基本、不破流(御神裏流?)は無視。暗器とか使い出すと収拾がつきません。
──その正体を知ってからというもの、たきなは、喉の奥に小さな棘が刺さったままのような感覚を抱えていた。
「……って、聞いてる~? たきな~?」
千束の声が鼓膜を揺らす。ふいに現実に引き戻されて、たきなは手元のマグカップを見つめた。中身は冷めたカフェラテ。テーブル越しに座る千束の顔が、ほんの少しだけ膨れている。
「聞いてる。おかわり、でしょ?」
「……正解。でも、ほんとに聞いてた? さっきから三回目なんだけど?」
「二回目よ」
「三回目!」
軽妙なやり取りに、店の奥で皿を拭いていたミズキが含み笑いを漏らした。カウンターの端では、クルミがノートパソコンを叩いており、その視線はスクリーンから一度も離れない。
「また、たきな、ぼーっとしてた? 最近ちょっと多くない?」
「……そうかもしれない」
否定はしなかった。というより、できなかった。
──高町恭也。
大学生にして、御神流の剣士。
しかも政府直属の対テロ要員。
そのあまりに非日常的な肩書きを知って以来、彼の存在が、たきなの中で妙に重みを持ち始めていた。
これまでと何も変わらないはずなのに、変に意識してしまう自分が、正直、気に入らなかった。
「ま、たきなが考え込むのも無理ないよね~。あの恭ちゃんがさ、内調って! 正直、ウチらよりよっぽどバケモンじゃん、ねえミカ?」
「高町くんの件なら──」
ミズキの声に、カウンターからミカの穏やかな声が届く。まるでタイミングを計ったかのように、店内の空気が変わった。クルミの指も止まり、千束も背筋を正す。
「少し話があるんだ。みんな、奥のスペースへ」
──静かに、しかし確実に。
日常が、戦場の空気へと切り替わっていく。
「──拳銃の大量取り引きが、都内で行われるという情報を掴んだ」
リコリコ奥の応接室。長方形のテーブルを囲むように、五人が座る。
ミカの手元にはタブレット。地図が表示され、赤いピンがいくつか打たれている。
「明後日の夜、品川区の倉庫街。今回のターゲットは、関東で活動する裏武器商人のひとつ。警察にも内調にも相応のデータはあるが、現行犯逮捕のチャンスは、これが初めてだ」
「で、私たちは?」
千束が頬杖をつきながら尋ねる。
「作戦の実働は、三名。千束、たきな、そして──高町くんだ」
「え?」
たきなが思わず声を上げた。千束も、一瞬目を瞬かせたあと、冗談かと笑いかけ──そしてやめた。
「え、ほんとに? 恭ちゃんが一緒?」
「はいよ、ボクもびっくりした」
クルミが頷く。が、それ以上にたきなの胸には、ある種の疑念が渦巻いていた。
「……どうして、高町さんが?」
当然の疑問だった。
私たちはDAのリコリス。恭也は内調の協力者とはいえ、任務は別系統。
なぜ、このタイミングで共同作戦など……?
「今回は、テストケースだ」
ミカが答える。
「政府内でも、DAと内調の連携を模索する声がある。特にテロ関連の事案は、各省庁の垣根を越えるべきだという意見が強い」
「そのモデルケースってわけ?」
ミズキが口を挟んだ。やれやれといった表情だが、まんざらでもなさそうでもある。
「まあ……確かに、私らと恭ちゃんって、合わなそうで合いそうで合わなそうで──うん、ややこしいね」
「……高町さん、本人はどう思ってるんですか?」
たきなが問いかけると、応接室のドアがノックされ、本人が姿を見せた。
「──作戦内容は聞きました。協力する以上は、責任を持って動きます」
落ち着いた口調、背筋の通った立ち姿。
その一言に、部屋の空気が微かに引き締まった。
「不満があるなら、はっきり言ってもらって構わない」
たきなは黙っていた。口を開いたのは千束だった。
「……不満ってわけじゃないんだよね。でも、ちょっと意外っていうか、やりづらいっていうか」
「確かに……いつも黙ってコーヒー飲んでる人が、隣で一緒に戦うって言われても」
苦笑しながらミズキも言う。その場には、どこかしら緊張と戸惑いが混ざっていた。
だが、恭也はただ一言だけ答えた。
「……守るべき人がそこにいるなら、それで十分です」
その言葉に、誰も返せなかった。
ただ、たきなは──自分でも理由がわからないまま、ほんの少しだけ胸が熱くなるのを感じていた。
(なにそれ……ずるい……)
数分後。作戦概要のブリーフィングが終わり、各自が部屋を出ていく。
たきなは最後に残り、もう一度ミカに問いかけた。
「……高町さんは、どこまでのことができる人なんですか?」
ミカは小さく微笑んだ。
「それは、君たち自身が見ることになるさ。──高町くんの刃の本質をね」
その言葉の意味を、たきなが理解するのは、もう少し先のことになる──
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
海風に錆の臭いが混じる夜だった。
港湾倉庫街の一角、建材と資材の山に囲まれた薄暗い路地。その影に、三つの気配が潜む。
たきなは、愛用している拳銃の冷たい感触を手のひらに感じながら、息を潜めていた。制服の袖を風が揺らす。千束も、彼女と同じくリコリスの制服姿。
いつもなら任務前のこの時間に軽口を交わしている千束も、今日は珍しく沈黙を守っていた。
「……時間通りだね」
千束がポツリと呟く。たきなは頷くだけで応えた。
傍らに立つ恭也もまた、何も言わず、ただ前方の倉庫を見据えている。
ダークグレーの上着に身を包み、腰に帯びた二振りの小太刀。構えの気配すら見せないのに、隙がまるでない。
(本当に、彼が一緒に戦う……)
数日前、恭也の正体を知ったときの衝撃が、まだ心の奥に残っていた。
内調の対テロ要員。微かに聞いた覚えのある流派、御神流の剣士。
それが、リコリコで静かにコーヒーを飲んでいた“ただの常連”と同一人物だとは、未だに信じ切れていない。
だが今日は、ミカから明確な任務命令が下った。
港湾倉庫で行われる違法拳銃の密売取引現場を急襲、関係者を一網打尽にすること。そして今回は、政府直轄部隊との連携テストとして、恭也が実戦に加わるという。
任務の重さ、そして新たな協力者の存在に、たきなはいつになく緊張していた。
拳銃に弾を込め直す手に、力が入る。
「……そろそろ開始時間」
千束が軽く身を屈める。
倉庫のシャッターがギィ、と鈍く軋んだ音を立てて開き始めた。
作戦開始だ。
たきなは物陰から滑るように前に出て、即座に照準を構える。
千束は反対側から駆け、恭也も一歩後方から状況を見定めながら続く。
だが──開かれたシャッターの奥に並んでいたのは、想定していた拳銃などではなかった。
「っ……これ、違う」
たきなが呟いた。
コンテナの中に収められていたのは、明らかに軍用規格の装備だった。
アサルトライフル、携行ミサイル、弾薬箱。輸送用クレートには『7.62mm NATO』や『対人地雷』といった刻印が見える。
「情報が、誤ってた……?」
千束が眉をひそめ、銃を構え直す。
その瞬間、倉庫内から複数の武装兵が一斉に飛び出してきた。
彼らの装備もまた、民間のものではなかった。フルフェイスヘルメット、ボディアーマー、軍用ナイロンの戦闘服。
手にはM4カービン、P90、MP7といった、正規軍でも使用されるモデルのサブマシンガン。
それが一斉にこちらを向いた。
「ッ!」
たきなは反射的に発砲した。
9mmパラベラム弾が敵の右肩を撃ち抜き、武器を取り落とさせる。
千束も続けざまに横合いから飛び込み、特殊ゴム弾で敵兵の膝関節を打ち抜いて転倒させた。
即席の戦闘が、なし崩しに始まる。
恭也は、二人の動きに遅れることなく、一直線に倉庫の入り口へ向かった。
敵の一人がサブマシンガンを構えたが、恭也は一歩前へ踏み出し、小太刀の鞘で銃口を叩き落とし、そのまま柄で顎を打つ。
相手が昏倒するまで、一秒もかからなかった。
たきなは側面に回り、もう一人を狙撃。
実弾による急所を外した制圧射撃。肩、足、武器持ち手。
千束に影響を受けた非殺の意識が、無意識のうちに働いている。
(相手は明らかに軍人崩れか傭兵……こんな連中が、なぜ)
たきなが思考する間にも、周囲の敵の数は増えていく。
倉庫の裏手、側面通路、上階の足場──どこからともなく湧いて出てくるように、敵が押し寄せていた。
不意に、背後に人影の気配。
「……!」
たきなはとっさに身を捻って飛び退いた。
その一瞬遅れで、閃く刃が肩口を掠め──
スパッ、と鋭い音と共に、左腕に冷たい痛みが走った。
「くっ──」
左腕を押さえると、制服の袖が切り裂かれ、鮮血が染み出している。
反射的に後退しながら、敵の姿を視認。
重装備。ナイフ装備。フルフェイス。
そして──すでに、四方を囲まれていた。
逃げ道はない。
援護も届かない位置。
すぐにでも追撃が来る。
だが──今の自分は、左腕が使えない。
銃を握る右手に力を込めようとした瞬間。
前方の敵が、一斉に動きを見せた──
次の瞬間、視界の端、黒い影が宙を舞った。
打撃音。コンクリートの壁に肉が打ちつけられる鈍い衝突音が響く。たきなが思わず目を向けたその先──一人の敵が、まるで見えない力に弾かれたかのように吹き飛び、痙攣しながら崩れ落ちていた。
その時、空気が変わった。戦場に満ちる殺気が、その一角だけ異質な静けさを帯びる。
「たきなちゃん、大丈夫か?」
背後から届いた声。息が詰まりかけた胸が、一気に緩んでいくのが分かった。
その声の主──高町恭也が、たきなと敵との間に滑り込むように立ち塞がる。
その動きに、一切の無駄はなかった。
左手の小太刀を逆手に、右手の小太刀を順手に握る。自然な体捌きで彼女を庇い、視線を前方の敵に据えた。
たきなは一歩、彼の背後に下がる。その瞬間には、もう彼の気配が戦う者のものへと変わっていた。
囲む敵は四人。武装を見るに、いずれも接近戦を得意とする者ばかり。たきなが追い詰められていた理由が、すぐに理解できた。だが、それでも。
──恭也は、一歩も引かなかった。
敵が動く。全員が同時に飛びかかる。
だが──
視界が、変わった。
(──奥義 神速)
意識の内でその言葉を紡いだ刹那、彼の世界が変質する。
色が消えた。モノクロの世界。音が遠ざかり、重力さえ失われたような感覚。
すべてが遅い。敵の動きが、まるで水中を泳ぐように見えた。
一人目の腕が振り上げられるよりも速く、間合いを詰める。
二人目が背後に回る意図を抱くよりも先に、軸足を切る。
三人目の蹴りが放たれる瞬間には、もう視界の外にいた。
(──虎乱)
二本の刃が舞う。
踏み込みと同時、右手の刃が敵の手首を正確に叩き、武器を弾き飛ばす。左の刃が肩口を強かに打ち据え、肉体の力を奪う。反動のまま、背後から来た敵の膝に一撃。体勢を崩させ、返す右の斬撃で顎下を正確に突く。
視線を動かすことすらせず、四人全員の動きを見切り、捌く。
僅か数秒。すべてが終わっていた。
敵は地に伏し、呻きすら上げずに沈黙する。
視界が色を取り戻す。神速、終了。
だが、戦いは終わっていない。
新たな敵が現れる気配。恭也は奥義の使用無しで構えを取り直し、自然と次の戦闘に備える。
そんな彼の背を、たきなは見つめていた。
荒れる呼吸の中に、なぜか穏やかな安堵があった。血が巡る感覚に、安心という感情が紛れているのを、たきなは否応なく自覚する。
彼が来た。それだけで、自分はここまで冷静になれるのか。
不意に胸に湧いたその気持ちに、たきなは目を見開く。
(私……安堵してる……?)
状況は危険なまま。戦場に身を置く緊張は消えていない。
なのに、彼の声を聞いた瞬間に、胸の奥がふっと軽くなっていた。
それは、戦闘技術や経験とは別の、感情の話だった。
(なに……この感覚……)
言葉にはならない。理解もできない。
けれど、確かにそこにある自分の内側の揺らぎに、たきなは戸惑いを覚えながら、恭也の背中を見つめ続けていた。
崩れ落ちた男の脇を、恭也が無言で通り過ぎる。
薄明かりの下で倒れている敵たちを、たきなはゆっくりと見回した。呼吸はある。出血も、致命傷には見えない。
「……全員、生きてる……」
不自然なほどだった。あの斬撃の嵐の中で、誰一人として命を落としていない。いや、命どころか、後遺症を残しそうな致命打すら避けられている。
恭也の小太刀は、まるで紙一重で急所を外すように、正確無比にその動きを制圧していた。制圧──そう、殺すのではなく、“止める”ための刃。
(どうして……あんな戦い方ができるの……?)
敵を斬り伏せながら、確実に生かしている。
それも、無理やり手加減しているような“甘さ”ではない。
練度。経験。意図。その全てが、次元の違う領域で噛み合っていた。
あの戦い方が、彼にとって“普通”なのだとしたら──
「たきなーっ!!」
背後から声が飛んだ。間もなくして、赤い制服が目の前に飛び込んでくる。
「……千束」
駆け寄ってきたのは千束だった。戦闘終結を見て、すぐにこちらへ走ってきたのだろう。
「ケガ、大丈夫!? 腕、血が……!」
「掠り傷程度……だと思う。骨に異常はないし、筋も切れてない」
淡々と返したつもりだったが、千束の目は緩まなかった。
上着を脱ぐと、慣れた手つきで応急処置を始める。
「とりあえず止血だけでも。応急だけど、やらないよりマシでしょ」
「……ありがとう」
絆創膏の感触と、手際の良い包帯の締め付け。
その感触が、ようやく戦場の緊張を緩めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
──内調が用意した『クリーナー』に後を任せ、リコリコへと帰還したのは、それから二時間後のことだった。
店内に入ると、ミカが静かに頷き、いつものようにコーヒーを淹れてくれた。クルミは端末をいじりながらも、チラリとこちらを一瞥している。
照明の柔らかさが、さっきまでの戦場の記憶を一層浮き彫りにした。
(あれが……“本物の戦士”)
たきなの脳裏に、あの背中が焼き付いて離れない。
真正面から立ち向かい、誰も殺さず、すべてを制圧する圧倒的な実力。
どれだけ銃の扱いに長けていようと、目にも止まらぬ速度と剣技の前では無力だと思った。
(私たちリコリスは“兵士”……けど、あの人は“戦士”だ)
与えられた任務を遂行するために鍛えられた兵士と、己の信念と技によって戦場に立つ戦士。
似て非なる存在。
たきなは、今まさにその違いを、皮膚の下で理解し始めていた。
「たきなー。今日の恭ちゃん、どうだった?」
千束が、椅子に腰を下ろしながら軽く尋ねてきた。
たきなは少しだけ考えた後、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「……強いと思った。単純な腕力じゃない、もっと本質的な……」
「へぇ~、じゃあ私とどっちが?」
「千束のほうが陽で、恭也さんは陰……どちらも強い。比べられない」
「ふふん、そこをあえて比べてくれないあたり、誠実って感じ?」
軽口を交わしながら、たきなはふと視線をカウンターに向けた。
恭也はいつもの席に腰掛け、文庫本を手に取っていた。
ホットのブレンドに口をつけながら、静かにページを捲る姿は、さっきの剣士とはまるで別人だった。
(……あの人と一緒にいると、安心してしまう)
不意に、頬が熱を帯びる。
戦場であれだけの安心感を抱いたことなど、今までなかった。
──信頼。そう、信頼だ。
たきなの中に確かに芽生えつつある感覚。彼女は、その感覚にそう名付けようと思った。
──夜が明けきる少し前。
空にはまだ朝焼けの気配が届かず、街の灯りも鈍く沈んでいた。
リコリコの扉を開けると、外の空気はまだひんやりとしていた。
風の中に金属の匂いが微かに残っている。戦いの名残だ。
「たきなちゃん」
背後から呼ばれ、振り返る。
そこには、すでに外に出ていた恭也がいた。
肩に上着を羽織り、手には空になった紙コップ。
「傷の具合、大丈夫そうだね」
「ええ、千束が処置してくれました」
たきなは少しだけ間を置き、言葉を続ける。
「……戦い方、見てました。まるで舞うようで、でも無駄がなくて……それに、誰一人として殺してなかった」
「そういう技術を磨いてきたからね」
恭也は淡々と答える。
まるで、それが当然のように。
「……正直、驚きました。今までの私は、銃で仕留めることが当然だと思ってた。だけど、恭也さんの戦い方を見て……ただ“強い”だけじゃない、何か……」
「“守るための強さ”に見えたか?」
たきなは目を見開いた。
その言葉は腑に落ちた。まさにたきなの心の奥に芽生えかけたもの、その名前だった。
「……はい。そう思いました。きっと、それが“戦士”の強さなんだって」
恭也は笑わなかった。ただ静かに、うなずいた。
たきなはその背中を、もう一度だけ見つめた。
そして、自分の中で、そう名付けたはずの感覚を──
信頼という名前の感情を、ゆっくりと胸の奥にしまい込んだ。
夜明けの風が、そっと頬を撫でた。
(第3話 了)