ゆっくりと、階段を登っていく。
この地位、この旗、この瞬間を――私が手にしたものは、すべて彼らの膨大な犠牲の上に築かれていた。
積み重ねられた死体の山。その頂に、私は立っている。
視界が開ける。
灰色の旗がはためき、割れるような歓声が空を揺らした。
私は拳を高く掲げた。それだけで、群衆の歓声はさらに大きくなる。
まるでこの国そのものが、私の咆哮を待っているかのようだった。
「諸君――この場に集った、我が同志たちよ!」
一瞬、空気が震えた。
熱を帯びながらも整然とした沈黙。全ての耳が、私の言葉に注がれていた。
「我々は勝利した。あの邪悪なる帝国政府を打倒し、革命を成し遂げた!」
「だが――」
「……私は問いたい。本当に、それで終わっていいのか?」
ざわめきが走る。
再び戦が始まるのではないかという畏れ。
だが、それをかき消すように、私は言葉を重ねた。
「西方の諸国では、いまだ王侯貴族が人民の上にあぐらをかいている。いまだ、“身分”という名の牢獄が、人間を鎖で縛りつけている!」
拳を握りしめる。
私の胸にも、あの寒村で燃え尽きた姉の残像が蘇っていた。
「打倒したあの帝国と何が違う! 彼らにとって、“身分の違う者”は、人間ですらないのだ!」
怒りが会場を包みこむ。
それは単なる激情ではない。
長きにわたり踏みつけられてきた民の、痛覚からくる怒りだった。
「我々は知っている。“違う”というだけで、殺され、奪われ、踏みにじられる理不尽を。あれを“秩序”と呼ぶならば――」
私は、声を振り絞った。
「その秩序を、我らは否定する!」
沈黙が降りる。
だがそれは恐怖の沈黙ではない。
希望を、次の言葉を待つ、**祈りのような沈黙**だった。
「まだだ!世界は、まだ革命されていない。」
私は今日、この時、世界に宣言する。
「我々は、**世界を革命する。**」
「イシュバルツから西へ。西から東へ。そして、すべての旧き世界を越えて。」
「至るところにある旧体制を、灰に還す。」
灰の旗が、風に舞う。
「そして、その灰の上に歌うのだ。我らが首都を、自由を、我らが偉大なる灰の証を。」
「「首都を! ――自由を! 我らが偉大なる灰の証を!」」
熱狂に包まれた中で、世界革命という最後の革命が始まった。
冬だった。雪が、すべてを覆っていた。
それは、この世界で最も静かな季節。木々は白い外套をまとい、屋根は凍てついた重みをかぶって沈黙していた。遠くの森で鳥が鳴くこともなく、風すらも遠慮がちに吹いていた。
それでも、この村にはひときわ明るい灯があった。
「はいっ、もう一回構えて! ちゃんと腰を落として――そう、それそれ!」
声が響く。笑い声と、木剣が風を切る音。雪に覆われた小さな鍛冶屋の裏庭に、赤いマントが舞う。クラリス・レオンハルト。俺の姉。村一番の才女であり、剣術の達人であり、そして誰よりも、優しかった人だ。
剣の教え方も、物語の語り方も、すべてが生き生きとしていた。
「姉さん、ほんとに、これで強くなれるの?」
「当然! 剣は筋肉じゃないの。理屈と胆力と、ちょっとした工夫。つまり、頭!」
姉は笑った。その笑顔は、凍てついた空よりも眩しくて、胸が締めつけられるようだった。……なぜだろう。まるで、既視感のようなものがあった。
目を閉じれば浮かんでくる、どこか別の場所。高層ビル、車の騒音、パソコンのモニター、妙に明るい電灯の下――そう、思い出せないけれど、“あの世界”の記憶だ。きっと俺は、何かの事故で死んだ。あるいは、焼けた部屋で誰かを庇ったのか。断片的な映像しか残っていない。でも、確かに言えるのは――俺はここに“転生”した。別の命として、生まれ変わったということ。
けれど、そんなことは今どうでもよかった。この世界がどれだけ理不尽だろうと、少なくともこの瞬間、姉と過ごすこの日々は、本物だったから。
訓練の後は、いつものように鍛冶小屋の奥へ戻る。火床の残り火に薪をくべながら、姉が綴じた手製の本を取り出した。手描きの絵と物語が交互に綴られた、それはまさに世界に一冊だけの書物だった。
「今日のお話はね、『雪の中の火の鳥』よ」
表紙には、赤い羽根を広げた鳥が描かれている。吹雪の中で震える子どもに、翼でそっと覆いかぶさる姿。姉の絵は拙いけれど、どこかあたたかい。
「火の鳥はね、寒さに凍える子どもを包んで、春を呼ぶの。決して神様じゃないわ。もっと……人に近いもの。小さな希望、って感じかな」
「でも、そんなの帝都じゃ禁書なんだろ? なんで……?」
「ふふ、いい質問。神の意志じゃない精霊は、全部“異端”なの。たとえそれが誰かを助ける存在でも、“教義にないもの”は“脅威”だって考えるのよ。だからこれは、こっそり読むもの」
おかしい。誰かを救う物語が、どうして罪になる?
けれどクラリスは、そんな世界を呪わずに、ただ淡々と語った。
彼女にとって、この村の子どもたちに物語を教えること、読み書きを伝えることが、生きる意味そのものだった。
鍛冶の仕事が終わったあとの夜、彼女はこっそりと村の子どもたちを小屋に集めて、文字を教えていた。やり方は慎重だった。灯りは布で覆い、声は囁き、筆跡は紙に残さず記憶で伝える。まるでそれ自体が魔法の儀式のように、知識は火のように慎ましく扱われていた。
「いつか、もっとたくさんの本を読んでみたいな」
「姉さん、帝都に行きたい?」
「うん……行けるものなら。でも、帝都に入るには許可証がいるし、女の子だと、学院にも入れないことが多いのよ。私たちの家は貴族じゃないから、ね」
姉の目が、わずかに遠くを見つめるようになった。
「それでも、私、世界を見てみたいな。広くて、違う考え方がいっぱいある場所。……ねえユリウス、思ったことない? この村の外って、どうなってるんだろうって」
俺はそのとき、答えられなかった。
なぜなら、俺には“外”の記憶があったから。前世の世界、あまりにも広く、雑多で、喧騒に満ちた社会。法と金と電気と理性に支配された世界。
けれど、今ここにあるのは、小さな鍛冶屋のぬくもりと、クラリスの笑顔だった。
「……きっと、外の世界も、姉さんがいるなら、いい場所になると思う」
その言葉に、姉は驚いたように瞬きをして、そして、笑った。
それは、あの日の雪よりも白く、火の鳥よりもあたたかい光だった。
村人たちも、姉を慕っていた。パン屋のロドルフじいさんは、余ったパンをよく俺たちにくれたし、薬草婆のミレイユは「クラリスちゃんだけは特別」と言って、貴重な乾燥カモミールを分けてくれた。
村には貧しさがあった。寒さも、飢えも、差別もあった。
でも、それでも、俺は信じていた。この日々が、永遠ではなくても、しばらくは続くだろうと。
それが――間違いだったなんて、思いもしなかった。