お姉さんと僕   作:埴輪庭

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第30話「日常㉒(御堂 聖)」

 

 ◆

 

 学校から帰って夕飯を済ませた後、僕は自室のベッドに横になって天井を眺めていた。

 

 最近、浮遊霊たちとの交流を重ねている。

 成功することもあれば、失敗することもある。

 五分五分といったところだろうか。

 

 彼らと接して分かったのは、世の中の不幸の多彩さだ。

 

 交通事故で亡くなった人。

 病気で命を落とした人。

 孤独のまま息を引き取った人。

 

 成仏せずに浮遊霊としてこの世に残る以上、良い目には遭っていないのは分かっていた。

 でも、実際に彼らの記憶の断片に触れると胸が締め付けられる。

 

 中には正直言ってこれ以上知りたくない、そんな想いを抱えた浮遊霊もいた。

 

 先週のことだ。

 商店街の裏路地で、一人の浮遊霊を見つけた。

 中年男性の姿をしていて、首に何か巻きついているように見えた。

 

 近づいて話しかけようとした瞬間、激しい絶望が流れ込んできた。

 借金、裏切り、家族の崩壊──

 

 胸が苦しくなって、視界が真っ暗になった。

 膝から崩れ落ちて、そのまま倒れてしまった。

 

「御堂君!」

 

 アリスが駆け寄ってきて、僕を助け起こしてくれた。

 

 その浮遊霊は僕の中に入り込もうとしていた。

 でも、アリスがあっという間にやっつけてしまった。

 聖水の剣が一閃して、霊は霧散した。

 

「あれはもう手遅れですわよ」

 

 アリスは息を整えながら言った。

 

「悪霊になってしまうかどうか──そんな瀬戸際にいましたわ」

「殺しちゃったの?」

 

 僕が聞くと、アリスは頷いた。

 

「殺すっていうのは人聞きが悪いですけれどね」

 

 聖水の剣を消しながら、アリスは続けた。

 

「ただ、わたくしの手にかかったのだから、まああの霊は凝り固まった想念から解き放たれたはずですわ」

 

 話を聞くと、アリス……というか聖職者にはそういう力があるらしい。

 

「わたくしたちエクソシストは、単に悪魔や悪霊を倒すだけではありませんの」

 

 アリスは真剣な表情で説明してくれた。

 

「魂の救済も仕事の一つですわ。特に迷える魂を正しい道へ導くことは、神に仕える者の務めです」

「他の異能者とは違うんだね」

「ええ。例えば佐原君のような戦闘系の異能者は、物理的に怪異を排除することが主ですけれど」

 

 アリスは言葉を選びながら続ける。

 

「わたくしたちは霊的な意味での浄化も行います。聖水や聖句には、単なる攻撃力以上の意味がありますの」

 

 なるほど、と思った。

 僕にはそんな力はない。

 ただ話を聞いて、彼らを受け入れることしかできない。

 

 §

 

 ベッドに寝転がりながらそんなことを考えていると──

 

「うげ」

 

 お腹に黒い塊が飛び乗ってきた。

 クロだ。

 

 大きさはバスケットボールより一回り小さいくらい。

 随分と大きくなっている。

 

 ここ最近の悦子さんはクロを大きく育てようとやっきになっているみたいで、事あるごとに色々なものをクロに食べさせている。

 

「クロちゃんは基本的に何でも食べるけれど、オーガニック野菜とかが好きみたいね」

 

 昨日の夕食時、悦子さんはそう言っていた。

 

 そういえば最初みたいに紙とかは食べなくなってきた。

 こだわりが出てきたのかもしれない。

 

 この前試しにティッシュを差し出してみたら、触手でつまんでポイッと投げ捨てられた。

 食べようと思えば食べられるっぽいけれど、なんだか凄く嫌そうにしていた。

 

「クロはさぁ、なんなんだろうねえ」

 

 僕はお腹のクロを持ち上げて、左右にひっぱってみる。

 ぐにゅーんと伸びるクロ。

 

 別にいじめているわけじゃない。

 こうするとクロが喜ぶのだ。

 それが何となく僕には分かる。

 

 ぷるぷると震えて、まるで笑っているみたいだ。

 こねたりひっぱったり──そういう事をされるのが好きみたいだ。

 

「スライムだと思っていたけれど、最近なんだか自信がなくなってきた……」

 

 そう、クロはスライムというにはちょっと違いがあり過ぎる。

 知能が高すぎるし、感情表現も豊かすぎる。

 

 その時、ポロン、と音がして相沢さんからメッセージが届いた。

 

 スマホを見ると、動画が添付されている。

 再生すると、透明のスライム──相沢さんのペットの「プリン」の動画だった。

 

 プリンはガラスの容器の中で、ゆらゆらと形を変えている。

 時々ぴょんと跳ねたりしているけれど……

 

 見た感じ、なんというか、こう言ってはなんだけど知性を感じないというか。

 かわいいけれど、反射で動いているのかなという感じだった。

 

 画面の中のプリンは、容器の壁にぶつかっては方向を変え、また別の壁にぶつかる。

 その繰り返し。

 

 クロとは全然違う。

 

 ──君はやっぱり特別なのかなぁ

 

 僕はクロを見下ろした。

 クロは僕の視線に気づいたのか、ぷるりと一回震えて、ベッドの脇の洗面器に戻っていった。

 

 そんなことを考えているうちに、瞼が重くなってきた。

 スマホを枕元に置いて、目を閉じる。

 

 いつの間にか眠ってしまったらしい。

 

 なんだか深い場所へ落ちていくような感覚。

 穴の中へ、どこまでも、どこまでも──

 

 §

 

 気付けば僕は、真っ黒い"何か"の中にいた。

 

 上も下も、右も左も分からない。

 ただ黒い空間が広がっているだけ。

 

 でも不思議と恐怖はなかった。

 むしろ、懐かしいような、安心するような感覚。

 

 ああ、僕は、いや──僕たちは()()でうまれたんだ

 

 そんな気がした。

 

 ◆◆◆

 

 "それ"には名がなかった。

 名を与えられるほどの価値もなく、認識されるほどの存在感もない。

 

 ただ、在った。

 

 大いなる母──あるいは父とも呼ぶべき存在から、何の意図もなく零れ落ちた雫のようなもの。

 人が歩けば皮膚の欠片が落ちるように、呼吸をすれば二酸化炭素が吐き出されるように、"それ"もまた無意識の内に分かたれた。

 

 残滓。

 

 残り滓。

 

 それ以上でも以下でもない。

 "それ"は闇の中を漂っていた。

 どこでもなく、いつでもない時間──混沌の海を。

 

 §

 

 どれほどの時が流れたのか。

 あるいは一瞬だったのか、永遠だったのか。

 "それ"にとって時間という概念は意味を持たなかった。

 

 しかしある時、"それ"が現世に顕れた。

 きっかけは"それ"の母、あるいは父が力を現世へと広げたからだ。

 

 そうして、薄い膜を通り抜けるような感覚の後──

 

 §

 

 路地裏の湿った地面に、一匹のスライムがいた。

 透明で、小さく、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい個体。

 

 雨上がりの水溜まりに紛れて、かろうじて形を保っている。

 そのスライムに"それ"は宿った。

 

 "それ"は何でも宿る事ができるのだ。

 そして、宿ったならば変えてしまう──大抵は悪い方向へ。

 

 まあ悪い方向へ変わってしまうのは仕方がないとはいえる。

 大元それ自体が邪神と呼ばれる存在なのだから。

 

 スライムに変化が起きた。

 

 透明だったスライムの体が、じわじわと黒く染まっていく。

 

 墨を一滴垂らしたような、深い黒。

 

 それは単なる色の変化ではなかった。

 スライムという存在の本質そのものが、書き換えられていく。

 

 §

 

 スライムは元来、極めて原始的な怪異だ。

 

 想念の残滓が寄り集まって形を成したもので、知性はなく、本能だけで動く。

 食べて、逃げて、時に分裂する。

 

 それだけの存在。

 

 しかし──

 

 "それ"が宿ったスライムは違った。

 

 黒く染まった体の中で、何かが蠢き始める。

 最初はほんの僅かな変化。

 

 周囲の音に反応するようになった。

 

 光の方向を認識するようになった。

 

 そして──

 

 §

 

 ある日、黒いスライムは"食べた"。

 

 路地裏に落ちていた紙切れ──新聞の切れ端だった。

 普通のスライムなら、ただ溶かして栄養にするだけ。

 

 でも、このスライムは違った。

 

 紙に印刷された文字を、インクに込められた想念を、そのまま取り込んでしまった。

 

『行方不明』

 

『事故』

 

『死亡』

 

 断片的な情報が、スライムの中で渦を巻く。

 理解はできない。

 でも、感じることはできた。

 

 悲しみ。

 

 怒り。

 

 絶望。

 

 人間たちが新聞に込めた感情の欠片。

 これもそうだ。理解は出来ない。

 しかし感じる事は出来た。

 

 §

 

 そうやって、黒いスライムは少しずつ"学習"していった。

 

 ゴミ箱から這い出てきた虫を食べれば、生存本能を。

 雨に打たれた花びらを食べれば、儚さを。

 子供が落とした飴玉を食べれば、甘さと共に無邪気な喜びを。

 

 全てを取り込み、全てを自分の一部にしていく。

 

 それがスライムの本質。

 

 何でも食べる。

 何でも吸収する。

 ただし普通のスライムは、物質的なものしか取り込めない。

 でも"それ"が宿ったこのスライムは、想念すらも栄養にできた。

 

 そんな日々が続き──とある日。

 

 黒いスライムは一人の少年と出会った。

 優しそうな目をした、けれどどこか寂しげな少年。

 後に自分を「クロ」と名付けてくれる存在。

 その時のスライムにはまだはっきりとした自我はなかった。

 

 でも、なぜか惹かれた。

 スライム──クロは「この少年の傍にいたいと」本能的に感じた。

 

 ◆

 

 うっすらと目を開けると、見慣れた天井。

 なんだか深いところから浮き上がってきたような感覚があったけれど、何の夢を見ていたのかは思い出せない。

 

 体を起こすと、お腹の上でクロがぷるりと震えた。

 

「……重いよ、クロ」

 

 まだ半分眠っている頭で呟く。

 最近のクロは本当に大きくなってきていて、お腹に乗られると結構な重量感がある。

 

 両手でクロを持ち上げて、ベッド脇の洗面器にそっと移した。

 クロは不満そうにぶるぶると震えてから、洗面器の底に落ち着いた。

 

 制服に着替えて、階下へ。

 階段を降りる途中で、もう朝食の匂いが漂ってきた。

 味噌汁と、何か焼いている匂い。

 

「おはようございます」

 

 ダイニングに入ると、悦子さんがエプロン姿で振り返った。

 

「あら、聖君。おはよう」

 

 テーブルには既に朝食が並んでいる。

 ご飯、味噌汁、焼き鮭、それに──

 

 僕は一瞬、「うっ」と内心でのけぞってしまった。

 

 緑色の卵焼き?

 

「ほうれん草を入れてみたの。ペーストにして……」

 

 悦子さんが得意げに説明する。

 

「見た目も綺麗だし、栄養満点よ」

 

 少しびっくりしたけれど、悦子さんの料理は味は間違いない。

 箸で一切れつまんで口に運ぶと、ほんのり甘くて美味しかった。

 

 いただきますと手を合わせて、黙々と朝食を食べる。

 茂さんはもう出勤したらしい。最近は本当に忙しそうだ。

 

 食べ終わって、ごちそうさまでした、と立ち上がる。

 

「いってらっしゃい」

 

 悦子さんに見送られて、玄関へ。

 靴を履きながら今日も何事もありませんように、と心の中で呟いた。

空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?

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