これは僕の『弟』が最高のヒーローになるまでの物語だ   作:No.2

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僕のような、異常な人間でも。

ヒーローになれると思いますか?


第一話 『弟』:オリジン

 

 九年前、僕の兄が亡くなった。

 

 父に続いて、兄もいなくなったあの日――僕の世界は、再び真っ暗になってしまった。

 

 

 世界の総人口の約八割が何らかの“特異体質”である超人社会において。

 

 超常の力を持つことが日常となった現在において――何の力も持たない()()()()()()()()()()()()()となった世界において。

 

 ごく普通の人間(モブ)であれと、普通ではない異常とされる二割に振り分けられた『無個性』の異物に対して。

 

 それでも――お前は憧憬(ヒーロー)になれると。

 そう言って笑って頭を撫でてくれた人が、こんな僕にもいた。

 

 それも――()()もだ。

 

「無個性? いいじゃねぇか。何も持ってねぇってことは、お前の今は空っぽのこの両手は、これから何でも掴み放題だってことだ。自分だけの武器だって持てる。困っている誰かの手を引いてやることだって出来る。最高の自由度だ。――『無個性(これ)』は、他でもねぇ、お前の立派な“個性”だよ、出久(いずく)

 

「お前が何も持ってないなんてことはないさ、出久(いずく)。お前に超常の力なんて必要ない。お前のその優しさが、お前のその心こそが、何よりも大きな力なんだ。僕はお前よりもヒーローに相応しい人間を他に知らない。それこそ、あの平和の象徴よりも、お前は立派なヒーローになれると、僕は確信しているよ」

 

 諦めた方がいいと、医者から告げられて。

 

 ごめんねと、母に泣かれて。

 

 真っ暗な部屋の中で。真っ暗闇に思えた世界の中で。

 

 たった、二人――いや、二人も。

 

 扉を開けて、光を背に現れて――絶望に暮れる僕を救ってくれた、二人のヒーローがいた。

 

 

 そう――()()

 

 

 この世界が平等でないことは知っていた。

 恐ろしく厳しく残酷で。生まれながらに分かり易く能力差が浮き彫りなのが現実で。

 

 それでも――救いはあるって。

 どんな人間でも救ってくれる、完全無欠なヒーローはいるって――信じたかった。

 

 だけど、ヒーローにも、救えない者はいる。

 

 それが、この世界の、今の社会の、厳しく残酷な、救いのない真実であると。

 

 そして、零れ落ちてしまった命が、誰の手にも掬われず、救われなかった命が――たまたま、僕の、父で、兄であったという。

 

 これは、ただ、それだけの話だった。

 

 

 それが、僕の最初で最後の挫折。

 

 

 あの日、僕は、家族を、夢を、友達を――光を。

 

 

 そして――ヒーローを失った。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 あれから、時は経ち。

 

 僕たちは14才――中学三年生になった。

 

「おい、見たかよ! 駅前に現れたでっけー(ヴィラン)!」

「見た見た! シンリンカムイの『ウルシ鎖牢(さろう)』が決まったって思ったら、見たことないでっけー美女ヒーローが飛び込んできて!」

Mt.(マウント)レディっていうらしいよ、あの新人ヒーロー。見た目も『個性』も派手だし、人気出そうだよねぇ」

「いやでも、あの『個性』って街中とかじゃあ使いにくくない? 今回も派手に建物とか壊してたし。災害救助とか便利そうだけど」

 

 教室内は、今日も『ヒーロー』の話で持ちきりだ。

 

 超常現象が一般化し、誰もが超能力のような何らかの『個性』を有している現代社会において、今や個性を活用し世界を守るヒーローは、架空(コミック)の中の偶像ではなく、現実において収入や名声を獲得できる公的職務として、脚光を浴びる憧憬の的となっている。

 

 誰もが夢見る。

 彼らのような、彼女らのような――英雄(ヒーロー)となることを。

 

 生まれながらに当たり前に、特別な個性(ちから)を持っている者たちは、堂々と声高々に宣言出来る。

 

「皆! 進路希望用紙は回ったか!? まぁ、聞くまでもねぇか! どうせ皆――ヒーロー科志望だよなぁ!」

 

 担任の先生の言葉を受けて、当然とばかりに笑顔と個性を振り撒くクラスメイトたち。

 

 先生もまた自ら煽っておきながら「個性発動は原則禁止だぞぉ、お前ら!」と笑みと共に形上の注意をしながら、教室中に飛び散った進路希望用紙を集めつつ。

 

「まぁ、今はヒーロー科は星の数ほどあるが、今年は有望な生徒が多くて先生も職員室で鼻が高いぞ。なんせ、あの雄英高校にA判定の生徒がいるんだからな。期待してるぞ、爆豪(ばくごう)

 

 その先生の言葉に、教室が一瞬の沈黙の後にざわめきだす。

 僕もノートに走らせていたペンが止まってしまった。動きを止めたまま、しかし、僕は顔を上げることも出来ない。

 

 けれど、きっと――『彼』は。

 あの雄英高校志望ということを、担任の先生にあっけらかんと明かされた彼は――恐らくはいつものように、机に両足を乗っけながら。

 

 ぎろりと、先生を睨むように、()()()言うことだろう。

 

「――それ。個人情報の暴露じゃねぇすかねぇ。――せんせえ」

 

 彼の、極寒の声色によって放たれる、その鋭く尖った言葉に。

 

 教室が再び静まり返り、冷たい緊張が走る。

 先生もまた狼狽えながら「あ、ああ、そうだな。悪かった」と口走りながらも、今まさに彼に個人情報の暴露だと言われたばかりなのに、舌の根も乾かぬうちに――話の矛先を、いつものように僕に向けながら言った。

 

 この教室の、あるいは世界の。

 異物たる僕を、揶揄する方向へと。

 

「あ、そういえば、お前も雄英志望だったな、緑谷(みどりや)

 

 ばっ、と、教室中の視線が僕に集中する。

 

 その中には、きっと――彼の視線も、含まれていて。

 

「お、お前が? 無理だろ、緑谷。だって、なぁ――」

「勉強の偏差値は足りるかもしれないけど、ねぇ――」

 

 だって、緑谷(おまえ)――『無個性』じゃん。

 

 クラスメイトの者たちも、あの気まずい沈黙から逃れたいという思いがあったのだろう。

 普段は僕のことなど見向きすらしない者たちからも、一斉に異口同音にそんな言葉をぽつぽつと、消しゴムのカスのようにぶつけられた。

 

 ちらりと先生を見ると、悪いと思っていながらも、思っていない、そんな歪んだ笑みを口の端に浮かべていて。

 ゆっくりと顔を上げた僕と目が合うと、小さく肩を揺らしながらも、目を背けもしなかった。何の力もない『無個性』に睨まれたところで、怖くもないといわんばかりに。

 

 僕は内心で溜息を吐くと、この十四年間で作り慣れた形の笑顔を浮かべながら、クラスメイトたちに向かって言う。

 

「――はは。分かってるよ、そんなことは。僕が受験するのは『普通科』だよ。雄英は普通科も全国トップクラスの名門だから。受けてみて損はないって思ったんだ。記念受験だよ」

 

 僕がそういうと、教室には一定の納得の空気が流れる。

 それでも、『無個性』たる僕が天下の雄英を受けるってだけでも気に食わないのか、「雄英の普通科ってヒーロー科の予備科でもあるんだろう? 無個性じゃあ普通科も無理じゃね?」「てか普通科だったらわざわざ雄英じゃなくてもいいだろ」なんて声もちらほらと聞こえる。

 

 僕がそんな言葉の刃をへらへらと受け流している間に、教室の空気の入れ替えに成功したとみた先生は、そのままホームルームを締めにかかった。

 

「…………」

 

 普通科を志望するなら雄英じゃなくていい。

 その通りだ。けれど僕は、それでも、迷いながらも――進路希望用紙の第一希望の欄に、雄英高校と記入した。

 

 この国で最も権威ある、国立のヒーロー科。

 この国で最も偉大なる、トップヒーローの出身校。

 

 僕は、まだ、捨て切れていないのだろうか。

 

 まだ、僕の中には、燻っているのだろうか――あの、罪深い、残り火が。

 

 ホームルームの終わりを告げるチャイムを聞きながら、いつの間にかくしゃくしゃに握り締めていた進路希望用紙を提出すべく、僕は席を立った。

 

「…………」

 

 その背中を、一人の眼差しが、真っ直ぐに睨み据えていたような気がした。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 放課後。

 僕は案の定、クラスメイト数人に絡まれる羽目になっていた。

 

 理由としては恐らく、普通科とはいえ、無個性たる僕が、彼らの憧れである雄英を志望していると暴露されたからだろう。本当にあの先生は余計なことをしてくれる。

 

 これまでの人生でこんなことは慣れっこだった。

 子供は時に大人よりも悪人よりもよっぽど残酷だ。

 自分よりも劣っている、こいつは我々とは違うのだというのを敏感に察知し、動物の本能に従って群れから排除しようとすることに抵抗が少ない。

 

 こうしてちくちく嫌みを言われるくらいなら可愛いものだ。

 もっと小さい頃は、それこそ殺されるかもしれないと思えるような“超常の力”を無邪気に振るわれたことも何度もあった。

 

 何の力も持たない『無個性』にとって、『個性』を持つ一般人の方々の中に放り込まれるというのは、ナイフや銃を当たり前のように皆が所持する中に丸腰で放り込まれるようなものだ。みんな、それがルールだから、当然のように使用しないけれど、その気になれば一方的に殺されるしかないという状況は、殺されると決まっている方からすれば、決して気持ちのいいものではない。それがまだ力の扱いが未熟で制御しようという理性が緩い子供の集団となれば、それはもう様々な猛獣が嬉々として闊歩する檻の中に入れられるシチュエーションの方が近いだろう。

 

 彼ら『個性』持ちからすれば、『無個性』は正しく進化に乗り遅れた(どうぶつ)に近いのだから。

 

 大人になるに従ってそういった『個性』の暴力は減ったし、成長するにつれこんな『無個性(にんげん)』に関わること自体が時間の無駄だと察したのか露骨ないじめも少なくなっていたが、こうして己の劣等感が刺激された際のストレスのサンドバックにされることは、特に思春期になってからは増えたような気がする。

 

 面倒くさいと思いつつも、いつも通りの作り笑顔でへらへらと受け流しながら乗り切ろうとした。

 だが、そんな態度が癪に障ったのか、彼らは今日に限っては嫌味を言うだけでなく、実際に僕の持ち物に手を出そうとした。

 

 それに対し、僕は思わず感情的に抵抗してしまった。

 

 何故ならそれは、僕の隠したい部分であり、文字通り――触れてほしくないものだったから。

 

「――なんだこれ? 『ヒーロー分析ノート』?」

「あれ? お前、普通科とか言っときながらやっぱり憧れちゃってるの? ヒーロー」

 

 無個性のくせに――そんな、いつも飽きるほど浴びせられてる嘲りの言葉に。

 

 この時、僕は、自分でも驚くほどに、新鮮に――傷ついてしまって。

 

「――ッ!! 返してよ!!」

「っ、てめ、無個性のくせに――て、あ!」

 

 僕の伸ばした手を避けるように後ろに下げられたノートを持つその手は、その更に後ろにいた――『彼』に、乱雑に掴まれた。

 

「――おい。下らねぇことしてんじゃねぇよ」

「ば、爆豪!?」

 

 いつの間にかそこにいた彼は、掴んだ手首を握り締める力を強めたのか、呻き声と共に手放されたノートを掻っ攫うと、僕に絡んできたクラスメイトたちを冷たい眼差しで見下ろしながら。

 

「チッ! ……いつまでも餓鬼みてぇなことしてんじゃねぇ。テメェらも一応はヒーロー志望なんだろうが」

「……お前にはそんなこと言われたくねぇなぁ、爆豪。なぁ、知ってるぜ。幼馴染みなんだろ、てめぇら」

「お、おい、やめろって――」

「お前も昔は散々コイツに――いや、もっとえげつねぇことしてたって聞いてるぜ? あぁ!? どうなんだよ、雄英A判定野郎!!」

 

 友人の制止も構わず、僕のノートを奪ったクラスメイトは彼に詰め寄った。

 元々、劣等感を強く感じやすい質なのだろうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()彼に向かって、堰を切ったように言い募る。

 

「…………」

 

 そんな彼は、自身に浴びせられる言葉に対し何も言い返さず、真っ直ぐに自身に絡んでくるクラスメイトを見据え続けていた。

 

 その様はまるで、そうすることで、()()()()()()()()()()()()()()()と感じるのは――僕もまた、彼から目を逸らし続けているからだろうか。

 

 幼馴染み。

 確かに、そんな間柄である筈の、僕と彼は。

 

 ()()()から、ずっと、互いの距離を計り損ねたままだ。

 

「テメェも思ってんだろ!! この無個性が、ヒーローに憧れるなんて烏滸がましいってよッッ!!」

 

 その言葉に、僕は思わず俯いてしまう。

 俯いて、唇を噛み締めてしまう。何かが飛び出してしまわないように。

 

 ひっ、と、怯える声が聞こえた気がした。

 僕の前に立っていた数人のクラスメイトが、まるで腰を抜かしたかのように、唐突にその気配を消して。

 

 僕と彼の間の壁がなくなって、そのことにまた強く、目を瞑った――僕の頭上に。

 

「いたっ」

 

 何かが落ちてきた痛みを感じて、落下物をキャッチすると――それは奪われた筈の、僕のノートで。

 

 目を上げると、もう既にこちらに見向きもしていない――『彼』の背中だけが、そこにあった。

 

「馬鹿野郎! なんで爆豪に絡むんだよ! 勝てるわけねぇだろ!」

「アイツが色んな意味でヤベぇ奴なのは知ってんだろ! 次やったらマジで見捨てるからな!」

「……クソ! 強個性なのがそんなに偉いかよ!! 俺だって……俺だってアイツみてぇな個性だったら――」

 

 そんな風に、僕に絡んでいた彼らも、まるで僕の存在など忘れたように、さっさといなくなって。

 

 教室には、いつの間にか、僕だけが――取り残されていた。

 

「…………」

 

 何も言えなかった。

 

 目を合わせることも出来なかった。

 

 ノートを取り返してくれたことに対するお礼も。

 同じ進路を希望していることに対する言い訳も。

 

 言い訳――僕は、言い訳をしたかったんだろうか。

 それはどっちに対しての? 雄英を目指す事に対しての? それとも、普通科を目指すと言ったことに対しての?

 

 ヒーローを目指さないことに対しての?

 

 それとも――ヒーローを、諦められていないことに対しての?

 

「…………安心、しちゃった……ッ」

 

 次第に襲ってきたのは、まずは安堵。

 そして、途轍もない――罪悪感。

 

 あの時、僕は、怖かった。

 あの言葉に対して、彼から、肯定のニュアンスを感じてしまうことが。

 

 無個性が、ヒーローを憧れるなんて、烏滸がましい。

 

 これまでの人生で、それこそ何百回、何千回と言われ続けた言葉だ。

 

 他の誰かにだったら、今更どれだけ言われたところで何とも思わない。

 

 だけど――彼にだけは――言って欲しくなかった。

 

 こんな無個性(ぼく)が、それでも、ヒーローになりたいと、烏滸がましくも、憧れてしまった事に対して。

 

 当たり前のように、ヒーローになれると、そう言ってくれた人に――()()()()、彼に。

 

「…………最低だ……僕って」

 

 それはつまり、あの人を失った原因が、彼にあるって、1%でも、そう思っているってことだ。

 

 未だに、全部は――許せてないって、ことだ。

 

「…………ごめん……ごめん、なさい……」

 

 誰もいない教室で、僕はただ、自分が許されたくて、そう呟き続けた。

 

 それは、誰に対しての、許してなのだろうか。

 

 彼に対してか。それとも、あの人に対してか。

 

 それとも――誰も救ってくれない、この世界そのものに対してなのだろうか。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 9年前の冬。

 瀬古杜岳(せことだけ)を蒼く燃やした炎に呑み込まれて――僕の兄は死んだ。

 

 正確には行方不明になった。

 2000℃を超えていたとされる蒼炎は何もかも燃やし尽くして、見つかったのは一緒に燃えた誰かの下顎部の骨の一部と、それとは別の、誰かの骨。

 

 僕とよく似たDNAを持つ、けれど、僕とは違い、関節がない足の小指の骨だけだった。

 僕とは似ても似つかない、両親の個性をどちらも受け継いだ、紛れもない、兄の骨だった。

 

 あの日、僕はいつものように、幼馴染みに仲間外れにされた。

 

 山登りに連れて行ってもらえなかったと兄に泣きついた僕は、一緒について行ってあげるから仲直りしようと、僕をその山に連れて行ってくれた。

 

 その山は、時折、炎が昇ると噂になっていた山だった。

 飛び交う噂の中には、かのフレイムヒーロー『エンデヴァー』の秘密の特訓場なのではないかというものもあり、噂を確かめようと幼馴染みたちのリーダー格であった『彼』が提案したのだ。

 

 誰よりも才能に恵まれ、強い個性を発現させて有頂天だったその頃の彼は、傲岸不遜で唯我独尊、大人であろうと容赦なく噛みつく狂犬として近所で名を馳せていたが、八歳年上の僕の兄には一目置いていた。

 

 彼に負けず劣らずの優秀な個性を持ち、抜群の運動センスと明晰な頭脳も兼ね備え。

 

 そして、誰よりも優しく、困った人を見捨てられないお人好しの兄は。

 

 僕にとって、そして、誰にとっても、自慢のヒーローで。

 

 だからこそ、兄は――蒼く燃える山の中に、恐れることなく飛び込んでいってしまった。

 

 兄の個性は『念動炎(サイキックフレイム)』。

 物を引き寄せる母の個性と、火を吹く父の個性。そのどちらをも大幅に強化した上で受け継いだ、兄だけの個性。

 

 物に触れることなく自在に操作する念動力を持ちながら、父よりも大幅に火力の高い炎を吐くことも出来るという個性。

 そして、その出自上、炎に関しては他の物体よりも遥かに自在に操作できる――。

 

「――だから、大丈夫さ。僕が炎の中で死ぬわけがないだろう?」

 

 そう言って兄は、蒼い炎の中に取り残されたという『彼』を救出すべく飛び込んだ。

 

 何の力もないのに、誰よりも先に飛び込もうと、身体が勝手に動いてしまった僕を制して。

 結果――蒼い炎から飛び出してきたのは、目には見えない力によって炎の中から(たす)け出された、『彼』、だけで。

 

 兄は、どれだけ待っても、炎の中から帰ってくることはなかった。

 

 

 

 その後、父に続いて、兄まで失ってしまった母は、壊れたように泣き続いて見る見るうちにやつれていってしまった。

 

 兄のお葬式にて、彼の両親に向かって、兄が死んだのはあの子のせいだと、彼に向かって指を差して叫んでしまったことに、誰よりも傷つきショックを受けたのは母自身だった。

 

 その日の夜、僕が無個性だと分かったあの日のように、僕を抱き締め、ごめんね、ごめんねと謝り続けた母は――次の日から、まるで何かを忘れるように家事と育児に没頭し、僕を一人で育ててくれた。

 

 時間があれば、何をするでもなく、仏間に座り込んで、父と兄の遺影に向かって手を合わせる母に。

 

 ヒーローになりたいなんて、口が裂けても言えるわけもなかった。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 頭上注意と書かれた小さなトンネルに足を踏み入れた僕は、薄暗くなった視界の中で、あの焼けるように熱かった蒼い夜を思い返す。

 

「…………」

 

 あの時、僕が咄嗟に走り出そうとしなければ、あの賢かった兄は大人たちの救助を待つという正しい判断を下したのだろうか。

 それとも、あの時、僕が兄に泣きつかなければ、そもそも瀬古杜岳に行くことすらなかったのかもしれない。

 

 だけど、その未来だと、兄の代わりに彼が蒼炎に吞まれて死んでいて。

 それでも、心の何処かで、兄が死んだのは彼のせいだと思っている僕は……やはり、そう思っているのだろうか。

 

 兄の代わりに、彼が死ねば、よかった、と。

 

 そんな奴が、ヒーローになりたいと願うなんて、何処まで烏滸がましいのだろうか。

 

 無個性だという以前に、資格がどうこうという前提条件の前に、僕の心が、ヒーローに相応しくないのではないか。

 

 僕は、お前以上にヒーローに相応しい人間を他に知らない。それこそ、あの平和の象徴よりも――そんなことを言ってくれた、兄はもう、どこにもいない。

 

「…………」

 

 そんな暗い気持ちになりながら、いつも通り俯きつつ、とぼとぼと歩いていた。

 

 だからこそ、だろうか。

 地面に設置されたマンホールに空いた小さな穴から、緑色に濁った、薄汚れた泥のようなものが溢れ出していた事に気付いた

 

(……ヘドロ――ッ!?)

 

 それは急速に勢いを増して僕に向かって襲いかかってくる。

 

 反射的に逃げようとするが、トンネルを出たところで背中に取り付かれてしまった。

 

「おっと。お前、足早いな。思わず逃がしちまうところだったぜ」

「――(ヴィラン)!?」

 

 ヒーローが商売として成り立つくらいには、世間には(ヴィラン)が溢れている。

 それでも、一般人が普通に一般生活を送れるくらいには、あの平和の象徴が確立してからは犯罪率は低下しているし、僕のような『無個性』でもこれまでの人生において、下校時に(ヴィラン)に襲われるなんてことはなかった。精々が今日の登校時のように遠目で見かけるくらいのものだ。

 

 そう、今朝までは。

 まるでヒーローショーを眺める観客のような気分でいられた。

 

 こうして、身を以て、(ヴィラン)の恐ろしさを文字通り体験するまでは。

 

「――――ッッ!!」

 

 背中に纏わり付く不快感、そして何より恐怖感に、反射的に両手を振り回してヘドロ(ヴィラン)を引き離そうとする――が。

 

「残念! 流動体でした! すげぇだろぉ、俺の自慢の『個性』なんだ!」

 

 僕の抵抗などものともせずに、(ヴィラン)は素早く僕の口をヘドロで塞ぐ。

 そこで初めて、僕のすべきことは両手を振り回しての抵抗などではなく、大声で助けを呼ぶことだったと気付いた。

 

 僕は、いつも、ここぞという時に致命的に選択を間違える。

 

「助かったぜ、Mサイズの隠れミノくん。君は俺のヒーローだ。急死に一生を得たぜ。ちょっとの間だけ我慢してくれ。すぐに身体を乗っ取るから」

 

 身体を、乗っ取る? 息が出来ない。トンネルの外に出た筈なのに、視界がみるみる暗くなっていく。

 

 死ぬのか――僕は、死ぬのか!?

 

 暗くなる世界の中で、再び、あの蒼い夜が蘇ってくる。

 

 帰ってこなかった兄。助け出された彼。

 父の遺影。頭に乗せられる手。大丈夫だ、お前は誰よりも立派なヒーローになれる――。

 

 

 座り込み、止めどなく流れる涙。

 ごめんね、ごめんね、ごめんね、出久。

 

 

 これからは、お母さんが、出久を守るからね。

 

 

「――――っっっ!!!」

 

 そうだ――死ねない。

 

「う、うお! なんだ、お前!!」

 

 僕は死ねない。死ぬわけにはいかない。

 

 僕が死んだら、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もう、二度と――僕は誰にも、死んで欲しくないッッ!!

 

「な、なんだお前!? やめろ、助からないって言ってるだろ!」

 

 口は塞がれた。手では抵抗出来ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一歩でも前に出ろ。一瞬でも口を自由にするんだ。

 そして叫べ。

 臆面もなく、ただ必死に、命を賭して。

 

「――――っ! 助けて、ヒーロー!!」

 

 一瞬だけ、ヘドロが口から剥がれた。

 叫べたのは、たった一言だけ。

 

 だけど、そのたった一言で。

 

 その人は、僕を、(たす)けてくれた。

 

「――もう、大丈夫だ、少年」

 

 まるで、世界には、まだ。

 

 救いはあると――ヒーローはいると、そう告げるように。

 

「私が――来た!」

 

 TEXAS(テキサス) SMASH(スマッシュ)――と、ヒーローらしく、技名と共に放たれた拳は。

 

 ただその風圧だけで、触れられない流動的なヘドロを僕の身体から完全に吹き飛ばした。

 

 この日、僕は、生まれて初めて(ヴィラン)に襲われ。

 

 憧れの――ヒーローに救われた。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 No.1ヒーロー:オールマイト。

 オールマイティ――不可能はない、というヒーロー名を大々的に掲げながら、そのヒーロー名にまるで恥じることのない圧倒的な実績を残し続ける『生ける伝説』。

 

 僕がこのグレイトフルヒーローの存在を知ったのは、どうやって見つけたのかも覚えていないほど古い動画だった。

 かつて起こった大災害において突如として現れ、100人単位の人間たちを笑顔で救い続けた――とあるヒーローのデビュー動画。

 

 彼は言った。

 

 もう大丈夫。私が来た。

 

 それは彼の代名詞であり、人々に安心と笑顔を齎す合言葉になった。

 

 そして、彼は瞬く間に上り詰める。

 この国の英雄の頂点(トップオブトップ)に――そして、彼がいれば大丈夫と、誰もが無条件で信じることが出来る、存在そのものが(ヴィラン)犯罪の抑止力とされる、『平和の象徴』に。 

 

 僕がヒーローに憧れるきっかけであり。

 僕が全てを失ってから、ずっと縋るように、追い続けてきた存在でもある。

 

 あの時――そこに、彼がいたら。

 彼が、今のように――来てくれていたら。

 

 そう――願わない日は、きっとなかった。

 

「すまない。(ヴィラン)退治に巻き込んでしまったな、少年」

 

 立てるかい? と、いつの間にか吹き飛ばしたヘドロ(ヴィラン)をペットボトルに詰めていた巨漢は、未だ座り込み続けていた僕にその大きな手を差し出してくる。

 

 液晶越しに毎日のように見続けてきた、画風の違う笑顔。

 

 間違いない。本物だ。

 本物のNo.1ヒーロー。憧れの――オールマイトだ。

 

 先程までの恐怖ではなく、別の熱さで鼓動が早くなるのを自覚しながら、僕はその手を掴み「あ、ありがとうございます。立てます。大丈夫です」と立ち上がる。

 

「助けに入るのが遅れてしまい悪かった。しかし、君は勇気ある少年だな。(ヴィラン)に吞まれそうになりながらも、一歩を踏み出し、そして助けを呼んでくれた」

「え――どうして」

 

 僕が(ヴィラン)に対して手が出ず、足しか出すことの出来なかった情けない戦い。

 オールマイトはそのシーンを目撃してなかった筈と呆けた顔をしていると、「分かるとも! その時にはすぐ傍まで来ていたからね!」と胸を張る。

 

「あんな恐ろしい(ヴィラン)に襲われたら、大の大人だって何も出来ないものさ! だが、君は戦った! 一歩を踏み出した! それはとても誇らしいことさ!」

 

 ありがとう、少年。君のおかげで一つの犯罪を止めることができた――そう言ってオールマイトは僕に大きな背を向ける。

 

 一歩――僕は、本当に、踏み出すことが出来たのだろうか。

 出来ていたとして――この一歩は、本当に正しい方向へ踏み出しているのだろうか。

 

 あの時の、一歩のように。

 兄を奪った、一歩のように。

 

 僕は、また――まだ。

 間違っているのではないかと、猛烈に、不安になって。

 

 グッと、踏み込もうとしているオールマイトの背中に「――あの!!」と、思わず声を張り上げて、呼び止めてしまう。

 

「なんだい! すまないが急いでいてね! サインなら君が持っていたノートにしてあるよ!!」

「それは本当にありがとうございます!! だけど、言いたいのは――聞きたいのは、そうじゃなくて!!」

 

 オールマイトが本当に急いでいるのは察せられた。

 彼は№1ヒーロー。存在そのものが抑止力と言われている人だ。彼が来れば全てが救えると言っても――彼が行かなければ、救えない命は、失われてしまう命は、この国に数多存在するだろう。

 

 あの、蒼い夜のように。

 

 だから僕のこんな下らない残り火に、オールマイトの貴重な時間を浪費していい筈がない。それは分かっている。だけど、こんな機会は、きっともう二度と訪れない。

 

 たった一人。

 僕に残された最後のヒーローに――みっともなく縋り付ける、こんな機会(チャンス)は。

 

「『無個性』の人間でも――神に選ばれなかった人間でも」

 

 神に――世界に――見捨てられた、人間でも。

 

 弱くて、惨めで、醜くくて。

 

 何の超常の力も持たない――僕のような、異常(ふつう)な人間でも。

 

 

「ヒーローに、なれると思いますか?」

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 僕の、そんな唐突な問いに、屈伸をしていたオールマイトは、思わずといった風に立ち上がり、振り返る。

 

「…………無個性? 君がかい?」

 

 オールマイトの声に意外そうなニュアンスが含まれているのは、僕があのヘドロ敵に一矢ならぬ一足報いた――抗ったからだろうか。

 

 なんてことはない。あれこそは足掻き――『無個性』に生まれた無力なる人間の悪足掻きの結果に過ぎない。

 

 あの日、全てを失ったあの日から。

 僕は自らを罰するように、己の身体を虐め抜いてきた。

 

 成長するに従って肉体的ないじめが減ってきたのは、この鍛えられた身体の効果もあったのかもしれない――けれど、それだけ。ただ、それだけだ。

 

 僕は決して体格にも恵まれているわけではない。

 同世代の平均身長にも及ばないガキが、多少身体を鍛えた所で、それは決して――『力』とは言わない。

 

 それを分かっているからこそ、僕は縋るように、情けない声でオールマイトに問う。

 

 全てを救けるトップヒーローに――まるで、救いを求めるように。

 

「…………オールマイト……ッ」

 

 彼は、僕の言葉を聞いて――スッ、と。その背筋を伸ばして。

 

 真摯に――弱々しく縋る僕に、止めを差そうと、その言葉を振り下ろす。

 

 No.1ヒーローが告げる、重く、鋭い、容赦の無い|言葉《げんじつを。

 

「……君が素晴らしい勇気を持つ少年であることは知っている。その鍛えられた身体から、努力を怠らない誠実さも備えていることも。……夢を見ることは悪い事ではない。だが――」

 

 だが――その後に続く言葉を察し、僕は目を伏せ、思わず肩を震わせる。

 

 何を怖がる。分かっていたことだ。気付いていたことだ。これが――正しいことなんだ。

 

 他でもない、憧憬(ナンバーワン)が、始末してくれる。

 

 これ以上に贅沢なことがあるだろうか。僕には不相応な結末だ。

 

 だから、どうか――いっそ。

 

 そんな風に覚悟を決めて、僕は顔をゆっくりと上げると。

 

 

 そこには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「――――え?」

 

 

 それは、液晶越しにも滅多にみることが出来ない、オールマイトの――弱った姿。

 何故? あのヘドロ敵には一撃も喰らっていなかった。さっきまでまるでいつも通りの象徴的な姿で――。

 

 いつも通りに――()()()()()、だけだった?

 

「っ! Shit(シット)!!」

 

 僕のそんな表情に気付いたのか、口元に垂れた血を拭うと、咳払いと共にオールマイトは急いで僕に背中を向けて屈んだ。

 

「すまない、少年! 本当に時間がないんだ!!」

 

 そう言ってオールマイトはすぐさまここから跳び立とうとする。

 

 僕の問いに答えないままに。

 

 僕に何の救いも――僕に何の終わりも与えてくれることなく。

 

 僕の中の残り火に、何の始末も付けてくれないままに。

 

「ま、待って!! 待ってください!! オールマイト!!」

 

 それはない。それはないよ、オールマイト。

 

 あなたにまで見捨てられたら――僕は――僕は――――!!

 

 そう思ったときには、僕はもう駆け出していて。

 

 跳び立つオールマイトの腰に、縋るようにしがみついていた。

 

 

 彼がポケットに仕舞ったペットボトルを、空中で弾き飛ばしてしまったことにも気付かずに。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 オールマイトは、いきなりへばりついてきた空も飛べないお邪魔虫を、懇切丁寧にビルの屋上へと下ろした。

 

「まったく、君は冷静そうに見えてとんでもないことをするね」

 

 僕を下ろしたオールマイトは、膝を付いたままゴホ、ゴホと大きく咳き込んでしまう。

 

 本当に具合が悪そうだった。

 だとしたら、いやだとしなくても、僕がしていることは迷惑以外の何者でもない。

 

 それでも、僕は、せめて――彼の口から。

 

 たった一言でもいい、答えを告げて欲しかったのだ。

 

「すいません、オールマイト……っ。でも、僕、どうしても――あなたから――ッ!?」

 

 うじうじと言葉を紡ぐ僕に、オールマイトは跪いたまま、バッと、言葉を止めるように掌を向けた。

 

「……ちょうどいい。僕ももう限界だし――君の大切な問いに真摯に答える為に。私も、覚悟を決めることにするよ」

 

 だけど、くれぐれも、ネットには書かないでくれたまえよ――と、そんな言葉と共に、オールマイトの身体から煙のようなものが発せられ、彼の大きな身体を包み込んでいく。

 

 そして、煙が晴れたら――そこには。

 

 先程までの筋肉隆々の巨漢の面影など微塵もない、()()()()()()()()()()()()()()()()()がいた。

 

「え――? おーる……まい、と?」

 

 確かに、つい一瞬前まで、そこにはオールマイトがいた筈だ。

 

 存在だけで敵の抑止力になるといわれる、誰もに安心感を与える平和の象徴。

 何者にも負けはしないと信じられる強さの頂点。それは間違っても、風が吹いただけで倒れてしまいそうな枯れ木と見紛う骸骨などではなく――。

 

「ああ。私はオールマイトさ」

 

 そんな僕の現実逃避を否定するように、目の前の骸骨はオールマイトだと名乗った。

 口から大量の喀血をしながら。

 

「わぁぁああああ!! だ、大丈夫なんですか、オールマイト!! ていうかオールマイト!? さ、さっきまでの筋骨隆々ボディはどこに!!?」

「こちらが今の本当の姿(トゥルーフォーム)さ。あのマッスルボディはめちゃくちゃ頑張って力んでいるだけでね」

「そんな馬鹿な!!? プールで見栄を張るおっさんじゃないんだから!!」

「本当だよ。そして――」

 

 君に見せたいのは、コレさ――と。

 

 吹けば倒れてしまいそうな骸骨は、それでも――窪んだ眼窩の奥から覗かせる、強い光を放つ瞳で。

 

 正しく、()()は本当にオールマイトなのだと理解させられる眼で、僕を真っ直ぐに射貫くと。

 

「――――ッッッ!!」

 

 僕は、叫ぶのを必死に我慢して、息を吞んだ。

 

 オールマイトが見せたのは、ぶかぶかになったTシャツをめくり上げて露わにした、己のガリガリのボディ。

 

 そして、そこに凄惨に刻み込まれた、余りにも無残な――傷跡だった。

 

「そ、それは――」

「5年前。とある(ヴィラン)との戦いによって負った傷さ」

 

 私は既に、一日三時間しかヒーローでいられない身体だ――と、オールマイトは語る。

 

「世間には公表していない。私は『平和の象徴』なのだから。何時何時(いつなんどき)も、私はヒーローでなければならないんだ」

 

 それは奇しくも、僕がさっきまで考えていたことだった。

 駆け付ければ、どんな敵も倒し、どんな困難からも命を救う「almighty(万能)」も。

 

 駆け付けなければ――来なければ、助けることは出来ない。

 

 オールマイトは、いつでもどこでも駆け付けて、人々を救うヒーローでなければならない。

 

 たとえ、その身に、どれほどに深い(ダメージ)を負っていようとも。

 

「……先程は、君の問いに逃げるような形になってしまってすまなかった。だからこそ、今の私に出来る、最大限の誠意を持って、改めて答えよう」

 

 オールマイトは。

 

 普段のそれは見る影もない、ガリガリにやつれた頼りない姿で。

 

 だが、その瞳の中の炎は、僕の残り火など比較するのも烏滸がましい――煌々と燃え盛る姿で持って、僕を真っ直ぐに射貫きながら、言う。

 

「この傷を見て分かる通り、ヒーローとは命懸けで命を救う仕事だ。必要なものは山ほどあるが――無論、そこに、『力』は間違いなく含まれる」

 

 そして、オールマイトは、ゆっくりとこちらに向かって歩み寄ってくる。

 

 それは決して僕を励ます為ではない。

 

 優しく――残酷に、僕に引導を渡す為だ。

 

 僕を、優しく、殺してくれる為だ。

 

「しっかりと、現実を見なさい。君の人生は、まずはそこからだ」

 

 ぽんと、僕の肩を叩く、トップヒーロー。

 

 そして、彼はそのまま振り返ることなく、僕に背を向けたまま、見知らぬ屋上を後にした。

 

「……………」

 

 いつかの教室のように、僕は一人、取り残される。

 

 お望み通りの展開だった筈だ。

 こうして止めを差してもらう為に、僕はオールマイトにしがみついて、命懸けの空の旅をしたのだから。

 

 いや、今思い返せば、この数分で信じられない体験をした。

 あのオールマイトに会って、握手してもらって、サインも貰って、あろうことか抱きついて。ネットの何処にも書かれていない真実まで知ってしまって。

 

 そして、引導を渡してもらった。

 何年間も醜く燻り続けていた残り火の始末までしてもらった。

 

 あの、オールマイトにだ。これ以上の贅沢なんてない。

 望外の幕引きだ。最高の最終回だ。

 

「…………っっ!!」

 

 なのに――なのに――なのに――なんで。

 

 

「――――――どうして……こんなに…………消えないんだ……ッッ!!」

 

 

 僕は、ノートをぐしゃぐしゃに抱き締めながら、しばらく立ち上がることが出来なかった。

 

 何で――僕は。

 

 こんなにも、間違い続けてしまうのだろうか。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 見知らぬビルからこっそりと抜け出して、とぼとぼと帰宅の途に着く。

 

 突発的な空の旅を経たけれど、幸いにも通学路を大きくは外れていなかった為、いつもよりも大回りにはなるけれど、問題なく迷わず家には帰れそうだった。

 

 問題なのは、迷いっぱなしなのは、だから――僕の心の方で。

 

「…………」

 

 他でもない、あのオールマイトにまで諭してもらったというのに、僕の中の残り火は、未だぶすぶすと燻り続けていた。

 

 あの――傷。

 オールマイトほどの強さを誇っても、あれだけの傷を負うほどの困難と、ヒーローというものは向き合わなくてはならない。

 

 もちろん、トップオブトップたるオールマイトが抱えるそれは他のヒーローとは比較にならないだろうし、商業的に人気を効率よく稼ぐべく己を売り出すヒーローもいっぱいいるけれど――。

 

 僕は、ただヒーローになりたいわけじゃない。

 オールマイトのような。父のような。兄のような。

 

 誰かを笑顔で救けられるような、そんな――。

 

「――――ハッ」

 

 僕は両手に持ったくしゃくしゃのノートを見ながら笑う。

 

 教室で堂々とノート一つ見せることも出来ず、こうして何年間も俯きながら歩くのが日常になっている人間が。

 

 何の『力』もない『無個性(ぼく)』が――誰かを、(たす)けるなんて。

 

「…………烏滸がまし……過ぎるだろ」

 

 思わず足を止めてしまうと、そこで初めて、少し遠くで喧騒のようなものが聞こえた。

 

 顔を上げると、人集(ひとだか)りが見えた。

 現代では珍しくもない、敵犯罪のヒーロー捕物劇だろうか。

 

「…………」

 

 僕はグッと手に持つノートを歪めながらも、足は勝手にそちらへと向いてしまう。

 

 これまでずっと、色んなヒーローの情報をこのノートに纏めてきた。

 どんな風に動いて、どんな風に考えて、どんな風に追い詰めて、どんな風に救けて――どんな『個性(ちから)』を、使うのか。

 

 いつかのために、って。

 ずっと、ずっと――何かから目を逸らすように。

 

 こんなもの、何の意味もないのに。それでもずっと、止められなかった。

 

 己の中の奥に燻る、消えない残り火の温度が、ずっと、ずっと――鬱陶しい。

 

「…………」

 

 人集りの隙間から騒ぎの中心を覗く。

 こんな時ばかりは、決して大柄と言えないこの身体が役に立つ。

 

 普段はコンプレックスに感じているくせに、都合のいい時だけ有効活用する己の浅ましさを感じながら前に進んでいると――そこに見えたのは。

 

 ついさっき、オールマイトがペットボトルに詰めていた筈の、あのヘドロ(ヴィラン)だった。

 

「っ!!?」

 

 な、なんでアイツが――オールマイトが捕まえた筈。

 彼はあの時、あのペットボトルをポケットに突っ込んで警察に届けると言っていた。落とした? 逃がした? あのオールマイトが?

 

 いや――待て。

 トンネルの外から大ジャンプしようと屈伸していた時――オールマイトのズボンのポケットには、確かにペットボトルはあった。

 

 だけど――僕が、咄嗟にしがみついて、一悶着あって。

 屋上に着地した時――オールマイトが僕に近付いて、肩を叩いて、去って行く時。

 

 その時はもう、オールマイトのズボンに、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……………僕の…………せいだ……!!」

 

 急激に冷や汗が吹き出し、体温が下がるのを感じる。

 

 僕は、自分の下らないエゴを満たす為に――オールマイトが捕まえた筈の(ヴィラン)を野に放ってしまったのか。

 

 君のお陰で、(ヴィラン)犯罪を一つ止めることが出来た――オールマイトにそう言ってもらえたのに、結局、それも自分で台無しにした。

 

 何をやっているんだ、僕は。

 ヒーローになるどころじゃない。世間に、世界に、僕は迷惑しかかけていないじゃないか。

 こんな僕が、誰かを救いたいだなんて、やっぱり――。

 

「すげぇ(ヴィラン)だな。ずっと暴れっ放しじゃん」

「てかなんでヒーロー棒立ちなの? もう何人か来てるよね」

「あのヘドロ(ヴィラン)、物理攻撃が効かなくて有効な個性持ちヒーローが来るの待ってるっぽいよ。なんかすげえ個性の中学生に取り着いてるみたい」

「え? それって人質ってこと?」

「っ!!?」

 

 人質。誰かが取り着かれている。それも、僕と同じ中学生が。

 

 その言葉に、やってしまった現実から目を逸らすように俯いていた顔を上げさせられた。

 

 あのヘドロ(ヴィラン)に取り着かれるということが、どれだけの恐怖か、僕は知っている。

 身体が呑み込まれ、口を塞がれ――どれだけ辛く苦しいのか、僕は身を以て知っている。

 

 僕のせいで襲われた、僕のせいで巻き込まれた、その被害者の顔を、僕は見なくてはならないと思った。

 

 何も出来やしないけれど、何の個性(ちから)も資格もないけれど――それでも、ここだけは、目を逸らしてはいけない場面だと思った。

 

 そして、あのヘドロ敵に取り付かれながらも、必死に抗い続けている――戦い続けている、強くて勇敢な、僕と同じ中学生を、僕と違う中学生を、見ると。

 

 そこには――『彼』が、居た。

 

「――――え?」

 

 なんで――どうして――よりにも、よって。

 

 僕のせいで襲われた、僕のせいで巻き込まれた被害者が。なんで――いったい――どうして。

 

 そんな風に、僕の頭が真っ白になっていると、周りの見物人たちから、今朝の僕のように、ヒーローショーを眺める観客のような観衆の感想が、ぽつりぽつりと聞こえてくる。

 

 どうやら彼は、既に五分以上、こうして一カ所で暴れ続けているらしい。

 彼の個性の破壊力が凄まじくて周囲のヒーローは近寄れないらしい。

 

 そして、彼は――突如、空から降ってきたヘドロ敵から、見知らぬ誰かを庇う為に、こうして敵に呑み込まれてしまったらしい。

 

「…………ッッッッ!!!」

 

 観衆は無責任に何も出来ないヒーローを揶揄し、ヘドロ敵の侵食に耐える彼を無邪気に称賛するが――自分たちでは何もしようとしない。みんな何らかの『個性(ちから)』を持っている筈なのに。

 

 ただ安全な距離から、繰り広げられる敵捕物劇(ヒーローショー)を鑑賞するだけだ。心の底から信じている。すぐに誰かヒーローがやってきて、何とかしてくれると。何ならどんなヒーローが来るか賭けでもしているのかもしれない。大本命は、やはりオールマイトだろうか。

 

 だが、しかし、僕だけは知っている。

 オールマイトは、やってこない。

 

 彼は一日三時間しかヒーローが出来ない身体だと言っていた。そして、その貴重な時間は、僕なんかに関わったせいで、既に今日の分のタイムリミットを迎えてしまっている筈だ。

 

 みんな、オールマイトを待っている。

 もしかしたら、彼が必死に抵抗するのを見ていることしか出来ない、彼の周りに待機する、棒立ちのヒーローたちすらも。

 

 みんな、どこかで、思っている。

 オールマイトが、きっと何とかしてくれると。

 

 そんな希望を、そんな可能性を潰し、こんな凶悪な敵を、彼を襲う絶望を齎したのは――全ての元凶は、この僕だ。

 

「…………ッッ!!」

 

 僕には分かる。分かって、しまう。

 

 彼がこうして一カ所で暴れているのは、他に被害を広げない為だ。

 彼を襲い続けているヘドロ敵の侵食は大の大人だって一分も耐えられるようなものじゃない。少なくとも僕は、オールマイトが救けにきてくれるのがあと十秒も遅かったら、為す術なく乗っ取られていただろう。

 

 僕が一歩の抵抗をするのがやっとだった敵に、彼は五分以上も戦い続けている。

 

 やっぱり――彼は、凄い。

 兄と同じ、選ばれた人間。兄と同じ、選ばれた――個性。

 

 俺もアイツみたいな個性だったら――あのクラスメイトの言葉が過る。

 

 個性を持っているだけで僕にとっては垂涎の憧憬だけど、そう言ってしまう心情はよく分かる。

 

 ずっと、彼を見てきた。ずっと、彼から目を逸らしていた。

 

 ずっと、彼に目を焼かれていて。ずっと、彼を直視出来なかった。

 

 父。兄。オールマイト。

 僕は全てのヒーローを失った。そう思っていた。

 

「…………ごめん……ごめん……ごめん、なさい……」

 

 一際大きな爆破が轟く。

 

 その眩い閃光に、僕の瞳から――涙が、溢れて。

 

「……もうすぐ、だから。……誰か、きっと、ヒーローが――」

 

 お願いだから。

 

 早く、誰か、ヒーロー。

 

 僕のヒーローを、救けて――と、顔を上げて、目を向けた、そこで。

 

 

 何年かぶりに、目が合った、彼の――瞳は。

 

 まるで鏡のように、泣きそうな――(たす)けを求める、顔をしていて。

 

 

 気が付いたら――僕の足は、大きな一歩を踏み出していた。

 

 

「――――()()()()()!!!」

 

 

 敵捕物劇(ヒーローショー)を眺める観衆の中から飛び出し、周囲を固めていた棒立ちのヒーローたちの横を駆け抜けていった僕は。

 

 群衆の戸惑いの声を、ヒーローたちの制止と罵声の声を無視して、足元の安全さえ確保されていない瓦礫塗れの道を――敵犯罪の犯行現場ど真ん中へと向かう。

 

 その時には、その場の主役のヒーローと敵の目線は――ヒーローショーの舞台に上る資格など、何一つ持ち合わせていない無個性の元凶に向いていて。

 

 ヘドロ敵は、そして取り付かれているかっちゃんは、何の武器も持たず馬鹿正直に真っ直ぐに向かってくる僕に向かって、それぞれの表情を浮かべていて。

 

「さっきのMサイズの隠れミノ。馬鹿か。改めて食われに来たか?」

 

 醜悪なる敵は、その容貌と個性に相応しい恐ろしき()みを浮かべつつ、その手を僕に向けようとする――が。

 

 その手とはつまり、己が乗っ取っている――彼の手で。

 

 向けられた掌から放たれようとしていた衝撃と爆炎は、爆破直前に大きく逸らされ虚空へと向けられる。

 

「――ちっ! いい加減しつこいぜ、SSR! はやく楽になっちまって、はやく俺のものになっちまえよ!!」

 

 かっちゃんは、己を呑み込もうとするヘドロ敵の言葉を無視し――ただ、僕に向かって、まっすぐその鋭い眼を向ける。

 

 どうして、来た――と。

 感謝どころか、怒りと――そして、屈辱に真っ赤に染まっている、その恐ろしい眼を。

 

 僕は思わず笑みが浮かぶのを感じる。

 そうだね――君は、そういう人だった。

 

 傲岸不遜で傍若無人。誰よりも誇り高い人だった。

 そんなところが、いつだってとってもかっこよかったよ。

 

 僕はめちゃくちゃに振り撒かれるヘドロの腕を掻い潜り、彼の口を覆うヘドロを引き剥がそうとする。もちろん、これも彼の抵抗のお陰だ。僕なんかの力だけじゃ、こんなところまで辿り着けなかった。

 

 きっと、この戦いにおいて、僕の力なんて必要なかったんだ。

 

 かっちゃんがこんな(ヴィラン)に負ける筈がないし、オールマイトは来れなくとも、この(ヴィラン)に有効な個性のヒーローはたくさんいる。遠からず内に誰かが間に合った筈だ。

 

 だから、僕がしていることは――きっと、余計なお世話というものなのだろう。

 

 僕は力ずくでかっちゃんの口元のヘドロを剥がすと、かっちゃんは大きく息を吸って――僕に向かって、血走った眼を向けながら叫ぶ。

 

「――テメェ!! 何で来やがった――デク!!」

 

 デク。

 木偶の坊のデク。

 

 無個性の僕を彼が揶揄して――よく兄に怒られていた、かつての呼び名。

 僕のかっちゃんと同じ――あの日から、お互いにそう呼べなくなって久しい、幼馴染みの同士の渾名(あだな)

 

 そんな懐かしい悪口を聞いて、僕は色んな感情でぐちゃぐちゃになった顔で。

 

 身体が勝手に動いたんだよ――と、無理矢理に作った顔で言った。

 

 作り慣れている筈のそれよりも、だいぶ不格好になってしまったかもしれないけれど。

 

 ヒーローは、笑顔で安心を届けるものだから。

 

「――君が、(たす)けを求める顔をしてたから」

 

 どこかの誰かと、同じように――鏡を見ているみたいだったから。

 

 そんな僕の言葉を受けて、かっちゃんの顔が、泣きそうに歪む。

 

 日鶴(ひづる)(にい)――そんな言葉から彼から漏れる。

 僕に兄の面影を見たのだろうか。だとすれば、彼にとってはトラウマものの状況で申し訳ないが、僕は少し嬉しかった。

 

 何の『個性(ちから)』もない僕だけれど、少しくらいは――兄のように、なれただろうか。

 

「俺の邪魔をするなよ!! 中学生(ガキ)どもぉぉぉおおお!!!」

 

 ヘドロ敵が、かっちゃんの身体を呑み込んでいない、つまり、彼の抵抗を受けない己の身体(ヘドロ)部分のみで持って、巨大な手を形作り、僕とかっちゃんをもろとも押し潰そうとする。

 

 僕は必死でヘドロを掻き分け、彼の手を握った――だが、そこまで。

 これだけ強力にへばりついたヘドロから、彼の身体を引っ張り出すなんてことは出来ない。

 

「――誰が、(たす)けを求めたって?」

 

 瞬間――僕に握られていないもう一方の彼の手から、強烈な爆破が繰り出される。

 

 僕によって片手が引っ張り出され、僕たち二人をまとめて潰そうとヘドロで大きな手を敵が作り出した――つまり、この瞬間、彼の身体を覆うヘドロは大きくその体積を減らしていて。

 

「俺はもう――誰にも(たす)けを求めねぇ。自分(テメェ)の力だけで――」

 

――どんな状況も、覆すって誓ったんだよ!!! と。

 

 彼は自らの手で――掌で、ヘドロ敵を強引に引き剥がす。

 

 すごい。本当に、僕の救けなんて必要なかった。

 彼は何の勝算もなく暴れ続けていたわけじゃなかった。ヘドロの拘束が緩む瞬間を待って、虎視眈々と耐え続けていたんだ。

 

 やっぱり、彼はかっこいいなと、僕は拘束から逃れた彼の身体を引き寄せる。

 

「っ!! テメェ、待ちやがれ!! その“個性(ちから)”は俺のもんだぁぁああ!!」

 

 ヘドロ敵が、それでも諦め悪くその汚い手を伸ばそうとする――が。

 

 

「――見事だ。有精卵(しょうねん)たち。君に偉そうなことを言っておいて、これ以上、プロが情けない姿を見せるわけにはいかないな」

 

 

 瞬間、強烈な風圧が、僕たちに迫った魔の手を吹き飛ばす。

 

 口から血を吐きながらも、その姿は、この国の誰もが知る、あの抜群の安心感を齎す筋骨隆々(マッスルフォーム)で。

 

 地に向かって、DETROIT(デトロイト) SMASH(スマッシュ)の掛け声と共に天候すら変える強烈な拳を放ったトップヒーローは、たったの一撃で、今回の敵捕物劇(ヒーローショー)に終止符を打った。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 No.1ヒーロー:オールマイトの現着、そして勝利のスタンディングと、誰もが求める結末に終わった今回のヘドロ敵事件。

 

 デトロイトスマッシュによって飛び散ったヘドロ敵の破片は、ヒーローたち全員によって一欠片も残さず回収、密封され、今度こそ警察に問題なく引き渡された。

 

 オールマイトは、市民に安心を与えるまでがヒーローの仕事とばかりに、制限時間が過ぎている筈にも関わらず、マッスルフォームを維持しながらマスコミのインタビューに答えていた。

 

 そんな彼の背中を見詰めていた僕は、他のヒーローに烈火の如き説教を受けた。

 終わってみれば僕の行為は、ただ現場に混乱と危険を招いただけ。それに彼らも知らないが、そもそも一度オールマイトが被害なく捕らえた筈のヘドロ敵を逃がしたのは全て僕の責任なので、僕はその説教を甘んじて受け続けた。

 

 尊敬するヒーローたちから受ける説教は学校の先生から『無個性』揶揄を混ぜ込まれて受けるそれとは受けるダメージが段違いで正直きつかったが、僕がそんな説教を受ける近くで、かっちゃんがヒーローに称賛され、彼が庇ったという無辜なる一般人の少女から感謝されている姿が見えたのは、はっきり言って嬉しかった。

 

 あのヘドロ敵に五分以上も耐え抜き、抵抗を続けて被害を最小限にしたこと。

 市民を庇い自ら侵食を受けたこと、そして、最後には自力で脱出したこと。

 

 その精神力とタフネス、そしてド派手で強力な個性――爆豪勝己(ばくごうかつき)という中学生が、その将来性を見せつけるには十分すぎる活躍だった。

 何なら仮免どころかヒーロー科に入学すらしていないかっちゃんを将来の相棒(サイドキック)になんてスカウトしていたヒーローすらいたくらいだ。

 

 幼馴染み同士で随分と差が付いたものだと呆れてしまう。

 けど、僕の心は、放課後の教室よりも、そしてオールマイトに止めを差してもらった屋上よりも、少しだけ晴れやかだった。

 

 ひとことオールマイトに謝罪がしたかったけれど、僕に対するヒーローの説教が終わった後も、マスコミのインタビューは続いていたみたいだったので、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかないと、僕はひっそり現場を後にした。あとでダメ元でホームページからメッセージを送ってみよう。彼の元にはそれこそ何百何千何万と日々メッセージが届いているだろうから、彼の目に入るかは分からないけれど。

 

 もう、僕がオールマイトに会うことはないだろうから。

 

「――――おい」

 

 そんな風に考え事をしながら歩いていると、背中にそんなぶっきらぼうな声が掛けられる。

 自宅近くの帰宅路。それはつまり、幼馴染みである彼の帰宅路でもあるということで。

 

 振り返ると、そこには予想通りの人物がいた。

 

 一瞬、喉に言葉が詰まり掛けるも、グッと喉に力を込めて、詰まり掛けたその言葉を発した。

 

「……なぁに? ――かっちゃん」

 

 僕は再び、はっきりと目を見て、改めて昔の渾名で彼の名を呼んだ。

 

 そのことに少し目を見開いた彼は、一度小さく口を閉じてから――改めて、静かに、僕に向かって言う。

 

「――テメェ。普通科、受けんのか?」

 

 少し唐突に思えたそんな問いは、今日のホームルームの進路希望のことだと思い至る。

 ほんの数時間前のことなのに、随分と遠いことのように思えた。

 

 僕は、くしゃくしゃにした進路希望用紙を伸ばすように、決して大柄とはいえない身体の背筋を伸ばして、少し先にいる彼に向かって。

 

 はっきりと、固まりたての決意を述べた。

 

「――ううん。ヒーロー科を受けるよ」

 

 ずっと、僕なんかが、ヒーローを目指す資格があるのか分からなかった。

 

 いや、違う。はっきりと、ないと思っていた。

 

 僕は、『無個性』だ。

 世界に選ばれなかったもの。社会から異物とされたもの。

 

 出来損ないの仲間はずれ。

 異物たる木偶の坊。

 

 そんな僕を爪弾きにする世界を、僕は無条件に愛せない。

 

 人を恨むし、世界を憎む。

 何も与えないくせに、大事なものを奪い続ける世界を、きっと僕は嫌いなんだろう。

 

 

 それでも――光はあると、思い出すことが出来た。

 

 

 眩い光。鮮烈な光。

 目が潰れそうなほどに眩しくて、それでも、目を離すことが出来ないほどに――綺麗な光。

 

 そうだ。

 そんな光に、僕はどうしようもなく憧れた。憧れて、しまったんだ。

 

 父の光に。兄の光に。オールマイトの光に。

 

 そして――。

 

 僕は、ずっと僕の先を行く、夕陽を背に立つ幼馴染みに向かって言う。

 

 眩しくて目を瞑りそうになってしまうけれど、それでも真っ直ぐに、その燃えるように輝く眼と、己の目を合わせて。

 

「僕は、ヒーローになるよ。かっちゃん」

 

 かつて、僕は、この夢を、他でもない彼自身に最も嘲笑され、否定されていた。

 文字通り『個性(ちから)』の差を、身の程を、身を以て教え込まれたこともある。

 

 身の丈に合わない憧憬。

 

 そんな僕の夢を、宣言を――彼は。

 

「――――ハッ」

 

 そう、嗤って――否、笑って。

 

「クソナードが」

 

 背中を向けながら、そんな捨て台詞と共に、彼は去って行った。

 

 あれだけの事件(コト)があったのに、彼の足取りは確かで、背もまるで丸まっていない。

 

 二人の関係が破綻するきっかけになった、あの蒼い夜から。

 自罰的に、己の身体を虐め抜いたのは、きっと僕だけじゃない。

 

 けれど、僕と違って、彼は俯くことなく、ずっと前を向いていた。

 

 彼はずっと僕の先を行っている。

 きっと、その距離は、あの時よりもずっと開いていて。

 

 でも――僕はもう、歩き出すと決めたから。

 僕も、もう、止まらないと、決めたから。

 

 そう、一歩を踏み出した時、目の前の路地から、思いがけない人物が飛び出してきた。

 

「――私が来た。……ほんの僅か見ない間に、いい顔になったな、少年」

 

 現れたのは、もう二度と会うことはないと思っていた、雲の上に輝く星々のような憧憬。

 

「オールマイト! どうしてここに? 取材を受けていたんじゃ――」

「はっはっは! 君も知っての通り、体調も万全じゃないからね。早めに抜けさせてもらはうばっ!」

「オールマイトぉぉおお!!」

 

 やはり限界だったのだろう。

 登場時こそマッスルフォームだったが、台詞の途中に喀血して、血と共に筋肉も吐き出したかのようにトゥルーフォームに戻ってしまった。

 

 こんな状態でも、限界以上の力を振り絞って、僕たちを救けにきてくれた。

 感謝の念と、そして申し訳なさが溢れてくる。

 

「本当に……すいませんでした、オールマイト。僕のせいで、あのヘドロ敵を逃がしてしまって。その上、そんな風に血を吐くまで無理をさせてしまった」

「喀血はこの身体になってから習慣のようなものだ。気にしないで欲しい。それに、敵を逃がしたのは私の情けないミスだ。こんなことを一般人の中学生のせいにするほど、私は落ちぶれてはいないつもりだ」

 

 こんな身体だけどね――と、オールマイトはガリガリの身体のまま、僕に向かって歩み寄りながら言う。

 

「勘違いしないで欲しい。僕は責めに来たわけじゃない。礼と訂正、そして提案をしに来たんだ」

「礼と、訂正……? それに、提案?」

 

 挙げられた三つの項目、その全てに心当たりがなくて、僕は首を傾げてしまう。

 

「まずは礼だ。――ありがとう、少年」

「いや、オールマイトにお礼を言われるようなことなんて、僕は――」

 

 本当に、何もしていない。

 オールマイトはああ言ったが、僕がオールマイトの邪魔をしていなければ、あのヘドロ敵がかっちゃんを襲うことはなく、もっとスムーズに警察に引き渡されていた筈だ。

 

 だが、オールマイトは僕の否定の言葉を否定し「あの時、実は私もあの観衆の中にいたのさ」と続けた。

 

「爆破個性の少年が敵に襲われているのを、私は黙って見ている事しかできなかった。君も知っての通り、私は今日はもう変身できない身体だったからね」

 

 民衆が、ヒーローが、私を求めている声が聞こえていたにも関わらず、私は動くことが出来なかった――そう語るオールマイトは、小さく唇を噛み締めていた。

 

 No.1ヒーロー。トップオブトップ。ナチュラルボーンヒーロー。平和の象徴。

 

 オールマイトというヒーローが背負うものは余りにも多い。

 誰よりも多くのものを背負い、誰よりも多くのことを求められているからこそ――彼は誰よりも己に厳しく求めるのだろう。

 

 そんな偉大なるヒーローに、僕なんかがなんて言葉を掛けていいのか分からないでいると「――だが」と、オールマイトは、そんな僕に手を伸ばして。

 

「――君は、駆け出した。私なんぞよりも早く、あの場にいた誰よりも速く」

 

 私は、君が動き出してくれたから、あそこで動くことが出来たんだ、と。

 

 この国の誰よりも、多くの者の元へ駆け付けてきたヒーローは言う。

 

 君はあの場にいた、誰よりもヒーローだったと。

 

「そ、そんな、僕はプロの方々の仕事を邪魔しただけで……実際、『無個性』の僕は、あの場で何も出来なかった」

 

 ただ、駆け出しただけで。事態を好転させる具体的な手段は、何も取ることが出来なかった。

 

 ただ――あの時のように。

 何も考えず――考えるより、先に。

 

「――ヒーローの多くは、未熟で何者でもない学生の時から、多くの者が同様の言葉を残している」

 

 何が出来るかなんて分からない。何も出来ないかもしれない。

 

 でも――それでも。

 

「『考えるよりも先に、体が勝手に動いていた』――と」

「――――ッッ!!!」

 

 君もそうなんだろう――そんなオールマイトの言葉を受けながら。

 

 僕は、かつての、兄の言葉を思い出していた。

 

 その時も、自分が泳げないのも忘れて、川に落ちたかっちゃんに向けて手を差し伸ばした。

 かっちゃんは何故かそれはもうキレてしまって。

 僕は兄に慰めてもらいに行って。

 

 兄は――僕の頭を撫でて言った。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 ()()()()()()()()()()()()、と。

 

 そうだ。あの時も、そうだった。

 

 あの時も、あの蒼い夜も、同じように。

 

 兄は、こんな僕に――優しく笑ってくれたんだ。

 

「――そして、改めて訂正しよう。あの時の君は迷っていたようだが、今の君の顔を見れば分かる。君はもう大丈夫だ。私が、この私が、保証する」

 

 オールマイトは、さっきまでかっちゃんがいた場所に、いつの間にか立っていた。

 

 夕陽がトップヒーローの痩身を照らす。

 先程のかっちゃんのように。――そして。

 

 ごめんね、ごめんねと、お母さんの涙が染み込んだ僕の元に。

 

 あの真っ暗の部屋の扉を開けて、部屋の外の明るい光を背に。

 

 僕の頭を撫でてくれた、二人のヒーローのように。

 

 憧憬は、世界に選ばれなかった異物に、何よりも欲しかった言葉をくれた。

 

 

「――君はヒーローになれる」

 

 

 涙が溢れ、世界が歪む。

 僕を否定し続けてきた世界が、僕から何もかも奪い続けてきた世界が――夕陽の光を乱反射し、美しく歪んでいく。

 

 つい先程まで介錯を望んでいたヒーローに、あろうことか、ずっと言って欲しかった言葉を賜るなんて。

 

 ヒーローになれると、トップヒーローから太鼓判を貰えるなんて、そんな衝撃があるだろうか。

 

 恵まれすぎてる。

 こんな何の力も持たない、『無個性』の僕が――。

 

「……本当に、僕なんかで……いいんですか?」

 

 僕なんかがヒーローになっていいのだろうかと。

 かっちゃんにあんな啖呵を切ったばかりなのに、オールマイトにこんなに嬉しい言葉を貰ったばかりなのに、余りに身の丈に合わない幸福を浴びせられ続けて、いいことに慣れていない卑屈な人生を送ってきた僕は、反射的にそんなことを言ってしまう。

 

 オールマイトそんな僕に「――ああ。もちろんさ」と、力強く励ましの言葉をくれて――。

 

「――君だからだ。君こそ、私の“『個性(ちから)』”を受け継ぐに相応しいと、私はそう確信している!」

「ありがとうございま……ん?」

 

 オールマイトの――『個性(ちから)』?

 

 言葉の意味がよく分からなかった僕に、オールマイトは「言葉通りの意味さ!」とアメリカンな笑顔でHAHAHAと告げる。いや、だから言葉の意味が分からないのですが。僕の読解力の問題なのか?

 

「三つ目――提案さ。僕が君の元に訪れた、三つ目の理由。そして、これこそが本題だ」

 

 この国で最も有名なヒーロー『オールマイト』。

 けれど、そのプロフィールは全てが不明。年齢も、本名も、そして――その『個性』も。

 

「私の『個性』は“譲渡”の個性。聖火の如く、人から人へ、誰かを救うべく紡がれてきた、力の結晶。その名を――」

 

――『ワン・フォー・オール』。

 

 一人はみんなの為に――正しく、その言葉を体現してきた前任者(ヒーロー)は。

 

 君次第だと、僕に向かって、真っ直ぐに手を伸ばす。

 

 僕に、この名をを冠するに相応しい後任者(ヒーロー)後任者に、なる覚悟はあるかと。

 

 平和の象徴(オールマイト)を引き継ぐ、その覚悟があるかと。

 

 正直に言って、僕はきっとまだ、この怒濤の勢いで訪れた超展開の全てを理解できたとは思っていない。

 

 今日一日だけで、僕の人生は変わり果てたと言っていい。

 

 だけど、僕は――ずっと欲しいと願ってきた。

 ずっと欲してきた、欲しいと願わない日はなかった――ヒーローに相応しい『個性』。

 

 トップヒーローになれる『個性』が手に入る。

 全てを(たす)ける『個性(ちから)』が手に入る。

 

 そんな可能性を前に、手を伸ばさない選択肢など、僕にはなかった。

 

 己の中で、強く、大きく、ずっと燻っていた火が燃え盛るのを感じる。

 

 きっと、この握手の本当の意味を、僕は理解していない。

 この握手の重みも、責任も。オールマイトの傷の意味も。

 

 それでも僕はただヒーローになりたいわけじゃない。

 

 父のように。兄のように。そして――オールマイトのように。

 

 かっちゃんのように。

 

 強くて眩しい、誰もを(たす)けることが出来る、最高のヒーローになりたいんだ。

 

 

 その為なら――僕は――。

 

 

 

 

 

 × × ×

 

 

 

 

 

 痩せぎすの画風の違う金髪の男と――愛すべき弟が握手をする光景を、僕はとある屋上から眺めていた。

 

「――残してきた火の始末は済んだか? 『日鶴(ひづる)』」

 

 俺は背後からの声に、眼下の光景を見下ろしながら答える。

 

「――ああ。もう大丈夫だ。アイツは立派なヒーローになるよ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけど、それもまたアイツの選択だ。出久が前を向いたことで勝己も遠慮なく進むことが出来るだろうし、二人で切磋琢磨することで、この世界で誰よりも素晴らしいヒーローになることが出来るだろう。

 

 火を着けたのは僕だ。その不始末がずっと心残りだったが――これでやっと僕も、弟離れが出来そうだった。

 

「いいのか? 弟が立派なヒーローになっちゃったら、いつか殺し合う時が来るかもしれないぜ?」

「それはお互い様だろう。そうなったらしょうがない。兄として、弟の前に堂々と立ち塞がるまでさ」

 

 それが、お互いに選んだ道なんだから。

 

 お互いに選んだ、それぞれの物語なんだから。

 

「――行こうか、『燈矢(とうや)』。この街にはもう用はない。二度と帰ってくることはないだろう」

「――ああ。そうだな。俺たちの戦いはこれからだ」

 

 そう言って振り返ると、顔面に爛れた火傷を持つ相棒は、虚空に現れた黒い闇の中へと歩みを進めていた。

 

 僕は、最後にもう一度だけ振り返り――生まれ故郷を、そして、もう既に僕が死んでいる場所を目に焼き付ける。

 

 涙のように美しい、血のような赤い夕日が、沈もうとしていた。

 

「――頑張れ、出久」

 

 僕は、何かを強引に断ち切るように、眩しい光に背を向けて、世界を切って繋ぐ真っ暗な(ゲート)へと歩みを進めた。

 

 そして扉は締まり――僕は闇へと消える。

 




ファイナルファンブックにてデクパパの公式情報の追加がなかったので初投稿です。

不定期更新予定。
走り出した以上、できるだけゴールを目指して頑張りますが、あまり期待はしないでください。
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