【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる- 作:笹木ハルカ
「……ということで、まだ三割ぐらいの完成度ですけど、できたところまでいったん確認と認識合わせをお願いします」
気がついたら夜になっていた。正確にはリコッタに泣きつかれて気がついた。お手洗いにもまともに行かず、ご飯も食べずにぶっ続けで十時間ぐらい作業をしてしまっていたらしい。ヴィクトリアさんにしこたま怒られた。
だが、怒られた分だけの成果は出せたと思う。とりあえずまだ荒い青写真をだいたいA4サイズの紙に
それに魔導義肢がここでも脚を引っ張っていた。指先が器用でないので、羽根ペンの軸が上手く摘まめない。布を丸めて羽根ペンに巻き付けて軸を太くし無理矢理持ってなんとか書ける程度だった。もう少し綺麗な字を書きたい。明日からはリコッタのメイド隊から字の綺麗な人を借りられる予定なので、少しはマシな書類を渡せるだろう。
そんな後悔をしている僕だったが、書類を受け取ったポーレットさんは目を点にしていた。ポーレットさんもこの時間まで事務作業である。お互いお疲れ様だ。
「……あの、アオ? これ本当に一人でまとめたんですか?」
「はい。本当はもっといろんな方と折衝の上まとめるべきなのですが……ですから実態にそぐわない所も多々あると思います。すいません、大口叩いておいてこれしか仕上がりませんでした」
そう言うとポーレットさんはジャンさんを見上げた。
「あの、ジャンさん?」
「ほとんど私は口出しできず……念のため一通り目を通してレナ様にお出ししても支障がないと判断したのでお持ちしました」
「なる……ほど」
うなだれるポーレットさん。
「わかってたけど、わかってたけど……! 私って領主の才能ないんだなぁ……!」
「ポーレットさんっ!?」
「レナ様は十分領主を務めておいでです!」
泣き出しそうになるポーレットさんを慌てておだてるジャンさんと僕。
「これに関しては、アオさまが異常なだけかと」
身も蓋もない寸評が下されるが、それでポーレットさんが泣き止んでくれるならそれでいい。
「で、異常と言われたこの案なんですけど……」
サマリのタイトルは『オーストレス広域水利連絡会設置準備室の開設について』とした。
「とりあえず、僕の方で情報を整理しました。もし認識齟齬などありましたらご指摘ください。……オーストレス広域水利連絡会設置の目的は、当該河川流域における鉱業及び農業従事者間のコミュニケーション機会の確保並びに
僕は意識して口調を変える。ポーレットさんの顔がすっと真剣なものになった。目の端にまだ涙が残っているけれど、それでも、話をきいてくれようとしている。
地図や様々な書面を見てわかったのは、フィッツロイ男爵の領地はオーストレスのすぐ北側に位置し、おもに牧畜と農業を中心とした領地であることだった。そこはオーストレス川の上流部にあたる。
「もともとフィッツロイ男爵の領地だった山林部を切り取るような形で鉱山開発が進み、地下資源は公爵家によって男爵家からポーレット子爵家に移管されました。元々が痩せていて小麦の育たない土地であったにも関わらず、大部分の土地を鉱業用地として接収されたことで、フィッツロイ男爵の面子が潰れてしまったという経緯があると理解しています。ここまではあっていますか?」
頷いて答えが返ってきたことを確認して話を進める。
「だから、その巻き返しのためにオーストレス川の水を盾に、法外な額の資金の融通を迫っているのが現状とジャンさんから聞いています」
「水がなければ
当然、農業にも水は使うし、生活用水としても必要だ。ポーレット子爵直轄領は現代日本で言う『琵琶湖の水止めたろか』をやられているわけだ。水を止めてしまえば子爵直轄領のさらに下流の領地からも突き上げが入るから、十分な圧力として機能している。
……まあ、実際に止めて大変なことになるのはフィッツロイ男爵領ではあるのだが、領地を束ねる子爵としては『なら止めてみろ』とは到底言えない。
「ですので、相手の要求を呑みましょう。……ただし、その資金を出す先はオーストレス川の水利地域全域を管轄とする水利組合を設立させそこに資金を投下する。そうすることで第三者を当事者として引っ張り込もうというのが、この
前世の日本における水利組合の仕組みは、明治期には確立していた歴史あるシステムで土地の利用者が寄り合って地域を管理するものである。治水事業などの運用を考えれば、各領地を横断しての対策が必要だ。ポーレット子爵領はオーストレス川流域をほぼ全てカバーしているので、子爵領の旗本たるポーレット子爵が発起人となるのは理にかなっている……と思う。
こんなことなら、農林水産省に行った大学時代の同輩ともっと飲み会でもセットしとけば良かったと悔いが残る。治水は僕の専門外で技術的な部分はまだ白紙に近い。そういう人を交えてアクションを取れる体制を構築しないといけない。そのためにも、たくさんの人を巻き込んでおきたい。
ポーレットさんは、概略図を見て何かブツブツと呟いていたがかみ砕けたのか、僕に声をかけてくる。
「この……えっと、『オーストレス広域水利連絡会』は、貴族がコントロールするわけじゃないのね」
「はい。水利を利用する農家さんや牧場の皆さんが参加して、各領地ごとに、農業、畜産業、漁業、鉱業の代表者をそれぞれ選出、総代として参加してもらいます。ポーレットさんは子爵直轄領における鉱業部門の代表者として一票を持つことになりますので、発言権はありますが、それがストレートに通ることは無いと思いますし、苦しい立場に置かれることも多いと思います」
こういった場合、やり玉に挙げられやすいのは鉱業関連だ。
理由は単純。主に選鉱時に発生する排水は、重金属が混じっていたり、強い酸性を示したりするからだ。そんなものを川へ垂れ流しにしては、農林畜産業が大打撃を受けるだけでなく、地下水を飲み水として利用する下流の住民に健康被害が出る。
だからダムを造って有害物質を沈殿させ、さまざまな処理をしてから川に放流することとなる。このダムが
「理解に必要なのは、正確な情報と納得感です。だからこそ、意志決定のタイミングで市民を巻き込み、決定プロセスに関わった当事者として理解と責任を持たせます。もちろん、個人として負える責任には限界があるので組織化して管理します」
「他の男爵様の心証は良くないかもしれませんが……」
ポーレットさんの意見はもっともだ。
「そこは水利周りのインフラストラクチャーの管理コストを連絡会が負担することで押さえ込みます。あくまで連絡会は水利権の調整機能と、災害対策が基本となりますので、連絡会の会費以上の出費は無く、増収分はそのままそれぞれの財源として活用できます。領地にとっては収益が純増しますので、乗ってくるかと」
「となると、出資元はほぼほぼ鉱山を持つポーレット子爵領に依存しますね」
ジャンさんの呟きは、ポーレットさんに持ち込む前に僕にあった質問だ。ジャンさん、ここでその時のやりとりをもう一度やってほしいらしい。対等に扱ってほしいと発破をかけたのは僕だけど、こういう腹芸もさせるか。
まぁ、するけど。
「足りなければ商人ギルドなどから借り入れを行うこともできましょう。できれば発足時から商人は巻き込みたいところですがリスクヘッジ型の組織になるので、どこまで商機をみてくれるかは未知数です。将来的には連絡会の会員がそれぞれ相応に出資して管理する形に軟着陸させたいですが……規程にある程度遊びを持たせつつ。タイミングを見て改訂案を発議し、みんなで決めていきましょう。何事も公平に、クリーンに見せたいものです」
クリーンな鉱業というのは難しいですからね、というと、ポーレットさんがため息をついた。
「汚泥などは魔導術を使って浄化しているんですが……やっぱり農家さんは不安がりますからね」
「浄化率の数値化やプロセスの公開などはできますか?」
「もちろんできますけど……どこまで聞いてくれるか……」
聞くところによると、この汚泥の浄化というのはかなり高度な魔導らしく、ポーレットさんがここに嫁ぐきっかけも、この魔導が使えるからというのがあったらしい。
「となると、一番手っ取り早いのは、金銭での解決になるでしょうね。ポーレットさんには鉱山のオーナーとして『オーストレス広域水利連絡会』……もう長いんで『広水連』と呼びますけど、そこに参加してもらう。そして万が一の汚染事故発生時は『広水連』加盟者を対象に被害賠償を行うことと、賠償条件などはこの会議体で話し合うことを約束する……こうすればかなりの人数も集められるでしょうし、集めた結果として発言力が強まります。当然鉱業側も労働者の代表などを交えるべきです」
貴族制による統治が長いこの国で、民主主義運営は相当な困難があるかもしれない。でも、こういうところから始めても良いと思うのだ。
「鍵となるのは、領民に対してどこまで誠実に向き合うことができるかです。そして現状においてもっとも理性的かつ誠実に対応できるコミュニケーターはポーレットさんだと思います。だから、ポーレットさんはこれまで通り領民と話すだけで、自然に皆さん味方になってくれると思いますよ」
そう言うと、こくりと頷いてくれるポーレットさん。
「うん、なんだか、できそうな気がしてきました!」
「では、この方向で調整をかけましょう。奥に印刷機があったので、清書したものを転写します。それをもって立場を問わず直接会いに行くんです」
「あ……だから巡察にリコッタ様やアオも」
「はい。会話の切り出しにはぴったりですからね」
なんだかポーレットさんだけじゃなく、ジャンさんにも遠い目をされた気がしたが、今は気にしていられない。
最終的には貴族の手から放すとしても、導入を急ぐならトップダウンで話を持っていった方が手っ取り早い。わざわざ領主がさらに上の管理者である公爵家の人間を引き連れて直接出向くのだ。それだけの礼儀を尽くして対応しているという印象を与えたい。きっかけさえ掴んでしまえば、あとは実務レベルの話をするべく継続的に脚を運べば良い。住民交渉はどれだけ泥臭く足を運んだかがすべてだ。そのコネクションづくりだけでもリコッタに協力してもらえれば話が早い。
「それじゃあ、頑張りましょうか!」
「はい! ……でもアオはまず寝ること! いいですか?」
「……はい」
なんとかポンチ絵の清書ぐらいはしたかったが、今日は諦めることにした。
やっぱりこいつ騎士より官僚なんだよなぁ()
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