お姉さんと僕   作:埴輪庭

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第18話「聖:暗い家④」

 

 ◆

 

 “それ”に明確な名はない。

 

 ただ、飢えていた。

 

 人の想念。

 恐怖、不安、絶望、そういった負の感情の澱みが寄り集まり、形を成したもの。

 それが“それ”であった。

 

 しかし、全くの無から生まれたわけではない。

 “それ”には原型があった。

 

 人を模し、騙し、喰らう卑しき(おに)

 

 古の時代より語り継がれてきた、その忌まわしい存在の残滓。

 その原型に現代に生きる人々の想念が肉付けされ──とあるきっかけを最後の後押しとしてこの現世に顕現したのだ。

 

 産まれたばかりの“それ”は、ただひたすらに腹が空いていた。

 だから食べた。

 手近にあった肉を。

 

 道行く男の腕を。

 泣き叫ぶ女の足を。

 公園で遊んでいた子供の、柔らかな頬を。

 

 しかし、それでも飢えはおさまらない。

 もっと。

 もっと、もっと沢山食べたい。

 

 そう願った時、“それ”は半ば天啓(てんけい)のように閃いた。

 

 肉はそのまま食べるより手を加えた方が美味い。

 

 なぜ自身がそんなことを知っているのか、“それ”自身にも分からなかった。

 だが、分かるのだ。

 ただ襲うより、ただ暴虐の限りを尽くすより、その者の心の中にある大切な者の像を模した方がより強く、より濃密な恐怖が生まれるということを。

 

 恐怖は最高のスパイスだ。

 

 だから“次”はそうした。

 家の中から、女の気配を感じ取った。

 その女の記憶を覗き見る。

 息子。

 血のつながりこそないが、愛しい息子。

 

 “それ”は、その息子の姿を模した。

 制服も、鞄も、顔も、声も、完璧に。

 

 しかし、上手くいかなかった。

 そればかりか──

 

 ◆

 

 アア、ニク、オニク──沢山、アル。

 

 三つ。

 若い肉が、三つも。

 

 なのに。

 

 アツイ、アツイイイイヨオォ。

 

 体に巻き付く炎が、せっかく模した“(かわ)”を焼き払っていく。

 女の姿が溶け落ち、本来の醜い姿が露わになる。

 

 ならば力づくで、と思う“それ”だが。

 

「先手必勝ですわッ」

 

 “それ”が炎に巻かれた、その刹那。

 眞原井アリスは疾駆していた。

 

 シンクの縁を足場にして、天井へと跳ぶ。

 しなやかな肢体が、重力を感じさせぬまま宙を舞う。

 天井を踏み台にして、アリスの体は反転した。

 

 それはまるで、闇に潜む忍者(しのび)による暗殺の風情。

 

 アリスの手には、透明な何かが握られている。

 聖水剣。

 いつも持ち歩いているペットボトルの聖水で形作った、アリスの近接武装。

 

 聖句による強化はない。

 だが、遅巧(ちこう)より拙速(せっそく)を求められる場面というのもある。

 “今”が、それだ。

 

 アリスの刃が、“それ”の巨大な頭頂部から顎下までを一気に貫いた。

 ごぶり、と肉を断つ鈍い感触が手に伝わる。

 

 ──このまま、抉ってひき肉にしてやりますわ

 

 アリスは普段のお嬢様然とした振る舞いからは真逆の、物騒な思考を巡らせる。

 が、元より彼女はそういう女でもあった。

 聖職者という人種は、魔に対して往々にして誰よりも苛烈なのだ。

 

 しかし、アリスは表情を変えた。

 刃に伝わる手応えが硬すぎる。

 まるで岩でも貫いたかのようだ。

 

 アリスは躊躇なく“それ”の頭を蹴り飛ばし、その勢いで距離を取った。

 宙で身を翻し、音もなく着地する。

 

 そのアリスと入れ替わるように、“それ”の頭上で両の掌が激しく打ち合わされた。

 

 空気を破裂させるかのような、暴力的な轟音。そのまま頭上に留まっていれば、アリスの細身はたちどころにぺしゃんこにされていたに違いない。

 

「中々タフですわね」

 

 アリスが呟く。

 

「構わねえよ、その分ゆっくり焼いてやるぜ」

 

 祐の全身から、凄まじい(ぼう)の気が放射されていた。

 その怒りのオーラに、アリスはさもありなんと内心で納得する。

 

 ──佐原君は御堂君と親しいですからね。

 

 以前、別の生徒が聖をからかった時、裕が本田という生徒を激しく挑発していたのを思い出した。

 友人への侮辱を、彼は決して許さない。

 

 そこで、ふと気づく。

 

 ──御堂君は? 

 

 眼前の“それ”から視線を切るような危険は冒せない。

 だが、アリスは聖の気配がすぐ後ろにあることを確認していた。

 しかし──

 

「悦子さんを、どうしたの?」

 

 呟くように紡がれた聖の声。

 その声のうすら寒さに、アリスの背筋が冷たくなった。

 

 まるで真っ青な快晴の空に、ぽっかりと巨大な穴が開いたかのような。

 そんな途方もない虚無をアリスは幻視した。

 

 “それ”は──

 

 「エヅウウウウコゴオオオオサンン、ヒッヒッ──グ、クッチマッタ、ヨ」

 

 と嘲笑う。

 

 爛れた片目と、大きく開かれたもう一方の目が、愉悦に歪んだ。

 

「て、めぇッ!!」

 

 裕が拳を固く握りこむ。

 その拳が、ボウ、と赤く燃え盛った。

 単なる火ではない。

 赫怒の炎。

 

 キネティック系の異能者は心の昂ぶりが異能の出力に大きく影響する。

 今の裕の怒りはこの怪物を骨も残さず焼き尽くすに足るだろう。

 

 しかしそんな燃え盛る紅蓮に冷や水を浴びせるものがあった。

 

「そう」

 

 聖の声だった。

 たった一言。

 何の感情も乗っていない、ガラス玉のように冷たい声。

 

 そして──

 

「なっ、異常領域!?」

 

 アリスが叫んだ。

 

 急速に。

 あまりにも急速に、世界が暗くなっていく。

 テーブルが、椅子が、壁が、闇に溶けて形を失っていく。

 

 足元の床の感触が消えた。

 闇色の霧が壁を隠し、三人と一匹は、いつのまにか路上に放り出されていた。

 

 見慣れた住宅街ではない。

 アスファルトはひび割れ、街灯は明滅を繰り返している。

 

 そして、空には煌々と血のように赤い月が輝いていた。

 

「こいつが何かやったのか!?」

 

 裕が焦りを滲ませて叫ぶ。

 だが、アリスはじっと“それ”を見て、違う、と感じた。

 

 なぜなら、“それ”自身もまた、驚いているように見えるからだ。

 巨大な頭をきょろきょろと動かし、明らかに狼狽している。

 

 ──となれば、まさか

 

 アリスは交戦中に敵から視線を切るというリスクを冒して、聖を見た。

 見ずにはいられなかった。

 

 聖は俯いていた。

 長い前髪が顔を隠し、その表情は窺えない。

 

 アリスがのぞき込むが、その目はどこも見ていなかった。

 ただ、底なしの虚無が広がっているだけ。

 

 アリスはほぼ直感的に、この異常領域が聖から広がっているものだと感じ取った。

 

「御堂君!? しっかりしてくださいまし!」

 

 アリスが必死に声をかける。

 その肩を掴んで揺さぶる。

 だが、聖は微動だにしない。

 まるで、魂だけがどこかへ行ってしまった抜け殻のようだ。

 

「待て、アリス! 何か、聞こえねえか?」

 

 裕が鋭く言った。

 

 アリスは耳を澄ます。

 確かに、聞こえる。

 風の音に混じって、か細い音が。

 

 ケラケラ、ケラケラケラ。

 

 子供が、無邪気に笑っているような声。

 甲高く、どこまでも無垢で、それ故に不気味な笑い声が闇の中から響いてくる。

 

 アリスは周囲を見回し、そして空を見上げた。

 

 不意に、血の月が隠れた。

 巨大な何かが、月の光を遮ったのだ。

 

 次の瞬間、“それ”の頭上から──

 

 巨大な“()”が、“それ”の頭を踏みつぶした。

 

 ぐしゃり、という濡れた音。

 スイカを叩き割ったような、鈍く湿った破壊音。

 

 そう、“足”だ。

 あまりにも巨大で、異様な足。

 

 太く、筋肉が瘤のように盛り上がっている。

 そして、古びた木製の下駄を履いている。

 一見すれば人間の足にも見えるが、断じて人間のものではない。

 

 なぜならその足には人の体がないからだ。

 

 足の付け根。

 足首があるべき場所から上には、何も無い。

 代わりに、そこに広がっているのは──

 

 傘。

 ばさりと大きく開かれた、黒い和傘。

 傘の中心から巨大な一本足がにょっきりと生えている。

 

 ──あれは、御堂君の傘!? 

 

 アリスは絶句した。

 

 ケラケラケラケラケラケラ! 

 

 子供の甲高い笑い声が闇夜に木霊する。

 それはまぎれもなくあの傘から発せられていた。




空白行について。先のアンケートを受けて、多少文章を詰めました。

空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?

  • ①問題ない
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