お姉さんと僕   作:埴輪庭

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第12話「魔喰晩餐」

 ◆

 

 サンシャインシティの巨大な影が荒廃した池袋の街に長く伸びている。かつては東京有数の商業施設として賑わっていたこの場所も、今や怪異と人の悪意が蠢く魔窟と化していた。

 

 サンシャインシティプリンセスホテル──池袋にある4つ星で、まあ一応は高級ホテルとされている。一流ホテルかどうかは諸説あるが。

 

 そんなホテルに響く声があった。

 

 女の悲鳴。男たちの下卑た笑い声。そして、肉を打つ鈍い音。

 

 阿弥陀羅の構成員たちが、今日もまた“仕事”に精を出している。

 

 §

 

 ホテルの十五階、かつて宴会場として使われていた広い空間。そこは今、阿弥陀羅の倉庫として機能していた。

 

 中には捕らえられた異能者たちが押し込められている。男も女も、老人も若者も。皆、一様に絶望的な表情を浮かべている。

 

「おい、新入りだ」

 

 リーダー格の男が部下たちに合図を送る。引きずられてきたのは、先ほど池袋で捕らえた二人の女だった。

 

 ボブカットの女はまだ意識がはっきりしているが、絵里と呼ばれた女は肩の傷のせいで顔面蒼白だ。出血は応急処置で止められているが、このままでは長くは持たないだろう。

 

「応急手当だが、まあ暫くは持つだろう。すぐに連れていくからこれ以上の手当は不要だ」

 

 リーダーが無造作に指示する。ボブカットの女は必死に抵抗するが、多勢に無勢だった。

 

「離せ! 絵里に治療を──」

 

 女の叫びは、男の拳によって遮られた。腹部への一撃。女は咳き込みながら膝をつく。

 

「うるせえんだよ。大人しくしてりゃ、少しは長生きできるかもしれねえぜ?」

 

 男たちの嘲笑が響く。しかし、その笑い声もすぐに止んだ。

 

 とある男がやってきたからだ。

 

 男たちの顔から血の気が引いていく。

 

「……鈴木さん」

 

 誰かが呟いた。

 

 入ってきたのは、三十代半ばの男だった。黒いスーツに身を包み、髪は綺麗に撫でつけられている。一見すると、どこにでもいるサラリーマンのようだ。

 

 鈴木と呼ばれた男は、リーダー格の男に言う。

 

「ボスが今すぐ食わせろと言っている」

 

 たった一言だが、男たちには絶対の命令でもあった。

 

 男たちは震えながら頷く。

 

「は、はい……」

 

 鈴木は踵を返し、来た道を戻っていく。その背中を見送りながら、リーダーが小声で部下に告げた。

 

「……あの二人、今夜までだな」

 

 部下の一人が唾を飲み込む。

 

「ボス、あいつらの事も食っちまうのかなぁ」

 

 声を潜めて、恐る恐る口にする。

 

「たまには回してくれてもいいのによ。最初の頃は払い下げてくれたじゃねえか……」

 

「おい! もっと声抑えろ!」

 

 リーダーが慌てて制止する。

 

「あ、ああ悪い……」

 

 男たちは互いに顔を見合わせ、そして黙り込んだ。誰もが知っている。この阿弥陀羅を実質的に支配している「ボス」の恐ろしさを。そして、その異常な「食事」の習慣を。

 

 §

 

 ややあって。

 

 サンシャインシティプリンセスホテル、五十八階。パノラマフロアにある75.0㎡を誇るスイートルーム。かつては一泊数十万円もした最高級の部屋だ。

 

 今、その部屋は暗い。

 

 遮光カーテンが引かれ、外の光は一切入ってこない。唯一の光源は、テーブルの上に置かれた蝋燭だけだ。

 

 若い男が一人、窓際の椅子に座っている。まだ学生にも見える幼さが目立つ男の片手にはビールの缶。

 

 男はカーテンの隙間から外を眺めた。紫色の空の下、魔都と化した東京の街並みが広がっている。かつては百万ドルの夜景と謳われた眺望も、今や地獄絵図だ。

 

「けっ、夜景もくそもあったもんじゃねえな」

 

 男は吐き捨てるように呟く。缶の中身を一気に飲み干し、立ち上がった。ふらりとした足取りで、部屋の奥へと向かう。

 

 そこにはアンティーク調の客室電話が置かれていた。男は受話器を取り、内線番号を押す。

 

 数回のコール音の後、向こうから男の声が聞こえてきた。

 

『はい……』

 

「おう、さっき終わったからよ」

 

 男の声は軽い。まるで夕食を済ませたことを報告するかのような、何気ない口調。

 

「ああ、頼むわ」

 

 そう言って、受話器を乱暴に置く。男はその場でチェアに腰かける。深く背もたれに体を預け、天井を見上げた。

 

 ふと、視線を横にやる。視線の先にはキングサイズのベッドがあった。

 

 白いシーツの上に、何かが横たわっている。いや──誰かが、と言うべきか。

 

 二つの人影。全裸の女が二人、ベッドの上に横たわっていた。

 

 若い女たちだ。一人は二十代前半、もう一人は十代後半だろうか。どちらも、つい数時間前まで生きていた。

 

 眠っているのだろうか? いや、違う。

 

 息遣いは聞こえない。胸の上下もない。当然だ。死んでいるのだから。

 

 女たち──いや、女たちだったモノが二人、息絶えている。

 

 死後硬直はまだ始まっていない。つい先ほどまで生きていたからだ。

 

 そして体のあちこちに、歯型のような跡が残されている。深い。肉が抉れ、骨が見えている箇所もある。まるで野獣に噛み千切られたかのような惨状。

 

 犯しただけはこうはならない。

 

 コンコン、とドアをノックする音が部屋に響いた。

 

「ボス」

 

 声がする。鈴木の声だ。

 

「入れ」

 

 男が面倒くさそうに答える。ドアが開き、鈴木が数人の男たちを引き連れて入ってきた。皆、目つきからしてまともな人間ではない。濃密な暴の気を纏っている。

 

 だが、そんな彼らも、ベッドの上の光景を見て息を呑んだ。

 

「ボス、じゃあ"掃除"しておきますんで……」

 

 鈴木が事務的に告げる。感情の籠もらない、機械的な声だった。まあ鈴木としても、最初は驚いたものの今はもう慣れてしまっている。

 

「おう、それまで隣の部屋にいけってんだろ? 分かってるよ」

 

 若い男──阿弥陀羅のボスは、ひらひらと手を振って立ち上がった。そして、何事もなかったかのように部屋を出ていく。

 

 残された男たちは、しばらく呆然とベッドを見つめていた。

 

 やがて、誰かが呟いた。

 

「うへえ、ボスも派手にやったな……」

 

 別の男が床を指差す。

 

「グロすぎるだろ。お、あっちに目玉落ちてるぜ」

 

 確かに、カーペットの上に、白い球体が転がっていた。血管がまだ繋がったままの、生々しい眼球。

 

 男たちは顔を見合わせる。誰もが同じことを考えていた。

 

 ──ボスは本当に人間なのか? 

 

 という疑念を。

 

 ベッドの上には噛み千切られた肉。引き裂かれた皮膚が散らばっている。

 

 女たちの体にはまるで内側から食い破られたような、腹部の大きな穴。

 

 内臓も床に散乱していた。肝臓、腎臓、そして──心臓がない。

 

「……さっさと片付けるぞ」

 

 鈴木が冷たく命じる。

 

「ボスを待たせるわけにはいかない」

 

 男たちは慌てて動き出した。シーツを剥がし、死体を運び出す準備を始める。血で濡れたカーペットも交換しなければならない。散らばった肉片も、一つ残らず回収する必要がある。

 

 こういう「掃除」は、もう何度も経験していた。ボスの「食事」の後始末は、いつもこうだ。

 

 若い女を部屋に連れ込み、そして──数時間後には、このような姿に変わり果てている。

 

 鈴木も最初の頃は単なる性的暴行の末の殺人かと思っていた。

 

 ──ボスは、文字通り「食べている」。ボスは人を食うんだ

 

 鈴木はぶるりと一度震えた。

 

 人間の肉を。特に、心臓を。

 

 なぜそんなことをするのか、誰も知らない。聞く勇気のある者もいない。

 

 男たちは黙々と作業を続ける。血の匂いが部屋に充満している。吐き気を堪えながら、死体をビニールシートで包む。

 

 暫くして、鈴木が呟いた。

 

「よし、あとは死体を運ぶぞ。撤収だ」

 

 男たちが顔を上げ、なんとなくお互いに顔を見合わせた。

 

 あいつも酷い顔をしているよなあ──そう思う男たちだったが、その酷い顔は自分の顔にも浮かんでいるのだろう、と思うのだった。

空白行について。現在、句点「。」で終わる文章一つにつき空白行が一つありますが、これは読みづらいですか?

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