リコリス △ ハート^3   作:多聞町

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~エピローグ~ リコリコは今日も……

 リコリコの入り口をくぐった瞬間、ミズキのけたたましい声が厨房から飛んできた。

 

「ちょっと千束! それ私のマグカップ!」

 

「え~? 中に何も入ってなかったから、てっきり放置品かと」

 

「毎日使ってるの! 棚の左上、赤い花柄のやつ!」

 

「あ、それって私の好みと一緒だね♪」

 

「千束ォ……!」

 

 たきなは買い出しの荷物をカウンターに置くと、音も立てずに肩をすくめた。

 カウンター越しに、慌ててエプロンの紐を締めるミズキと、笑いながら受け流す千束のやりとりを横目に、クルミが小さく笑い、それに釣られて自分も微かに口元を緩める。

 

 ──平和、だ。

 

 こうして見ると、リコリコの日常は本当に戻ってきたのだと実感する。海鳴市へと、恭也を探しに行ったあの日から二か月。東京は変わらず喧噪に包まれ、DAの任務もそれなりに忙しい。それでも、この喫茶店だけは、穏やかに流れる時間の中にあった。

 

「たきな~、今日のランチはミズキさんの失敗作、オムライスのはずれ付きだって!」

 

「失敗するの前提にしないでくれる!?」

 

「ふふっ……」

 

 クルミの無遠慮な煽りにミズキが本気でムキになって怒鳴る。それを見てたきなは思わず笑ってしまった。おかげで、手元のコーヒー豆の袋を取り落としてしまう。でも、そんなことは今の彼女にとっては些細なことだった。

 

 ふと視線を店内の入り口側に移す。そこには、いつものカウンター席で、いつものように文庫本を読んでいる男の姿がある。高町恭也──彼は再び、週に一度はこうしてこの店に顔を出すようになっていた。

 

 もっとも、それが多いか少ないかは人によるかもしれない。だが、たきなにとっては、それで十分だった。

 

(……来てくれる。それだけで)

 

 心は、満たされていた。

 

 任務で各地を飛び回ることも多くなったらしい。が、リコリコへ顔を出すのと同様、週に一晩は意図的に時間を取って海鳴市の実家に帰っているとのことだった。家族、特に妹のなのはが寂しがっていたから……その話を聞いたとき、たきなは自然と頷いていた。

 

「うん、それがいいと思う」

 

 そう言ってしまった自分が、今は少しだけ誇らしかった。

 

 

 

 

「ほらたきな、また恭ちゃん見てた~。惚気?」

 

「見てません」

 

「え~ウソだぁ~。じゃあその顔の緩みはなに?」

 

「緩んでません」

 

「ミズキさ~ん、たきながまた固有結界に引きこもってます~!」

 

「引きこもってない」

 

 千束の茶々にも、今はもう慌てて返すこともない。心の中で一拍だけ落ち着いてから、平常の声で応じられる。

 

 かつては違った。彼の一挙一動が気になって、視線を逸らせなくて、どこか自信が持てなくて。自分なんかが、という想いを抱いていた。だけど今は違う。

 

 信じているから。

 

 ──彼は、自分を見てくれる。

 ──彼は、自分に背を預けてくれる。

 ──それに……

 

 そっと唇に人差し指を当ててみる。それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 

「……たきな、笑ってる」

 

 クルミの指摘に、はっと我に返る。無意識のうちに、口元が綻んでいたらしい。少し恥ずかしくなって視線を逸らした先に、ちょうど厨房のミカがいた。

 

「千束、たきな、そろそろランチメニュー出すよ。厨房戻ってくれるかな?」

 

「りょーかい、ミカさん! 今日はたきなの黒歴史オムライス~!」

 

「作るのはミズキさんです」

 

「えー、たきなの料理もチャレンジ精神あって面白いのに~」

 

「お客さんの命を張ってまで試さないでくれ!」

 

 厨房に向かいながらも、会話は止まらない。だがそのやりとりも、今ではたきなにとって大切な“居場所”の一部になっていた。

 

 銃を持つこと。戦うこと。命を守ること。──その全てが、いつもどこか冷たいものに感じていた頃と違って、今のたきなは温かい時間の中にいた。

 

 もちろん、DAの任務は今でも厳しい。昨日も千束と共にバディを組んで、都内某所で制圧任務にあたった。小規模な事件だったが、銃火器は実弾で、相手も本気だ。だからこそ、たきなは迷わず引き金を引いた。それでも、千束の言葉が、いや、彼女の生き方が、今では自分の中にも深く染み込んでいて。

 

 気づけば、急所を外していた。

 

(……不殺、か)

 

 それが正しいことなのか、たきなは今でも少し迷う。だが、千束を見ていると、きっとそれも一つの“強さ”だと信じられる。

 

 ただ、あの日、恭也に誓った言葉。

 

『人を殺せという任務があるのなら、あなたの代わりに、私が殺します』

 

 それも、守る決意は固い。

 

 ──彼を守るためなら……

 

 

 

 

「おーい、注文入ったよー! ミズキさん、ドリンク二つ!」

 

「了解、コーラとアイスティーね!」

 

「クルミ、伝票打っといて!」

 

「いぇーす。ついでにデザートも進めとくわ」

 

「たきな、ケチャップお願いね!」

 

「分かった」

 

 皆がいて、笑いがあって、喧騒があって、でもそれは戦場のそれとはまるで違っていて。

 そして、ほんの少しだけ視線を横に向けると、あの人がいる。

 

 たきなは、ごく自然な動作でオムライスに手を伸ばし、手元のケチャップで、躊躇いなくハートを描く。

 

「……できた」

 

「おー、またハートマーク? 恭ちゃん見てたらニヤけるね~?」

 

「……誰が言ったんですか、これが恭也さんへのだと」

 

「えー? 言ってないけどバレバレ~!」

 

「千束、厨房に立ち入り禁止処分にしますよ」

 

「ヒドいー!」

 

 そんなやりとりが、ずっと続けばいいと思った。

 

 何十年も先の未来に、思い返したとき──

 

 きっとたきなは、今日という日を『幸せだった』と胸を張って言える気がした。

 

「リコリコは今日も平常営業。よし、午後も頑張ろう」

 

 たきなは呟いた。誰に聞かせるでもなく、でも、誰かに届いてほしいような、そんな小さな声で。

 

 リコリコは今日も変わらない。笑って、騒いで、時に怒鳴って、それでも皆がここにいて、温かい空気に包まれて。

 

 だからきっと、明日もまた同じように。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

「……ふえぇ……わぁぁ……」

 

 喫茶リコリコに、赤ん坊の泣き声が響いた。小さくて高くて、場違いにも思えるその声は、不思議と空気を張り詰めさせるのではなく、むしろ柔らかく波紋のように広がっていく。

 

「え、赤ちゃん?」

 

 カウンター奥、ドア近くのテーブル席。ごく普通の若い夫婦が、どうやら赤ん坊を連れて昼下がりのティータイムを楽しんでいたらしい。抱っこされた赤ん坊が、急に泣き出してしまったようだ。

 旦那はまだ抱き方がぎこちなく、奥さんは慣れた手つきでそれを支えつつ、肩にタオルをかけていた。生後数ヶ月とおぼしき赤ん坊は、なかなか泣き止まず、小さな両腕をばたつかせていた。

 

「わあ~、かわいい赤ちゃんっ!」

 

 カウンターの奥から、千束がぴょんと跳ねるように出てきて、まっすぐ夫婦のもとに駆け寄る。慣れた様子で赤ん坊の顔を覗きこみ、「おーよしよし」と声をかけながら、夫婦と器用に交渉。旦那から赤ちゃんを受け取ると、身体を左右に小刻みに揺らしてあやしはじめた。

 

「赤ちゃんて、なんでこんなにかわいいのかなぁ……いいなぁ、赤ちゃん……」

 

 千束は笑いながらそう呟き、赤ん坊の小さな指をそっとつかむ。泣き声が次第に静かになっていくのを見て、夫婦は安堵の笑みを浮かべていた。

 

 赤ん坊は千束の腕の中でうとうとし始めたようだ。

 

 その様子を少し離れたテーブル席から見つめていたたきなは、膝の上で組んだ両手をぎゅっと握りしめたまま、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 

 

 

 

 恭也と再会したあの日。思いがけず海鳴市に泊まることとなった、その滞在は予想していたよりも、ずっと、心に温かかった。

 

「泊まっていきなさいな、遠慮はダメよ? お姉さん命令♪」

 

 そう言ってくれたのは桃子だった。包容力のかたまりのような笑顔に押し切られるようにして、たきなは二晩続けて高町家で過ごした。最初は、何を話せばいいのかもわからなかった。でも、桃子の笑顔、美由希の明るさ、なのはの無邪気な言葉たち。すべてが、どこか自分に欠けていた何かをやわらかく埋めていくようだった。

 

 桃子のつくる夕食は、どれもあたたかくて、やさしかった。美由希は「今度、時間があるときには道場で手合わせしよう」と言ってくれた。なのはは「お兄ちゃんの彼女さんになってくれたんでしょ? うちでいっぱい遊んでって!」と笑顔で腕を引っ張った。

 

 そして、翌日は高町家みんなで海鳴市を案内してくれた。小さな遊園地で観覧車に乗り、港でアイスを食べ、神社でおみくじを引いた。

 

 家族で囲む食卓。冗談を交わし合う会話。駅前の商店街での買い物。潮風の匂いと共に歩いた海沿いの道。

 

 そのすべてが、自分にとっての“初めて”だった。

 

 任務の先に、こんな光景があるなんて、今まで考えたこともなかった。命をかける意味。銃を握る意味。リコリスとして生きていくことの、その重さと理由。

 

 その全部が、たった三日の間に、輪郭を持って心の中に入りこんできた。

 

 きっと、自分はこの“ちいさな幸せ”を守りたかったのだ。誰かの笑顔、誰かの温もり──その全部が詰まった、ひとつの家族を。

 

 ──私は、このあたたかいものを守りたい。

 

 そう思った。強く、確かに。

 

 

 

 

 まぶたを開けて、再び千束と、その腕の中ですやすやと眠る赤ん坊を見る。そして、その視線は、自然と横のカウンター席へと流れる。そこには、珈琲カップを手に、文庫本を読んでいる恭也の姿。

 

 何気ない時間の中で、当たり前のようにそこにある存在。でも、その姿に視線を送るだけで、心がじんわりとあたたかくなる。

 

 その時、千束がふと顔を上げた。

 

「……ん? “た・か・ま・ち”たきなさ~ん?」

 

 満面の笑みと共に、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 

「旦那様に“に・い・づ・ま”の熱い視線を向けているのが、バレバレですよ~」

 

 唐突な言葉に、たきなは椅子から立ち上がりかけるほど肩を跳ねさせた。

 

 その刹那、カウンターの恭也が読んでいた本を伏せ、口元からコーヒーを思いきり噴き出した。

 

「ぶふっ! げほっ……けほっ……!」

 

 予想外の反応に、千束が目をぱちぱちさせる。

 

「うわ、ごめんごめん! ほんとに噎せちゃったよ!」

 

 それでもどこか嬉しそうに笑っている千束の頭に、たきなの手が振り下ろされた。

 

「わたしの名前はまだ井ノ上たきなです! そんな視線は向けていません!」

 

 ぽかりと叩かれて、千束はくすくす笑う。クルミは「お、お熱いことで」と肩をすくめ、奥のテーブルではミズキが「結婚式いつかしら」と日本酒の入ったグラスを片手に呟いていた。

 

 ミカはというと、厨房から顔を出して「高町くん、大丈夫かね?」と笑いながらハンカチを差し出し、恭也は軽く咳き込みつつも「……問題ないです」と低く返している。

 

「いやー、でも、そろそろウェディングドレスの試着はしといた方がいいよ? 式場はどこがいいかなー?」

 

「それ以上言ったら撃ちます」

 

 たきなの低い声に、千束が慌てて片手を上げる。

 

「はいはい、ごめんなさ~いっ!」

 

 そんなやりとりの最中にも、赤ん坊は千束の腕の中ですやすやと寝息を立てていた。

 

 リコリコの中に、やさしく静かな時間が流れる。いつもの、何気ない、でもかけがえのない午後。

 

 そんな空気を壊さないように、千束は誰にも聞こえないほどの小さな声で、しかし満足げな笑みを浮かべ、どこか誇らしそうに呟いた。

 

「でも……この人、“まだ”って言ってましたよ。そうなる気、満々だね」

 

 

 ──完。





 はい、ここまでお付き合い、ありがとうございました。

 なんとなく、たきなの恋愛面での攻略チャートを組んでみたのがきっかけで出来上がった本作。基本的にチャートに肉付けしただけで構成されています。余計なお遊び回一切無しで突っ走りました。

 次はオリジナル物かな~。雀の再開は腰据えてやらないといけないので、まだ暫く放置かと思います。

 では、機会があれば、またよろしくお願いいたします。
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