【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる- 作:笹木ハルカ
「それでは、よい夜を」
「おやすみなさい、ヴィクトリアさん」
ヴィクトリアさんに案内された部屋へ入る。今日はお城に泊まりなさいという公爵閣下のお気遣いだ。ポーレットさんが一緒に寝たがったが、別室を用意してもらったので事なきを得ている。とりあえず、少しでも身体と頭を休めておかないといけない。嫌でもパフォーマンスを求められる以上は、休むのも責任の一つだ。
「それにしても、久々に鼻血がでるまでやったな……」
書類に血が落ちて気がつくあたり、自覚しているよりも疲れている。血はポーレットさんが一瞬で止めてくれたから被害は少なかった。それよりも今すぐ休みなさいと言われるのを何とか宥めて最低限のフレームだけは仕上げるよう説得するのに時間がかかった。
「でも、宿題が残ったみたいで気持ち悪いんだよなあ……」
仕事でも、うまくいかないことが手元に残ると一気につらくなる。なんとか片付けてしまいたかったが、これ以上やるとポーレットさんを本当に泣かせそうだったので、切り上げてきたのだ。
通されたのは応接セットまである部屋だ。……バリナード城の客間ってこんなんだったっけ。そう思いつつジャケットを脱ぎ、椅子の背にかける。シャツもズボンも寝ジワをつけるにはもったいない。とりあえず脱ぐ。
「あ、ミネットに腕を外してもらって……いいか一日くらい」
呼びに行くのも面倒だ。たまには気楽に一人で寝るのも悪くない。普段はミネットに腕を外してもらい、肩のケアをしてもらったり、寝間着への着替えを手伝ってもらっているのだが、一日くらいは大丈夫だろう。
通された部屋にはお香が焚かれているようだ。香木の香り……白檀だろうか。熱帯の常緑樹が場合によっては霜が降りるバリナード公爵領に自生しているわけがないので、おそらく輸入品だ。公爵家と商人ギルドがバチバチしているにもかかわらずモノが入ってきているのだから、商人というのはたくましい。一枚岩ではないのだろうというのがわかる。
(コリンとイヴァンも、そのうち商人ギルドで板挟みになるのかねぇ……見限られないようにいろいろ考えないとな……)
そう思いつつ天蓋付きのベッドに向かう。こんな豪奢なベッドは久々だ。それこそ腕をなくした直後以来じゃないか。部屋は東向きだからカーテンを少し開けとけば、夜明けぐらいには起きられるか。まあ、起きてこなければ、きっとミネットが起こしに来てくれるだろう。
そう思いつつ毛布をめくると、バッチリ目が合った。
「……リコ様? 何してるんですか?」
「アオ様を待っていたのです。アオ様と一緒に夜をすごせるのは久々ですもの」
こんな遅くまで起きていたのか。布団に頭まで潜っていたせいか、頬が赤く見える。普段着よりもかなり簡素なワンピース型の寝間着。月明かりが映えるつややかな質感からして、おそらく上質なシルクなのだろう。このデザインにしてはボタンが大きい気がしたが、子どもでも自分で脱ぎ着がしやすいようにということらしい。女の子って寝るときもスカートなのか? お腹が冷えそうだが。いや、前ポーレットさんも含めて一緒に寝たときはズボンだったよな。
突然のことで思考が散り散りになっているのがわかる。現実逃避をしている場合ではないのでとりあえず言葉を探す。
「それは、お待たせして申し訳ありませんでした」
「いいえ、わたくしが待ちたかったのです」
ぽんぽんとベッドを叩くリコッタ。……一緒に寝るのは確定らしい。今からでも部屋を変えてもらおうかと思ったが、そうしたところで多分リコッタはついてくるだろう。
「アオ様も薄着ですし、風邪をひいてしまいますわ」
「……僕の負けですね。では、お邪魔します」
ベッドにごそごそと上がる。石鹸の香りが急に強くなった。横になるとリコッタがうれしそうに体を寄せてくる。
「り、リコ様……?」
「なんですか?」
「近くないですか?」
「そうですか?」
嘘だ。絶対嘘だ。
少なくとも前は抱きつくことこそあっても足を絡ませようとはしてこなかった。僕も短パンのような下着姿なので、太ももの肌同士が触れて少しむず痒い。
「リコッタはいつもどおりですよ?」
「そ、そうですか?」
「そうです」
勢いで押し切ってくるリコッタ。本来ならやめさせるべきだし、その方が教育にいいのだろうが、反論する体力がもうない。
「……でも、そうですね。アオ様の言う通りいつも通りじゃないのかもしれません。今日は、アオ様にちゃんとお礼と……謝罪しないといけないのです」
「謝罪? なんのことです?」
本当に何を言っているのかがわからない。
「今日のことなら心配ありませんよ。僕は自分で思ってるより喧嘩っ早いみたいですけど、後悔なんてしてないんですから」
「そうじゃ……なくて」
「……?」
抱きついたままの超至近距離でも、視線が外れる。言葉を選ぶ様な間がある。そして、決意を固めたのか、僕に視線が戻る。
「アルフォンス殿下に言い寄られたとき、怖かったのです。公爵領のことを考えればきっと、あのまま受け入れるべきでした」
「……そうですか? 本当にそう思っていますか?」
「はい。それがきっと、一番誰も傷つかない道でした。家と家を繋いで、力を合わせる。貴族の女性の役目の一つです。……かか様もそうして、公爵家に嫁いできたのですから。わたくしもそうあるべきと、言われてきたのですから」
リコッタの目をじっと見つめる。耐えきれなかったのは僕の方だった。今度は僕が先に目をそらす。
「……そう、ですか」
「だから、わたくしがそれを台無しにしてしまった。アオ様にその咎を背負わせてしまった。……だから、謝りたいのです」
「いいえ、リコ様。その謝罪は受け取れません。アレはアルフォンス殿下と僕の喧嘩です。その責任はあなたにない。リコ様のせいではないのに、謝られてもそれを許すことなどできないんですよ」
「……本当に、アオ様らしい」
リコッタの言葉遣いが、少し崩れた。僕の腕に頭を預けてくる。義肢は硬くて痛いだろうに。
「……今日のわたくしは良くないことをしました。でも、本当に、本当にうれしかったのです。アオ様がわたくしを疑わず、味方になってくださった。それがうれしくてたまらない。あの場で王子殿下の提案に頷くべきだった。頷かなければアオ様は第三王子殿下と対立してしまう。バリナード家のみならず、ポーレット家と王家との関係にまでヒビが入るかもしれない。わかっていたのに、選べなかった。悔いるべきことなのに、心底ほっとしているのです」
リコッタの肩に手を回す。
「アオ様」
「はい」
「どうか、許してくださいまし」
「何をです?」
努めて明るく問いかける。
「あなたをこんなことに付き合わせてしまったのは、わたくしです」
そういう彼女に、僕はどう声を掛けるべきだろう。
「初めて会ったとき、アオ様にわたくしはどう映っていたのかわかった気がするのです」
「……そういえば、出会ってすぐの婚約宣言でしたね」
こくりと頷くリコッタ。……まだ一年も経ってないけれど、もうすぐ七年という人生では、かなりの昔なんだろう。懐かしく思う。
リコッタはなにかを口にしようとしては、口をつぐむことを繰り返した。何かを恐れているような、そんな間が落ちる。
「……アオ様は、後悔してませんか?」
「してませんよ」
即答する。嘘はなかった。
「もちろん戸惑いました。僕もリコ様も見ている世界が違うのです」
「見ている世界……」
「僕もあなたもまだ子どもだし、あの頃の僕は明日のパンの心配をしなきゃ生きていけなかった。生き残るだけで精一杯で、未来なんて知らなかった。……未来に思いを馳せることができるのは、きっとこの世界じゃまだまだ贅沢品なんです」
リコッタは怯えたように僕を見ている。そっと髪に指を通す。触覚のないこの義肢の扱いにも慣れてきて、リコッタに触れることを大分恐れなくてもよくなった。
「手放したものもあります。重荷となることもあります。つらいこともあります。それでも僕はリコ様と会わなければよかったとか、そんなことを思ったことは一度もありません」
「……本当、ですか?」
「僕のことが信じられませんか?」
思わずといった感じで首を横に振ったリコッタだったが、すぐにブンブンと大きく振られた。
「もちろん……アオ様のことは、信じてます。信頼してます」
「僕もですよ、リコ様。……だめですね、気の利いたことを言いたいのに、なんにも浮かんでこない」
そう言うと、ようやくリコッタが笑った。
「……本当に、アオ様らしいです」
「どういうところがです?」
「嘘をつけないところ」
「実は嘘をよくついているんですよ」
きょとんとした顔をしているリコッタ。本当に僕を嘘がつけない人だと思っていたらしい。
「そうなのですか?」
「そうなのです。リコ様に見えないように」
そう言ってそっと顔を寄せる。どんぐりみたいな大きな瞳が見開かれる。
「好きな女の子には、格好つけたいじゃないですか……なんて、そんな柄じゃないですね」
そう言っておでこをこつんと軽く合わせる。
「リコ様、僕たちには時間があります。きっとまだ、たくさんの時間があるんです」
「……そう、ですよね」
「そうです。僕はリコ様のそばにいたい。そう思ってます。これは、嘘じゃないですよ?」
半分茶化すようにそう言って。ゆっくり意識して話す。
「だから、僕はその時間を稼ぎたい。……そのためには、今日のようなことはきっと避けられなかった。あの王子には、負けません」
「リコッタはアオ様があの方に負けるとはひとつも思っておりませんよ?」
どこか冷めた感想が向けられる。当たり前だが相当嫌われたな、アルフォンス第三王子。
「それが聞けただけで僕は勝てます。……まあ、どういう結果になるかわかりませんし、男爵位を剥奪されているかもしれませんが、その時は公爵軍の兵卒としてでも潜り込ませてください」
「そうなるとポーレットさんやアーヴィングと取り合いですね。リコッタも負けませんよっ!」
アーヴィングはチャップマン宰相のことだ。たしかに宰相も離してくれなさそうだなぁ。
(あ、だから僕の鎖としてミネットをヘッドハントしたのか……)
ともかく、いろいろと身の振り方を考えなければならない。リコッタに求婚された時にはどうやって逃げるかを考えていたのに、いま僕はどう守るかを考えている。人はあっというまに変わるもんだ。
「だから、アオ様」
リコッタが僕の頭を抱きしめる。胸元に抱き留めるような形になる。石鹸の香りが強く鼻に抜ける。
「そう怖い顔をしないでくださいまし。大丈夫です。アオ様ならきっと、きっと大丈夫です。わたくしがついてます。わたくしが、リコッタが、いつだってアオ様を癒して差し上げます」
抱きしめられるというのは、こんなに心地よいのか。そう思うと、急速に瞼が重くなっていく。
「そう……ですね、ありがとうございます。リコ……」
様、まで言えたかどうかは自信がない。
†
「起きろねぼすけ。さすがにお寝坊が過ぎるぞ」
つつかれて体を起こす。頭が重い。目のピントが合うと、ベッドの上にぺたんと座ったリコッタと、その向こうでにまにましているハリエットが見えた。
「今何時だ……って!」
太陽がかなり高い。
「出発時間!」
「アンタの疲労度があんまりにも高いってことで出発は明日に延期だってさ。トマス閣下が大笑いしてたぞー」
ハリエットに軽く言われ、頭を抱えた。そういえば腕を外してなかった。
「あぁもう……昨日につづいて失態続きだ……」
「昨日は鼻血出てるのに気づかない位没頭してたんだって?」
「誰から聞いたのそれ」
「レナ様から」
ハリエットが僕をつつきながら笑って声をかけてくる。うざったいが事実なので黙る。
「とりあえず閣下から伝言。『今日一日執務室への出入りを禁ずる。リコッタを見張りにつけるから仕事を一切しないように』だってさ」
「え!? 提案骨子は!?」
「ポーレットさんとミネットが引き継いでまとめるそうですよ? アーヴィングも『ここまでできていればこちらでなんとかします』と言ってましたし」
リコッタにもそう言われうなだれる。
「……わたくしが殿下に求婚された時より驚いた顔をされるのですね?」
「いえ……人は本当に驚くと真顔になるものですよ……」
そう言い訳しつつ頭を抱えた。
「そうか……閣下の命令じゃあ、公務としてきちんと休まないとですね……」
そう言うとぷっくりと膨れるリコッタ。
「わたくしとのお散歩は公務ではありませんよ? 着替えて参りますので、アオ様もご準備くださいませっ!」
そう言ってたたたっと擬音がつきそうなぐらい足取り軽く出ていくリコッタ。直後にハリエットに小突かれる。
「でっ……」
「あの言い方は本当に『無い』わよバカチン。というより、昨日の夜はちゃんと姫様をもてなしたんでしょうね?」
「は?」
本当に何を言っているかわからなくて素で聞き返してしまった。
「だって、昨日のアレがあって、リコ様の部屋に通されておいて一晩出てこなかったわけだし?」
……ちょっと待て。気づいてなかったが、ここリコッタの私室か。そりゃあ公女様の私室なら香木も焚くし天蓋付きのベッドもあるだろうけども。前に療養していた客間に天蓋付きのベッドがなかったことは覚えていたけれども!
血の気が引くのが自分でもわかる。
「……なに? 本当にここがどこか気がついてなかったわけ?」
「いま気がついたよ……」
「ってことは、姫様の特別な寝間着にも、メイド隊が全力で仕上げたお化粧にも気づいてないわね」
「え? そうなの? というより、化粧?」
「暗くても血色よく見えるようにうっすらとね。月明かりで自然にバレないようにっていうの、普通のドレスに合わせるより数倍難しいのよ?」
「なんで? 寝るときに? え?」
本当にのみ込めずにいると、盛大にため息をつかれた。
「あのね、アオ。お着替えとか全部使用人におまかせの姫様があんな大きいボタンの服を意味なく使うわけないでしょ。そもそも寝るとき邪魔になるし。普段の寝間着は頭から被るタイプでしょ?」
「そんなの覚えてないし、それがなんだって言うんだ」
「前開きのワンピース一枚なら一人で脱ぎ着できるし、なんならアンタの義腕でも安全に外せる。前開きならわざわざ体起こしたりしなくても脱げるし脱がせやすい」
そういうことよ。とあけすけに言ってくるハリエット。脳が理解を全力で拒否している。いや、意図はわかった。わかりたくなかったけど。
「いや、いやいやいや……僕はまだ
「大正解。他ならぬ姫様のご希望だしね」
本気で頭を抱える。
「意味がわからん……」
「ヴィクトリア姉様も『アオ様もこういう方面では無茶をなさいませんから大丈夫でしょう』だってさ。こっちはアンタが何も言わずにヴィクトリア姉様の後を付いてったんだからわかってやってたと思ってたんだけど?」
リコッタの希望? いや、たしかによく一緒に寝たがったけど、そういう方向はこれまでなかったはずだ。誰かの入れ知恵があったとしか思えない。
「……愛娘にそういう事も仕込むのかよ」
「愛娘だからでしょ。嫁いでお世継ぎを作るのが貴族の女の子のお役目なんだしね。なんなら
「知りたくもないよそんな事情。事故があったらどうする気だったんだ……」
「ないない。私からも『アオに手を出せる度胸があるとは思えませんし、なんならソファで寝るって言って大喧嘩すると思います』と言っといた」
「……念のため聞くけど、本当に大喧嘩になったらどうする気だった?」
「姫様が泣き落としに入るでしょ? そしたら間違いなくアオが根負けするでしょ? しこたまなだめすかして朝になるでしょ? で、翌朝メイド隊総出でアンタに説教してめでたしめでたし」
「なんもめでたくねぇ」
「実際なにも無かったじゃん?」
「……その信頼はうれしいけどうれしくないよ」
信頼されているのかされていないのかどっちだ。
「姫様がアンタを呼んで、それに応えたっていう事実が必要なだけなの。アンタ流に言うならそういうプロトコールなの。で、部屋の中はノータッチ。ナニがあってなかったかなんて漏れ聞こえたらそれこそ恥だわ。そういう意味ならちゃんとアンタがプロトコールを踏んでくれたから、公爵家としては大満足って訳。相手が踏み込んできても、そういう仲ですって言質を相手に差し出せば『相手に恥をかかせてまで土足で踏み込んできたクソ野郎』って評価が王子につくでしょ?」
――――家と家を繋いで、力を合わせる。貴族の女性の役目の一つです。
リコッタの言葉がリフレインする。貴族教育というのは恐ろしいな。そして、歪だ。
「……それは、間違ってるよ」
「そうかもね。でも姫様はそうやってアンタを本気で守ろうとしている」
「守るって……」
「婚約というあやふやな形じゃ、アンタを守れないって思ったの。その恐怖は間違いなく本物よ。命がけじゃない分、アンタの決闘裁判よりはマシよ」
「それはそうかもしれないけどさ。そんな理由で……」
「
だから、と言われ乱雑に頭を撫でられる。ハリエットに頭を撫でられるのは初めてかもしれない。けっこう遠慮が無い。
「だから、ちゃんと姫様を安心させてあげなさいな。ぎゅってしてあげるだけでもいいんだからさ。もう姫様にこんな無茶させたらだめだからね」
「無茶だとわかってたなら止めてくれよ」
「次はね。今回は姫様も追いつめられて死にそうな顔してたから特別」
「……次は、ちゃんと気づけるように気をつけるよ」
ん、合格。と言われてワシャワシャと髪をなでられる。何が合格なのかさっぱり分からない。
「さ、姫様が戻る前にアンタも着替える。そっちに投げっぱなしだったズボンとかジャケットはビオネッタ姉様が整えた後だから、はい!」
差し出された服を受け取る。貴族としての、僕の服。
「わかっていた、つもりだったんだけどな……」
なんだか、うまくいかないことばかりだ。
アオとリコッタの認識の差は……しばらく埋まらないんだろうなぁ。
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