お姉さんと僕   作:埴輪庭

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二話連続投稿です


第32話「魔都の夜②」

 ◆

 

 夜のしじまが都市を覆っていた。

 

 西新宿の摩天楼は天を衝く墓標群のように黒々と聳え立っている。

 

 祟 麗華は、闇に溶け込むようにして都庁の敷地へと侵入していた。

 巫女装束を現代的に仕立て直したかのような、白と緋を基調とした衣服は月光を吸い込んで淡く光る。

 

 常人であれば幾重にも張り巡らされた物理的、霊的な警備網に阻まれるはずだった。

 だが麗華の歩みは淀みない。

 

 ──玉依姫(たまよりひめ)よ、我が身を隠世(かくりよ)の帳に包みたまえ

 

 心の中で静かに祝詞を紡ぐ。

 麗華の全身を、月光とも星明かりとも違う、清浄な霊気が薄いヴェールのように覆った。

 認識阻害の術。

 彼女の内に宿る巫女神の護りが、その存在を現世の理から切り離す。

 

 監視カメラのレンズは彼女の姿を捉えず、赤外線センサーの網は彼女の体温を感知しない。

 まるでそこにいないかのように。

 

 正面玄関を抜け、がらんとしたホールを横切る。

 大理石の床に麗華の足音は響かない。

 まるで風が吹き抜けるように、彼女は庁舎の奥深くへと進んでいく。

 

 特別エレベーターへと向かう通路。

 その途中で、二つの影が立ち塞がった。

 警備員の制服を着ているが、その放つ気配は常人のものではない。

 

「何奴」

 

 低い声。

 その眼は既に麗華の存在を捉えていた。

 認識阻害の術を破るほどの、霊的知覚能力の持ち主。

 

 麗華は足を止めた。

 表情は凪いだ水面のように静かだ。

 

「退けば追わない」

 

 凛とした声が静かなホールに響く。

 が、二人の警備員は動じない。

 

「通すわけにはいきません。総理の命です」

「ならば、力づくで」

 

 麗華の言葉が終わるか終わらないかのうちに、二人の警備員が同時に動いた。

 床を蹴る音すら立てずに、左右から挟み込むように疾駆する。

 

 右の男が懐から取り出したのは特殊警棒。

 左の男は拳銃。

 

 麗華は動かない。

 

 左右からの同時攻撃に──

 

 

「──天つ風よ、雲の(かよい)路吹き閉ぢよ」

 

 祝詞が紡がれる。

 古の歌人が詠んだ恋の歌。

 しかし巫女神の庇護下にある彼女の口から放たれる時、その言の葉は神威を帯びる。

 

 麗華の周囲の空気がぐにゃりと歪んだ。

 目に見えない風の壁が彼女を中心に渦を巻く。

 

 特殊警棒が風の壁に触れた瞬間、甲高い音を立てて弾き飛ばされた。

 放たれた銃弾も同様だ。

 渦に巻き込まれ、狙いが逸れる。

 

「なっ……!」

 

 二人の警備員が驚愕に目を見開く。

 その一瞬の隙を、麗華は見逃さない。

 

 一歩、前に踏み出す。

 その動きは舞のように優雅でありながら、雷光のように鋭い。

 

 右の男の鳩尾に、白魚のような指先が触れた。

 触れただけだ。

 だが男の体はくの字に折れ曲がり、意識を失って崩れ落ちる。

 

 麗華はそのまま流れるような動作で体を回転させ、左の男の首筋に手刀を打ち込んだ。

 ご、という鈍い音。

 男は悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。

 

 全ては瞬きの間の出来事であった。

 麗華は倒れた二人を一瞥もせず、再び歩き始めた。

 

 彼女の使命はこの地の奥深くで目覚めようとしている神を鎮めること。

 そのためならばいかなる障害も打ち砕く。

 それが祟の家に生まれた巫女の宿命なのだから。

 

 ◆

 

 都庁の地下深くにその空間はあった。

 公式な設計図には存在しない、禁忌の領域。

 

 冷たく湿った空気が肌を刺す。

 コンクリートの壁からは絶えず水滴が染み出し、不規則な音を立てていた。

 まるで巨大な生物の体内を歩いているような不快な圧迫感に、麗華はやや顔をしかめる。

 

 麗華は息を殺し、通路を進む。

 この先に、父──氷室兼続が目覚めさせようとしている神、禍津日神(まがつひのかみ)が眠る「神の間」がある。

 

 通路の突き当たりが見えてきた。

 巨大な金属製の扉。

 その前に一人の男が立っていた。

 

 壮年、というには少し老けて見えるだろうか。

 五十代も半ばを過ぎた男だった。

 高価そうなスーツを着こなしているが、その体は病的に線が細い。

 つるりと禿げあがった頭が薄暗い照明を鈍く反射していた。

 

 麗華はその男を知っていた。

 首相補佐官、久我山 丈二。

 帝都大学を首席で卒業後、国家公務員一種試験をトップの成績で合格。その後フランス政府の給費留学生として、パリ・カトリック学院に籍を置いた経歴を持つエリート中のエリート。

 表向きは国際政治と宗教学を修めたとされているが、この男がかの地で真に学んだものが何かを麗華は知っていた。

 

 久我山は麗華の存在を認めると軽く一礼をした。

 

「そこをどいて欲しいんだけれどな」

 

 麗華が静かに告げる。

 久我山から放たれる圧は、先の警備員たちとは比較にならない。

 無視できない。

 肌が粟立つほどの、冷たい邪気。

 

「……総理はこの様に仰っておりました。『娘は必ず私の邪魔をしに来る』と。一応お尋ねしますが、退いてくださる気はないという事でよろしかったですか?」

 

 丁寧な口調とは裏腹に、全身から放たれるうすら寒い気配は友好的とは真逆のものだった。

 

「愚問だね」

 

 麗華の返事を聞いて、久我山は満足そうに頷いた。

 

「でしょうな」

 

 次の瞬間、久我山は自らの右手親指を自身の歯で噛み切った。

 ぷつり、と肉が裂ける生々しい音。

 溢れ出た血を久我山は無造作に床へと滴らせる。

 

 すると血はまるで生きているかのように蠢き始めた。

 床の上を走り、複雑な幾何学模様を描き出す。

 赤黒い光を放つ禍々しい魔法陣。

 それはまさに──

 

「悪魔召喚術──バチカンが知ったら酷い剣幕で怒鳴りこんでくるだろうね」

 

 麗華の声には強い軽蔑がこもっていた。

 

「それは恐ろしい。しかし、元はと言えば“あちら”で学んだ術ですから。それに、そうなる前に総理が世界を牛耳るでしょう」

 

 久我山が嗤う。

 その足元で血陣がひときわ強く輝きを放った。

 空間が歪み腐臭が立ち込める。

 

 久我山から放たれる圧がさらに高まった。

 空気が鉛のように重くなる。

 

 そして──

 

 魔法陣の中心から、ゆっくりと何かがせり上がってくる。

 黒い毛に覆われた、巨大な何か。

 

 ねじくれた二本の角。

 燃えるような赤い瞳。

 山羊の頭部を持つ()であった。

 

 地獄の釜が開いたかのような硫黄の臭いが麗華の鼻をつく。

 

空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?

  • ①問題ない
  • ②少し詰めて欲しい
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