【書籍第一巻発売中!】公女様の義腕騎士-元官僚、異世界でホームレスから成り上がる- 作:笹木ハルカ
「アオさま、遅くにすいません。まだ起きておられますか?」
「ミネット? 起きてるけど、どうしたの?」
返事をして声をかけると、ミネットが部屋に入ってくる。どこか緊張した面持ちだ。お城にある僕の部屋にモノはあまりない。あまりにがらんとしていて、声が響く気すらする。
「ご主人さまがお呼びです」
「わかった。すぐ用意するから」
ポーレットさんからこういった形で呼び出しがかかるのは珍しい。なにか事情があるのかもしれない。一応ジャケットを着ておく。
「ミネットも夜遅くまでごめんね」
「いえ、ご主人さまもアオさまも陞爵されたわけですし、興奮して眠れなくて」
「ははは……陞爵したからってやるべきことは変わらないよ。……でもまあ、あの後もっとお祭り騒ぎになっちゃったしね」
「公爵閣下もオーストレス地域に特赦というか今年度の税の減額を打ち出しましたからね」
ミネットが会話に付き合ってくれる。ミネットから税の話が出るなんてとどこか感慨深い。読み書き計算以上に、僕の仕事や人付き合いにきちんと付き合ってくれているのがわかる。本当にありがたい話だと思う。
「それでも、アオさまも王国の研究機関の分室長なんて……」
「ははは、分室長の仕事は母上の研究結果をまとめ直すだけっていうのが実体だろうね。問題はその先、それをどうやって騎士団に落とし込むか……たぶんそこを国王陛下は見ていると思う。そこは公爵閣下と相談しないとだね」
ミネットは僕の着たジャケットの裾を直しながら話を聞いている。
「……無理されていませんか?」
「どうだろう……無理をしてでも超えないといけない壁かどうか決めあぐねている……そんな感じかな」
「無理するとまたリコッタ様を泣かせますよ」
「それは嫌だなぁ」
そんな会話をしつつ、部屋を出る。母上の部屋に向かおうとしたら、ミネットに軌道修正された。一階に向かっている。そちらにあるのは、応接間だ。
「……来たか、アオ」
「公爵閣下……良い夜ですね」
そう挨拶をしつつ部屋の中を見回す。蝋燭の明かりの数は絞られ、かなり暗い。部屋にいるのは、ポーレットさんと公爵閣下、そしてリコッタにハリエット、そしてコリン。ここに僕とミネットが入ることになる。
「あぁ、いい夜だ。……君にとって突然の話になっただろうからな、いくつか認識のすりあわせをしないといけない。こんな夜だからこそ話せることもあろう」
「なるほど」
それにしては人の組み合わせが妙だ。具体的にはコリンがここに入る理由がわからない。
「まずは陞爵おめでとう。戦功によらない陞爵は十八年ぶりだそうだ」
「ありがとうございます。微力を尽くして参る所存です」
「そんな他人行儀にしなくていい、アオ。あの場でも言っただろう。
その極端な強調にどこか引っかかりを覚える。
「……つまり、何らかの形で味方ではない何者かと対峙する必要がある、と?」
「そうだ。……その対策として、コリン・フォルマルに要請を出した。そして、ここには君の絶対的な味方になるであろう人に集まってもらったつもりだ」
声をかけたのは公爵閣下か。……では、なぜ僕を呼び出すのにポーレットさんの名前を出したのだろう。
「……絶対的な味方」
なにかがおかしい。僕の見えないところでなにかが進行している。それだけがわかる。
「なあ、アオ。この世界にはたくさんの未知がある。そう感じたことはないか」
「……閣下」
「私にはある。この世界には未知が詰まっている。それを人は時に奇跡と呼び、時に
「閣下!」
耐えきれず声を上げる。心拍数がおかしい。何があったかわからない。それがこんなにも苦しい。
「まあ待て、話を聞け、アオ。……いま思い出したよ、以前こんな話をして、珍しくレナに怒られたことがあった。そうやって理解を諦めたら、奇跡は奇跡のままだとね。魔導の天才だったレナらしい叱責だと思った。その時には既にセディはレナに首ったけでなぁ。二対一で私の旗色が悪かった。それが悔しかったけれど、言い返せなかった」
公爵閣下の思い出話についていけない。セディという名前が出たということは、まだセドリック・ポーレットが生きていたころのことだ。リコッタが不安そうに僕を見ているのがわかる。追い詰められている。何に? わからない。頭の奥底が不純物で埋められていく。空回りしているのがわかる。
「だから私もそうすることにした。それが自分の首を絞めると知ってもね。そういうことをなんといったかな……そう。――――――Curiosity killed the catだ」
頭の中が、真っ白になった。
意味は単純だ。好奇心は猫も殺す。そんな難しいイディオムではない。
だが、それは。その表現はありえない。
この世界に、英語は存在しないのだ。
「聞き覚えがあるな?」
しまった!
作ってしまった大きすぎる隙。そしてその隙を公爵閣下は見逃さなかった。もう逃げられない。それを明確に悟る。
「……きっかけはレナとの会話だった。アオはセディの理想を聞いて『先進的』と評したと聞いている。彼の全人教育という理想が突飛で風変わりなのは確かだが、それがどう『先進的』であるのか、レナは君に説明していない」
公爵閣下の言葉を後を継いだのはハリエットだった。
「今日アンタが使った燃焼魔法は火属性ではなく土属性のものだった。酸化鉄を使った燃焼反応なんて魔法は過去に存在しなかったとはバードン教官が確認してる。空気のない密閉空間で高温を発生させるのは炭焼きと同じ理屈なのはわかるけど、それが鉄でできるという話は、この国最高峰の土属性の魔導師であるレナ様でも知らなかったものよ。アンタはそれをどこで学んだの?」
ハリエットの疑問に答えようにも、僕の喉の奥は張り付いてしまっていて、答えを捻り出すことはできない。答えが出ないことを察したのか、コリンがさらに話題を続ける。
「現在進んでいる硝石生産のための屎尿処理についてですが、ワーキンググループでの議論について、公爵閣下の許しを得て閲覧しました。……少なくともフォルマル薬事商会が過去に握っていた技術ではありません。唯一記載が確認できたのは新大陸についてかかれた冒険書です。……ですが、その本のうち、王国語に翻訳されたものは王都にしかありません。公爵領で保護されてから文字を習った貴方が読むことはできなかったはずです」
「決定的だったのは、王都で陛下に謁見したあとの会話だ」
話題を握り直したのは公爵閣下だ。
「君は確か私にこう言った。『塩は塩気がなくなれば地に捨てられるって言うではありませんか』……これを私に言ってきたのは君が二人目。……一人目は、セドリック・ポーレットだ」
『地の塩世の光』は聖書で出てくる有名なたとえ話だが、この世界には当然聖書はない。あの時のミスに、僕は気がつくべきだった。
ポーレットさんが、僕の前に一冊の本を差し出す。ダイヤル式の鍵で封ぜられた本。この国の言葉で日記帳と書かれているが、その下にはこの世界にあるはずのないアルファベットが書かれている。
「セディは自身のことを『コンキスタドール』と呼んでいたわ。私も閣下も、その言葉の意味がわからなかった。セディに聞き返すと『僕の言葉では侵略者という意味だ』と答えたの。そしてこの暗号のような日記を残した」
鍵は二ケタ。表紙に細かく書かれたアルファベットはおそらくはその鍵の解錠のための文言。僕にとっては懐かしい文字だ。それをこの国の言葉に翻訳して読む。もはやこの言葉よりも、日本語よりも、今の言葉の方が馴染んでしまった。
「明日、また明日、そしてまた明日と、記録される人生最後の瞬間を目指して、時はとぼとぼ毎日歩みを刻んで行く。そして昨日という日々は、阿呆どもが死に至る塵の道を照らしたに過ぎぬ……」
スペイン語に翻訳されたシェークスピア。マクベスだ。このシーンは……。
錠前のシリンダーを回し、五五にあわせる。パチリと、鍵が開いた。
「……こうなった以上、私は君に聞かねばならない」
マクベスの第五幕第五場。森が動くまでは負けることはないと魔女に予言されたマクベスが、その予言を信じていられた最後のときの独白だ。
「アオ・ポーレット。お前はいったい何者だ」
これを日記帳に残したセドリック・ポーレットは、いったいどんな気持ちだったのだろう。
「……それを話す前に、一つ確認させてください。セドリック・ポーレットは、もう一つ名前がありませんでしたか?」
ポーレットさんを見ると、小さく頷いた。
「えぇ、名前は……」
「ホセ・コルドバ、ですね」
ポーレットさんが答える前に、日記帳に書かれた名前を読み上げる。
「……そう、ホセ。そう名乗っていた。私だけが知っている、特別な名前として」
それを聞いて頷く。隠し通すのは、限界だ。
「閣下の何者だという問いに答えるなら、閣下とポーレットさんの予想通りだと思います。僕には、この身体になる前の記憶がある」
「……セドリック・ポーレットと同じように、か」
公爵閣下は大きなため息をついた。
もう間違い無いだろう。セドリック・ポーレットは僕と同じ境遇……いわば、転生者だった。
「僕をポーレットさんの所に送ったのは、最初からこの可能性を考えていたからですか?」
「……そんなことがなければいいと思いながら、な」
力なく笑った公爵閣下。
「お前の知識は突出しすぎていた。そして、性急に改革を図ろうとする癖も、セドリック・ポーレットにそっくりだ。……まさか本当に彼の子どもじゃないだろうな。そうなるとあやつは公務の合間を縫ってレナの他に相手を作っていたことになるが」
茶化すようにそういう公爵閣下に対して首を横に振る。
「違いますよ。日記の文字は僕の母語ではない。数千キロメートル単位、王都とここを五往復しても足りないくらいの距離が離れていた地域の言葉です」
スペイン語の日記帳、そしてコンキスタドールを侵略者と読み替えたことから、おそらくセドリック・ポーレットのルーツは南米系で、おそらくは知識階級の出自だ。母語とはいえマクベスを正確に記憶し、それが第何幕の第何場であったかを日記帳の鍵にしたのだから、相当に高度な専門教育を受けた人物だったにちがいない。
「もう隠し事はなしだぞ」
「……どこから話しましょうか」
「アオは……どんな人だったの?」
ポーレットさんはそう聞いてくる。チラリとリコッタに視線を送ると、どこか不安そうな顔が見えた。
「……そうですね。私はある島国の官僚……この国で言う軍務局にあたる部署で働いていました。いろいろな役職を任せてもらえていたのですが、ここでは最終所属でお答えすることとしましょう」
僕の……いや、私の義肢の指を組む。私の頭のなかを、マクベスの一節が流れていく。第五幕、第五場。
――――――消えろ、消えろ、束の間の灯火。
日記にあてられていることを自覚する。それでも押しとどめることなどできない。許されない。
「日本国国家安全保障局政策第三班班長――――――名を、
――――――人生は歩く影法師、哀れな役者だ。
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