トレセン学園の旧理科準備室。そこを根城にしているウマ娘の一人、アグネスタキオンは椅子の背もたれに身を預ける。
「は~ぁ……」
憂鬱そうな、なにか上手くいってないようなため息。同じ部屋にいるマンハッタンカフェ、ジャングルポケット、ダンツフレームの3人はアグネスタキオンへと視線を向ける。
心配するように、気にしていないように、怪訝そうに。3人は三者三様の反応で次の言葉を待つ。
ボーっとしているようにも見える姿。アグネスタキオンは口を開く。
「もう媚薬でも作るとするかねぇ」
「カフェ、警察」
「初手で警察を呼ぶんじゃないよ! もうちょっと私を心配してくれてもいいんじゃないのかい!?」
とんでもないことを言い放ったアグネスタキオンに、ジャングルポケットは迷うことなく警察へ電話することを促した。なお、名前を呼ばれたマンハッタンカフェは通報する気はないようである。
冗談はほどほどに、ジャングルポケットは頭を掻きながら気になったことを質問する。
「なんでまた媚薬なんか作ろうとしてんだよ? お前そういう柄じゃねぇだろ?」
媚薬を作ろうといった理由だ。この場にいる全員が気になったようで聞き耳を立てている。
アグネスタキオンはというとため息を吐いた。非常に不本意そうに、不機嫌そうに。
「まぁ、その、なんだ。これは仮定の話になるが」
「どうせ、高村トレーナーに、使う予定、だったんでしょう?」
「はぁ? そんな簡単に決めつけないでほしいんだが? まぁ? 確かに? トレーナー君に使う予定ではあるんだけどね?」
「どうせバレてんだから今更取り繕うなよめんどくせーな」
「あはは……」
初手から使う相手を看破されてアグネスタキオンは取り繕うとするが無駄である。この3人は媚薬を誰に使うかなどすでに分かり切っているのだから。
ごまかすように咳払いをするアグネスタキオン。頬は僅かながら朱を帯びていた。
「その、だな。君達は私のトレーナー君のことをよく知っているだろう?」
「はい。お友だちが、懐いて、いますので」
「良い人だよな~。嘘つかねーっての? すっげー誠実な人ってナベさんも言ってたぜ」
「優しい人だよね、うん」
それぞれが感想を述べる。アグネスタキオンのトレーナーである高村聖は誠実で優しい人だと口を揃え、口々に褒める。
「初見はビビるけど、慣れてくると気にならなくなるよな。つか、アドバイスもしてくれるし」
「聞けば、答えてくれる。たとえ担当じゃなくても、塩を送ってくれる」
「私も凄くお世話になったな~」
誉め言葉を聞いていたアグネスタキオンは次第に表情を緩めていく。自分のトレーナーが褒められて嬉しいのだろう。
「そうだろうそうだろう! ま~そんな優しいトレーナー君は私にゾッコンなわけだが!」
声高に宣言するアグネスタキオン。トレーナーは自分を好きだと信じて疑わず、両想いで間違いない。他のメンバー達も妾程度なら許してやろうととんでもないことを宣っていた。
なお、それを聞いた3人の目は白けている。
(どっからその自信湧いてくんだよコイツ)
(かわい、そうに。現実から、逃げてしまいましたか)
(タキオンちゃん。その自信はどこから来るの?)
どう考えてもお前の妄想だろと言わんばかりの冷ややかな視線。さすがのアグネスタキオンも気づいた。
「おいおいおい、なんだいその目は? まさか、私のことを信じていないって言うのかい?」
「信じてないというか、なんというか」
「むしろお前のその自信どっから来てんだよ」
半目で睨むジャングルポケットの視線を受けてもアグネスタキオンは揺らがない。絶対の自信をもって胸を張り、自分とトレーナーは両想いだと信じている。
「考えても見たまえよ? トレーナー君はわざわざ私のために! 料理教室にまで通って料理を覚えてきてくれたんだぞ?」
「知って、ますよ。飽きるほど、聞きました」
「それに脚のケアも欠かさない。私の脚が壊れることなく走り切れたのは、トレーナー君の献身的な補助のおかげといっても過言ではないだろう」
「カフェ~。俺にもなんか飲み物くれ。ジュースねーのジュース?」
「コーヒーしか、ありません」
なおジャングルポケットたちは話半分に聞き流していた。
「私の薬も疑うことなく飲み、私に対して献身的に尽くしている! これはもうそういうことだろう!」
「タキオンちゃんの私生活が壊滅的なせいじゃないかな……」
「いやはや、あれほど尽くされて私も悪い気がしない。彼にはいつも感謝しているとも!」
「ちょっとは申し訳なく思えよお前。そして改善しようとしろよ」
ダンツフレームたちにマジレスされてもアグネスタキオンは止まらない。妄想を膨らませ、椅子から立ち上がりくるくる回って小躍りをしている。マンハッタンカフェは鬱陶しそうに見ていた。
「あ~楽しみだな~。トレーナー君との生活が楽しみだな~」
「なぁ、タキオン」
「ん~? なんだい? もしかして羨ましいのかい?」
若干のイラつきを抑えて、ジャングルポケットは指摘する。言ってはならないことを、禁忌の言葉を。
「お前のトレーナーって担当なら誰に対しても同じだろ。別にお前だけじゃねーし」
「……」
「それこそ、タルマエさんとは、一緒に苫小牧まで行ったとか」
楽しそうな表情のまま固まるアグネスタキオン。その間にも、ジャングルポケットとマンハッタンカフェの攻勢は止まらない。
「お前の場合私生活が壊滅的過ぎるからってのが大部分だろ。食事も抜いたことあるって聞いたぞ」
「洗濯もしない、料理も他人任せ、実験実験と、周りを巻き込む」
「で、でも。トレーナー君には実家にも来てもらったし」
「全員、連れていったと、聞きました。タキオンさんだけじゃ、ありません」
2人の攻勢は止まらない。
「てか、お前にされてることって他にもしてねーかあの人? 別にタキオンだけじゃねーだろ」
「そ、そんなことないとも……」
「気づいて、ますよね。高村トレーナーの優しさは、他の子にも、向けられてます」
「現実はそういうことだよな。タキオンだけ特別扱いしているわけじゃねーって」
もはやアグネスタキオン涙目である。
「そ、そこまでにしようよ2人とも! タキオンちゃん泣いちゃうよ!?」
さすがに不憫に思ったか、ダンツフレームが止めに入った。あまりにも容赦のないマジレスに先に音を上げたのはダンツフレームだった。心の優しいウマ娘である。
なお、当のアグネスタキオンは。
「はーっはっはっは……分かってるんだよぉそんなこと」
普通にいじけていた。さっきまでの高いテンションはどこへやら、落ち込んで部屋の隅で丸まっている。
ここまでするつもりはなかった。いじける当人を見て、マンハッタンカフェもジャングルポケットも慌てて駆け寄る。
「わ、わりぃ。さすがに言いすぎた」
「……ごめんなさい」
その後は必死にアグネスタキオンを励ます3人であった。
◇
しばらくして立ち直ったアグネスタキオン。話を本題へと戻す。
「それで媚薬を作ろうと思ったわけだが。まぁこれは単純だ。これだ、という決め手が欲しいわけだねぇ」
「決め手ぇ? なんでそれが媚薬に繋がるんだよ?」
「私に対する感情を増幅させ、我慢できなくするのさ! 彼が私を好きだといえば、他のみんなも諦めがつくというものだろう」
「一人、諦めがつきそうにない方が、いますが」
一体どこのアーモンドアイを思い出したかは分からないが、マンハッタンカフェの指摘にも余裕の態度を崩さない。よほど自信があるのだろう。なお、ジャングルポケットたちはこれ以上落ち込ませないためにも、余計なことは言わないように口をつぐむ。
「ふっふっふ、これでトレーナー君は私の物というわけだ。彼は私の薬を断らない、実験と称すれば間違いなく飲んでくれる! 最悪副作用と言い張ればいいだろう!」
「そう、考えると、中々計画性は、あるかと。問題は、倫理に反している、ところですが」
「でも、高村トレーナーって線引きをしっかりしてるし鋼の精神だもんね。こうでもしないとダメなのかも」
申し訳程度のよいしょをするマンハッタンカフェ、媚薬を使わなければならない状況まで追い込まれているのだと察するダンツフレーム。そうでもしなければあのトレーナーを崩すことはできない、アグネスタキオンも必死なのだと考えることにした。
「なぁタキオン。ちょっといいか?」
「ん~? なんだいポッケ君。この完璧な作戦に穴でもあるのかい?」
「いや、倫理の問題とかいろいろあるが、そこはまぁいいけどよ」
決してよくはないが、それ以上に気になることがある。不思議でたまらないことが一つあった。
ジャングルポケットは言い放つ。それは、二度目の禁句。
「なんでお前らって揃いも揃って好きって告白しねーんだ? そうすりゃ少なくとも意識するだろ」
「……」
「いや、そりゃ確かに断られるかもしんねーけどよ。意識してもらえない現状よりかはマシになるんじゃねーのか?」
ジャングルポケットが言いたいのはこういうことだ。
現状において、アグネスタキオンたちはそういう対象として見られていない。やはりトレーナーと担当という壁が大きすぎるからだ。だからこそ、断られるのも仕方なしと言えるだろう。
だが、最悪意識はしてもらえる。朴念仁トレーナーに対し、自分は好意を持っていると伝えられるはずだ。
「あの人優しいし、こっぴどく振るなんてことはねーだろ。それにほら、アレだ」
「……学生の間だけ、なんてことも、あるかもしれません」
「卒業したらまた返事をする、ってことだよね? ポッケちゃん」
頷く。告白をすれば、好意すら伝わっていない現状を打破することができるのだ。それは大きなアドバンテージになるのではないか? ジャングルポケットはそう言いたいのである。
ただ、アグネスタキオンは。
「私はね、どちらかといえば告白されたい側なんだよ。そもそも、彼から告白して然るべきだろう?」
「なに言ってんだお前。ヒヨってんのか?」
「違うねぇ。私は彼から告白されたいんだ。なんというかこう、ロマンってものがあるだろ?」
「媚薬に頼ろうとしてる奴がロマンを語るんじゃねー!」
……まぁ、アグネスタキオンも一緒なのだ。ジェンティルドンナと。告白するよりも告白されたい、相手が自分を好きだと確信しているからこそ、彼女は自分から告白するなどということはしない。
それに。
「後、普通に断られるとメンタルにクる。寮に引きこもること間違いなしだねぇ!」
「威張んな。お前がそれでいいならいいけどよぉ」
「タキオンちゃんでも精神的にクることあるんだね」
「どういう意味だいダンツ君」
振られた場合のことを想定したのか、アグネスタキオンの脚はがくがくと震えていた。さながら生まれたての小鹿である。レースでは全く動じないのに、こと恋愛面においては発揮されないようだ。
しばらく話していると、アグネスタキオンは時計へと視線を向けた。時刻を確認し、スマホを取り出す。
「おやおや、もう時間か。では呼び出すとしよう」
「は? 誰をだよ」
ジャングルポケットの言葉を無視して、アグネスタキオンはどこかへとメッセージを飛ばす。いったい何をしているのかと思う3人。
しばらく待っていると。
「……タキオン。いい加減カフェテリアに行ったら?」
「やぁやぁトレーナー君! 待っていたよぉ!」
「あれ、タキオンのトレーナーじゃねーか」
渦中の人物、アグネスタキオンのトレーナーである高村が旧理科準備室へとやってきた。先ほどのメッセージは彼に飛ばしていたらしい。
呼び出した理由は分からない。3人は高村の軽い会釈に会釈を返して事の成り行きを見守る。
「私は君の料理を食べたいんだ。カフェテリアに行く気は毛頭ない」
「それは別にいいけどさ、なんでここに呼びだすの?」
「は~あ? ここで食べれば私の研究も捗るだろう? 効率化だよ効率化」
相変わらずの会話。その後目にする光景に、ジャングルポケットとダンツフレームは目を見開く。
「は?」
「た、タキオンちゃん?」
なお、マンハッタンカフェは見慣れているのか気にも留めていない。むしろ高村の頭の上を陣取っているお友だちへと視線を向け、楽しそうな姿に笑みを零していた。
2人が目にした光景。それはアグネスタキオンにお弁当を食べさせる高村の姿である。
「ほら、タキオン。口を開けて」
「いやいやぁ、助かるねぇ」
「いい加減自分で食べたら? 僕なんかにされても嬉しくないでしょ」
「私は資料をまとめるのに忙しい。君が食べさせた方が合理的だ」
なんなら高村の膝に座って食べている。なんでそんなことまでやってんだレベルのことまでやっていた。
「いやぁ、相変わらずトレーナー君の作るお弁当は美味しいねぇ! 毎日でも食べられるねぇ!」
「ほぼ毎日食べてるでしょタキオン」
「休みの日も作りたまえ。寮に届けて私に食べさせたまえよ」
「フジキセキが許さないでしょそんなこと」
傍から見たら恋人のイチャつき。これで意識がどうのこうの言っていたのかと思わずにはいられないほどの距離感である。
ただ、どうしてだろうか。ジャングルポケットたちは疑念が拭えない。見た目は完全に恋人同士のイチャつきなのに、頭の中に浮かんだ言葉が離れない。
(ワガママな妹に付き合ってあげてる兄貴にしか見えねーな……)
(どう、見ても。恋人には見えない、どうしてでしょうか?)
(トレーナーさんの表情、なんも変わってない。もう無だよタキオンちゃん……)
要介護者。普段の態度と振る舞いのせいで、到底恋人には見えなかった。
膝に乗って食べさせてもらっている。だが食べさせているやつの表情はなんも変わっていない。アグネスタキオンを膝に乗せているというのに、ぴくりとも動いていないように見える。
3人は察した。
「これ、かなりキツくねーか? マジで薬に頼らないとダメじゃね?」
「……ここまで、酷いとは」
「うわぁ……」
アグネスタキオンの道のりは、とても険しく果てしないということを。
恋人よりも要介護者に見えてしまうタキオン。でも膝であーんしてもらってるのは普通にヤバい。