リコリス △ ハート^3   作:多聞町

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 今回はフキによる、たきなへのダイレクトアタック(DA?)。
 いや、フキにはそんなつもりは毛頭ないのですが。作者によるイジメ案件です。



第8話 乙女の胸、軋む午後に

 六日前のあの戦いから、季節は少しだけ進んだ。

 

 昼下がりのリコリコは、蒸し暑い夏の外気と隔絶された静寂の中にあった。

 照明は少し落とされ、カウンターの奥からはアイスピックの音が時折響く。風鈴のように軽やかで、それがまた、店内の空気を一層ゆるめていた。

 

 数日前までの緊迫感は、もはやない。

 

 某国王女──通称“姫”の帰国は二日前。リコリス、そして内調が一丸となって護衛にあたった機密任務は、予定通り完了。

 現在、リコリスたちは通常任務へと戻されている。

 皆が羽を伸ばし、リコリコには珍しく、弛緩した時間が流れていた。

 

 ──ただ一人を除いては。

 

(……)

 

 たきなは、カウンター横の壁際席で黙然と冷めたカフェオレを見下ろしていた。指先に触れているはずのカップのぬるささえ、感覚に引っかからない。

 

 傍から見れば、ただ物思いにふけっているようにも映るかもしれない。だが、内心は波立っていた。

 むしろ今のほうが、任務の最中よりずっと、気持ちの収まりがつかなかった。

 

(あの時……あの一瞬、私が、動けていれば)

 

 まぶたの裏に焼きついて離れない。

 あの男──シュピーゲルとの交戦。目にも止まらぬ刃。千束を庇い、背を斬られたのは恭也だった。

 肩口の浅い傷──そう報告された。だが、リコリスであるたきなには分かる。あれは、“偶然浅かった”だけの傷だ。一歩間違えれば……

 

(……千束)

 

 たきなの眉根が、かすかに寄る。

 たしかに、悪いのは千束ではない。千束は、ただそこにいた。戦場で、共に任務に当たっていた。それだけ。

 でも、感情はそう簡単に整理できなかった。

 

 千束が狙われた。

 その千束を、恭也が守った。

 そして──私は、何もできなかった。

 

 それでも、

 

「……恭也さんが、斬られたのに……」

 

 直後にもかかわらず、彼の隣に自然に立っていた千束。

 千束を庇って、あの人が傷ついたのに。

 

 許せなかった。相手が千束であっても、許せなかった。

 

 そればかりではない。彼は、右膝に古傷を抱えて、それでも限界まで、戦っていた。

 

(私は……そんな恭也さんに、頼り切っていた……)

 

 任務中であっても、戦場のただなかであっても──彼の声を聞くだけで、彼の背中を目にしただけで、安堵していた。

 ──そんな自分が、誰より、許せなかった。

 

 

 

 

 恭也の傷が──あの日受けた傷も、古傷も──気になって、夜眠れなかった日が二日続いた。痛み止めは飲んでいるらしいが、恭也は詳しく語ろうとはしなかった。

 そんな中でも変わらずリコリコに姿を見せ、今もカウンターの席でブレンドコーヒーを手にしている。

 

「たきなちゃん」

 

「……っ」

 

 思考に沈んでいたたきなの肩が、ほんのわずか跳ねた。

 呼びかけたのは──その恭也だった。

 

「カップ、空だよ。おかわりいるかい?」

 

「……あ、いえ。大丈夫です」

 

 たきなは、反射的にカップを手に取った。わずかに残るカフェオレは、ぬるくなっていた。

 恭也の視線が優しく、それがまた苦しい。心配させてはいけないと思うのに、こういう時、どういう顔をすればいいのか分からない。

 

 恭也は、ふっと口角を緩めると「そっか」とだけ呟いて再び読書に戻った。

 

 穏やかな午後。

 なのに、胸の中ではずっと、さざ波が消えない。鼓膜の奥で、怒りとも悲しみともつかぬ音が鳴り続けている。

 感情の渦がまとまりきらず、重さに耐えかねていた。

 

(私が、もっと強ければ……)

 

 不意に。

 

「高町、いるか?」

 

 カラン、と控えめな音を立てて扉が開くと、ぶっきらぼうな声がかかる。

 

「おやぁ~? フキ、いらっしゃーい!」

 

 千束のうれしそうな声が上がる。春川フキが入ってきたのだ。そして、その赤い制服の肩越しから、少し遠慮がちに顔を覗かせたのはバディの乙女サクラ。

 

「こんにちは~……なんか、涼しいっすね、ここ……」

 

「それしか感想ないのかコラ」

 

 ぞろぞろと中に入ってきた二人に、ミズキが肩をすくめながら「いらっしゃい」と言いつつカウンターの奥へ戻ってゆく。

 一方、クルミの方はというと、こそこそと目立たぬように、身を縮こまらせていた。

 

「きょうは~、どう、したの?」

 

 千束がおどけて質問する。それに苦虫をかみつぶしたような表情で返すフキ。

 

「楠木司令の指示だよ。内調から“ベラシア”の最新情報、抜いて来いってさ。そうなると、まあ……」

 

 意味ありげに、恭也を見やる。

 

「高町に聞くのが、一番、手っ取り早いだろ?」

 

「おやおや、前回の任務で、恭ちゃんとそこまで仲良くなっちゃんたんだ。ふ~ん……ほ~……」

 

 背をかがめて、色々な方向からフキの顔をのぞき込む千束。にやにやと、二人の間を詮索する空気。

 

「いつものことながら、うるせーし、うぜぇな、こいつ……」

 

「いやぁ~、お二人、なんか以前からの知り合いらしいっすよ」

 

 メニューを眺めていたサクラから意外な発言が上がった。

 

「え? え? それどういうこと?」と、すかさずミズキが反応を示す。

 

 たきなも、耳がピクリと動いた。

 

「なんでも、以前にも任務を一緒にこなしたって……あ、これ、言っちゃダメでしたっけ!?」

 

「コイツは……!」

 

 フキのげんこつがサクラの頭に炸裂する。

 頭を押さえ、涙目になるサクラを捨て置き、恭也に向きなおる。

 

「で? どうなんだ」

 

「俺も、そこまで詳しくはないが……」

 

 

 

 

 そもそも、今回の一件、ベラシア国内の政治的対立と、日本とその敵対国家群との関係、それらが複雑──いや、比較的シンプルに結びついたものであった。

 ベラシア国内にあっては、王制派と反王制派の対立。王族とそのシンパで大臣級をすべて掌握し、実態的にほぼ専制君主制をとる王制派に対し、民主革命を標榜する反王制派。と、いっても、地下資源が豊富で経済的にも国民がかなり満足している状況に加え、“民主革命”の実態がかなり明らかになっている現代。国民の大多数は王制を歓迎しており、反王制派の支持は数パーセント、もしかすると1パーセントを切るかもしれない状況。

 そのような状況下での、テロによる乾坤一擲を、反王制派は狙ったのである。

 そして、そこに資金的に、人材的に、物資的に援助を加え、日本国内でのテロにつなげ、あわよくば日本に経済的、国際評価的ダメージを与えようとしたのが、敵対国家群。

 もちろん、そこには、両国家間の秘密協定締結を阻みたいとの意図もある。

 そういった構図だった。

 

 

 

 

「結論から言えば、ベラシア国内は王制派が圧倒的に優勢だ。“姫”が帰国したあと、反王制派は大国からも完全に切られた形になっている。あのレインボーブリッジの襲撃失敗が相当効いたようだな」

 

 恭也の言葉に、フキも静かにうなずく。

 

「トカゲの尻尾切りといったところか……向こうの情勢は落ち着いてきたということなんだな」

 

「元々、向こうは治安も相当いい。王族の警護隊も、こと国内に限れば、相当のものらしい。少なくとも、ベラシア国内にいる限り、“姫”の身の安全は万全だろう。むしろ、スパイ天国と言われる日本にいるよりも、よっぽどな」

 

「ふーん、そうか……」

 

「問題は、“シュピーゲル”だ。暗殺の契約は、切れてはいないだろう。“姫”は国外に出た時が危ない」

 

 その言葉に、店内に沈黙が落ちる。

 当面の危機は脱してはいるのだが、根本的な問題は片付いていないということだった。

 しかも、現状、内調もDAも手を出せる状況にない。

 フキたちはともかく、ある程度仲が良くなっていたリコリコのメンバーにとっては、もはや他人事ではなかった。

 

「ま、といっても、私たちにはどうしようもないしね~」

 

 ミズキがとりなすような発言をする。

 

「でもね~? なんかいい手、ない? クルミ~」

 

「わわわ、ボクはリコリコのPC担当、PC担当! 作戦はお前らで考えろよ……」

 

 千束の唐突な振りに慌てるクルミ。せっかく、できるだけ目立たないようにしてるのに──

 

「ま、分かったわ、高町、サンキューな。“姫”の動向がある程度わかっただけでも収穫だ。ホント、今回、DAは内調に振り回されているだけのようでな、楠木司令の機嫌がわるい、わるい……」

 

「フッ……」

 

 相変わらずぶっきらぼうではあったが、感謝と軽口が含まれる、その物言いに恭也も口元を緩めた。

 そして、そんな二人を茶化す千束。

 

「おっ……? これは思った以上に、仲良しさんだね~」

 

 

 

 

 たきなの胸がまたきしんだ。

 恭也が、フキにも穏やかに対応している。それが──苦しい。

 自分の知らない繋がり。自分の知らない表情。たきなは、飲み込めない感情をじっと噛みしめていた。

 

(……フキも、千束も……)

 

 恭也を前にして、あまりに自然に振る舞えるその姿が、ただただ憎らしかった。

 

 

 

 

「で? 以前にも任務を一緒にこなしたって~。やっぱり、そこで何かあったのかな~?」

 

「守秘義務があるに決まってんだろ!」

 

「フ、そうだな……」

 

「もう! 二人ともケチンボさんだね~。ちょっとぐらい、いいじゃない? 先っぽだけでも、ね」

 

「千束」

 

 二人の仲を詮索しようとする千束に、店の奥から姿を現したミカが、重々しく呼びかける。

 たちまち背筋をピンと伸ばし、顔を赤らめながら、体を強張らせるフキ。

 

「先生! お久しぶりです。お、お元気でしたか?」

 

「フキも情報収集、ご苦労さん。パフェでも一つ、どうだい?」

 

「い、いえ! 任務は完了しましたので、これで失礼します!」

 

「え……? この和栗モンブラン……」

 

 メニューを見ていたサクラが名残惜しげな声を上げかけたが、フキに「ダメだ、帰るぞ」と強引に連れ戻されていった。

 

 リコリコの扉が再び閉じる。

 その間中──たきなは、フキの背中から視線を逸らせなかった。

 

「……なぁに、さっきから難しい顔して」

 

「!」

 

 不意に、千束が横に座って声をかけてきた。

 

「暑さバテ? それとも、またミズキに変なモノ食べさせられた?」

 

「……別に、なんでもありません」

 

 睨むような声で返してしまったのは、衝動だった。

 

「あ、なんか怒られた? あはは、ごめんごめん♪」

 

 まるで気にしていない笑顔。

 その千束の向こうで──恭也が、そんな二人を静かに眺めていた。

 

 どこか、たきなの様子を気にしているような眼差しで。

 

(……恭也さん……)

 

 少しだけ、目が合った気がした。けれど──すぐに逸らしてしまう。視線を返せなかった。

 

「それにしても、平和だよね~」

 

 千束がコーヒーをすする。たきなは、空になった自分のカップを、手持ち無沙汰にもてあそぶだけだった。

 

 

 

 

 あの日以来、それまでの立場が入れ替わったかのように、恭也はチラチラとたきなの様子を窺っていた。

 

 以前、恭也をチラチラと見ていたのは、たきなの方だった。

 最初は、リコリスの本能として、自分を警戒していたのだろう。ただ、あまりに露骨だった。

 ゆえに、千束たちにからかわれ、意識の方向性が変わっていったのではないか。今となっては、そうとも考えられた。

 

 彼女の真っ直ぐな視線が気になりだしたのは、いつからだったか……

 

 そして、

 

「私が、恭也さんの隣にいたかったのに……」

 

 あの言葉だった。

 

 シュピーゲルとの二戦目。レインボーブリッジの橋上。繰り出す技のすべてをいなされ、自身は千束を庇い、傷を負った直後だった。

 たきなの、千束をなじるような発言の後のつぶやき。

 

 耳に残って、離れなかった。

 

「隣……か」

 

 彼女が言いたいことは透けて見える。

 それが、真実であるなら……

 

「俺の隣に立てる女性は、力量的に言って三人、といったところか?」

 

 叔母の美沙斗、義妹の美由希、そして……錦木千束。

 

 首を横に振る。そうじゃない──

 

 思えば、高校生時代にかかわった事件の数々、同世代の女性との絡みが多かったようにも思う。

 しかし、それらの(えにし)をすべて、断ち切ってきたのも自分。

 

 ──俺の手は、汚れているからな。

 

 もう一度、彼女を見やる。

 

 視線が合った? 

 

 すぐに彼女は目を逸らした。

 

 自らを恥じているかのような、その反応。

 

 恭也は、手元のコーヒーに視線を落とし、口をつける。

 彼自身も、どうすべきか、決めかねていた。

 

 

 

 

(恭ちゃんも、たきなのこと、気にしますかー)

 

 恭也が、ここ数日、たきなをチラチラと見ているのに気付いている千束。

 

(さすがに、ミズキさんやクルミ、それにたきな自身すら気付いてないっぽいけど……)

 

 たきなの時とは異なり、茶化す気にはなれなかった。

 彼の視線は明確に、たきなを気遣うもので──

 そして、明らかに慈しみを感じさせるものだったから。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 夏が終わろうとしている。

 

 もちろん、カレンダー上でのことだ。学生が、夏休みの宿題の残りを気にしだす頃合い。

 現実の東京の空気はまだ粘つくような熱を含んでいて、リコリコの冷房も、朝から遠慮なくガンガンと稼働していた。冷えたガラス越しに陽射しを眺めながら、たきなはカウンターの端でミルクの泡を無言で崩していた。

 

 蝉の声も、その主流はツクツクボウシやヒグラシに変わった。入道雲もだらしなく崩れている。

 

 空も、街も、どこか緩んでいるようだったが──。

 

「……姫様、来るんだ。今度は、調印式」

 

 千束のその一言で、カフェの空気は一気に引き締まった。

 

 カウンターの定位置、入り口に近い端の席に腰掛けていた男──高町恭也が、手元のモバイルPCを閉じる。ブレンドの香りが仄かに立った。

 

「明後日の午後、羽田着。迎えのルートと宿泊先は政府レベルで押さえられているが……」

 

「それにしても、前回から一月でしょ。やっぱり早くない?」

 

 ミズキのその反応に、ミカが答える。

 

「王族を交えての下交渉。最後の微調整だったようだ。どちらかというと、今回の調印式に向けての調整が主だったらしい」

 

「ふーん。そういうこと?」

 

「問題は……」

 

 恭也の言葉が再開する。

 

「“シュピーゲル”への暗殺依頼が、取り下げられた形跡がないことだ」

 

「シュピーゲル……っ」

 

 たきなの指が、空になったカップをつと引き寄せる。白磁の表面に、自分の力が強すぎて生じた音が鳴った。

 

 恭也は、それに目をやることはなかった。ただ、千束が一瞬だけ彼を見た。いつも通りの笑顔で。

 

「……前回やり合った、あいつね。私と恭ちゃんが組んでも押しきれなかったくらいの相手。あの、仮面の人」

 

 恭也は頷く。

 

「本来、奴を雇ったとみられる“ベラシア”の反王制派は、現在、壊滅状態らしい。成功報酬は期待薄だろう」

 

「それでも、やる……?」

 

「信用問題だからな。前金はそれなりに払われているだろうし……奴のプライドの問題もあるだろう」

 

「じゃ、可能性はかなり高いと」

 

「そういうことだ」

 

 “シュピーゲル”の襲撃の可能性が高い。それ即ち、“姫”の生命が危ないということ。

 

「今回、組織だった襲撃の事前情報は皆無だ。本来なら、内調や外務省だけで対応するべき案件かもしれないが……」

 

「水臭いなぁ……。一緒にやってきた仲間だろ、おい!」

 

 千束の、少しおどけたような、しかし、力強い言葉が恭也の言葉を打ち消す。

 

「じゃ、みんな、リコリコのフルメンバーで、今回も“姫”を守り切りましょう! エイ、エイ、オー!」

 

 千束の明るい檄が飛ぶ。つられて、皆が腕を振り上げる。

 

 その、やや無理やりに盛り上げた熱気が落ち着くと、再び恭也が口を開いた。

 

「奴は殺気を抑えて接近する技量も持つ。こっちが構えていても、気配を感じないことがある。……御神流の剣士を殺った実績もある。油断すれば即死する相手だ。前回も言ったが、基本、俺が対処するつもりだ」

 

 口調は淡々としていた。だが、たきなは気づいていた。

 

 その眼差しが、ほんのわずかに沈んでいる。

 

 ──奥義 “神速”を使った。だというのに、勝ちきれなかった。

 

 それはきっと、恭也の中では答えのない敗北感として残っている。普段ならば自分の弱さを口にもしない彼が、珍しくわずかに“負けた”という雰囲気を纏っていた。

 

 その姿に、胸がちりちりと焼けるようだった。

 

(わたしは……何も、できなかった)

 

 無力。そう言われたわけじゃない。けれど、心の奥で何度もそう突きつけられている気がした。

 

 あの時、千束が狙われて、彼が庇って……それで斬られた。

 

 応急処置のあとも、痛みを隠して笑う彼を見て、たきなはその夜も次の夜もずっと眠れなかった。

 

 なぜあの時、わたしは身体が動かなかった? 

 

 なぜ千束を羨んだ? 

 

 ……そんな自分に心のどこかで嫌悪すら抱いたのに、なぜ、それでもまだ、彼女に嫉妬している? 

 

 

 

 

「……そういえば、たきなちゃん」

 

 ふと、恭也がこちらを振り返る。たきなの背筋が、びくりと震えた。

 

「怪我の具合はどうだ? 腹部の打撲、内臓に大きなダメージが無くて良かったが」

 

「あ、えっと……っ、だ、大丈夫です」

 

 声が上ずった。目を逸らしてしまいそうになるのを、どうにか堪える。

 “シュピーゲル”との初邂逅。そこで受けた傷はもう、ほとんど癒えている。

 

(落ち着け、井ノ上たきな。こんなことで取り乱してどうする。恭也さんは何も……)

 

「……そうか。でも、無理はするなよ」

 

 不意に、優しい声が落ちてくる。千束の時とは違う、たきなだけに向けた声音。

 

 その瞬間。

 

 胸が、またしても軋んだ。けれど、今度は別の痛みだった。

 

(……好き)

 

 抑えきれない。認めてしまった。

 

 たきなは、彼の強さに惹かれた。優しさに救われた。背中に守られたあの夜から、どうしようもなく、彼を目で追っている。

 

 傷を負ってなお自分たちを庇って戦った姿が、脳裏から離れない。

 

 その手に触れたい。肩を並べて戦いたい。……力になりたい。

 

 今、強くそう願っていた。

 

「──んー、たきなってさ、なんか顔赤くない?」

 

 千束の一言が飛んでくる。

 

 しまった。反応を誤った。

 

「な、なんでもありません!」

 

「え~? 怪しいな~」

 

「千束ちゃん」

 

 ふと、恭也が横から静かに声をかけた。彼の目が千束を制するように見ている。

 

「彼女のペースを乱さないでやってほしい。たきなちゃんにも、たきなちゃんのペースってもんがある」

 

 恭也さんが、わたしを庇った? いや、違う。そんなつもりじゃなかったかもしれない。でも──。

 

「……はい」

 

 その一言だけで、また胸が痛んだ。

 

 好き。けれど、まだ近づけない。

 

 戦う相手は、敵じゃない。千束でも、フキでもない。……自分自身。

 

 たきなは、静かにカップを握り直した。カフェオレの温もりが、冷えかけた指先にじんわりと染み込んでいく。

 

 わたしは、もっと強くならなきゃいけない。

 

 技でも、気持ちでも、心でも。

 

 そうしなければ、彼の隣に立つ資格などないのだから。

 

 

(第8話 了)

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