【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる- 作:笹木ハルカ
目の前で寝息を立てる二人の子ども。その頭をなでてから部屋を出る。そのままだと私まで寝落ちしそうだったからだ。
領地であるオーストレスに来てくれた初日以来一緒に寝てはくれなくなったけれど、寝顔は本当に六歳児そのものだった。
アオは腕がなく、痩せ細った体が痛々しい。それ以外はただの子ども。魔力がちょっと多いだけの、子ども。リコッタ様も、とても聡明で、大変だっただろう挨拶回りも泣き言一つ言わず笑顔で対応しきっていた。魔法の才能にあふれ、我慢強く、コツコツと頑張れる子どもだ。
二人とも、子どものはずなのだ。それなのに本当に六歳なのか疑ってしまうほどに大人びていて、こちらが心配になる。
「……こんな子達が、どうしてこんな運命を背負わなきゃいけないの?」
呟いて、後悔した。その運命を嘆いたところで何も変えられない。嘆くだけの人に、神様は微笑んでくれない。神頼み以前に、私にはやらなければならないことが山積みである。
「レナ様」
執務室に戻ろうとしたタイミングでジャンさんが声をかけてきた。
「どうしました?」
「ビオネッタさんより、連絡会規則案の素案を預かりました」
「ビオネッタさんというと……ヴィクトリアさんの部下の新大陸出身の方ですよね? あのちょっと色黒の……」
人なつっこい笑みを浮かべていた、リコッタ様のお付きの人を思い出す。合っていたようで、ジャンさんが頷いている。
「はい。アオ様から清書を頼まれたそうで」
「ありがとうございます。見ておきますね」
手元にきたのは連絡会規則案……晩ご飯も足早に切り上げてあの子が書き上げたものだ。中身を覗くとどこまでも理路整然としている。こういうときの文書はもっと格式高い言い回しで設立の意味を説くことが多いのだが、そんなものは皆無だ。
その代わり、より実務に近い内容がこれでもかと詰め込まれている。会議の招集方法、議決の方法、異議がある場合の申し立ての方法に、代表者の選出方法。別紙としてついているのは、議決に使う投票券の案や、集計方法の詳細、川の流量の推定方法と田畑の面積から算出した地区別取水量検討案まである。
フィッツロイ男爵領を含めた全ての領地を周りきったのは今日の夕方。帰りの馬車では長いこと黙り込んでいたアオがこの屋敷に戻ってきて出してきた資料がこれだ。確かに水量の分割案などはフィッツロイ男爵などとの会議で見覚えがある。おそらく議事録からこれを探し出し、再計算し、まとめ直したのだろう。
本当に、常軌を逸している。
「ねぇ、ジャンさん」
「はい」
こんなものが一朝一夕で出てくるはずがない。それこそ、私より長くこのオーストレスに住み、私が嫁ぐより前から旦那様に仕えていたジャンさんが出してこなかったのだ。オーストレスで政治的に最も秀でた男と言われているジャンさんですら、まとめられなかったのだ。
「あなたから、アオはどう見えますか?」
そう問わずにはいられない。ジャンさんはいつもの優しい笑みを消す。
「誤解を恐れずに言うならば……彼は『怪物』です。わたくしめが過去出会った人の中で、旦那様に並ぶ、いや、もしかしたらそれ以上のセンスを秘めています」
「……ジャンさんから見ても、そう見えますか? じゃあ……たぶん本当にそうなのでしょうね」
廊下の窓枠に背中を預ける。
「私もアオを利用しようとしています。あなたが子どもでいられる猶予を守るとか言っておいて……」
アオと約束したのに。アオには『僕を信じてくれたポーレットさんを信じる』とまで言われたのに。その約束で、オーストレスに来てくれたのに。
「……本当、最低です。トマス閣下も、フィッツロイ男爵も、私も」
「レナ様……」
バリナード城でガチガチになっている彼を初めて見た時に感じたのは、今にも壊れてしまいそうな危うさだった。あまりに大人びた、歪な子。バリナード公爵トマス閣下が彼の肩を叩いたとき、驚きつつも御礼を言っていた姿を見て、確信した。
あぁこの子は、六歳で自分を殺す術を知っているのだ。泣き叫んでも許される歳なのに、誰かのせいにしても良い歳なのに、この子はそれを捨ててしまった。
そんな彼を救いたいと思ってしまった。それはきっと私の幼少期を救う、醜い代償行為だ。彼を救おうとしておいて、本当に救われたいのは私だ。それをわかっていながら貴族としての責務だとか、大人だとか、そんな理由にすげ替えて彼に手を伸ばした。
その結果がどうだ。誰よりも重たい責務を彼に背負わせようとしている。私は彼になんと声をかければ良いのだろう。
怪物……アオを表すのに、これほど的確な言葉はあるまい。彼の政治センスは、ポーレット子爵領やバリナード公爵領はおろか、このヴェッテン王国を大きく越えている。
トマス閣下から聞いたのは、強力な魔法を使ったこと。彼の素性が不明なこと。そしてリコッタ公女が懐いてしまったこと。なにより、とんでもなく広い視野と高等教育を受けているに近しい言語能力を持つこと。
アオをオーストレスに送るのは、トマス閣下がフリーハンドを得るためだ。きっと今頃ファイフ公爵と協力し、アオの過去を徹底的に洗い直しているはずだ。一番あり得るのは『帝国が送り込んだ間諜である』というシナリオだった。魔法に姿を変えるものがあるとは聞いたこともないけれど、魔法の解析そのものがまだ新しい学問だ。存在しても不思議じゃない。
だから、魔導師としても知見がある私の元に送られた。
結果はすぐに出た。少なくとも私の結果は出ている。アオは嘘をついていない。ただの良い子だ。そもそも封魔結晶と融合したのは事故だ。その事故を見越してスパイを送り込むなんて無茶がある。
なのに彼の知識が、その結論の邪魔をする。
地域間の課題は貴族が解決するものという常識を疑い、領民を巻き込むという判断。徹底的に推敲し、たった一つの読み方しかできない文章を紡ぎ出す論理力。それを一枚の書類にまとめ、展開できる構成力。それらをフル活用して私が解決するべき課題をたった数日で前提条件から覆してしまった。……これが、文字を習ってからひと月だというのだ。
誰も思いつかなかったこの仕組みを、彼は一人で組み上げてしまう。彼は私が手を貸さなくても、きっと大成するだろう。今のままでも、公爵閣下のブレインとして活躍できるポテンシャルがある。それを証明してしまった。
それはきっと彼にとって不幸なことだ。誰かを信用することを覚えないまま大人になるのは、世界を狭めることだ。自分の物差しでしか物事を計れないのだから。
アオは、誰も信用していない。それはリコッタ様に対しても、私に対しても、おそらく彼自身に対してすらも、例外なくだ。
それでも彼は、私のことを
だから初めて会ったあの時に『僕を信じてくれたポーレットさんを信じる』と言ったのだ。それは自分すら信用できず、それでも誰かを信頼しようとしてあがいているからこそ出てくる言葉だ。孤独の中で溺れているアオの『助けて』という叫びだったに違いない。
どんな人生を送れば、こんなことになるのだろう。これまで彼はどれだけのことを諦め、どれだけの人に裏切られてきたのだろう。まだ六歳だ。友達との喧嘩と、仲直りの心配をして、晩ご飯を期待し、苦手な食材を前にだだをこねていればいい歳のはずだ。そんな彼が戦争を見据え、政治を見据えている。優秀かもしれないが、甘えることを覚えないまま大人になって、政治に関わるようになったら、きっと酷いことになる。そんな気がしてならなかった。
では、それ以外の道は? それも全て戦争につながってしまった。それを、大人が強いてしまった。
彼に融合した封魔結晶は、ポーレット子爵領から発掘された特級遺物だったと特定できた。見間違えるはずもない。出土時にその鑑定をしたのは私なのだ。まだ人間が生まれる前の時代……すなわち『神話の時代』の魔力が封ぜられた結晶。それが、融合してしまった。その魔力の気配は、彼の奥深くに巣喰ってしまった。
だから、リコッタ様を救ったという攻撃は、封魔結晶の導きのはずだ。そんな攻撃に耐えてしまったアオの魔導師適正は高く、トマス閣下は彼を手放さないだろう。
魔導師として戦場に赴くか、貴族として戦場に赴くか。それしかもう彼は許されない。
ならばせめて、子どもであるうちくらい、彼がちゃんと守られる環境を作らなければいけない。
そう思っているのにこの体たらくだ。守られてばかりで、守るなんてほど遠い。
旦那様を、セディを戦場に送り出したあの時から私はなに一つ成長できていないのだ。
「きっとレナ様がご自身を責めたところで、アオ様は笑ってくれませんよ」
そんなことを考えていたら、ジャンさんに窘められてしまった。
「そう、ですね。……手厳しいなぁ、ジャンさんは」
「悩める領主様を支えるのも、使用人の勤めですので」
いつも通りの笑みに戻っているジャンさん。月明かりが差し込んで、明るく照らしていた。
「でも、神様はなぜアオにこんな仕打ちをしたのでしょうね」
そんな問いを、きっとアオはよしとしないだろう。
「レナ様……」
「これじゃアオに怒られちゃいますね。……強くならなきゃ。私は、ポーレット家の当主なんだから」
「あまり無理をなさらないでください。今でも十分……」
十分?
「そうして、今度はアオを戦場へ送るのですか? セディのみならず、私を頼ってくれた子どもすら、私の代わりに死んでこいと送り出すのですか!?」
自分で自分の感情の堰を切ってしまう。ダメだ、泣くな。こんなことで。
「見送って、守られて、置いていかれて……もうこりごりなんです! だから! 私はちゃんと領主にならないといけない。ちゃんと守れるようにならなきゃいけないんです……!」
そうなれない自分が嫌い。煮え切らない対応になってしまう自分が嫌い。嫌われないかと顔色を窺う自分が大嫌い。
大旦那様が戦死し、すぐその後を追うように登城したセディも帰ってこなかった。その後の私は先人が残してくれた貯金を切り崩して領地を運営しているに過ぎない。封魔結晶のおかげでお金だけはバカみたいに舞い込むから破産していないだけだ。まともな領地経営にはほど遠い。
優しさは強さだとみんなに言って「もらった」。
レナは優しい子だと、女領主は優しいと言って「もらった」。
十分よくやっていると言って「もらった」。
私は、「言ってもらった」、「してもらった」ばかり。全部が全部誰かのおかげ。
「自分でもいやになる。アオが継いでくれたらと思ってしまう。この子がポーレット子爵になってくれればと思ってしまう。……本当に、子爵としてどころか、人として最低です」
涙が、後からあとから流れて止まらない。こんなにも、私は脆い。
最低な自分に気がついて、それがいやで、変わりたかった。だからアオに手を伸ばしたのに、彼に私を救って「もらおう」としている。
私は子どもの帰る場所一つ作れないくせに!
「……だからこそアオ様は、貴女を信じたのでしょうね」
ジャンさんはそう言って、私の頭に手を乗せる。
「アオ様も男ですから信じてくれている女性に、格好悪いところは見せられないのでしょう」
「……男だからって」
「男だからです。単純で、格好つけたがって、無理をして……それで痛い目を見ても、それを反省もせずむしろ誇って……愚かな生き物なのです。それでも、そんな愚か者が愚かでいられるのは、それでも誰かが見てくれていると信じているからでございます」
ジャンさんは私の頭をなでる。頭をなでられるなんて、いつぶりだろう。覚えていない。物心ついたときにはもう、誰も頭などなでてはくれなかった。
「わたくしがみるに、アオ様はレナ様に十分な信頼をおかれています。彼が無茶を通せるのは、レナ様がちゃんと最後の一線を守ってくれると信じているからです。……わかりにくい信頼の形です。見ている方は気を揉むばかりで、しんどいこともございましょう。ですがそれは、きっと彼なりの甘え方なのです」
私にはわからない。それでは、アオは一人、地獄への階段を降りてしまうではないか。
「旦那様……セドリック様も、相当な好き者で、相当な阿呆でございました。貴女の気を引こうと崖から飛び降り脚を折り、落盤事故から九死に一生を得た時の第一声が『晩飯はチーズリゾットがいい』とのたまう大馬鹿野郎でした」
「はい……」
「ですが、その大馬鹿野郎は、最高の男でありました。ポーレット家の使用人一同、誰一人として、一瞬たりとも疑うことの無い、最高の領主でありました。その彼が領地を任せるに足ると信じた夫人は、貴女だったのです。貴女しかいなかったのですよ、レナ様」
頭をなでられる。鼻を啜る音がいやに大きく響いてしまった。
「きちんと悩み、きちんと選ぶ。
「それに?」
わざとらしく間を取るジャンさん。
「貴女が本当に最低なら、とっくにこの屋敷はゴミに埋もれております」
酷いことを言う。確かに私は片付けが苦手で、使用人のみんながいなければゴミの処理すらまともにできないけれども。
「……本当に、手厳しいなぁ」
「悩める領主様を支えるのも、使用人の勤めですので」
さっきも、このやりとりをした。
「ですから、レナ様。アオ様を信じてお待ちください。待つのも、強さでございますよ」
「わかりました。もう少しだけ、待ってみようと思います」
「それがよろしいかと」
ジャンさんはそういっていつも通りの礼をしてくれる。見送られて、執務室に入った。
「信じてくれているの、かな……」
ねえ、アオ。
遠いいつかでいい。決して口に出してくれなくていい。それでもね、アオ。
今はダメダメで弱虫な私でも、並び立ち支え合える家族だと、いつか認めてくれますか。
†
「くそっ! あのガキ二人はなんなんだ!」
書類一枚。たかが、書類一枚である。
それで、あの弱虫な女子爵がこちらの手札を封じてしまった。あの不似合いに小洒落たオーストレスの街で見かけた時はこんなことおくびにも出さなかった。だというのに、あれからたった五日で公爵家の押印入りの公文書を持ち込み、新たな会議を設立するという。
水資源の公平な分配のためというお題目だが、あんなもの、このフィッツロイ男爵を押し込めるための方便に違いない。しかも政治なんて何一つ知らない領民に判断を預けるというのだ。領民にそんな学があるものか。政治とは貴族がするものだ。
「それをなぜ公爵閣下は理解されない! なぜあんな弱虫を重用する!?」
「旦那様、お身体に障りますよ」
「うるさいうるさいうるさいっ!」
そもそも前のポーレット子爵、あの弱虫の旦那も気に入らなかった。農奴を厚遇したところで収益が上がるものか。奴隷の子どもに文字を教えてなんになるというのだ。これを運べとか、あれを掘れとか、そんな命令を聞ければそれでよいではないか。教育の時間で荷車を引き、種を植えればよいのだ。労働力なのだから。
なぜそんな簡単なことを理解しない。なぜ道を踏み外しておいて平気な顔ができる。
そうなると、あの慇懃無礼なガキが何かを吹き込んだか。ジャンとかいう嫌みな使用人が女子爵をまともに前に出すとは思えない以上、初めて見るあのガキが怪しい。
民は貴族をうらやむ。あのガキが権力を持ったら酷いコトになろう。
「……そんな奴、いない方が公爵領のためじゃないか」
領主の仕事とは、地域を維持し、守ること。要は金と労働力だ。それを最大化するために不要な物を重んじるものなど、害悪ですらある。
「そうだ。奴らは害悪だ。貴族はこの国を守る義務を負う」
地下牢に向かう。まだアレは使えるはずだ。保険として冒険者もつけておこう。全滅したら全滅したとき、上手いことガキの首を跳ねられたら、それは子爵領での出来事だから、子爵の責任だ。
「害悪は排除しなければならない。それが貴族としての正義だ」
真っ暗な地下牢の扉を開け放つと、ひっ、と小さな声がした。それすら神経を逆なでする。
「仕事だ。……ガキを二人始末してもらう。なに、簡単な仕事だ」
秩序の維持こそ、貴族の誉れだ。
「世に平穏があらんことを」
だから、打てる手を打たねばならない。
さて、第一部大詰めです。気合い入れて参りましょう。
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