【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる-   作:笹木ハルカ

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今回は別視点です。


世界が壊れる音がした。

 どこで間違えたんだろう。思い返してもわからなかった。

 

 ちょうど初等部から中等部に上がったころ、公爵閣下に初めて直接のお目通りを許されたことは、いまも昨日のことのように思い出せる。

 

「やあ、クリストフ。ウィズから噂は聞いている。よく勉学に励んでいるようだな」

「はい! 公爵閣下!」

「よく励みなさい。お父上や君のような優秀な人材こそわが公爵領に必要だ」

 

 家族ぐるみのお付き合いということで、公爵閣下のご家族も揃っていた。リコッタ閣下に会ったのは、その時だ。

 

「ととしゃま?」

「リコ、ご挨拶をしなさい」

 

 まだ三歳になったばかりのリコッタ閣下が、公爵閣下のズボンの裾を握って俺を見上げていたのをよく覚えている。しゃがみ込んで視線を合わせる。

 

「……はじめまして、閣下。クリストフ・ファルマンと申します」

「リコッタ……」

 

 消え入るような声だったけれど、とてもかわいらしい子だった。おっかなびっくり差し出された手を取り、その手の甲に唇を寄せる。どこか恥ずかしげに頬を赤らめていたのが印象的だった。

 

「リコッタは公爵家にとっても希望の子だ。クリストフのような若い世代が、どうかリコッタを守ってやってくれ」

「はっ、公爵閣下」

「息子のクリストフとともに、シェフィード市を預かる者として御身に仕えることこそわが名誉でございます。閣下」

 

 父の声は俺の頭に朗々と響いた。

 

 そうか。きっと僕の命はこのために使われるのだ。それを自覚した。公爵閣下に、そしてリコッタ閣下に必要とされ続けなければならない。そのための力を欲した。

 

「ではクリストフ、お前にやってほしいことがある」

 

 断る理由はなかった。父の命令は絶対だったし、俺も父のように公爵閣下に仕える家臣としての一歩を踏み出せるのだからと頷いた。

 

「公爵閣下の耳目としてシェフィードのスラム街を統制する必要がある。どんな手段を使ってもいい。スラムの子どもたちをまとめ上げ、マーケットを掌握しろ」

「はい、父上」

 

 父は厳格な人だった。その父が()()()のがいつなのかは俺もわからない。それでも俺がまだ小さかった時はまだまともだったと思う。王の寵児(キングス・スカラ)として学校に入ったときはどうだっただろう。その頃から怪しかっただろうか。中等部に上がったころはどうだっただろう。

 

 わからない。わからないが、そのときから既に父の命令は絶対だった。

 

 どんな手段を使ってもいいから、スラム街を統制する。それが俺に課された試練であり、父の右腕となれるかどうかの選抜試験だった。

 手っ取り早く統制するなら、勢力図を書き換えるような劇薬が必要だ。選んだのはギャング団を解体し、一つに再統合すること。そうして、一大ギャング組織を一気に構築した。反対する既存組織は適当な理由を付けて父が身ぐるみを剥がし、無防備になったところを俺の手下が襲撃した。

 

 路地裏では強いことが唯一の正義だ。強くなれば正義が手に入った。

 

 名前もなかった組織に『クロスグリ(ブラックカランズ)』と名付けたのはこのころだ。夜目が利くようになると言われ、眼の治療薬として昔から使われてきた果物のカシス。それから名前をもらい、名乗り始めた。手入れを丁寧にしなければ傷んでどうしようもなくなるのもぴったりだった。

 

 正義と大義名分はさらなる富と力を引き寄せる。一つの弱小組織をつぶしてからあっという間に金がすり寄ってくるようになった。吐瀉物と死臭、疫病と荒廃。それらを一箇所にまとめ、隔離し、封じ込める。それだけで金がバカみたいに入ってくる。

 

 ブラックカランズは市長の意向を聞いて動くが、市の会計には表れない。都合の良い財布と家臣を手に入れたことになる。父のお眼鏡にかなった『ブラックカランズ』は、自主財源を確保したことで、ダーティーワークを薄く広く担うようになった。

 

 全てが必然であり、上手くいっていた。

 

 歯車がずれはじめたのはこの頃かもしれない。

 

 軌道に乗り始めた時、父が僕に引き合わせたのは痩せぎすの気の弱そうな男だった。フォルマル商会の会長と名乗っていた男は優秀な物流網を独自に持っていた。新大陸までも視野に入れた物流網と医薬品という価値のある商品。それらは開封すれば価値が落ちるから、各領地の検問もチェックなしで通過できた。

 

「父上、フォルマル商会をどうするつもりですか? 個人としてかなりの出資をなさっているようですが」

「彼らの輸送網は戦乱になっても有用だからな、保険としてほしい」

「保険……ですか」

「大麻を中心とした医薬品の山は金のなる木だ。万が一の時に身売りするとしても、金は多いに越したことはない」

 

 この頃から明確に父は壊れはじめていたんだと思う。だが、意見できる立場になかった俺に何ができた?

 

「必要なのは力です。公爵閣下はいささか野心に欠けますぞ!」

「なぜ攻めないのです!? これほどまでに民衆は戦を望んでおります! 決着を! 勝利を望んでいるのです!」

「王国こそ、公爵領を顧みてなどいないではありませんか! その消極的な姿勢こそが、泥沼を招いていることをなぜ理解されない!」

 

 父が主戦派の急先鋒として一気に傾き始めたことと、冒険者ギルドや商人ギルドを通じて封魔結晶などを手に入れていたことを知ったのはほぼ同時だった。フォルマル商会からのキックバックがその予算になっていたことも。そしてブラックカランズが稼ぎ出した成果もそれに組み込まれた。

 

「父上」

「どうした」

 

 その頃に父はもう俺を振り返りもしなくなった。

 

「最終年度も主席となりました」

「そうか」

 

 会話はそこで途絶える。俺には聞くべきことがあった。

 

「……なぜ、父上はフォルマル商会を切り捨てたのですか」

「不満か?」

「裏方として警備させるために冒険者ギルドに情報を売らせたと聞いておりました。ですが、実際は公爵閣下が被害に遭われ、リコッタ閣下が攫われかけました」

「なんだ、そんなことか」

 

 父上は机に向かったまま鼻で笑う。

 

「安心したまえ、お前がお熱のリコッタ閣下を殺しはしない。なんならお前が一番旦那に近い位置にいるんだぞ」

「……どういう意味です?」

「戦線維持で手一杯の今の公爵家はどちらにしろ斜陽だ。あの弱腰では我々は戦えない。だから我々が、リコッタ閣下を導いてやるのだ」

「……まさか、大公としてリコッタ閣下を擁立する気ですか!?」

 

 大公擁立……それは王国からの離脱を意味し、帝国と王国の両方で戦端を開くことを意味する。

 

「ブラックカランズに試させた大麻の流通、素晴らしい効果があった。あれだけの効果があれば誰もがそれに大金を積むだろう。それを手に入れたフォルマル商会の流通網を使って王国に広く浅くばら撒く。帝国もこちらが独立したと知れば引き入れようと貿易路を開くだろう。そうなれば同じように大麻をそちらに送れるようになる」

 

 いいたい事はわかる。そうしてシェフィード市から流れる大麻で大国を染め上げ、その商流で莫大な富を築きつつ、脅しをかけていくつもりだ。薬の流通が止まれば治安は一気に悪化するだろう。それを上手く使うつもりだ。

 

「……父上ならできるのかもしれませんが、僕は不安です」

「安心したまえ、冒険者ギルドも商人ギルドもこちら側だ。新大陸では幅をきかせている冒険者ギルドは新大陸からの逆上陸のため、この大陸に橋頭堡を欲している。新大陸の生産力が味方に着く以上、持久戦でも勝てるようになる」

 

 そうして、初めて振り返る父の顔は、どこかおぞましく見えた。

 

「そうなればその伴侶の座はお前のものだ。私が娶るにはいささか幼すぎるからな。初代大公がリコッタなら、次代はその息子かお前だ」

 

 あの時の父親はもうとっくに死んでいたのだろう。父の中にいたはずの、息子としての俺も。

 

「……ありがとうございます」

 

 父の奴隷でしかない俺に何ができる? 薄汚れた路地裏しか僕の資本はなく、そのルートは全て父が握っている。そんな状況で一体何ができるというんだ。

 

 きっと父は僕を奴隷にしたように、リコッタ閣下を奴隷にする気だ。それは、あまりに可愛そうだ。

 

 だから、せめてリコッタ閣下には自由を残せるよう、全てを覆い隠すと決めた。

 

 その、はずだったのだ。

 

「よぅ、ミスター」

 

 暗闇から声を掛けられてハッとする。いつの間にか夜明けが近くなっていた。

 

「……なんだ」

「アンタがリコッタ閣下を殺そうとしたって?」

 

 ひひひ、と下卑な笑いとともにそんな声を掛けられる。

 

「俺じゃないさ」

「でもそういう噂がブラックカランズの中で回ってる。おかげでみんな店じまいを始めた。聖ディアナ騎士団が突っ込んでくるってさ。実際何人か新大陸のメイドにぶん投げられてる」

 

 クソ、という悪態が出る。アオ・ポーレットの攻撃だ。逃げろと言ったのはこういうことだったようだ。

 

「お前はどうする。俺を殺して首をどこかに差し出すか?」

「もうそれでどうにかなる状況じゃないぜミスター。ブラックカランズは()()()だ」

「終わりだと?」

「スラム最強のブラックカランズ、だけど正規の騎士団を投入されて勝てる訳がない。それでもアンタが『スゲえ』って言われたのはそいつらと戦わないで俺たちを食わせてくれたからだ。……そのアンタが騎士団をスラムに招いちまった。もうおしまいさ」

 

 ぬらりと暗闇から醜い子どもが出てくる。

 

「裏切り者のミスター・ブラックカランズ。俺たちは日陰でしか生きていけないモグラだ。太陽で焼かれたら干からびて死ぬしかない。どうして俺たちを裏切った」

「裏切ってなど」

「裏切ったさ!」

 

 子どもの声が路地裏で乱反射する。

 

「おしまいだ! 全部おしまいだ! お前は力に喧嘩を売った! ここは更地になる!」

「そんなことなどさせるか!」

「切り捨てられたお前を! 誰が信じるもんか!」

 

 飛びかかってくる影を前にして、腰に下げていた刀に手を掛ける。ほとんど反射、死にたくないという一心だった。相手の首元にその剣を突き立て、振る。この鉄のにおいも、嗅ぎ慣れてしまった。

 

「裏切ってなんかない! 裏切ってなんか無いんだ!」

 

 喉元から泡を吹くその子どもを見下ろして、叫ぶ。

 

 こんなクソみたいな場所に光を無理矢理差し込ませたのは奴だ。強烈な閃光で影すら焼き切ろうとしているのは、アオ・ポーレット、お前じゃないか。

 

 お前は日陰(こっち)側の人間じゃないか。日陰じゃないと生きられない奴らがいることぐらい知っているじゃないか。そんなお前がなぜ堂々と参事官飾緒を吊り下げ、公爵閣下の権限を振り回せる。なぜ、なぜお前だけがリコッタ閣下の隣で笑っていられる。

 

 俺は、それを日向(それ)を諦めさせられたのに、なぜ!

 

 そうしてお前は日陰すら焼き切るのか。血と薬でボロボロになったこの身体で三年間守ってきたこのスラムすらお前は俺から奪っていくのか。

 

 死体が見つかる前に離脱する。血の付いた上着を裏返して隠し、市長官舎へ飛び込んだ。

 

「父上!」

 

 父は既に起きていた。

 

「面倒なことをしてくれたな、クリストフ」

 

 正装に着替えている父はぎろりと睨む。

 

「違います! あれは……!」

「何が違うというのだ。命じたのはアオ・ポーレットの無力化と、その犯人捜しの扇動だ。それをどう取り違えたら第一公女が倒れるのだ」

 

 少なくとも犯人捜しの扇動は上手くいっているはずだ。()()()()()()()()()()()()()。穴熊寮の捨て駒たちが起こした騒動は、十分に機能し始めたはずだ。

 

「アオ・ポーレットをやるチャンスはまだあります。それに冒険者ギルドと商人ギルドとの盟約はきちんと期日までに履行できるではありませんか」

「もう遅いのだ、クリストフ」

 

 父は億劫そうに口を開く。

 

「先ほど伝令が来た。フォルマル商会の生き残りが城に駆け込んだぞ。ベラドンナの実と一緒にな」

 

 それで察する。頭の中であの少年の絶対零度の言葉が滑り込む。

 

――――――君と父上にトドメを刺すのは、僕じゃない。

 

 どこで間違えた。どこに間違いがあったのだ。

 

「コリン・フォルマル……!」

「さっさと殺しておけと言ったのに裏切られおって」

 

 そう言って帽子をかぶる父。

 

「今すぐ出ていけ。全てフォルマル商会が企てたことだし、ブラックカランズのことなど、この市政には関係ないことだ」

「父上……」

「せっかくあのガキをくっつけてやろうと思ったのに、そんなに気に入らなかったかね。まあいい、終わった話だ。お前もさっさと姿をくらませるがいい」

 

 あぁ、そうか――――――大間違いがこんな近くにあった。

 

 結局、父にとって俺も公爵閣下も駒でしかなく、リコッタ閣下に至っては駒ですらなかったのだ。それに俺は命をかけてきたのに、父にとってはその程度でしかなかったのだ。

 

 血が乾いて詰まりかけた鞘から剣を引き抜く。

 

「――――――クリスト」

 

 そのまま腰だめに、大きく踏み込む。下から斜めに突き上げるように。手に布が当たる感覚、暖かく湿った何かが手を汚していく。

 

 軽く捻って、引き抜く。

 

 それで終わった。

 

「はは、ははは……」

 

 真っ暗な部屋。濡れた手の感覚。それが気持ち悪くて、自分の髪を書き上げるように拭った。

 

「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」

 

 世界が壊れる、音がした。




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