【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる- 作:笹木ハルカ
「今回の狙いは、都市部における衛生環境の改善及び雇用安定化に寄与しつつ、硝酸カリウムの安定供給を可能とすることにあります」
会議室に僕の声が響く。チャップマン宰相とファルマン市長の聞き方は真逆だ。ファルマン市長は資料をじっと見ているが、チャップマン宰相は僕をじっと見ている。
「硝酸カリウム……すなわち硝石は肥料の製造に欠かせませんが、それを鉱物の形で採取しようにも雨雪が十分に降る公爵領においては容易に溶解してしまうため、安定供給が難しい状況にあります。したがって、現状では高いコストを払って新大陸から輸入するしか方法はありません」
「農家は牛糞などを堆肥として使っているはずだが」
「それだけで安定した収量は稼げません。鶏糞などを併用して土地を肥やし、作物が使った栄養を適切に補てんしなければ、あっという間に土地は痩せ、効率は落ちます。それにわがフィッツロイ男爵領もそうですが、オーストレスは羊毛の産地で牛の堆肥を十分に確保できませんし、外から買い付けるなら、専用の馬車や特別な配慮が必要となります」
かといって、と前置きして話を続ける。
「人の生活圏ならどこでも手に入る人糞や屎尿であればいいかといえばそうではありません。疫病の蔓延につながりかねませんし、それを長距離に運び出すなど持ってのほか……。ですが硝石に加工してしまえば話はかわります。硝石そのものは無臭。保管にさえ気をつければ衛生的であり、地域間の輸送にも耐えます」
硝酸カリウムの製造は、時間と手間がかかるが、十分に現世と同じ手順で再現可能と思われる。木の葉や石灰、糞尿やゴミを土に混ぜ込み、大きな丘にして、そこに屎尿を定期的にかけてやる。雨に濡らすとだめだから、東屋を建てて風通しさえ確保し、これを五年から十年ほど根気強くそれを繰り返せば大量に硝酸カリウムが取得できる。これを『硝石丘法』という。
鉱山では火薬を使った発破作業を行っていたし、硝石は新大陸からの輸入品目に含まれて居ることは確認できた。そして歴史上、洞窟の床面などで硝石が発見された記述も本から発見した。
だから、いけると判断した。あとはこれが身を結ぶまでの数年と帝国との戦争のどちらが早いかのチキンレースだ。
「五年……五年か」
「時間がかかるので、始めるなら早いほうが良いです。水源から遠く荒れた土地で構いませんので、専用の土地を確保し、東屋を建て、屎尿運搬用の馬車や荷車を確保できればすぐにスタートできます」
「もっと早く手に入れられる方法は……」
「そこは、公爵閣下とファルマン市長のお力添えがあればある程度の数量は確保できます」
「どういう意味だね」
目を細める公爵閣下。ここは資料に載せてなかった。
「先ほどの条件の通り、土と屎尿があれば硝酸カリウムの素は生成されます。つまるところ、各建物の汚物層でも、微量ですが硝石を生じます。つまり、シェフィード市にあるすべてのトイレにそれだけの資源が眠っているのです」
「なるほど。それを採取させるのだな」
「はい。屎尿汲み取りを行うものに硝石採取人の役割を与え、建物に入ってよいという許諾を与えればよいのです。汚物層の土を削り取り、水に溶かしてから結晶化させることを何度か繰り返せばある程度の純度を保った硝石が手に入ります」
こっちは『古土法』と呼ばれる手法だ。日本では江戸時代からこれで硝石を産出していたと聞く。それを聞いてファルマン市長は唸る。
「……理屈はわかりました。土地もなんとかできましょう。お金については硝石そのものが莫大な金を生むでしょうから投資として目を瞑れます。ですが人はどうします? 糞尿を専門に扱う仕事に人など……」
「直近であれば、浮浪者に教育を施して従事して貰いましょう。特に子どもは小柄でこの仕事に向いています。小回りが利きますし、二人一組で作業させれば万が一にも酸欠で一人が気絶したときにも、上からロープで引き上げることも容易です」
「ううむ……浮浪者の子どもですか、それを家にあげなきゃならないとなると反感も大きそうですな」
チャップマン宰相のこれは批評に似せた援護射撃だ。今回のプレゼンは対ファルマン市長のものなのだろう。
「僭越ながら申し上げますと、チャップマン卿、おそらくこれで犯罪率はぐっと下がります。もちろん、安定した給金の支給があってこそですが。これは断言できます」
「なぜそこまで自信を持って言えるのです、エルジック卿」
「僕がそうだったからです。僕は公爵閣下に、そしてポーレット家に迎え入れられる前まではファイフ公爵領の領地で便所の汲み出しをしていた浮浪者だったからです」
ぎょっとするファルマン市長。その視線が公爵閣下に向く。
「彼の言っていることは本当だ。アオの生みの親は元商人でな、彼をかの有名なファイフの悪人街のゴミ箱に捨てている」
あれ、僕も知らない僕の情報が出てきたぞ。僕は商人の親に捨てられたらしい。まぁもうどうでもいいけれど。今さら会いたいとも思わないし。
「ともかくです、浮浪者の問題はおおよそ二点に集約されます。収入を得る機会の少なさと、健康のための知識の不足です。硝石生産工場の設置により雇用を生みます。屎尿を扱うことから、それらに汚染されにくいようにしっかりと教育を行うことで、労働者に衛生感覚を身につけさせます。これだけで大分違うでしょう」
「かなりコストがかさみそうですな……」
ファルマン市長の心配は当然だが、ポーレットさんとリコッタが同時にむっとした表情をした。ポーレットさんはともかく、リコッタはオーストレス式に毒されすぎてはいまいか。
「浮浪者層が自身で稼げるようになれば、犯罪率はぐっと下がります。警らや牢獄の負荷が下がれば、それだけでコストは回収できましょう……それに、先週物盗り騒動にリコッタ様が巻き込まれ掛けたことはご存じないのですか?」
そう言うと顔を青くするファルマン市長。この情報が公爵家サイドから飛び出すこと自体、ファルマン市長にとって悪夢だろう。
「聞くところによると『ブラックカランズ』という窃盗団に近いギャング集団が幅をきかせているようでした。子どもがギャングに所属せざるを得ない理由は、極度の貧困と、治安の悪化です。自らの身を守るために徒党を組み、身を寄せ合って犯罪行為に手を染める。少なくとも子ども達は、お金を自分で稼ぐ術を見つけさえすれば、ギャングは武闘路線を捨て、互助会のような形へ発展解消できるはずです」
実際はそこまで上手くはいかないだろう。それでも、被害は確実に減っていくはずだ。
「治安維持のコストを、衛生工場兼硝石工場でカバーする。硝石は現状、金を生む卵です。リスクは低いと考えます」
「……仕事が仕事だから、競合が生まれにくいし、現状の権益はほぼ侵さなくて済む」
チャップマン宰相が綺麗にまとめてくれた。
「はい。シェフィード市内の汲み取りは市民が日雇いで依頼している状況です。ある程度の監視とシステム作りは必要ですが、受け入れられやすいかと」
「具体策はあるかね」
「管理は煩雑ですが、免状は仲介する管理者ではなく、あくまで教育を受けた個人に交付するべきです。そして、その免状の所有者しか硝石工場には入れず、その実績をもって給金を支払う仕組みはいかがでしょう」
そう言うと、チャップマン宰相もファルマン市長も唸ってしまった。しばらく続いた重たい沈黙の間に吹き出すような公爵閣下の笑い声が響いた。
「どうだアーヴィング。私の義理の息子になるかもしれない子は」
「……正直、今すぐにでも配下に欲しいですな。六歳でこの精度。今から仕込めば相当化けますぞ」
「だっ……冗談はおやめくださいチャップマン卿! アオはオーストレスの子で、子爵位を継いでもらわないといけないんです。そう易々とお渡しするわけにはいきません」
ポーレットさん、さては「ダメですっ!」って言いかけたな。 チャップマン宰相は多分本気じゃないだろうに。
「セドリック殿とよく似ている。エルジック男爵の名を担うにふさわしい子だ。アオ君、もしオーストレスに飽きたら私の所に来なさい。その時は地誌局長でも農政部長、なんなら経済局長でも好きなポストを用意しようじゃないか」
「……まさに我が世の春ですね」
苦笑いでそう言うと肩をがしっと掴まれた。
「ですからっ!」
「はっはっは、レナ、そんなに膨れてくれるな。なにも君の息子を取ったりはしないとも」
公爵閣下が割り込んで、話を畳みに入った。第一ラウンドは終了といったところか。
「硝石の安定供給は急務だ。本件はチャップマン宰相の監督下、試験的にファルマン市長ほかシェフィード市の事業として実施することを命ずる。アーヴィング、治安改善などの効果が認められる場合、公爵領内における実施の可能性があることに留意し、推進せよ。また、エルジック男爵を本件特命の参事として認め、アーヴィングの一存にて招聘してよいものとする」
「御意」
「御意」
チャップマン宰相に続いて頭を下げる。
「ファルマン、一週間やる。硝石工場設置候補地の検討に入れ」
「一週間となると、水道長のケツを相当強く蹴り上げないとなりませんな。直ちに取りかかります」
そう言ってファルマン市長が中座。話は終わりかと思ったのに、なぜかチャップマン宰相が席を立たない。
「アオはポーレット家の子なんだからね。勝手に出て行ったらダメだからね!」
「……母上、公爵閣下の御前です。お控えください」
僕がため息交じりにそう言うと、笑みを浮かべていた公爵閣下がさっと手を上げ注目を集めた。
「……さて、アオ。もう一度聞く。……
「とと様……?」
あまりのテンションの落差に、リコッタが戸惑った声を上げる。第二ラウンドが当然のように始まる。わかっていた。僕の真意はここまでの会話に一切なく、それを見抜けないような御仁なら、公爵家の当主として振舞うことすらできまい。
「まさか、本当に農業と浮浪者の公共の福祉というだけではあるまい?」
「……目的はお伝えした通りです。遅かれ早かれ、ご提案するつもりでした」
「ヴィクトリアから報告は聞いている。先ほども名前を挙げていたブラックカランズというギャング団。リコと買い出しに出た日。その日のうちに接触をもったそうだな」
「はい」
リコッタの視線がものすごい勢いで公爵閣下から僕に向いた。こうなるからリコッタの同席無しで動きたかったのだが、公爵閣下が許した以上は、あとで怒られよう。
「……硝石工場の主目的は農業用肥料ではなく、領域内での火薬の生産か」
「はい。硝石の元がこんなにもたくさんあるのに、わざわざリスキーな新大陸の輸送に頼り切りとなるのはよろしくないのではと愚考いたしました」
帝国との戦争になれば、真っ先に海上輸送は遮断される。新大陸からの硝石は入手できなくなることを前提に戦時の兵站計画は練らなければならない。
「新大陸での小競り合いにかまけていられるならばそれでいいのです。ですが、王国の本土の最前線は
「……故に、備えるべきだと?」
「僕は戦場を知りません。ですが、戦争がコストパフォーマンスの悪い外交手段であることはわかります。大枚をはたいて育てた兵士、市民の血の滲む努力をもって生産された食料や武器、それらを消費して、残るのは血液で汚染された田畑と次の紛争の種です。まったくもって非効率的であり、帝国は我々公爵領をその非効率な戦場に縛り付けることによって。目的を達成しているとみて良い」
「目的とは?」
鋭く聞いてきたバリナード公爵。
「公爵領の金庫を締め上げ、王国軍を含めた兵の質を低下させることです。僕が帝国軍の将校ならそうします。だらだらと戦争を続けさせ、戦争に公爵領を貼り付けにする。帝国軍にとっては戦闘をする必要すらない。ただそこにいて、時々ちらりと顔をのぞかせればいい」
いつくるかわからない攻撃を待ち続ける防衛戦は苦痛だ。でも人は苦痛に慣れる。そして、慣れた結果、見逃す。
そうしないためには、それが挑発だとしても愚直に対応をするしかない。それが意味するのは、公爵領の方が疲弊速度が速くなるということだ。
「経済戦争になれば、公爵領単体では勝ちきれません。戦争で勝てたとしても経済で勝てません。持久戦に持ち込まれた段階で先に干からびるのは公爵領です。……そうなれば、滅びます」
「ほろぶ……公爵領が、ですか」
リコッタのぽつりとしたつぶやきが落ちる。
「滅ぶ方がマシでしょう。敗戦処理に失敗すれば、王国領と帝国の間の緩衝国としてすり潰されることになります。それだけは、なんとしても避けねばならないのです」
僕は公爵閣下の側に寄り、膝をついた。
「公爵閣下、お願いが二つございます」
「言ってみなさい」
「一つ目は、過去一〇年分ほどの対帝国の戦闘記録について閲覧を認めていただけないでしょうか。この目に収めるだけでかまいません。記録などの一切を持ち出しも、写しもしないことをお約束いたします」
「よろしい。許可する」
「閣下!」
止めたのはチャップマン宰相だ。
「戦闘記録は軍機に当たります。どれだけ優秀であってもまだ子どもですぞ!」
「構わん。……それで、戦争に勝つ可能性が上がるならば、それぐらい安いものだ。もう一つは?」
「はい。シェフィード市内における情報収集の許可をいただけないでしょうか。市内における物価や物流の情報などの項目を継続して記録、その値の変化から、敵の動きの輪郭だけでもあぶり出せないかと思っています」
「経済戦争対策か」
「この戦、情報の入手速度で負ければ、勝てません。そのための情報網を構築します。おそらく公爵閣下も独自に構築済だと推察しますが、複数のルートから情報の精査ができるに越したことはありません」
戦争は最前線だけで行われるものではない。生活する空間、時間と地続きで、グラデーションのようになめらかに遷移するものだ。
「アオ……これからの戦争を、君はどう見る」
「これからの戦争はますます高コスト化が進み、文字通り国力そのものを食い合う戦争、いわば『総力戦』に突入すると確信しています」
本来この技術レベルならば、未だ戦場は兵士と騎士のものであるはずだった。だが、封魔結晶と魔法という単騎で面制圧が可能な戦力が存在する。魔鳥という人を乗せて空を飛べる生き物が存在する。一つひとつの戦闘にかかるコスト、すなわち人死にを含めた損失はこれから加速度的に増していくだろう。
「そうなったとき現状の王国の体制では帝国に押し負ける。違いますか、閣下。閣下はその結論にとっくにたどり着いているはずです。だから、僕の書類を笑わなかった。だから、チャップマン卿とファルマン卿にこの資料を渡した」
公爵閣下がため息をついた。
「……良かろう。許可する。ただし、確実に機能させろ」
「そうあれとご命令ください。かくあれかしとご覧に入れましょう」
そう答えて、頭を垂れる。
おそらくこの日、聖星歴二三六年六月三〇日から――――――僕の戦争が、はじまったのだ。
おかしい……この話数のころにはとっくに学園に入学しているはずだったのに……!
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