リコリス △ ハート^3   作:多聞町

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第12話 彼の本音、彼女の本音

 陽が落ちていく空は、深い群青に染まっていた。

 ひんやりとした夜気が頬を撫でる中、たきなは美由希の後ろを静かに歩いていく。

 

 士郎の墓所へ向かう道は、思ったよりも長く感じられた。否、それは道のせいではない。

 この先に彼がいる。そう思うだけで、たきなの胸は波立って仕方がなかった。

 

 ふと、前を歩く美由希の背に問いを投げかけた。

 

「美由希さんも……御神流の剣士なんですね」

 

 歩を緩めた美由希が、たきなの隣に並ぶ。

 

「うん。まあ、一応はね」

 

 どこか照れくさそうに微笑んだ後、静かに言葉を続けた。

 

「今、御神流の剣士は五人だけなんだ。師範の美沙斗母さん、師範代の恭ちゃん、もう少しで皆伝の私、それに修行中の子が二人……これだけ」

 

「五人……だけ……?」

 

 たきなは思わず驚きの声を漏らしていた。想像を遥かに超えていた。御神流──恭也さんが受け継ぐその流派は、もっと大勢の門弟を抱えているものと思っていた。

 

 たきなの驚きを見て取った美由希は、ふっと目を細めた。

 

「無理もないわ。──色々あったの」

 

 夜風が二人の髪をさらりと揺らした。美由希の声も、静かに揺れていた。

 

「元々は大勢いたんだけどね。私が四歳の頃……御神流の宗家が爆弾テロで潰滅したの」

 

 たきなの足が、自然と止まりかける。

 

「……爆弾、テロ……」

 

「御神本家の長女──私の伯母の結婚式当日だったって」

 

 群青の空の下で語られるその言葉は、たきなの胸に冷たい鉛のように沈んでいった。

 

「当時の当主だった私の実の父親をはじめ、出席していた親族も門弟も、関係者は……誰一人、助からなかった」

 

 無慈悲な言葉だった。

 凄惨な光景が、たきなの脳裏に浮かぶ。

 祝福されるはずの日が、一転して血塗られた悲劇に染まる光景が。

 

「……それじゃ、どうして美由希さんや恭也さんは……」

 

「偶然よ」

 

 美由希は小さく息を吐く。

 

「お父さん──士郎おじさんと恭ちゃんは、その頃宗家と少し距離を取って二人で修行の旅に出ていたの。叔父の一臣さんは任務中。私は急病で入院していたし、私の実母──美沙斗母さんはその付き添いで病院にいた。だから……あの日、生き残ったのは私達五人だけだったの」

 

 静かに語るその口調の裏に、計り知れない重みがあった。

 たきなは息を呑んだまま、美由希の横顔を見つめるしかできなかった。

 

(……たった、それだけの偶然で……)

 

 リコリスで生き残ってきた自分にとっても、死と隣り合わせの日々は決して他人事ではない。けれど、ここまで理不尽な暴力を前にして、何も言葉が浮かばなかった。

 

「それから……美沙斗母さんは、復讐のために姿を消した。私をお父さんに預けて」

 

 復讐。

 その言葉が、たきなの胸に鋭く突き刺さる。戦いに身を投じる覚悟──否、それ以上の、業に似た執念だ。

 

「今はね、色々あって恭ちゃんとも和解して、御神流の師範として戻ってきてくれてるけど……長い年月だった」

 

 淡々と話す美由希の声に、積み重ねられた年月の苦さが滲んでいた。

 

「……その頃、恭也さんは……?」

 

 たきなは、思わず尋ねていた。聞かずにはいられなかった。

 

「恭ちゃんは、本来なら幼稚園にでも行ってる頃合いだったんだけど、お父さんが恭ちゃんを連れて、修行という名の放浪をしてたからね。そこに私なんていう、お荷物も増えちゃって……」

 

 美由希は、少しだけ口を噤み、それでも静かに言葉を紡いだ。

 

「幼い私と恭ちゃんを抱えて、お父さんも本当に大変だったと思う。けど──その頃にお母さんと出会ったの」

 

 夜風がふたりの足元を撫でた。

 

「お父さんはお母さんに出会って、ようやく落ち着ける場所を得たの。そして、なのはが生まれて──ようやく、ほんの少しの穏やかな日々が始まったのよ」

 

 小さな幸せ。それは、必死に手繰り寄せた僅かな光だったのだろう。

 だが、たきなには──その光の儚さが痛いほどに感じられた。その後に続く悲劇を、知っているから。

 ──けれど、それを言葉にはしなかった。ただ静かに、美由希の語りを心に刻み込む。

 

 

 

 

「──でもね、たきなちゃん。それだけじゃ終わらなかったんだ」

 

 少しの沈黙の後、美由希が口を開く。

 たきなは緊張した面持ちで彼女の言葉を待つ。

 

「私が中学一年生で、恭ちゃんが中学三年生だった夏──」

 

 その声には、淡々としながらも深い哀しみが滲んでいた。

 

「残っていた御神流の生き残り……お父さんと一臣叔父さんも、テロで亡くなったの。って、これはたきなちゃんも知ってたか」

 

 たきなの胸が軋んだ。

 

「一般人を庇って亡くなった、って聞いたわ。お父さん達らしい最期だと思った」

 

 その言葉に、たきなは静かに息を呑む。

 ──“らしい”。そこに美由希がそれと知らずに含んでしまった意味を、たきなはすぐに察した。

 

 きっと恭也は、家族に真実を告げていないのだ。

 確かに、無差別テロの最中(さなか)、一般人を庇ったのは事実なのだろう。だが、その時受けた傷で実力を発揮できず、テロを起こした黒幕に殺害されたことを──

 

 美由希は続ける。

 

「そんなお父さんだから、ほとんど人の悪口は言わない人だったんだけど……たまに、ぽつりと愚痴ることがあったんだ」

 

 それは、ふいにこぼれた思い出のように語られた。

 

「恭ちゃんの実のお母さん──夏織さんのことだよ」

 

 たきなはわずかに身じろぎする。初めて聞く名だった。

 

「恭ちゃんが生まれて、ほんの数日でお父さんに押し付けて、失踪したんだって」

 

 短く、しかし重い告白だった。

 

「お父さんが愚痴るぐらいには、酷い人だったんだろうね……母親の愛情も知らずに、恭ちゃんは育ったの」

 

 たきなは言葉を失った。

 その場で膝をつきたくなるような感覚だった。

 

 ──恭也さんは、最初から何一つ与えられず、奪われ続けてきたのだ。

 

「お父さんが亡くなってからは……恭ちゃんが一人で御神流を支えてる。最近は、私もそこそこだと思うんだけど、まだ美由希は未熟者だから、って箱入り扱いなんだ」

 

 美由希は、ふと足を止める。

 目的地である墓所が、すぐそこにあった。

 

「本当に……強い人だよ、恭ちゃんは。けど、その分、たぶん今でも誰かに寄りかかるのが苦手なままだと思う」

 

 たきなは黙って頷いた。

 支えたい。

 ずっと、そう思っていた。

 けれど、その想いに伴う覚悟の重さもまた、痛いほど感じていた。

 

「だからね、たきなちゃん──もし、覚悟があるなら。恭ちゃんの隣に立ってあげて」

 

 たきなの胸の奥に、静かに響く言葉だった。

 

 小さく、けれど迷いなく頷くたきなに、美由希は微笑んだ。

 

「ここから先は……一人で、ね」

 

 促されるままに、たきなは一歩、また一歩と進み出す。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 静かな墓所に夜の気配が降り始めていた。高町家の墓石が、わずかな風に吹かれながら、凛と佇んでいる。

 

 墓前に立つ恭也。その背中は、たきなにとって今までで一番遠く見えた。

 

 それでも、たきなは一歩、そしてまた一歩と近づいていく。ずっと、会いたかったのだから。ようやく、この場所で再び顔を合わせることができた。

 

「……恭也さん」

 

 名を呼ぶ声は自然と震えていた。

 

 恭也が、ゆっくりと振り返る。驚きの色が一瞬だけ彼の眼に宿った。まさか、ここでたきなに会うとは思っていなかったのだろう。

 

「たきなちゃん……なぜここに?」

 

 恭也の低く優しい声。けれど、どこか戸惑いも滲むその声音に、たきなの胸は少し痛んだ。

 言葉を探すが、うまく出てこない。何を話せば良いのか。何から伝えれば良いのか。迷いが胸を支配する。

 

 けれど、その沈黙を破るように、たきなは絞り出した。

 

「……どうして、リコリコに来なくなったんですか?」

 

 その問いに、恭也はすぐには答えなかった。わずかに視線を墓石へ戻す。

 

「……母さんたちから、どれくらい俺のことを聞いた?」

 

 やわらかな問い返しだった。たきなは、小さく息を整えた。

 

 思い出すのは先程の道中──美由希が語ってくれた恭也の過去。

 

 生まれてすぐに母に捨てられ、父に育てられたこと。その父に修行の旅へと連れまわされ、御神宗家潰滅の余波として美由希、桃子と出会い、なのはが生まれ──そしてその父も叔父も、テロで命を落とした。いや、殺害されたのだが、恭也は、そんな重すぎる事実を家族に伝えてはいない。

 

「……おおよそは、聞きました」

 

 たきなはそう答えた。

 

 恭也は小さく苦笑する。

 

「そうか……。でも、リコリスは皆、孤児の出だと聞く。曲がりなりにも家族のいる俺よりも、君の方が、よほど大変だったんじゃないか?」

 

 その言葉に、たきなの胸が強く締めつけられる。

 

 ──違う。

 

 思わず強く首を横に振っていた。

 

「……私は、最初から何も持っていませんでした。与えられたのは任務と訓練だけ……。最初から、失うものなんてなかったんです」

 

 それでもたきなは、続けた。

 

「……でも、恭也さんは違うじゃありませんか。持っていたものを……家族を、大切な人達を、次々に奪われ続けてきたんです」

 

 恭也の目が、わずかに揺れた。

 

 けれど、彼はすぐに表情を整え、静かに口を開く。

 

「……父が亡くなってからは、政府から声がかかった。父の後釜として、御神流で実用に足る最後の一人として……対テロ任務に就くように、とね」

 

 その声には諦めの色が滲んでいた。

 

「請われるままに剣を振るった。それが俺に残された、御神の名を背負う唯一の道だったんだ」

 

 どれだけの重圧を、その若さで背負わされてきたのだろう。たきなは胸が苦しくなるのを感じる。

 

「……それで、父ぎみの仇を討つ機会を得て、私達に接触されたんですね?」

 

 たきなは恐る恐る確認するように言葉を重ねた。

 

 だが、恭也はゆっくりと首を横に振る。

 

「いや……復讐じゃない」

 

 低く、どこまでも静かな声だった。

 

「任務だからだ。ただ、今まで数えきれないほど人を殺してきたが……」

 

 わずかに息を吐き、彼は視線を墓石へと落とす。

 

「……シュピーゲルだけは、殺しても葛藤が生じることはなかった」

 

 ぞっとするほど淡々と語られるその言葉に、たきなの背筋に冷たいものが走る。

 

「守るため──そう自分に言い聞かせながら……俺は、血を流し続けてきた。正義でも復讐でもなく、ただ……言われるがままに、殺しを重ねたんだ」

 

 恭也の唇に、わずかな自嘲の色が滲む。

 

「そんな俺が……穏やかな日々を望んでいいわけがない。優しくしてくれる人に……相応しいはずもない」

 

 ──それは違います! 

 

 たきなの心が、悲鳴を上げていた。

 

 けれど、恭也はなおも続けた。

 

「血煙の中に身を置き、剣を振り続ける日々……。俺の手は、もう穢れすぎている」

 

 その言葉に、たきなは思わず唇を強く噛み締めた。

 この人は、どこまでも自分を貶め、背負い続けてきたのだ。

 誰も彼を責めていないのに。

 

 どうしてこの人は、いつもそうなんだろう。

 

 恭也の語った言葉が、胸の奥で静かに、けれど鋭く棘のように疼いていた。

 彼の思いこみ、それがどれほど身勝手な諦めか、この数日の間にたきなは痛いほど思い知った。

 

 誰よりも家族を大切にしているくせに、誰よりも自分を軽んじる。美由希が、なのはが、桃子が、どれほど心配していたか。皆、口には出さずとも、ずっと恭也の幸せを願っていた。なのに本人は、それにすら気づこうとしない。

 

 どこまでも愚かだ。どこまでも優しいふりをした、独りよがりだ。

 

 でも、彼のその考えを否定する言葉など、出てこなかった。

 たとえ、この場でそれを否定したところで、彼の『自らの手は既に穢れている』という根本の考え方が変わるとも思えない。

 

 ならば、誰かが彼を……

 

「……恭也さん」

 

 沈黙を破って、たきなは顔を上げた。夜風に前髪が揺れる。視線の先に立つ彼は、墓前に立ち尽くしたまま、ただ静かに彼女を見返していた。

 

「私……言います」

 

 唇が震えるのを必死に抑えながら、けれど声はしっかりと前を向いていた。

 

「今までの恭也さんを見て、恭也さんのご家族と話して、分かりました。あなたは、自分の手の届く範囲の人はすべて守ろうとしている。家族や無力な人たちだけじゃなくて、同じ御神の剣士であろうとも……あなたは、自分自身を蔑ろにしてまで守ろうとしてるんです」

 

 恭也は動かない。ただ、ほんのわずかに眉を動かした。

 

 たきなは、拳を強く握りしめた。

 

「それじゃ、恭也さん自身はどうなるんですか? 誰があなたを守るんですか? あなた自身の不幸は、周りにも不幸をまき散らすって、どうして分からないんですか……!」

 

 声が震えた。感情が、込み上げる。息が苦しい。けれど、止めたくはなかった。これだけは、どうしても伝えなければならなかった。

 

「確かに……あなたは、過酷な世界の住人かもしれません。だけど、私だってリコリスです。あなたに比べたら甘っちょろいのかもしれません。でも……地獄のような痛みも、流血も、絶望も……知ってます。あなたと同じ世界で、生きてきたつもりです……」

 

 胸に手を当てる。涙は、まだこぼれない。ただ、胸の奥から熱くこみ上げてくるものがあった。

 

「戦闘そのものでは……私の実力では、あなたの隣に並び立つことはできないかもしれません。それでも!」

 

 一歩、踏み出す。

 

 目の前の背中に向かって、まっすぐ声を投げかける。

 

「あなたが、自分自身を蔑ろにするというのなら──私が、あなたを守ります!」

 

 とうとう、涙がこぼれた。

 

「あなたの身体も、心も、私が守ってみせます! 私を……あなたの隣にいさせてください!」

 

 叫ぶように、でも、決して取り乱さないように。全身で、想いを伝える。

 

「好きです! 大好きです! 愛しています!」

 

 息が切れるほど叫んでいた。けれど、それでも足りないと感じるほどに、心が溢れていた。

 

「人を殺すことで、あなたの心が壊れそうになるのだというのなら──それも、私が守ります!」

 

 そして、最後に、決意を込めて言った。

 

「人を殺せという任務があるのなら、あなたの代わりに、私が殺します!」

 

 胸の奥から引き剥がすような言葉だった。リコリスとしての自分が、確かに存在することの証明だった。

 だからこそ、それすらも、彼を守るために差し出す。たとえそれが、どれほど苦しい選択であっても。

 

 すべてを吐き出した後、たきなはそっと顔を上げた。

 

 恭也は──静かにたきなを見つめていた。

 

 あの爆弾テロ犯を制圧したのを、たきなに見られたとき、彼が見せた表情を思い出す。ひた隠しにしていたものがばれてしまった、呆れとも、諦めともつかない表情。

 今の彼は、あのときと似ている──でも、そのときよりもずっと、優しく、温かい表情だった。

 

 恭也は、ふうっと息を吐き、それから──

 

「君って人は……」

 

 そう、たきなにも聞こえるように呟いた。

 

「まったく、困った人だ……」

 

 それは叱責ではなく、呆れでもない。

 ただ、微笑みながら、受け止めるような──そんな声音だった。

 

 涙がまた、頬を伝った。

 それでも、心はとても静かだった。

 

 

 

 

 二つの影は、ゆっくりと近づいていき──

 やがて、重なり合う。

 

 陽はすでにとっぷりと落ち、周囲は暗闇に満ちていた。

 代わりに、月光が優しく二人を包み込んでいた。

 

 

(第12話 了)





 と、いうことで本編終了。
 24時間後にエピローグを投稿して、そこで完 です。

 恭也の半生は原作準拠。本作の都合に合わせて時系列や因果関係がズレているところはありますがね。原作通り宗家潰滅もそうですが、士郎・一臣暗殺も「(ロン)」が背後にいる想定です。
 リコリスも孤児出身で、そもそも使い捨ての駒扱いですから、どっちがどっちというわけでも無いような気もしますが、たきな視点では恭也の方が酷い人生に見えるんでしょう。

 多分、たきなの最後のセリフが本作世界で恭也を捕まえられなかったとらハ勢との違いだったのでは、というところですかね。
 実はこの辺、例によってたきなが勝手に動いています。こちらの当初用意したプロットと比べると大分腑に落ちる展開になっているかと。
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