【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる- 作:笹木ハルカ
「リコ様!」
傾いだ体を受け止め、そのまま地面に寝かす。姿勢の維持がおぼつかない相手を不安定な姿勢にするのは悪手だ。横向きに寝かせて気道確保。呼吸はあるが浅く早い。目はぼんやり開いていて、ぶつぶつと何かを呟いている。失神はしてない。意識はあると言っていいか。
「リコッタ様!」
飛んできたのはヴィクトリアさん。遅れてビオネッタさんとミネットもやってくる。リコッタが倒れたことで周囲がざわつき始める。
「ミネット。水か牛乳もってきて。あとあれば桶もお願い。胃の中身全部吐かせる」
「は、はいっ!」
「ビオネッタさんはリコッタ様の食事内容保全をお願いします。特に肉料理は厳重に確保願います」
「はいっす!」
「アーノルドも手伝ってくれ。シャルちゃん先生を連れてきて」
「バードン教官だな! すぐに呼んでくる!」
予防策をとりつつ、リコッタから目を離さない。指を彼女の口に突っ込み口の中を目視確認。吐瀉物などはまだない。食事中にしては唾液の分泌量が少ないか。
アーノルドがシャルちゃん先生を呼ぶ声がする。本当に毒物だけか予想がつかない。左目で魔力を見る限りでは、リコッタの魔力に変化がない。
「アオ様」
ヴィクトリアさんがリコッタを挟んで反対側に膝をついた。立て膝なのはおそらく周囲の警戒のためだろう。
「食中毒の疑いがあります。意識のあるうちに吐かせましょう。ヴィクトリアさん、脈の確認をお願いします。僕のこの手じゃ脈が取れない」
ヴィクトリアさんがリコッタの手首と首元に手を当てる。
「相当速いですね。手首でも十分取れるので血圧は大丈夫そうです」
「脈が落ちてないならなんとかなる、か」
前世での救急救命講習を思い出す。手首でとれるということは、少なくとも血圧も八〇以上はあるということだ。なんとかなる領域だと信じたい。
「マハマ、予備のテーブルクロスで僕たちをかくして」
「わかった」
他の給仕役の子たちにも協力してもらい、一般生徒からリコッタの体が見えないようにしてもらう。その間にミネットが桶と水差しを抱えて戻ってくる。
「リコッタ様、少し耐えてくださいよ」
片膝立ちして、僕の脚にリコッタの体をうつ伏せで預けさせる。ちょうど太ももに彼女のお腹が乗る形になる。ヴィクトリアさんにも彼女を支えてもらう。義肢の指をリコッタの喉に突っ込み、嘔吐反射で吐かせた。食事に毒が盛られたなら、吐き出させるのが一番だ。強力なアルカリや酸などの刺激物の場合は喉を焼き直すことになるから嘔吐させるのは禁忌だが、そんな強力なら口にしたときに気がつくはずだから可能性は低い。吐かせてこれ以上の毒の吸収を抑えたい。
「よし。口をゆすいで……もう一度いきますよ」
「リコッタさん! アオ君!」
息を堰切らしたシャルちゃん先生がやってくる。アーノルドは本当に急いで呼んでくれたんだろう。シャルちゃん先生が飛んできて、僕の隣に膝をつく。
「わたしは何をすればいい?」
「その前に教えてください。毒を呑まされたようですが他の可能性も疑ってます。幻影を見せるような魔法ってありますか?」
リコッタの処置を続けながら問いかける。答えは一瞬で返ってきた。
「あるにはあるけど、この様子なら違う」
「判断基準は?」
「魔法を使って精神干渉するなら、リコッタさんの魔力にも激烈な変調が出るからそれでわかるし、ピンポイントで狙えるような代物じゃないの。アオ君が影響受けてない時点で違うと思う」
「僕ごと既にやられてる可能性は?」
「多分私が近くに寄った時点で私が影響を受けるようになるから気がつけるし、私が最初から影響範囲内になるような大規模術式なら
なら誰かに呪われているとかそういうのは除外していいか。だとしたら毒物で確定だ。
「わかりました。先生を信じます。リコッタ様に治癒を掛けられますか。たぶんリコッタ様の喉を胃液で焼いているので、消化器系にダメージが酷いはずです」
「任せて! リコッタさんって魔力放出した後だよね?」
僕は把握できていないので、ヴィクトリアさんに視線を送る。
「はい。食事前に本日分の放出を終えております」
「わかりました。放出に使った封魔結晶ありますか?」
「それであれば……」
ヴィクトリアさんがリコッタの胸元のポケットから封魔結晶を取り出す。
「一度魔力を戻して免疫系をカバーします」
「お願いいたします」
「はい。リコッタさん。魔力入るから身体熱くなるからね。大丈夫だからねー」
声かけをしながらシャルちゃん先生が術式を発動させる。ここまでくれば、僕が処置としてできることはあまりない。ヴィクトリアさんがその様子を見てから立ち上がる。
「ビオネッタ、警備命令を下命します。現刻をもって黄号事案発生と認め、公女閣下を連れて離脱します。装備等級は甲号に準じ、離脱時の使用経路は八号。以上、警備命令を復唱しなさい」
「警備命令は黄号事案に伴い装備甲号で離脱、経路は八号。復唱おわり」
「確認しました。対処を開始しなさい。……アオ様。リコッタ様と一緒にバリナード城までお連れします。バードン殿もこちらの医官の合流までご協力を」
「わかりました」
「は、はいっ!」
僕を連れて行くと言うことは、状況の説明が必要ということだろう。ヴィクトリアさんがリコッタを抱きかかえて進みだす。横で魔法をかけ続けながらシャルちゃん先生が進む。クリストフ・ファルマンがどこかうろたえた様子で僕を見ているが、目を合わせないようにして背を向ける。
今は、耐えねばならない。証拠どころか、情報もないのだ。
「ミネットはビオネッタさんから証拠品の保全を引き継いでほしい。僕とリコッタ様の食事と、あと、毒味用の食事も含めて確保して。他には誰も触らせないでね」
「わかりました」
指示出しだけしてついていく。……確認しないといけないことが、たくさんある。
†
「おそらく命に別状はないでしょう。ただ……記憶の混濁や、運動機能に障害が残る可能性は捨てきれません。まずは毒が体から排出されるまでは様子を見るしかありません」
バリナード城では前に腕の措置をしてくれた御用医師がリコッタの治療にあたってくれていた。お城の廊下で待っていた僕たちに現状を教えてくれた。
すぐに吐かせて胃は空っぽなので、これ以上の毒の吸収はない。あとはメイド隊がつきっきりで毒の排出を促すとのこと。付いてきていたシャルちゃん先生と僕はほぼ同時にため息をついた。
「……いったんは、なんとかなりましたね」
「せん妄の症状はきつそうですか?」
「はい。ずっと想像の中のアオ様と会話を続けていらしゃいます。……おそらく明日の朝には毒もかなり排出されて軽快なさるかと存じますが、断定はできません」
その説明を聞いて考え込む。その仕草をどう捉えたのか、医師の男性が僕の肩に手を乗せた。
「バードン殿とアオ殿の初期処置は完璧でした。お二人がいなければ、きっともっと大変なことになっていた。バリナード家に仕える医師として、御礼申しあげます」
「……ですが、ソースが苦いといった時点で気がつくべきでした」
そう口にしたタイミングで、リコッタの部屋からバリナード公爵閣下が出てくる。シャルちゃん先生は慌てて胸に手を当てる敬礼をしている。僕も一歩遅れてそれに習った。
「閣下」
「……リコはずっとお前を呼んでいたぞ。私のことも見えてないようだった」
「食中毒によるせん妄の症状です。毒素が排出されれば、正気を取り戻してくれるはずです」
「行ってやらんのか?」
「いまの彼女に必要なのは僕ではなく、適切な医療措置です。水分を十分にとり、排泄を促す以上のことはできません。正気に戻ったとき、そこに僕がいることは彼女にとって酷でしょう」
公爵閣下はこめかみを揉んでいる。
「アオ」
「はい。閣下」
「……お前は毒物の出所や犯人に心当たりがあるな?」
隣にシャルちゃん先生という部外者がいるのにその話題を出したあたり、公爵閣下もそうとう参っているようだ。
「どうなんだ?」
「確証も証拠もありません。全ては仮定です。事実ではない以上申しあげられません」
「構わん。話せ」
「確約できないことを申しあげることはできません」
「命令だ。話せ!」
「話せません」
僕を睨んでくる公爵閣下。
「いま、閣下は冷静さを失っておられます」
「娘を攻撃されたんだぞ。冷静でいられるわけがあるか!?」
「はい。ですから、その状況の閣下に申しあげることができないのです。閣下の決断は公爵領を、このシェフィードの街を不可逆に変えてしまう。曖昧な情報で閣下を惑わすことは許されません」
「……それを決めるのはお前ではないぞ、エルジック卿」
「たとえ閣下がどう思われようとも、閣下をお支えし、公爵領の安寧を守ることこそわが職責であります」
おろおろしたシャルちゃん先生の尻尾が所在なく僕の横の位置で揺れている。しばらく睨み合いが続いたが、先に逸らしたのは公爵閣下だ。廊下の壁に体を預け直して、腕を組む。
「……まず、リコは何を口にした?」
「確認が必要ですが、肉料理にかかっていたベリーソースに毒物が入っていた可能性が高いです」
「毒……か」
「症状からして、トロパンアルカロイド中毒かと」
「トロパンアルカロイド?」
公爵閣下はちらりと医者に目を向けた。医者が頷いて口を開く。
「閣下はベラドンナという植物はご存じでしょうか? 『魔女の実』とも言います」
「いや……知らんが、それが使われたのか?」
「アオ様が伝えてくださった症状と、リコッタ閣下のご様子からして、間違い無いかと存じます」
アトロピンをはじめとしたトロパンアルカロイドは、副交感神経の活動を抑える効果がある。不整脈の治療にも用いられることもあるが、副作用として心拍数の増大や散瞳、顔の紅潮を引き起こす。過剰摂取すれば死に至ることもある物質だ。
「だとしたら、なぜ毒味をすり抜けた?」
そう、問題はそこだ。リコッタには毒味役がついていた。それも聖ディアナ騎士団、すなわちヴィクトリアさんの直轄で行われた以上、毒味は正確に実施されていたと見ていい。
「……可能性は二つかと。一つは量の問題です。リコッタ様はお身体も小さいので少量でも中毒症状が発生します。微量しか有毒物質が含まれなかった結果、成人が少量で毒味しても反応が出なかった一方で、リコッタ様では反応してしまった」
「……もう一つは?」
「毒味した時点では毒が入っていなかった。……毒味をした後に混入したか、もしくは毒味したものからすり替わった可能性です」
「そしてアオは、すり抜けた可能性を考えている」
「はい」
肯定で返す。
「そこまでわかっていて、何を戸惑っている」
「証拠がありません」
「だから、見逃せと?」
「いいえ」
シャルちゃん先生がどうすればいいかわからないと言った雰囲気で、僕と公爵閣下の間で視線を迷わせている。
ここで僕はきっと引き返すべきだ。僕はいま中立ではない。中立でなければ、正確な判断ができない。
「……この問題、僕に任せてはいただけないでしょうか」
きっとこの判断を、僕は後悔するのだろう。犯人を直接追い詰める行為は、その手続きの正当性を汚す行為に他ならない。……それでもここで退く判断はできなかった。
「何をする気だ?」
「相手を表舞台に引きずり出します。料理はポーレット家の使用人が保全していますし、相手は僕を既に知っている。動けばおそらく釣り出せます」
会話をする中で、大分公爵閣下も落ち着いてきた。
「……君にまた危ない橋を渡らせたと知られたら、今度こそリコッタに口をきかれなくなりそうだ」
「そんなことをリコ様が?」
「アオ様に変なことをさせたら嫌いになります、だそうだ。入学式の前のあの日に言われたよ」
僕はそれに笑ってみせるしかない。
「では、その時はどうか僕を恨んでください」
「口をきかれなくなるのは既定路線か」
「たぶん、気持ちの良い結末にはなりませんので」
「……わかった。できることは言ってくれ、公爵としても、親としても」
「親としてなんて、僕にはわかりませんよ」
そう言いつつ、一瞬だけ考える。
「では、公爵としての閣下に二つお願いが。この件に関しての情報収集を認める旨の一筆をいただきたいです」
「すぐ用意する。もう一つは?」
「一名で良いので護衛として聖ディアナ騎士団の人員をお借りしたく」
「護衛人の指定は? ヴィクトリア以外であれば誰でも良いが」
「では、リコッタ様付の警衛隊からビオネッタさんで。ビオネッタさんとは何度か組んでますので勝手が知れていますし、ある程度学院内を把握しています」
「わかった。つれて行け。ヴィクトリアには私が許可を出したと伝えておく」
「助かります」
「ただし、必ず尻尾を捉えろ。失敗は許さん」
「御意」
礼をすると、公爵閣下はどこかへ歩いて行く。
「……アオ君、どうする気なの?」
シャルちゃん先生が僕を心配そうに見ている。
「シャルちゃん先生。折り入ってお願いが」
「な……なに?」
「今から僕のほうで情報収集を開始しますが、相手は優秀です。おそらくまともな証拠は破棄済みで決定的な証拠なんて挙がらないでしょう」
「じゃあどうするの? そんな状況だってわかってるのになんで公爵閣下に大見得切ったの!?」
シャルちゃん先生の尻尾がピンと跳ねる。本当に優しい人なんだろう。
「言ったじゃないですか。
そう言ってシャルちゃん先生を見上げる。
「釣りだした後、相手はおそらく僕が犯人だと言ってくる。そうなれば、条件を満たすでしょう。……そうなれば、こっちのもんです」
「……まさかとは思うけど」
「はい」
せめて笑ってみせる。
「おそらく決闘裁判になります。先生には見届人をお願いします。……だめですか?」
現実世界のアトロピンは食後大体三〇分くらいで効くので、おそらくはいろいろ加工しているんでしょうね……。作中のような即効性はないのでそこはどうかご容赦を。
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次回 それでも僕が背負うもの