 名前:名無しさん@異界 ID:Dk8f

 >>234

 死者出てるのに幻覚はないだろ

 

 236 名前:名無しさん@異界 ID:5Tm9

 政府の実験だったりして

 

 237 名前:名無しさん@異界 ID:pQ2m

 >>236

 陰謀論はやめろ

 

 238 名前:名無しさん@異界 ID:wE3p

 でも確かに不自然

 急に始まって急に終わるとか

 

 239 名前:名無しさん@異界 ID:Yw2s

 とりあえず収まってよかった

 明日仕事だし

 

 240 名前:名無しさん@異界 ID:8YtR

 原因究明はこれからか

 専門家の見解が聞きたい

 

 ◆

 

 深夜。

 

 霊異対策本部の会議室では、幹部たちが集まっていた。

 

「報告書をまとめろ」

 

 本部長が疲れた声で言う。

 

「ただし、パニックを煽る表現は避けろ。『局所的な霊波異常により、一時的に怪異の出現が確認された』程度でいい」

 

「しかし、これほど大規模な……」

 

「だからこそだ」

 

 本部長は立ち上がった。

 

 窓の外には静まり返った東京の夜景が広がっている。

 

 無数の光が瞬く巨大な都市。

 

 本部長にはその地下深くで、何かが蠢いているような気がしてならなかった。

 

 今日の異常はもしかしたら前触れに過ぎないのかもしれない。

 

 もっと大きなもっと恐ろしい何かの。

 

 だがそれを口にすることはできない。

 

 都民の不安を煽ることは、それ自体が災厄を呼び込む呼び水となりかねないのだから。

 

「解散だ。各自、明日に備えて休め」

 

 幹部たちが席を立つ。

 

 誰もが同じことを考えていた。

 

 今日一日で収まったのは、幸運だったのか。

 

 それとも──

 

 本部長は一人会議室に残り、闇に沈む都市を見つめ続けた。

 

 夜明けまであと数時間。

 

 新しい一日が平穏であることを祈りながら。

空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?

  • ①問題ない
  • ②少し詰めて欲しい
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